第94話 丁度よかった
朝早く、クロトとケルベロスは旅立つ準備をしていた。
傷の具合はまだ良好とは言えない。だが、幸いにもクロトとケルベロスの二人は、グレイとロズヴェルに比べ比較的に傷も浅く、十分に動ける状態だった。
それに、ロズヴェルを助けて欲しいと願ったレベッカの事を考えると、寝ている暇など無かった。ここから王宮まで馬を飛ばして一週間程だが、クロト達には馬は無い。その為、徒歩で王宮に向かうが、徒歩ではおおよそ一月程、全力で走り続けて二週間ほどかかる計算だ。
しかし、実際、全力で走り続けるなど不可能で、確実に二週間以上かかると、ケルベロスは予想していた。
真新しい白地のシャツを着たクロトは、手、足の感覚を確かめる様にゆっくりと体を動かす。僅かに痛みは走るが、特に問題はなかった。
ケルベロスもゆっくりと体を動かし、最後に首の骨をボキボキと鳴らし、クロトへと視線を向ける。
「じゃあ、行くか」
ケルベロスへとクロトが笑顔でそう言うと、
「ああ。とりあえず、足だけは引っ張るなよ」
と、ケルベロスは相変わらず冷め目で冷たく言い放った。その言葉にクロトは苦笑し、頭を掻く。
二人が部屋の外へと出ると、セラ、ルーイット。レベッカの三人がすでに準備を終え待っていた。
「遅いぞ! 二人共!」
元気良く声を上げたのはセラだった。その茶色の髪を肩口で揺らすセラは、褐色の肌に映える白い歯をむき出しに屈託の無い笑顔を見せる。
「全く……女の子を待たせるなんて最低ね」
続いて、腕を組むルーイットが不満げに声を上げる。紺色の長い髪を頭の後ろで止めたルーイットの頭で、ピョコンと髪の合間から覗く獣耳がパタパタと動く。ツンとした表情をしているのに、その耳はとても嬉しそうだった。
セラとルーイットはいつもに増して軽装だった。今回は、素早く移動する事を考え、動きやすい服装を選択した。二人も出来る限りの事をしようと、頑張っているのだ。
しかし、気合の入る二人に対し、クロトは苦笑し、ケルベロスは呆れた眼差しを向ける。
「気合を入れるのは良いが、お前達は連れて行かないぞ」
気合の入る二人へとケルベロスの無情な一言が発せられた。すると、セラとルーイットはその言葉に驚愕し、悲鳴の様な声を上げる。
「うぇぇっ! ど、どうしてよ!」
「人は多い方がいいでしょ!」
「横暴だ!」
「人権侵害だ!」
二人はケルベロスの宣言に抗議する様に、拳を交互に空へと突き上げ怒声を轟かす。その光景はまるでデモ活動の様で、クロトは思わず笑ってしまった。
だが、そんな抗議は実らず、ケルベロスは一層、冷酷に言い放つ。
「量より質の問題だ。それに、少数精鋭が一番動きやすい」
冷ややかな目だが、これでもケルベロスは二人の事を真剣に考えてた。
ここから先は本当に危険が待っている。下手をしたら命を落とすかもしれない。何より、クロトもケルベロスも、二人を守りながら戦う程の力を持ち合わせていない。そう強く実感しているからこそ、そんな場所に二人を連れて行きたくなかったのだ。
もちろん、ケルベロスの気持ちをセラもルーイットも知っていた。だから、抗議はしたが最終的にはここに残る事を承諾した。
「でも、二人だけで大丈夫かな?」
「仲も悪いし……」
セラとルーイットが不安そうにクロトとケルベロスを交互に見据える。実際問題、クロトとケルベロスの仲は良好とは言えない。同じ目的を持っているが、それでもコンビネーションと言うモノを持ち合わせていない。だから、セラもルーイットも心配だった。
個人個人が力を有していたとしても、少数精鋭で多数の敵を相手にする以上、チームワークが必要不可欠。そう分かっていたから。
それを一番理解するクロトは苦笑し、右手で頭を掻き、ケルベロスを横目で見据える。だが、ケルベロスはそんな事気にとめた様子も無く、眉間にシワを寄せ二人を睨む。
「何だ? 文句でもあるのか?」
「文句じゃないけど……ねぇ?」
