第五話―転進
杉沢響:22歳。能力者ではなく、スイス滞在時から純粋な探偵としてアリシァに雇われている。特技はクレー射撃と剣道。
目が覚めた時、何故か病院ではなくアリシァの事務所にいた時は驚いたが、それよりも腕の傷が完治していることが気になった。
夢か、と思いもしたが、破れて赤茶けた色に染まった制服はどう考えても現実だし、何より貧血を起こした様に足がふらつく。
どうやら事務所の中のメンバーに治療の能力を持った人間がいたようだが……。
しかし怪我人を置いてイチロウはどこにいったのか? ぐるり、と俺が寝かされていた部屋を眺めるが、ただ簡素な調度品が適当におかれているだけだ。
一枚の置手紙にイチロウの能力(物質転送)の説明があっただけで、電話にも出ない。
俺にどうしろというんだ? 雪見に対して何もできなかった俺を見限ったのか? もしそうなら大間違いだ。
あの時は人間離れした異常な動きに惑わされたが、少し考えればいくらでも手段はある。
――まあ、いい。
あいつらが俺を爪弾きするつもりなら、こちらにも考えはある。
まず、こんなところにいても始まらない。
雪見は確実に俺を狙っている。
今考えればあの夢も、俺に恐怖心を植え付けようとする雪見の仕業だろう。
この事件の主役は俺だ。
他人が幕を引くことなんて、許さない。
……でも、どうしようか。
途方に暮れながら、とりあえず事務所を出ようとしたところで、目の前の道路に止まっている車に目が止まる。
お、黒のRX-8。
うむー。カタログで見たときはどうかと思ったが、実物で見ると中々カッコイイ車じゃないか。 ぼんやりと眺めていると、持ち主らしい女性が近づいてくる。 やっぱ、金だな……、と思いながら国道に向けて歩き出した俺の足を、
「あ」
という吐息のような声が止める。
気になって振り返ると、先ほどの持ち主らしき女性がこちらを見ている。
「……なんですか?」
車の脇に突っ立っていた女性は、そのまま何も言わずにつかつかと近づいて……、
「単刀直入に言います。私に協力してほしいのですが」
黒いスーツに肩までのショートカット、人形の様に整った顔。
見た目どおりのクールな声に満足する。
「えっと、何で? つーかあなた、誰です?」
「ここの、」
とアリシァの事務所の看板を指し、
「所員をやっている、杉沢響と申します。所長自身が影待さんにあたるので、私はバックアップをするよう命じられたのですが……。どうやら彼女はあなたを狙っている様なので、私と一緒にいた方が安全かな、と」
思ったより冗舌な人だな。
守られるってのが少し気に食わないけど、もともと行く当ても無かったことだし。
まぁのってみますか。
「ええ。わかりました。俺も少し不安だったもので……助かります」
「よかった……。では早速行きましょう」
本当に安心した様子で車に乗り込む響。
何の疑問も無く助手席に座った俺は、具体的に何をするのか聞いてなかったことを思い出す。
「で、俺たちは何をしに行くんですか?」
「ええ。まぁ黙って乗っていてください。あなたに頼ることは無いと思いますので」
――辛っ。
話しながらもキィを回し、車を発進させる。
「そ、そうですか」
それきり話し掛ける勇気も出ず、ずっと黙っていた。
――この時どうしてもっとしつこく聞いておかなかったのかと、ずっと後になって悔やむことになることも知らずに。