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第二十九話 芹沢と新見



「なぜ…なぜ新見に腹を斬らせた」


え…?

芹沢さん、今なんて…


「それは芹沢さん、あなたもわかっているはずです」

「………」


変わらない歳さんの淡々とした言葉に、芹沢さんの眉間のシワはさらに深く刻まれる。


「……ならばすべて声に出して言いましょうか。一つ、隊務を疎かにし、遊蕩にのみ耽った。一つ、度々民家を襲って強談し、隊費と称して多額の金子を奪った。一つ…」

「もういい!!」


芹沢さんの怒号に、部屋の中は静まり返った。


「…あいつのしたことは確かに法度に反することばかりだ……だが新見は局長だった。目を潰ってもよかったんじゃないか?」

「芹沢さん。それじゃ法度の意味がなくなる。上の者だけ見逃せば下の者に示しがつかない。……それともあれですか?右腕を削ぎ落とされた虎は百姓が怖いとでも?」

「糞餓鬼が…!何を…!!」


歳さんの挑発とも取れる言葉に芹沢さんは瞳に怒りをともし、刀の柄に手をかけようとした。

しかし、一瞬にしてその場にいた者が刀の柄に手をかける。

それを見た芹沢さんは、チッと舌打ちをし無言で部屋を出ていってしまった。

部屋は何事もなかったかのように、しぃんと静寂を取り戻す。

近藤さんや山南さんらはホッとした表情を見せたのだけれど……


「…な、に?新見さん…死んだの?…切腹、したの?」


ボソリと私の口から出た言葉は震えていた。


「えぇ。祇園の山の緒でね。立派な最後でしたよ」

「祇園の…山…」


私の質問にそう答えて、ニコリと微笑んだのは総司くん。

その笑顔には、芹沢さんが大和屋焼討をしたときに総司くんが見せた殺気が見え隠れしていて……


「そういえば由香さん、なんで荒木田さんと一緒にいたんです?」


息、が…上手くできない……

喉がカラカラになって…

私はゴクリと喉を鳴らした。


「た、またま…井戸で会って……」


…仲間、に…切腹させたんだ……

昨日まで…仲間だった新見さんに……


「井戸?」

「ごめ…なんだか気持ち悪い…」


私は総司くんの質問にきちんと答えることもせず、フラフラと部屋をあとにしようとした。


この時。

ほんの少しだけ歳さんと目が合って…

でも歳さんは、また私の知らない鬼の眼をしていた。


その鬼の眼に…

総司くんの修羅のような笑顔に…

仲間に切腹させた皆に…

私は嫌悪感とともに心底恐怖に似た何かを感じ、その場をあとにした。



***



新見さんが…切腹……


新見さんとは仲がいいわけでもなかったし、ぶっちゃけ屯所にはいつもいない人だったから、どんな人だったかなんてのは詳しくは知らない。

でも何度かは会ったことがあるし、話したこともある。

盃を交わしたことも、冗談を言い合ったこともある。


そんな新見さんが死んだ…

歳さん達が…命を……


なぜか私の頭の中には、当の昔に見たお母さんの笑顔がぐるぐると巡っていた。




フラフラと廊下を歩いていると、中庭の池の淵にポツンと立つ芹沢さんを見つけた。

なんだかその背中が寂しそうで…

私の足はなぜかそちらに向いたのだった。


「………」

「…由香か」

「…はい……」

「……調度いい。少し聞いてくれるか」


その声にはいつもの覇気がない。

芹沢さんは振り返らずに言った。


「…俺が水戸の天狗党にいた頃……俺と同じく神道無念流の免許皆伝を持った腕の立つ若い奴がいると、巷で噂になってな……どんな奴かと、俺はそいつが筆頭をつとめる道場に乗り込んだ。そこにいたのが新見だった」


池の淵にしゃがんだ芹沢さんが、小さな石ころを拾って投げる。

どこから入ってきたのか、うるさいくらいに庭で鳴いている猫の声とともに、ポチャンと水音が響いた。


「あいつは腕が立つくせに、昔から剣を振るうことがあまり好きではなくてな。そのかわり、誰もが一目置くような頭のきれる奴だったよ」

「………」

「それゆえ、俺とはあまりウマの合わない奴だったんだが」


芹沢さんはハハハと力なく笑い、すり寄ってきた猫の頭を撫でた。


「だから……新見とは同胞だが…あいつの思想を深く知り、感銘を受けたのは今回、上洛してからだった。あいつは俺の右腕、と認識してる奴が多かったみたいだがそれは違う」

「…………」


少しの間が私と芹沢さんの間を駆け抜ける。

そして一瞬。

一瞬だけど静かに吹いていた風のざわめきが止まった。


「最期こそ、酒と金と女に溺れてしまったが……あいつはいつでも自分の中に、しっかりとした尊王攘夷の思想を固めていた。俺の思想なんぞ、赤子と思わせるくらいにな。……口には出さなかったが、おれは新見を国士として尊敬していたんだ」


こんなにも真面目に…

こんなにも他人を敬う芹沢さんは初めて見た。

…それだけ新見さんは芹沢さんにとって……


芹沢さんは私に背を向けたままだったから、どんな顔をしてこの話を私にしてくれたのかはわからない。


でも…

にゃあ…と寂しげに鳴く猫の頭を撫でていた手が…

微かに震えていたのは間違いなかった。



なぜ…

新見さんが死ななければならなかったのか……


呆然と見上げた空は、高く高く、秋の空の顔を見せていた。




***




早足で立ち去る荒木田を追っていくと、御倉の部屋に消えた。

俺は気配を消し、襖のそばにそっと腰を下ろす。


「…やはり昨夜……切腹……」


部屋の中から聞こえてきた声は、途切れ途切れだがあきらかに新見が切腹して果てたことを伝える内容だった。

だがこれだけでは荒木田達が間者であるということは確証できない。

俺は耳を澄まし、時を待った。


「……早く桂さんに………」


…桂とは……

まさか長州の桂小五郎か?

……桂は長州藩士を統括する、相当のキレ者だと聞く。

こいつらが桂直々の間者だとしたら……


…これは大物が釣れるかもしれぬな……


「山崎、いるか」


俺は込み上げてくる笑いを噛み殺しながら、御倉についていた山崎に静かに問い掛けた。

山崎は聡い奴だ。

先程の奴らの話を聞いて、俺と同じ事を思っただろう。


「副長に報告してくる。お前は引き続き御倉につけ」

「はっ」


気配を消している、と言うよりか、何かに同化しているのであろう山崎の声がどこからか小さく聞こえた。




「新見錦」については出自をはじめ不明な点が多く、史料はほとんど残っていないそうです。

八木さんのお孫さんもまったく記憶にないそうで、気付いたらいなかったレベルだとか。


少ない史料の中では、

・政変前に局長から副長へ降格

・新撰組隊士、田中伊織と同一人物?

・神道無念流免許皆伝も定かではない

・芹沢とは上洛の際知り合う?


みたいな、なんともまぁよくわかりません。

なので「新見錦」の人物像、芹沢との関係については、ほぼ私の創作と捉えてくださって結構です。


ただ、新見錦の切腹の件から芹沢一派の崩壊への歯車が回りだしたことは確かだと思います。

芹沢は彼の死をどう捉えたのでしょうか。


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