第96話 奴隷解放事件
ラフト王国王都近隣の森の中。
クロト達四人の作戦会議が始まっていた。
「さっき王都に戻って行った軍隊は、間違いなく魔族の町を襲った軍だ」
ライが静かに告げる。クロトも何となくそうなんじゃないかと、感じていた。もちろん、ケルベロスもそうだ。だから、特に驚いた表情は見せず、腕を組み冷ややかにライを見据えていた。
一方、ライは反応の薄いクロト達の様子に、不満そうな表情を浮かべる。もっと驚き、褒め称えられると思っていた。
不満はあったが、それでもライは場の空気を読み、静かに言葉を続ける。
「あの馬車に乗せられていたのは十中八九、ロズヴェルって人だ。
見た目じゃ分からないだろうけど、あの馬車には力を押さえ込む特殊な素材が使用されていたよ」
さらさらと右手を振りそう告げるライに、アオは腕を組み眉間にシワを寄せる。
「だとすると、彼の処刑は……」
「良くて一週間後。最悪三日後ってのが妥当だと思うね。この国じゃ処刑は当たり前だからね」
ライは肩を竦め、茶色の髪を揺らし頭を振った。
しかし、その言葉にクロトは訝しげな表情を浮かべる。処刑なんて本来そう簡単に出来るモノじゃない。幾ら、国王の判断とは言え、処刑するに当たって、それなりの理由が必要なはずだ。でなきゃ、国民がそんな事を許すわけが無い。
訝しげな表情で考えるクロトに、アオは口元に笑みを浮かべる。クロトが何を考えているのか、おおよそだがアオには分かった。故に冷めた表情で静かに口を開く。
「クロト。考えるだけ無駄だぞ」
「えっ?」
クロトは驚き顔を上げると、アオは遠くを見る様に目を細める。そして、鼻から静かに息を吐く。
「この国に人権なんて無いんだよ。どれだけ、重い税が掛けられても、彼らに逆らう権利なんて無い」
妙に静かで落ち着いたアオの言葉に、クロトもケルベロスも違和感を覚える。さっきまでの明るくにこやかだったアオとは明らかに様子が違っていた。
怪訝そうにアオを見据える二人へと、ライは苦笑し顔を近づける。そして、アオには聞こえない様に小声で告げた。
「実は、リーダー。この国の出身なんスよ。
しかも、両親は言われも無い罪で処刑されて、その後は奴隷の様に働かされたって話なんすよ」
ライは困った様に眉を八の字に曲げる。
その話でクロトは理解する。アオがどうしてあんなにもの悲しげな顔をしたのか、どうしてあんな事を言ったのかを。この国の出身だからこそ、アオは知っているのだと。この国がどれだけ腐っているのかと言う事を。
渋い表情をするクロトが俯く。すると、腕を組み瞼を閉じていたケルベロスが、横目でアオを見据える。
「この国の出身と言う事は、王都への抜け道を知ってるんじゃないのか?」
アオへとケルベロスは鋭い眼差しを向ける。僅かに俯くアオは、その表情を曇らせ鼻から息を吐いた。
その場を包む険悪なムードにライは耐え切れず、笑顔で声を上げる。
「ま、まぁ、アオはこの国の出身って言っても、大陸の端の端、だから、王都の事なんて――」
「だが、奴隷だったんだろ?」
「ちょ、ケルベロス! もう少し言葉を選べよ!」
ケルベロスの言葉に思わず声を荒げるクロトは、その肩を右手で強く掴み、制する。だが、ケルベロスは振り返りクロトの顔を睨むと、低い声で言い放つ。
「貴様こそ、もう少し冷静に状況を判断しろ。俺達がここに何しに来たのか忘れたのか?
