滲んだ月の夜に
相当の背伸び。年齢と彼氏いない暦が等しい寂しい高校生が書いてみちゃった系恋愛のお話です。
ちゃぽん、なんて音聞こえないくらいに海は広くて。ついさっきまで手元にあった指輪は、今はもう水の中だ。
「これで、良かったんだよな」
自分に確かめるようにつぶやき、もう一度海に映る月を見て、僕はここを後にした。
*
彼女の名前は海月といった。今僕を見つめている彼女の目は信じられないといったように見開かれていて、それを見返す僕の目は随分と涼しいんだろうなと、考える。
「指輪を失くしたって?」
ようやく口を開いた彼女の第一声はそれで。
「結婚式、いつだって言ったっけ?」
それに対する答えは“明日”だ。その指輪を渡すはずだった相手の陽菜が決めた日付。
「どこで失くしたの、気付いたのはいつ?」
当人の僕よりも必死になっている彼女が可笑しくて、思わず笑う。何が可笑しいの、とこちらを睨みつける海月に言った。
「今日の夜、また会ってくれない?」
*
この間来た海へ、今度は海月と一緒に来た。隣にいるべきなのは、本当は陽菜なのかもしれないけど。
「ここに指輪があるの?」
あくまでも指輪のことしか頭にないらしい海月を連れて、月が一番綺麗に見える所まで歩く。
「今夜は、月が綺麗だね」
海の月を眺めながら僕が言うと、
「誰が夏目漱石になれなんて言ったのよ」
と怒ったように海月が空を見上げる。
「意味知ってる?」
この言葉には答えず、堪えられないといったように海月は僕の手首をつかんだ。
「陽菜を泣かせたら許さない。さっさと言いなさいよ、指輪は何処?」
言っても受け止めてくれないくせに、という言葉は飲み込んで、やっとのことで答える。
「指輪なら、──指輪ならクラゲにくれてやったよ」
真面目に聞いてるんだけど、と海月は眉間に皺を寄せた。
「真面目だよ。海に浮かんでる月のところに、投げ入れてやった。海月に渡したくて、直接がよかったけどでも、」
僕の言葉を最後まで聞かずに、突然海月は僕の手を離して海岸へと駆け出した。
「ちょ、何処行くの」
あわてて追いかけると、海月は振り向いて静かに言う。
「明日の朝までに、私はこの海を飲み乾すわ」
……はい?訳が分からず黙っていると、彼女は続けた。
「あの海の月が私だって言ったかしら。馬鹿じゃないの、それならあんなもの、すぐに無くしてやるわ。月が消えて陽が昇る頃には指輪を見つけ出して、あんたは陽菜を迎えに行くのよ」
そこまで言うと、泣きそうに顔を歪める。
「人を刺すことしか出来ないクラゲなんて嫌い。明日が来れば消える月も、冷たい海も大嫌いなの」
明日、陽菜が僕の隣で笑ったら海月は何処かで泣くのだろう。
僕が海月の手をとったら、陽菜は泣くのかもしれない。
でも、刺すことしか出来ない海月に手を伸ばせるのは僕だけだ。
「向こうが見えそうなくらい透き通ったクラゲ、僕は好きだよ。暗い夜を照らしてる月も、それを映し出す海も大好きだ」
もう一度、言っていいですか。
僕はそっと深呼吸する。
「今夜は、月が綺麗だね」
*
昼からの雨はまだ降り続いていた。月は、あの分厚い雲の向こうにあるのだろう。雨で海は荒れていそうだ。
「雨が入っちゃうわ。窓、閉めてよ」
陽菜に言われて、窓とカーテンを閉める。
「海月から手紙が届いてるの。月が綺麗ですね、だって」
そう言いながら陽菜が見せてくれた写真の中には、広い海と、満月が写っていた。
「これ何処なのかしら。今すごく遠くにいるらしいけど、」
見上げる月は同じものだ。
「見ている月は同じものだから、だって」
陽菜が読んだ海月の言葉と、僕の頭の中が重なった。
海月ってこんなにロマンチストだったかしら、と陽菜が笑っているのを聞きながら、写真の中の海を覗き込む。
この辺りにあの指輪は沈んでいるのかな。
臆病者の僕は、投げ入れたものとは別に指輪を用意していたのだけど、それは海月には内緒だ。
今頃海月は何処にいるのだろう。掴みきれないクラゲは、一人月を探して泳いでいるのだろうか。
「明日は晴れるかな?」
「夜までずっと晴れよ」
僕のつぶやきを聞いて、陽菜が言った。
「明日は月が綺麗に見えるわ」
ありがとうございました*