第93話 頼り頼られる存在
深夜の町をレベッカは駆け抜ける。
セラとルーイットの二人はその後を追う。
三つの足音だけが深夜の町に静かに広がった。
冷たい風に、三人の吐息は白く染まり、やがて足が止まる。
息を切らせるレベッカは、膝の上に手を置き地面を見据える。その少し後ろでレベッカと同じ様な姿勢でセラは呼吸を整え、ルーイットは座り込んでいた。
この中で一番体力が無いのは、ルーイットだった。少しの距離を走っただけで呼吸が乱れ、身体能力の高い獣魔族とはとても思えない有様だった。ルーイット自身も、流石に自分の体力のなさを情け無く思う。
呼吸を整えたセラは、肩口で揺れる茶色の髪を右手で掻き揚げた。冷たい夜風が、セラの綺麗な褐色の肌を優しく撫でる。その口から吐き出される白い息は、静かに闇に溶け込んだ。
赤い瞳でレベッカの震える背を見つめ、セラは静かに口を開く。
「――レベッカ」
「私は大丈夫です……」
静かにレベッカが返答する。その震えた声に、セラは複雑そうな表情で言葉を呑む。今にも泣き出しそうなその声に、自然と言葉が詰まったのだ。ロズヴェルの事がそれだけ心配なのだと、セラは分かった。
俯くセラに代わって、ルーイットが静かに告げる。
「大丈夫よ。クロトは、きっと助けに行く。私が保証するわ」
膝を震わせゆっくりと立ち上がったルーイットが自信満々に宣言する。その言葉にセラは思わず顔を上げ、苦笑する。何処からその自信が来るのかと。
胸を張るルーイットは、紺色の長い髪を揺らし、獣耳をピクッピクッと動かす。だが、その耳はやがて恥ずかしそうに折りたたまれ、顔は赤面する。
レベッカを励ます為に思わず口にした言葉を思い出し、今になり恥ずかしくなったのだ。しかも、その言葉にレベッカの反応がなかった為、ルーイットは徐々に肩を落としていった。
そんなルーイットの姿にセラは苦笑する。だが、すぐに息を吐きレベッカに視線を向けた。
「私も……クロトならきっと助けに行くと思う」
真っ直ぐな眼差しを向け、セラは微笑んだ。
しかし、レベッカは小さく頭を左右に振る。
「違うんです。私も、クロトさんなら、行ってくれる……それは、分かってます」
「じゃあ、どうして?」
訝しげにルーイットが尋ねる。すると、レベッカは俯く。
「私、何処かで……クロトさんなら、絶対断らないって思ってて……」
「それは、私達も同じ考えだよ?」
首を傾げるセラが呟くと、レベッカは拳を握り肩を震わせる。
「断られて、気付いたんです。私、ただ単にクロトさんの事を利用しているだけなんだって……。
そう思うと、心が痛くて……情けなくて……」
潤んだ瞳で、レベッカは空を見上げる。その目から静かに涙がこぼれた。
レベッカの言葉に、セラは笑顔を向ける。
「クロトはそんな風に思ってないよ!」
「あの人は優しいので、そうは思わないかもしれません! でも、私自身が許せないんです!」
拳を握りレベッカは怒鳴る。セラも、彼女の気持ちが痛いほど良く分かった。力が無く、いつも誰かに守られている存在だと、セラも感じていたから。
一方で、ルーイットは冷めた目を向けていた。確かに、クロトは守ってくれる。何でも頼みを聞いてくれる。でも、それは仲間だから当然の事。仲間は助け合うモノで、お互いに支えあうモノだと、ルーイットは師に教わった。
だからこそ、ルーイットは呆れた様にため息を吐き、静かに歩みを進める。
「バッカじゃないの? 自分自身が許せないって? 何言ってるのよ。
あなたは、私達の仲間でしょ? 仲間は頼るモノだし、頼られるモノ。
あなたは、クロト達を必死で治療してたじゃない。何か見返りが欲しかったわけじゃないでしょ?」
ルーイットの大人びた口調、モノの言い方に、レベッカは小さく俯く。
確かに、何か見返りが欲しくて治療したわけじゃない。ただ、勝手に体が動いていた。助けなければいけないと。
俯くレベッカの頭に、ルーイットは右手を乗せる。その手は優しく頭を撫で、金色の髪がワサワサと揺れた。肩を竦めたレベッカは、静かに顔を上げルーイットの顔を見つめる。