最悪三日後には処刑されるんだぞ? 悠長にこんな所で机上の空論を述べている場合か?」
激昂するケルベロスの言葉にその場の空気は張り詰める。その言葉の意味をクロトも重々理解していた。そして、アオもライも。だから、ライは俯き唇を噛み締める。
元々、処刑される奴がどうなろうとライには関係ない。だが、ここに転移する前に見た今にも泣き出しそうなレベッカの顔が、ライの記憶に焼きついていた。ライにとって女の子の泣き顔は一番見たくないモノで、この世で最も嫌いなモノだった。
だからだろう。ライには関係ない事だったが、その目は真剣なモノへと変り、その体はゆっくりとアオへと向く。
「リーダー。俺も、今回はケルベロスの意見に賛成だ。
俺達には時間が無い。それに、調査をする上でも、俺達の存在を王宮内の連中に知られるのはまずいだろ?」
真剣なライの口振りに、アオは瞼を閉じ深く息を吐いた。空を向いていた顔は、ゆっくりと下を向き、瞼が静かに開く。
「……まさか、お前にそんな風に言われるとは……。俺も、焼きが回ったな」
口元に笑みを浮かべ、アオは小さく二度頷く。
そして、ゆっくりと立ち上がる。
「じゃあ、行くか」
「行くって?」
ケルベロスが怪訝そうに尋ねると、アオはいつも通りの笑みを浮かべる。
「もちろん、隠し通路に決まってるだろ?」
「やっぱり、知ってるのか?」
腕を組み深刻そうな表情でケルベロスが尋ねる。本来なら、ケルベロスもあんな事は言いたくなかったし、アオの過去を詮索つもりもなかった。だから、ケルベロスは申し訳なさそうに小さく頭を下げる。
「悪かった」
「な、何だよ? 急に……」
突然頭を下げたケルベロスに、アオはうろたえる。何故、急にケルベロスの様なプライドの高い男が頭を下げたのか分からなかった。
その光景に苦笑するクロトは、アオの方へと足を進める。
「多分、あの奴隷って言った事を、謝ってるんだよ」
「あぁ……あれか……」
ボソッと呟くアオの目が一瞬悲しげになるが、すぐにその顔は笑顔へと戻った。一瞬の事だったが、クロトはその変化に気付いた。だが、何も聞かない。きっと思い出したくない過去なのだと、クロトは思ったからだ。
そんなクロトの気持ちを悟ったのか、アオは右手で頭を掻き苦笑する。
「まぁ、事実だからね。俺は、この国の奴隷だった」
「うえっ! マジかよ! リーダー!」
驚愕するライが目を丸くしアオの顔をマジマジと見据える。オーバーリアクションだと、アオは呆れた様子だったが、ライの驚きは心の底から出た驚きだった。
確かに、アオが奴隷の様に働かされたと言う話は聞いていたが、まさか本当に奴隷だったとはライも知らなかった。そして、アオが過去を話したがらない理由を何となく理解した。
複雑そうな表情のライに、アオはいつも通りに笑う。
「そう深刻そうな顔をするな。お前はいつも通り、接してくれ」
「わ、分かったよ……。けど、どうしてリーダーが奴隷なんて……」
その言葉にアオは渋い表情を浮かべる。
「まぁ、その事については、歩きながら話す。今は、時間が惜しいんだろ?」
「そうですね。じゃあ、隠し通路に行きましょう」
アオの言葉にクロトが真剣な顔でそう答えた。その顔にアオは小さく頷く。
「じゃあ、行こうか」
アオは静かに歩き出し、クロト達はその後に続いた。
森の中を進みながら、アオは自分の過去をクロト達へと語る。
アオが奴隷にされたのは十七年前――丁度、アオの両親が言われのない罪で処刑された後の事だった。
親の罪は子供の罪だと、この国の王が言い放ったのだ。そして、当時五歳のアオは奴隷となった。
その当時、五歳で奴隷など普通の事だった。アオの他にも多くの子供が、言われの無い罪で親を処刑され、奴隷にされていた。
子供の内にこの国の恐ろしさを植えつけるのが一番の目的だった。奴隷は成長すると、兵士となりこの国のコマとされる。本来ならその奴隷だった兵士達が率先し反逆しそうだが、子供の頃に植えつけられた記憶はそう拭えぬものでは無く、誰一人として刃向かえる者は居なかった。
約二年間、アオは奴隷として働かされ、ここラフト王国の王宮を建設させられていた。
そして、その年、大きな事件が起こる。
――奴隷解放事件。
もちろん、この事件はラフト王国国王の権力により、世に出る事は永遠に無い事件だった。そして、その事件を起こしたのは、当時彗星の如く現れた一人の魔族の少年――ジンだった。
彼は魔族であるのに、その隠ぺいされた真実を知り、無謀にも少数精鋭の部隊で王都に乗り込んだのだ。しかし、絶望の縁に立たされていたアオ達奴隷に、彼の起こした小さな光明は届かなかった。
それでも、彼は戦う。王国軍の兵と、当時全盛期だった最凶最悪の男バルバスを相手に。傷付き血を流し、奴隷を解放する為に必死に戦った。
魔族であるジンの戦う姿に、荒んでいたアオの心は奪われる。いや、アオだけじゃなく、他の奴隷達も皆、彼に心を動かされていた。
その時だった。ジンが奴隷達に向かい言葉を発したのは。
“俺は神じゃない! お前達全員を助けてやる……なんて言える程、強くも無い。
だが、お前達が望むなら、俺は全員助かる様に努力する。だから、お前達も、俺と一緒に戦ってくれ!
この腐った現実から抜け出す為には、皆の力が必要だ!”
彼の言葉は全ての奴隷の心を動かした。彼が魔族である事など皆忘れ、声を挙げる。
そして、奴隷だった約五千人の人間が、この日、奴隷から解放された。しかし、その戦いで数万人もの犠牲者がでたのも事実だった。そして、その結果新たな奴隷を作る為に更に多くの人が処刑されたのも事実。
彼が行った行動は結局、ただ多くの人の命を奪っただけ。それでも、アオは彼に感謝し、彼の事を尊敬していた。だからこそ、アオはこの国で行われている事実を公表する為、調査しに来たのだ。