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第三十五話 芹沢終焉



「うわ…頭いた……」


次の日。

まだ陽も登る前に目覚めた私を待っていたのは、今までに経験したことがないほどの二日酔いと頭痛だった。


ひどい。ひどすぎる…

きっとこんなに体調不良なのは初めてかもしれない。というか、昨夜呑んだ酒の量が尋常ではなかった気がする。

ああ…こんな思いをするんだったら二度と酒呑むのやめよう…なぁんて二日酔いになった誰もがその場では決意するものの、後日、大半の人のその決意が無かったことにされるのを私は知っている。


つーか…とりあえず頭痛がハンパない……

歳さんに石田散薬をもらって飲んでみようかな……

いやいや!!たぶん、いや絶対効かない!!はじめくんはなんだかすげー石田散薬の信者で風邪引いた時も飲んでたみたいだけど、そもそもあれは打ち身用の薬だと調合した本人である歳さんが言っていた。

しかも「打ち身になら、本当の本当の本当に効くの?」と問い詰めてみれば黙って視線をプイとそらされたのだから真実はわからない。

数日して、はじめくんが「熱が下がった。さすが石田散薬」と褒めていたけど、褒めるべきはあなたの白血球だよ。


…なんて。こんなこと考えてる場合じゃないぜ。

とにかく顔でも洗ってスッキリするか。


ん~…と伸びをしてまだ暗い部屋をよく見回すと、ふとあることに気がついた。


つーか…

いまさらだけど、なんで私、この部屋で寝てるんだろう…


そう、ここは私の部屋ではない。夕べ宴が行われた八木さんの家でもない。

あれ?私、確かいつの間にか寝ちゃって……


ここは…

………ここはどこだ?


ガンガンする頭を抑え、這いつくばりながら襖に向かう。そして手をかけようとした瞬間…

目の前の襖がスパンと開いた。

手が宙を掴み、思い切り倒れ込んだ先にはある男の脚が…

手をつくこともままならず、私の低くて小さな鼻はその脚に直撃したのであった。


「おわっ!!由香ちゃん!大丈夫か!?」

「いたたた…鼻ぶつけた……」

「わりぃわりぃ!まさかここにいるとは思わなくて…大丈夫か!?」

「だ、いじょぶ、です…」

「あちゃ~、赤くなっちまったな」


見上げた視線の先には焦った顔の新八さんがいた。

気にしないでくださいと言わんばかりの表情で笑えば、ふとあることに気付く。

よく見れば新八さんの袴はシミだらけ。どす黒いそれが血だとわかるまで時間はかからなかった。

思わずそれに釘付けになる。


「し、んぱちさん…血、が……」

「血…?あああ!!そうだった!!」

「…?」

「由香ちゃん、近藤さん知らねぇか!?」

「近藤さん?知らな…」

「俺、角屋に泊まって今帰ってきたんだけどよ、八木さん家に酒取りに行ったら…」




――芹沢さんと平山さんとお梅が…






















嘘だ。



「今、土方さん達が仏さん達を……って由香ちゃん!!」










芹沢さんと平山さんとお梅さんが刺客に殺された?



…刺客?

刺客が忍び込んで芹沢さん達を殺した?


そんなの嘘だ…

嘘だ嘘だ嘘だ!



けれど…

本当に殺されたんだとしたら

刺客はきっと……




思わず部屋を飛び出した私の背中を「今は行くんじゃねぇ!」と、新八さんの声が追いかけてきたが、足は止まることを知らず八木さんの家へと駆け出していた。




***




「は……」


八木さん家に着いた私の視界に飛び込んできたのは、思わず目を塞ぎたくなるような光景だった。

辺りには血と肉が削がれた臭いとでもいうのだろうか。その独特な臭いが漂っている。


そして……

部屋の中には茣蓙をかけられた二つの体。

はみ出しているスラリとした白く細い足に目が釘付けになった。


ふらりふらりとそれに近付く。

ぬるりとした嫌な感覚が踏み出した足に纏わり付いた。


「お、梅…さん…?」


声が震える。返事はない。


違う。お梅さんじゃない。


そう言い聞かせながら私は震える手で、体にかけられた茣蓙をそっとめくった。


「ッ!!!」


思わず息を飲む。

私の目に映ったのは首の皮一枚で…どうにか胴体とくっついている変わり果てたお梅さんの姿だった。


な、にこれ…、誰、誰なの?

お梅さん、な、の?

なに、これ……人間、なの?

…違う、こんなのお梅さんじゃない!


こんなの…

人間じゃない!


