第十六話 序章
大坂での公用を終え、長旅の疲れも癒えはじめた頃―…
「局長!大変なことがおきました!!」
部屋で物書きをしていると、監察方の山崎くんが血相を変えて飛び込んできた。
「どうした?そんなに慌てて…」
「これが落ち着いてられますか!また芹沢さんが…」
「…芹沢先生が?」
これから聞かされることに大方想像がつき、俺は持っていた筆をパチリと硯の上に置いた。
***
「なんと……」
驚いて声も出ないとはこのことだろう。
「…局長。どうなさいますか」
「……悪いが少し時間をくれないか。どうするかよく考えたい。山崎くんは現場へ行って動向を見守っていてくれ。あ、それとトシにもこの件を」
「はっ…」
山崎くんは深々と頭を下げると、風のように去って行った。
「はぁ……」
あの方は…
芹沢先生は一体何を考えてらっしゃるのだ……
俺は一人になった部屋で盛大な溜息をついた。
芹沢先生は元は常州水戸の郷士。
江戸にまでその名を轟かせていたあの有名な天狗隊の一方の旗頭とたてられていた。
水戸藩の空気に養成されたためか猛烈な勤王思想を抱き、常に攘夷を叫んで痛嘆淋漓たる有様であったという。
人を殺め、牢に入った時も先生は絶食してあい果てんと決し、飯には見向きもせず、己の右の小指を食い切り、流れる血潮で辞世の句を書き牢の前に貼られ、座禅をくみ死期を待ったらしい。
結局まわりの手助けで釈放され、そのときに恩命に接した先生は改めて勤王のことに尽くさんと決心し、尽忠報国の志を貫こうと決めたと聞いた。
そんな武士としての姿勢に感銘して共にここまできたが…
上京してからの先生はどうだろう…
酒に溺れ、権力を思うがままに降りかざす。
罪のない町人達をも平然と傷つける。それが女子供であろうとも…だ。
…今回のことはきっと会津松平侯の耳にも入る。
会津侯には日頃から、所司代やら各大名屋敷から芹沢先生の苦情が入っているそうだから、大層立腹されるだろう。
……もしかすると壬生浪士組は解散の崖っぷちに立たされるかもしれない。
そうとなったら俺達の昔からの夢は………
俺は頬杖をつきながら、窓から見える茜がかりはじめた空を苦い顔でじっと見すえたのだった。
***
「あぁ!?芹沢さんが大和屋を!?」
歳さんの馬鹿でかい声に思わずお茶を吹き出しそうになる。
あれから―…
私は歳さんが仕事をしている部屋に転がりこみ、総司くんとお団子を食べていた。
芹沢さんが隊士を集め、平山さんとともに出かけたことは歳さんや総司くんには言えなかったのだけれど。言った方がいいかもとは思いつつ、芹沢さんのあの眼を思い出すとどうしても言えなかった私。
そんなところに、監察方の山崎くんがすごい勢いで転がりこんできた。
「どうしたの?」という私の問い掛けもスルーされ、山崎くんは歳さんのそばにスッとひざまずくと、口を開き一気に話しだした。
…どうやらさっき出ていった芹沢さんはやはり何かをやらかしたらしい。
山崎くんは早口だからあまり聞きとれなかったけど、芹沢さんが大和屋庄兵衛さんという所にお金を借りに行き、断られたらなにかと理由をつけて大和屋さんの土蔵を大砲やら焼玉やらをぶち込んで打壊し始めてるということだった。
「チッ…何やってんだよ、あの人は!!」
歳さんがイラッとした様子でそう叫ぶと、同時に文机にダンッと拳がふり落とされた。
「!!」
その音に思わず身体が硬直する。
こんなに感情をあらわにした歳さんを見るのは初めてかもしれない。
「ッ…悪ぃ……」
…俺のせいで由香の身体が強張ったのがわかった。
俺としたことが…
らしくねぇ……
だが今回の芹沢さんのこの一件。
こりゃあ下手すると壬生浪士組全体の危機になるかもしれねぇ……
あの人たちはまだいい。
郷に帰ればまだ水戸藩士の名がある。
だが、俺達はどうなる…?
俺や近藤さん…
総司や新八……
江戸に帰ることになれば、俺達を待っているのは田舎の道場主や薬の行商だ。
ふざけんじゃねぇ…
やっと武士になれたんだ!
やっと手に入れた夢の第一歩を手放してたまるか!!
「山崎!大和屋へ急ぐぞ!」
「わかりました!」
「…歳三さん」
立ち上がったところで総司に呼びとめられる。
振り返ると、総司は何をかんがえているのかわからねぇ瞳で俺を見据え―…
「僕もお供しましょう」
背筋にゾクッと悪寒が走るような笑みを浮かべながらそう言った。
「あ、私も…」
私も一緒に行くという言葉を言い終える前に3人は部屋を飛び出していってしまった。
もはや芹沢さんが街中で暴れるのは珍しいことではないのに……
いい加減、歳さんも堪忍袋の緒が切れたってことだろうか。
歳さんもあんな風に人間らしく感情をあらわにしたりするんだな。
って歳さんは人間じゃないか。
…それよりも総司くんのあの眼。
あの眼は芹沢さんと同じ、人殺しの……
胸底を嫌な予感が走る。
芹沢さんが出ていってすぐ。歳さんにそのことを言えば何かが変わっただろうか。
思ってたより私ってビビりだなぁ…
何も起きなければいいけど……
「大丈夫、大丈夫!」
私は、ふぅ、と溜息をつくと冷めはじめたお茶が入った湯呑みをゆっくりと口に運んだ。
***
「「「…………」」」
その光景を目の当たりにして、僕らは息をのんだ。
狭い京の街中には火事を知らせる早鐘が鳴り響き、辺りは騒然としている。
目の前には土蔵に向かって笑いながら大砲を打ちまくっている、芹沢さんの息のかかった壬生浪士組の平隊士達。
到着した火消達は平隊士達に鉄砲を向けられ、「水を一滴でもかけたら打ち殺す」と怒鳴られている。
当の芹沢さんは…
「愉快じゃ!愉快じゃ!!」
屋根の上に仁王立ちになり大声で笑っていた。
あの人は…いったい何を……
「…こりゃ会津侯もご立腹だろうな」
隣にいた歳三さんがボソリと呟いた。
いつもは首を突っ込まない僕でもわかる。
会津侯を怒らせればそれだけ壬生浪士組の肩身が狭くなり、居場所がなくなるということ。
あの人はそれをすべてわかってやっているのだろうか。
辺りが騒然となる中、僕達はまるで他人事のように冷ややかな視線を芹沢さんに送り続けたのであった。