第91話 レベッカの頼み
真っ暗な闇の中、クロトは目を覚ます。
夜の静けさに、寝息だけが聞こえた。
「ここは……」
ボンヤリとする頭をクロトはゆっくりと動かす。
ベッドの上だった。聞こえていた寝息は、ベッドの端に身を預けるセラとルーイットのモノ。ずっと傍に付き添ってくれていたのだと、クロトはすぐに分かった。
三つ並んだベッドの内一番壁際のベッドで、クロトは上半身を起こす。隣りのベッドにはグレイ、その隣りにはケルベロスが寝かされていた。皆、痛々しく包帯を巻かれ、酷い有様だった。
「そうか……皆……」
クロトは思い出していた。意識を失う寸前の記憶を。
ロズヴェルの悲鳴――グレイの呻き声――骨の砕かれる音――。未だにそれらが、耳に残っていた。
堅く握られた拳が震える。また、守る事が出来なかった。結局、どんなに頑張っても自分には何も守る事が出来ない。クロトはそう思い瞼を閉じる。
自然と涙が零れ落ちる。涙は頬を伝い、シーツを握る手の甲で弾けた。
悔しくて情けなくて、自分自身が惨めで仕方なかった。
下唇を噛み締めるクロトは、声を押し殺し、ただ肩を震わせる。
「悔しいか?」
静かな声が窓の方から響く。
いつからそこに居たのか、窓の縁に腰掛ける小柄な少女、ベルの姿が月明かりに照らされる。
長いオレンジの髪が月明かりを浴び煌き、赤い瞳が真っ直ぐにクロトへと向けられた。その肉体が薄らと透ける。ベルが人間の姿を維持する為の魔力が尽き掛けていたのだ。
元々、それ程多くの魔力を注がれていたわけではない。本来なら、五分も持たず剣の姿に戻るが、ベルは現在もその姿を維持していた。極力魔力を押さえ込み、ここまで少ない魔力で持たせていた。
そんな姿になりながらも微笑するベルに、クロトは右手の甲で涙を拭う。
「ど、どうして、ベルがここに居るんだよ」
まだ、涙で潤んだ目をベルへと向けると、ベルは静かに笑う。
「しょうがないだろ。私以外に戦える者が居ないんだから」
ベルの言葉にクロトは悟る。現在、ここには戦える者が居ないのだと。
ダリアは居るじゃないか。最初にクロトはそう言おうとした。だが、その唇は開かない。声が出ない。何となく、分かった。ベルの疲れたような表情から。ダリアは、もうこの町に居ないのだと。当然と言えば、当然だった。ロックスを殺され冷静さを失ったダリアが、このままこの町でジッとしているわけが無い。
眉間にシワを寄せ、クロトは奥歯を噛み締める。
ダリアが町を出たとして、ロズヴェルはどうしたのか、王国軍はどうなったのか。色々と疑問が頭を過ぎる。だが、クロトが尋ねる前に、ベルは告げる。
「私は疲れた……」
小さな吐息が漏れ、両肩が大きく落ちる。
相当、無理をしていたのだろう。
ベルは、静かに瞼を閉じた。
すると、ベルの体が発光し、僅かな粒子が空へと散る。
透けていたベルの肉体が更に薄くなり、足元から徐々に徐々に消えていく。
ベルの姿を見据え、クロトは弱々しく微笑む。
「お疲れ様。ベル」
「ああ……。それから……」
小さく頷いたベルの表情が、急に真剣なモノへと変る。消えるベルの赤い瞳を見据え、クロトは小さく首を傾げた。
「これは、あくまで私の勘だが、あの青年は処刑される」
「あの青年?」
ベルの言葉に訝しげな表情を浮かべるクロトの脳裏に、一人の男の顔が思い浮かぶ。
「青年って、ロズヴェルの事か?」
「ああ」
「でも、何で!」
クロトが声を上げると、更に透けた体でベルは腕を組む。
