第98話 知られたくない人、思い出して欲しくない人
四人は異臭の漂う井戸へと降りる。
布で口と鼻を覆い、出来る限り臭いを吸わないようにして。
それでも、強烈な臭いに、井戸の底に最初に降り立ったアオは涙目で呟く。
「わ、我ながら……恐ろしい事をしてしまった……」
鼻声と口を覆う布で声はくぐもっていた。その為、次に井戸の底へと辿り着いたケルベロスが、訝しげな目でアオを睨んだ。
「何か、言ったか?」
「い、いや、な、何でも無いです……」
苦笑しそう返答したアオの視線が泳ぐ。
前回殴られた事が相当堪えている様だった。
続いて井戸の底に降り立ったのはクロト。そして、最後にライが静かに降り立った。
「くっせぇーっ!」
鼻声で大声を上げるライが、目尻に涙を浮かべる。
そんな彼の言葉に隣りで苦笑するクロトは、右手で頭を掻きアオへと視線を向けた。
「でも、一体、何なんだ? この臭いの正体って?」
クロトが尋ねると、アオは涙目で地面に埋まる鉱石を手に取る。
「こでだよ、こでっ!」
「これって……」
クロトは目を細め、アオが右手の親指と人差し指で摘んだ小さな鉱石を見据える。赤色の鉱石と青色の鉱石を合わせたキューブ型の鉱石が、強烈な異臭を噴出していた。
「うぐっ! く、臭い!」
マジマジと鉱石を見ていたクロトだが、あまりの強烈な臭いに目を伏せすぐに距離を取った。
「リーダー! マジ、臭いッス!」
ライが悲鳴のような声を上げ、両腕を大きく振る。
「早くそれをどうにかしろ!」
眉間にシワを寄せ怒鳴るケルベロスも、アオから距離を取り、背を僅かに仰け反らせていた。
それ程の異臭を放つ鉱石を、アオは分解する。赤色の鉱石と青色の鉱石に。すると、異臭が薄れていく。この異臭の正体。それは、この二つの性質の違う鉱石が合わさった事によって引き起こされる化学変化によるモノだった。
異臭が消え、クロト達四人は口と鼻を覆っていた布を外し、息を大きく吸う。
「全く……最悪だったな」
アオが深く息を吐き、疲れ切った表情を見せる。
クロトもケルベロスもライも大きく肩を落としジト目をアオへと向けた。何度も深呼吸を繰り返すアオは、ようやく息を整え、満面の笑みを浮かべる。
「さぁ! 行こうか?」
何食わぬ顔でそう告げたアオへと三人の冷めた視線が向けられた。
しかし、アオは気にせず大きな横穴へと足を進める。クロトはケルベロスを顔を見合わせると、静かに後に続く。クロトは肩を竦め、ケルベロスは相変わらず冷めた目をアオの背に向けた。
最後尾に続くライは呆れた様に吐息を漏らし、小さく左右に頭を振った。
自然に出来たと言うよりも、人工的に造られた形跡の残る横穴を進む。薄暗いその中を照らすのは、ケルベロスの蒼い炎だった。揺らぐ炎に照らされた道を壁に手を着き、慎重に進む。四人の合間に沈黙が漂う。
四人の足音だけが一定のリズムを刻む中、ライが痺れを切らし声を発する。
「な、なぁ、リーダー」
「んーっ?」
鼻から吐いた様な声で返答するアオに、ライは苦笑し言葉を続ける。
「リーダーはどうして、隠してたんだ?
