第三十話 瞳の奥に潜むのは
私は皆の前で
上手く笑えているだろうか――…
新見さんの切腹から数日がたった。
壬生浪士組内はそんなことなかったかのように、静かに時間だけが流れている。
芹沢さんにいたっては市中の巡察と称し、相変わらず昼間から島原などで浴びるように酒を呑んでいるようだ。
それがなんだか私の目には自暴自棄、のように見えてなんだかいたたまれなかった。
終いにはお金を借りていたお宅の妾、梅さんが「お金を返してほしい」と催促に来たところ、無理矢理自分の"モノ"にしてしまったとか。どうやら梅さんも満更ではないようで、今では芹沢さんが屯所にいる時は必ず訪ねてきて、夜を共にするようになっている。
芹沢さんもいいオッサンなのによくやるよなぁ…
梅さんもあんなオッサンにイレ込むなんて…
……芹沢さん上手いのかしら。
まぁ、お相手は絶対に遠慮したいけれど。
「…心ここにあらず、だな」
隣で私の髪をすく男が静かに口を開いた。
「……そんなこと、ありませんよ」
そう言って胸に擦り寄れば、男の手は再び私の身体をまさぐり始める。
「…また、ですか?」
「わりィか」
「……いや、お元気でいらっしゃるなぁと思って」
「………」
男の手が止まることはない。
節くれだった長い指は私の身体を犯し始める。
遠回しに拒否の言葉を並べたが、そんなのこの男にはおかまいなしのようだ。
新見さんのことがあってから…
この男はちょくちょく私を抱くようになった。
何を恐れているのか…
優しい言葉で
優しい指で
まるで腫れ物を扱うかのように私を犯し続けた。
私はそれを拒むことをしなかったし、むしろ私も何かを探すように男を受け入れ続けた。
「…ぁ……」
「………んでだ?」
「…え?」
突然。
男の身体が静かに止まる。
「なんで名前を呼ばねぇ」
「………」
男は眉をひそめながら、今にも泣き出しそうなくらい寂しげな瞳で私を見据えていた。
*
俺は何を恐れている?
こいつに軽蔑されることか?
こいつに嫌われることか?
それとも――…
由香は…新見のことがあってから俺を名前で呼ぶことがなくなった。
それだけじゃねぇ。
俺に向ける笑顔も言葉も
すべてが作りもんだ。
俺は弱い。
由香が俺から離れていかねぇように
時間が空けば由香を抱いている。
だがそれは、身体という入れ物だけを繋ぎ止めているだけかもしれねぇ。
そうわかっていながら俺は由香を抱き続けている。
…だが、由香は――…
「なんで名前を呼ばねぇ」
気付けば俺の口からは情けねぇ言葉が出ていた。
「……そんなこと、」
「あるだろうが」
「………」
これじゃ焦ってんのが見え見えだ。
それでも俺は手離したくなくて…
静かに由香を見据え続ける。
きっと今の俺の顔は情けねぇ顔をしてんだろう。
「…考えすぎですよ、歳さん」
「俺が怖ぇか」
「………」
「鬼だのなんだの言われている俺が」
「………歳さん」
「俺を軽蔑するか、仲間を殺した俺を」
「歳さん!!」
ハッと気付いた時には由香は俺の下で唇を噛み締めていた。
「…わりィ」
「…………」
噛み締めた唇は微かに震えている。
そっと…
そっと親指でなぞってやると、由香は吐息とともに意を決したように口を開いた。
「………正直…わからない、んです」
ポツリポツリと零す由香の言葉はやはり震えている。
「………」
「何が…誰が正しくて…誰が間違ってるかなんて」
「由香」
「この数日、ずっと考えてた………私が生きていた時代では切腹なんてないし、もちろん斬り合いもない……どんな人でも殺してしまったら罪に問われる………でも、それがこの時代では通用しない」
「………」
「わかってたこと、だったけど……わかってたつもり、だったけどっ……」
由香はそこまで言うと両手で顔を覆い、肩を揺らした。
俺とこいつは…
生きてきた時代が違う。
考え方の相違はある。
その溝は埋められることはないだろう。
「由香…」
「ごめっ…なさい……苦しい、のは…歳さん、なのに」
「俺が?」
「……あれからずっと…歳さんは…歳さんじゃない」
「………」
「……鬼を…演じてる……」
「…これも俺だ」
「違う」
俺の頬に由香の手が優しく触れた。
*
「お願い…私の前だけでは……歳さんのままでいて………」
「由香…」
自惚れ、かもしれないけれど、男の眼にずっと潜んでいた鬼という名の獣が…
スッと消えたような気がした。
ずっと、ずっと考えていた。
歳さんは鬼じゃない。
無理して鬼を演じているんじゃないかって。
自分を、皆を、壬生浪士組を奮い立たせるために鬼を選んだんじゃないかって。
そしてきっとそれは当たっている。
この先も
男は鬼になり、獣が牙をむく日が来るに違いない。
私はその時…男を…
歳さんを責めないでいることができるだろうか。
抱きしめられたその手は本当に本当に優しくて
この大きな優しい手が歳さんのすべてだと。
このまま時が止まればいいとさえ思われた。
だけど。
男が本当に鬼に心を売る日がくるなんて
この時の私には知る由もなかったのであった。