嫌悪感にも恐怖感にも似た何かが全身を駆け巡る。

それと共に激しい吐き気に襲われ、たまらず縁側へと駆け出した。


「…ぉえっ……!!ゴホッ…ゴホゴホッ…!!はぁっ、はぁっ!!」


呼吸がうまくできない。脈が乱れる。

脳裏に焼き付いて離れない。

ほんの数時間前までともに盃をかわし、友達だと…

また遊びに来てくれると優しく笑ったお梅さんと…

真っ白な顔で白目を向き、力無く横たわっているお梅さんと…


「ぅ…っ……ゴホッゴホッ!!」


それを思い浮かべるたび…

血の臭いが後押しし、何度も、何度も吐き気が私を襲った。




「……由香さん?」


縁側の向こうから名前を呼ばれ、口元を拭いながら振り向くとそこには総司くんと…


眼に獣を宿した…

鬼の眼をした歳さんの姿だった。


ああ…

やっぱり刺客は…

お梅さん達を殺したのは……


「大丈夫、ですか?」


差し延べられた総司くんの手を振り払い、よろよろと立ち上がる。

見据える先には歳さんが感情もなく立っている。

この眼は…

間違いない。


一歩。

また一歩、歳さんへと近付いていく。


「…歳さん、芹沢さんも殺されたの?」

「……ああ」

「誰に」

「まだ、誰かははっきりわからな…」

「総司くんには聞いてない。ねぇ、歳さん、誰?誰が殺したの?誰が芹沢さんも平山さんもお梅さんも殺したの!!」

「………」

「教えてよ!知ってるんでしょう!?教えてってば!!」


…気付けば。

私は両手で歳さんの襟を掴み、頬には涙が伝っていた。

これが何の涙かは自分でもわからない。


お梅さんを失った悲しみか。

芹沢さんや平山さんを失った悲しみか。

歳さんへの怒りか。

はたまた裏切られた悲しさか。

それとも……





この男が以前の"土方歳三"に戻ることはないだろう。

きっと…

あの獣を眼に宿しながらひっそりと牙を研ぎ…時にその牙を剥き、鬼として生きていくはずだ。


眼が…

以前とは瞳が違うもの。

そして私はこの目の前にいる"土方歳三"は愛せないし、きっと愛されることも二度とない。

そう言い切れる。

この目の前の男の眼がすべてを物語っているもの。



辺りには私の悲鳴にも似た泣き声が響き渡った。




***



お葬式はその日のうちに執り行われることとなった。

普通は一日二日、間を置いたりするのに。

そんなに急いで執り行うなんて、何か揉み消したい裏があるんじゃないかとすら疑ってしまう自分がいた。


さすが壬生浪士組局長というだけあって、お葬式は盛大だった。そして何もかもが手順よく進められた。

まるで最初から準備がしてあったかのように。


が、ただ一つ問題が起きた。

それはお梅さんの遺体のことだ。

短い間だったけど、愛し合った芹沢さんとお梅さん。一緒に葬って、静かに過ごさせてやろうという意見が多かった中、断じて近藤さんがそれを許さなかった。「壬生浪士組局長という立派な立場の芹沢さんとどこの馬の骨かもわからない売女を一緒になど葬むれるか」と。

結局、近藤さんの意見に皆賛同し、お梅さんの遺体は西陣にある実家に引き取られることとなったのだけれど…


そんな…ものなのかな……この時代の武士って奴は。そんなに名誉が、志が大事なのかな……

その志を守るためだったら…

どんな嘘をついても…

誰を殺しても構わない。

そんなものなのかな…


芹沢さんは酒乱だったけど、普段は豪傑でいいオッサンだった。優しい一面もあったし、頼りがいもあった。平山さんだって、普段は無口でちょっと怖い感じの人だったけど、話せばすごく優しい人だった。

二人とも大好き、とまではいかないけど寝食をともにした仲だ。私なりに情はあった。私なりに好きだった。

お梅さんだって…

こんな私のことを友達だって言ってくれて…

きっともっと仲良くなれた。何でも話せる仲になってた。


あぁ…

なんだか空っぽだ…

何も考えられない。考えたくない。どうしたいのかも、どうなりたいのかもわからない。

この壬生浪士組を飛び出したところできっと何もかわらないし、私のようなこの時代の世間知らずは、物乞いになるか誰かに拾われて身売りされるだけだろう。馬鹿な私だってこの時代で数ヶ月過ごしていればそれくらいわかる。

結局…

私は何があろうが、反発心があろうが、この壬生浪士組に頼って生きていくことしかできないのだ。


壬生寺まで続く行列をボーッと眺めながらそんなことを考えていれば、芹沢さんの埋葬を済ませたのであろう歳さんが、その行列をすり抜け私の前で立ち止まった。


「恐らく長州の奴らだろう」


嘘つき。


「そうですか…」


ボソッと一言だけ返せば、歳さんはプイと視線をそらしそのまま屯所の中へと姿を消した。


私は再び行列に視線を戻し、それをいつまでも眺めていたのであった。







本玄関南隣の部屋で寝ていたはずの平間重助。

刺客にやられながらも死んだフリをして助かったという説もあれば、刺客には遭遇せず、芹沢達の遭難に気付き刺客を探して家中を走り回ったという説があります。

どちらにせよ、その直後に行方を眩ませたとのこと。


芹沢の最期も抜刀することすら許されず、真っ裸で南部屋に逃げこもうとしたところ、八木家の息子さんの文机に躓いた。

そこにあとを追い掛けてきた土方、沖田の乱刀を浴び絶命したらしいです。



ちなみに、芹沢暗殺は文久3年9月16日のこととする説と9月18日の説があります。

八木さんの伝承や作家、子母澤寛の著作で当日が雨だったとされていますが、芹沢の墓碑に刻まれた18日は雨ではなかったそう。同時代の日記に16日が雨だと記載されているらしいのでその説も横行してるとか。

刺客の面々も、今回は土方、沖田、山南、原田説を採用しましたが、これに藤堂やら井上が加わったりなど、歴史の真相は時代のみぞ知るってやつです。


はたして芹沢一派が粛清されたのは正しかったのか…



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