「きっとクロトならこうする。それから、大丈夫。俺が何とかする。とか、出来もしないのに、自信満々で言うの」
左手で口元を押さえクスクスと、ルーイットは笑う。クロトと出会ってまだ間もないが、それでも彼がどう言う行動を取るのか、何故だか想像出来た。
そんなルーイットの背を見据え、セラは何処か不満そうな表情を浮かべる。ルーイットがクロトの事を語るその姿に、何故だか胸がチクチクと痛んだ。それが、何なのか、セラには分からなかった。
天空に浮かぶ島。
その島の中心に古城がそびえる。壁には植物のツルが巻き付き、人の気配は無い。
古城のエントランスに一つの影が蹲り、呻き声が不気味に響き渡る。
埃の被った床に散乱するのは、血と鉄の破片。
体を震わせる男は、咳き込み激しく吐血する。
脇腹が大きく抉れていた。その身にまとう漆黒の鎧は砕け、鮮血だけが止め処なく流れる。
床を赤く染める血が、殺風景なエントランスに鮮やかな赤い絨毯を作り出す。
苦しげに表情を歪め、右手は抉れた脇腹を押さえる。生暖かな感触が、その手へと伝わる。ドロドロとした血を握り締め、男はそれを床へと叩き付けた。
「ぐそ……がっ……」
濁った声が静寂の中に響く。
怒りをその表情に滲ませ、噛み締めた歯と歯の合間から血が滴れる。鼻筋にシワを寄せ、荒々しい呼吸を男は繰り返す。
這いずり、男はエントランスを進む。すると、一つの足音が響き、二階へと続く階段の上に、一人の男が姿を見せる。真紅のローブを身に纏った魔術師。彼は大きく開いた裾口から右手を出し、口元を覆う。
「くくくっ……なんて様だよ」
「くっ……き、貴様……」
階段に立つ魔術師を見上げ、男は奥歯を噛み締める。
鉄壁の鎧に守られ、傷一つ負わないと言うのが、この男の唯一の長所だった。だが、その鎧は砕かれ、今、男は地を這い蹲る。その姿は屈辱的だった。
怒りを表情に表すその男に対し、魔術師は静かに階段を下りる。
「そんな醜態、見たくなかったなぁ」
「だ、まれ……、ゲホッ……きさ、ま……も、ぜん、かい……ぼろ、ぼろ……だった、だろ」
途切れ途切れの声。やがて、男の目は虚ろになって行く。意識が遠退き、階段をくだる魔術師の姿が歪む。
血を流し過ぎていた。意識はモウロウとし、その体はゆっくりと床へと沈む。
男の有様に魔術師は鼻で笑い、目を細めた。
「ったく、言い訳くらいしたらどうなんだよ?」
呆れた様に呟き、彼は倒れる男の体を担ぐ。小柄な体格の魔術師だが、軽々と大柄な男の体を肩に担いでいた。それだけ、体は鍛え上げられているのだ。
険しい表情を浮かべる魔術師は、彼を担いだまま静かに呟く。
「一体、どうなってる。アイツは確かに死んだはずだろ」
独り言の様に魔術師は呟く。地上での出来事は、全て覗き見していた。この男がやられる瞬間も、はっきりと目に焼きついていた。
そして、魔術師は思い出す。あの忌々しい白銀の鎧の女を。彼らにとって、天敵とも言える存在だった。
「まぁいい。東の方は上手い具合に策が進んでいる。邪魔が入らなければ……」
男を担いだまま魔術師が不適に笑う。すると、何処からとも無く静かな声が響く。
「気色悪いぞ。一人で笑っていると」
そこに姿を見せたのは漆黒のローブを着た男だった。腰にはガンホルダーをぶら下げ、腕を組み魔術師を見据える。
「居たのか。なら、手伝えよ」
「断る。それより、南で起きている戦争は――」
「ああ。俺の僕が確りと働いてくれているよ。イリーナ王国は何れ陥落する」
魔術師が不適に笑みを浮かべる。すると、漆黒のローブを着た男は鼻から息を吐き、「そうか」と静かに答えた。
「だが、油断はするな。ひそかに動いている連中も居るらしいからな」
「不測の事態って奴か?」
「ああ……」
漆黒のローブを着た男の静かな返答に、魔術師は目を細める。不測の事態。あの女の存在が間違いなく今回の不測の事態だった。だが、それでも、次の策は邪魔をされないと言う自信から、魔術師の顔には笑みが浮かんでいた。