十五年前の奴隷解放事件の事とか、自分が奴隷だった事とか。確かに、奴隷だったって言う過去を知られたくないって言うのは分かるけど……。
何でもかんでも隠すなよ? レオナだって言ってたぞ。ちゃんとリーダーの支えになってるのかって」
右腕を軽く左右に振りながら、ライがそう言うとアオは能天気に笑う。
「はっはっはっ! 別に、隠してたわけじゃないさ。
ただ、知られたくない人……それを、思い出して欲しくない人が……居たんだよ」
初めは笑っていたアオだったが、言葉を言い終える頃には何処か儚げな表情をしていた。その声質の変化に、ライはまだ何かを隠しているのだと気付いた。もちろん、クロトもケルベロスもその声質の変化に違和感を感じていた。
「そうそう。この話は、レオナには秘密な」
「えっ?」
口元へと右手の人差し指を当て振り返ったアオに、ライは僅かに驚きの声を上げた。いつものアオとは違うとハッキリと分かったのだ。いつものアオならこんな風に念を押す様な事はしない。何故、そんな事をしたのか、ライは疑問を抱いたが、すぐに理解する。
さっきの“知られたくない人、思い出して欲しくない人が居る”と言う言葉と、“レオナには秘密”と、言う言葉で。だから、ライは静かに鼻から息を吐き、アオの背中へとジト目を向けた。
(全く……リーダーらしいなぁ……)
深く息を吐いたライは肩を落とし小さく頭を左右に振った。
魔族の町に残ったセラ、ルーイット、レベッカの三人は、ヒーラーであるレオナに、応急処置の正しいやり方を教わっていた。
特に、ヒーラーとしての才能のあるレベッカに対しては、丁寧に自分の技術を教えていた。
「えぇーっ! レオナさん、この国の出身なんですか?」
驚き、声を上げるセラに、レオナは苦笑し腰まで届く金色の髪を揺らす。
「ま、まぁ……あんまり、いい思い出って言うのは無いけど……一応ね」
明らかに言葉を濁すレオナに、ルーイットは訝しげな表情を浮かべた。
両手を薄らと輝かせるレベッカは、額から溢れる汗を拭い、真っ直ぐな眼差しをレオナへと向ける。
「こ、こんな感じでいいでしょうか!」
「あっ! うん。上出来よ! レベッカちゃんは、本当筋がいいのね」
聖力を集めコントロールするレベッカに、レオナは視線を落としニコッと笑みを浮かべた。話題が変った為、ルーイットは抱いた疑問を投げ掛ける事無く、言葉を呑んだ。
だが、そうしたのはただ話題が変ったからではなかった。レオナの表情が明らかに曇ったからだ。きっと聞かれたくない事なのだと、ルーイットは悟った。
「けど……大丈夫かな?」
不安げにセラが呟く。頭の中に浮かぶのはクロトとケルベロスの二人の顔だった。その言葉にルーイットも不安げに表情を歪めると、目を細めた。
「そうねぇ……正直、生きて帰ってこれればいいけど……」
「あんまり、信頼されて無いのね? あの二人」
セラとルーイットの言葉に、レオナが落ち着いた口調でそう言う。だが、セラは微笑し首を左右に振った。
「ううん。信頼はしてるよ」
その言葉にレオナは訝しげな表情を浮かべる。
「なら、どうして?」
「あの二人って、性格とか考え方とか全くかみ合わないんだけど……」
ルーイットは右手で紺色の髪を弄り苦笑し、セラへと視線を送る。その眼差しにセラも同じく苦笑し、鼻から静かに息を吐き答えた。
「根本的な所が似てるの……」
「根本的な所って?」
セラの言葉に、レオナが再び訝しげな表情で尋ねる。すると、セラとルーイットは顔を見合わせ、ほぼ同時に吐息を吐き両肩を落とした。
「あの二人って、誰かの為にならその力を十にも二十にもするタイプなんだよね……」
「ああ言うタイプは……待ってる人の事、考えないから……」
セラに続いてそう言ったルーイットが深くため息を吐く。その頭の上の獣耳は元気なくうな垂れていた。
「ベックシュ!」
横穴を進むクロトが大きなクシャミを響かせた。
「おいおい。大丈夫かよ?」
アオが心配そうに振り返る。だが、クロトはそんなアオに鼻を啜り微笑する。
「だ、大丈夫。多分、誰かが噂してるだけだから」
「そ、そうか?」
「ふんっ」
不安そうな眼差しを向けるアオの横で、ケルベロスが鼻で笑う。
そんなケルベロスへとジト目を向けるクロトは、不満そうに口を開く。
「何だよ、ケルベロス」
「いいや。自分が噂されているなんて、自意識過剰だな」
「ぐっ……お、俺の居た世界では、クシャミは噂されてる時に出るって言われてるんだよ!」
不服そうにそう言い放つクロトに、ケルベロスはまた鼻で笑った。
「まぁ、お前の噂は悪い噂ばっかりだろうな」
「悪かったな。悪い噂ばっかりで――」
「シッ!」
談笑するクロトとケルベロスに対し、アオが真剣な顔で静かにそう告げる。右手の人差し指を唇へと添えて。その行動に、ライは身を屈め、クロト、ケルベロスの二人も声を殺す。
横穴の奥に僅かな光が見え、アオは静かに口から息を吐く。
「あの先は王宮だ」
「王宮のどの辺りに出るんですか?」
クロトが敬語で尋ねると、アオは眉間にシワを寄せる。
「あの頃と変っていなければ……地下の牢獄……」
「牢獄?」
「大丈夫なんだろうな?」
クロトが聞き返し、ケルベロスが怪訝そうに尋ねる。
すると、アオは小さく頷く。
「簡単に見つかる様な場所には無いから、大丈夫だと思うが……何しろ十五年ぶりだからな」
「とりあえず、俺が様子を見てくるよ」
ライが身を屈め、アオの横に並ぶ。すると、アオは小さく頷く。
「ああ。頼むぞ」
アオの言葉にライは頷くと、身を屈めたまま光の方へと足を進めた。そのライの姿をクロト達三人は見守る事しか出来なかった。