第三十一話 動き出した歯車
彼等をよく見ていれば…
気付いたかもしれない。
止められたかもしれない。
けれど…
運命は変えられるけど、宿命は変えられない。
これが芹沢さんの宿命だったと言われればそれでおしまい…
「恐らく長州の奴らだろう」
今だ夕べからの雨が降り続く朝。
芹沢さんを壬生寺に運び終えた歳さんは淡々と私に言った。
「そうですか…」と一言だけ呟いたけれど…
きっとそれは嘘。
プイッとそらされた歳さんの瞳がすべてを物語っていた。
この世に…
死んでいい人なんかいるのだろうか。
どんな極悪人だって、世間から弾かれた人だって
その人を愛する人は必ずいるはずだ。
舞落ちる雨は誰の涙か…
芹沢さん…
最期にあなたの瞳に写ったのは…
あなたは最期に何を思いましたか―…
***
「んじゃ行ってくるからよ」
「………はい」
「……んだよ、えらく不機嫌じゃねぇか」
「別に。はい、雨が降りそうですからどうぞ」
ぶっきらぼうに番傘を差し出せば、玄関の敷居を跨ごうとしていた歳さんが「はぁ…」とため息をつき、くるりと振り返った。
……今日は先頃の御所の警備の慰労会らしい。会津侯から島原角屋での宴会がプレゼントされたということだった。
もちろん私も行くつもりだったのだが、なんでも今後の壬生浪士組についての大事な会合も一緒に開くとかで、まるで子犬でも追い払うような仕種で私の島原行きはあえなく却下となったのである。
まったく…
この時代の男どもは、一に島原、二に島原…
なんでこうも宴会は島原で、がお約束になっているのか。
この話を聞いた時、思わず「屯所でやりゃあいいじゃないですか」と言えば、すかさず新八さんから「綺麗どころがいねぇ慰労会はご褒美じゃねぇ!」と、もっともな意見が飛び出した。
…まぁね、ぶっちゃけ私が男だったらやはり新八さんの意見に賛同するだろうとわかっているから、結局それ以上は何も言わなかったんだけど。
しかしねぇ、毎回毎回白粉の独特な匂いをプンプンさせながら帰ってくる歳さんを見ているとね、たまにはこう、不機嫌になったりするってもんですよ、はい。
「クスッ。歳三さんてば、由香さんにヤキモチやかれてうらやましいなぁ」
「あぁ?ヤキモチだぁ?」
「ち、違っ…////!べ、別に遊女なんかに妬いてなんかいないんだからね////!」
私達のやり取りをそばで聞いていた総司くんが突然そんなことを言うもんだから思わず否定の言葉が口をつく。しかも思い切りその通りだと言わんばかりの口調で。
あぁ、私ってばどこぞのゲームに出てくるツンデレキャラかっていう。
そんな私の言葉を聞いた目の前のこの男。
今までどうしたもんかと潜めていた眉が一気にあがり、余裕のある笑みを浮かべはじめた。
「………」
「…な、んですか、その『おめぇ、やっぱ俺に惚れてるんだな』的な余裕の笑みは」
「…よくわかってんじゃねぇか」
「くっ…」
悔しいけど言い返せない。むしろこの場合、言い返したらますます墓穴を掘るようで、私は無言のまま番傘を押し付けるとプイッと視線をそらしたのであった。
「ほらほらお二人とも!夫婦仲がいいのも結構ですが、そろそろ行かないと」
「ばっ…何言ってんだ総司////!」
「総司くん////!!」
それまで私達のやり取りをそばで黙っていた総司くんがニコリと笑う。
このニコリ笑いは総司くんのからかいの笑みだと気付いたのは意外にも最近だ。
総司くんはそのまま若干顔を赤らめた歳さんの背中を押すと「今日はほら、長い夜になるんですから」とボソリと呟き、私には「ちゃんと浮気しないように僕が見張ってますからね!」と笑顔を向けた。
ん…?
…総司くんの言葉に、一瞬歳さんの表情が強張ったように見えたんだけど……
「じゃあな」
背中を押されながらも振り向いてそう言った歳さんの顔はいつもと変わらない優しい歳さんで…
私はなんの疑いを持つことなく「行ってらっしゃい」と送り出したのであった。
***
「あ…、降ってきた…」
歳さん達を送りだしてから間もなく。
灰色の空からポツリポツリと雨が降り出した。
……新見さんのことがあってから……
私を毎晩のように求めた歳さん。
それに偽りの自分で応え続けた私。
けれど先日、不本意ながらもつい涙を流し「私の前では歳さんのままでいて」と言ってしまったことは意外にも歳さんと私の関係はいい方向へと進ませたかのように思えた。
それからは…
私と接する時の歳さんの瞳からは鬼という獣が消えていたから。
だから私も徐々にではあるけれど、また歳さんを受け入れ始めていた。
うん…
結局、歳さんのこと好きなんだよね…
歳さんが外では鬼と呼ばれようが、血も涙もないと言われようが、私の前だけでは"土方歳三"という嘘偽りのない一人の男でいてくれればいい。
私だけが本当の"歳さん"の姿を知っていればいい。
そう…
この時までは確かにそう思っていた。
"歳さん"が…
私の前からも消えてしまうことなど知らずに。
***
「降ってきましたねぇ…」
「…あぁ。だが音を消すには調度いい」
そう言ってバッと番傘を開く歳三さんからは…
先程由香さんに見せていた優しい表情は消え、壬生浪士組、鬼の副長の姿へと表情を変えていた。
修羅と呼ばれる僕も思わずゾクリとする殺気。
もし歳三さんが敵だったら、この僕ですら敵わないだろうなぁ…なんて考えていると、当の歳三さんから鋭い言葉が飛んだ。
「総司。由香の前であんなこと呟くんじゃねぇよ」
「え?あんなことって…お二人が夫婦、とかですか?」
「馬鹿か!ちげぇよ」
「…気をつけます。歳三さん、素直だからすぐ顔に出ちゃいますしね」
「……あいつには俺の真の姿なんて知られたくねぇんだよ」
驚いた。
歳三さんとは僕が子供の頃から一緒にいるけど…
こんな弱気な歳三さんを見たの、初めてだ。
「…クスッ。心底惚れてるんですね」
「………」
総司はそうクスリと笑うと「さて、今夜は頑張りますかね」と鼻歌を歌いながら歩きだした。
ったくコイツは…
肝が据わってんのかなんなのか…
今夜はあの芹沢を殺るっていうのに……
…由香……
さっきはつい本音が出ちまったが…
俺は心を捨て自分を捨て、鬼にならなきゃならねぇ時がいつか必ず来る。
人を人とも思わねぇ、血も涙もねぇこの世の鬼にな。
そしてきっとおめぇは…
そんな俺の前から去っていってしまうだろう。
生きてきた時代が違うおめぇにはきっと生涯理解されるこたぁねぇ。
…俺のこの志は。この正義は。
だからせめて今だけは…
おめぇの前だけでは"土方歳三"という弱い男でいさせてくれ。
「歳三さん?」
「…あぁ。今行く」
バラバラと番傘に響き渡る雨の音を聞きながら…
俺は少しだけ立ち止まり空を見上げると、再び総司とともに角屋への道を歩き始めたのであった。
まさに鬼と化す道へと向かうように。