ルーイットは隣りに居たセラへと同意を求める。すると、セラもその言葉に賛同する様に「だよねぇ」とルーイットと顔を見合わせ苦笑した。
腕を組み鼻から息を吐くケルベロスが、不服そうな表情を見せたと同時に、複数の足音がその場に響いた。
「やぁやぁ。久しぶりだなぁー」
能天気な声がケルベロスへと向けて発せられる。訝しげな表情でその声の方へとクロト達五人が一斉に視線を向けた。
そこに居たのは四人組に男女だった。傷だらけの胸当てをしたリーダー格の男を筆頭に、小柄で軽装の少年とヒーラーの正装に身をまとう女性、重々しいフルアーマーを着込んだ男の四人。
その内のリーダー格の男が、右手を挙げにこやかにケルベロスの方へと足を進める。
「いつぶりだ?」
穏やかな男の声に、ケルベロスは嫌なものを見る様に眉間にシワを寄せた。
キョトンとした表情のセラとルーイットは首を傾げ、顔を見合わせる。この男は誰なのか、ケルベロスとどう言う関係なのか、と。
そんな疑問を抱く二人の背後に、レベッカは身を隠す。人間に対し極度の恐怖を感じ、二人の服の裾をギュッと強く握り締める。それだけ、レベッカがこの国の人間によって怖い思いをさせられた証拠だった。
レベッカは小刻みに肩を震わせる。それに気付いたセラとルーイットは、アイコンタクトを取りゆっくりと後退した。
そのぎこちない二人の動きにクロトは訝しげな表情を見せる。だが、すぐにその理由を悟る。彼女達二人の後ろで震えるレベッカの姿を目にして。
現状を把握し、クロトもゆっくりと動き出す。四人組の視界からレベッカを隠す為に。
しかし、リーダー格の男は全くその様子に気付いた様子は無く、ケルベロスへと怪訝そうな表情を見せる。
「アレ? もしかして、俺の事、覚えてない?」
男は右手の人差し指で自分の顔を指差す。すると、その背後へヒーラーの女性が歩み寄った。
「いきなりすぎるのよ!」
パチンと、いい音を立て彼女が手にしたハリセンが、男の頭を叩いた。まるでコントをしている様な二人の光景に、クロトは驚き「おおーっ」と思わず感嘆の声を上げた。
(この世界にも、ハリセンってあるんだ……)
腕を組み何度も頷いていると、その男と目が合う。すると、男はニッと笑みを浮かべ、立ち上がりクロトの方へと足を進める。
「やぁ。初めまして、俺はアオ。キミは?」
自分へと投げ掛けられた言葉に、クロトは妙な違和感を感じた。それが何なのか分からず、クロトはケルベロスの方へと顔を向けると、ケルベロスは視線を逸らした。
視線を逸らしたケルベロスの眉間には深いシワがより、あからさまに不機嫌そうだった。恐らく、ケルベロスとこの男は知り合いなのだろうと、クロトは直感し微笑する。そして、このアオと言う男が、ケルベロスが認める程の男なのだと悟り、
「俺はクロトです。よろしくお願いします」
と、クロトは小さく会釈し、すぐに右手を差し出した。その行動にアオは驚いた表情を浮かべ、やがて微笑しその手を握った。
「キミは、実に素直だね。彼は、手を差し出した引っ叩かれたよ」
穏やかに笑うアオの視線がケルベロスへと向き、その視線にケルベロスの表情が一層不機嫌に変った。眉間に深いシワを寄せるケルベロスが、鋭い目付きでアオを睨む。その眼差しにアオは恐る恐る視線を逸らす。
「あ、アレ? 俺って嫌われてる?」
苦笑しアオが、仲間へと振り向く。助けを求めるが、他の三人は呆れた顔で首を左右に振っていた。
「とりあえず、何で貴様がここに居るのか説明しろ」
ようやくここで、ケルベロスが口を開いた。明らかにその目には怒気がこもり、アオは引きつった表情を浮かべる。
確実にこの二人が知り合いなのだと、確信したクロトは、確認の為にケルベロスへと尋ねた。
「知り合いなのか?」
「以前にちょっとな」
不満げなケルベロスに、アオは大らかに笑う。
「いやいや。俺ら親友だろ?」
「はぁ? 殺すぞ。お前」
アオの発言にケルベロスは即答し、冷めた眼差しを向けた。明らかな殺意の篭った目に、アオは二歩下がり表情を引きつらせる。
「あれー? おかしいなぁ?」
「おかしいのは、あなたの頭でしょ……」
呆れ顔でヒーラーの女性が右手で頭を押さえる。それに釣られ、小柄な少年が茶色の髪を揺らし、肩を落とすとジト目を向けた。
「リーダー。一回会っただけで人は親友とは言わないんスよ」
「おいおい。冗談だろ! 俺の中じゃ、一度一緒に酒を酌み交わしたらそれは、兄弟だぞ!」
「彼は未成年だ!」
またヒーラーの女性が何処からとも無くハリセンを取り出し、アオの頭を叩いた。手馴れた角度で叩かれ、いい音が響く。驚くクロトは目を見開きヒーラーの女性を見つめる。あれ程ハリセンの使い方が上手い人は元の世界にも中々居ない。
驚くクロトの横でケルベロスは、頭を抱え深くため息を吐いた。
「お前らの漫談に付き合う気は無い!」
怒声を響かせるケルベロスに、アオは苦笑しヒーラーの女性と小柄な少年へと顔を向ける。
「ほら、怒ってるだろ? 殺されかねんぞ?」
「あんたが怒らせたんだろ。殺されるなら、リーダーが先だよ」
小柄な少年とアオが顔を見合わせ笑う。その様子にケルベロスは額に青筋を浮かべた。
「き、貴様ら……」
拳を震わせるケルベロスの姿を横目で見るクロトは、表情を引きつらす。ケルベロスが本気で怒っていると、分かったからだ。一歩、二歩と自然に後退りするクロトは深くため息を吐く。
震える拳に蒼い炎を灯すケルベロスは喉の奥から声を吐き出す。
「今すぐ消されたい様だな」
「うわっ! 待て待て! 冗談がキツイぞ!」
「冗談だと思うか?」
ニッと笑みを浮かべるケルベロスが、その拳を顔の横で再度握りなおす。その不適な笑みにセラとルーイットは「うわーっ」と声をあげ目を細めた。ケルベロスの怒りが頂点に達していると二人は分かったのだ。
表情を引きつらせるアオは、両手を胸の前に出す。
「お、落ち着け! とりあえず、話そう。うん。そうだ。話そうか!」
「いや、あなたが落ち着きなさいよ!」
ペチンとヒーラーの女性がもう一度アオの頭をハリセンで叩く。それを引き金に、ケルベロスが地を蹴った。だが、その間にクロトが飛び出し、その手に赤黒い炎を灯し、ケルベロスの顔の前へとかざす。
「だーっ! こんな事してる場合じゃないだろ!」
クロトがそう叫ぶと、ケルベロスは動きを止める。目の前で燃える赤黒い炎を見据え、ケルベロスは険しい表情を浮かべる。
「何のつもりだ?」
「俺たちには時間が無い。分かるだろ?」
静かにクロトがそう述べる。その視線の先にはレベッカの姿が映っていた。恐怖で怯え、肩を震わせるその姿に、クロトは自分が何をすべきなのかを思い出したのだ。
強い意志から生まれた赤黒い炎は、煌き轟々と火の粉を上げる。その炎の純度の高さに、ケルベロスは一目見て気付く。それは、完全に魔力をコントロールしている証だった。
眉間にシワを寄せ、ケルベロスは拳に灯した蒼い炎を消す。それに遅れ、クロトも自らの手に灯した炎を消し、静かに息を吐く。
クロトの赤黒い炎に、アオは真剣な表情を見せる。
(そうか……彼が……)
小さく頷き、アオは口元へと薄らに笑みを浮かべる。人伝にクロトの事を聞いていた。とても真面目で人の想いを力にするタイプだと。
今、目の前に存在するクロトの姿に、その言葉通りだとアオも感じる。静かな笑みを浮かべるアオに対し、クロトは強い眼差しを向けた。
「すみません。俺達は、これから、王宮に行かなければならない」
「王宮?」
クロトの発言にアオは小首をかしげ、ヒーラーの女性と小柄な少年を順に見て、笑みを浮かべた。
「なら、丁度良かった」
「丁度……」
「……よかった?」
ケルベロスが怪訝そうな表情を浮かべ、クロトが首を傾げる。そんな二人にアオはニシシと歯を見せ笑った。その笑顔にケルベロスは妙な胸騒ぎを感じていた。