「アイツを治療したのはレベッカだ。それは問題ない。だが、アイツは魔族討伐に行って深手を負った。
しかも、独断行動で、魔族討伐の失敗。この国の王がそれらを許すとは思えんな」
ベルの声が途切れ、その姿が消滅した。
それとほぼ同時に、部屋のドアが静かに開く。
「い、今の話、本当ですか」
「れ、レベッカ!」
開かれたドアの向こうに佇んでいたのはレベッカだった。その目を涙で潤ませ、今にも泣き出しそうな表情で、クロトを見据える。胸がドクンと大きく脈打ち、クロトは表情を険しくする。
一番、聞かれたくない人に、今の話を聞かれてしまったと、クロトは唇を噛み締めた。
薄暗い中でも映える金色の髪を揺らし、レベッカはクロトへと足を進める。
「ど、どう言う事ですか! ロズヴェルが処刑されるって!」
息を乱し、声を荒げるレベッカの声に、寝ていたセラとルーイットが目を覚ました。
「れ、レベッカ?」
「どうかしたの?」
寝惚け眼を擦る二人の声など、レベッカには聞こえず、声を荒げる。
「どうして、ロズヴェルが処刑されなきゃいけないんですか!」
レベッカの言葉に、寝惚け眼だった二人の目も冴える。
「ど、どう言う事! な、何で、ロズヴェル処刑されちゃうの!」
「幾らなんでも、そこまでするわけ無いわよね?」
驚くセラに、苦笑するルーイット。だが、そんな二人に対し、絶望的な言葉が隣りのベッドから響く。
「いや。間違いなく、処刑される。この国の王はそう言う人間だ」
グレイの声が響き、静寂が部屋を支配する。ベルと同様の答えにクロトは深刻そうな表情を見せた。
これ程の事を言わせるこの国の王。その恐ろしさを改めて理解する。
クロト同様にセラもルーイットも険しい表情を浮かべていた。俯くレベッカの姿に、何も声を掛ける事が出来ずに。
そんな静寂の中で、グレイが静かに息を吐く。
「アイツにとって、魔族も人間も関係ない。
ただ、自分に従うコマが欲しいだけだ。忠実で、圧倒的な力のあるコマが」
「だからって、そんな簡単に人を殺すの? 同じ血の通った――」
「言っただろ。アイツにとっては人間だからとか関係ないんだよ」
反論しようとしたセラの声を遮り、グレイが静かに告げる。その言葉に皆は息を呑み、黙り込む。
深刻な重々しい空気に、拳を握り締めるレベッカの目から涙が零れ落ちる。声を押し殺し、肩を震わせる。ずっと一緒に居た大切な人が処刑されるかもしれない。そう思うと、胸が苦しくなった。確かに、今は人格が変っているが、それでも、レベッカにとってロズヴェルはロズヴェル。今も昔も変らない。
だから――。
「お願いします……ロズヴェルを……助けてください……」
懇願する。涙を流しながら、その小さな体を震わせて。
ベッドに座るクロトは、険しい表情を変えない。セラは答えを待つ様にクロトの顔をジッと見据え、ルーイットは複雑そうに腕を組む。
クロトが答えに迷っている理由を、ルーイットも分かっていた。魔族にとってここは最も危険な地。そこで魔族である自分達が、容易にロズヴェルを救出出来る程、王国軍は甘くは無いだろう。そもそも、クロト達は町に入る事さえ許さない。この状況下でロズヴェルを助けるのは、ほぼ不可能に近い。
その為、クロトも答えに困っていた。安易に答えを出すわけにはいかない。
不安げな表情を浮かべるセラは、両手を組みレベッカへと目を向ける。
静かな時が流れ、クロトはその重い口を開く。
「ごめん……少し考えさせてくれないか?」
「えっ……あっ……はい……」
驚き、戸惑い、レベッカは目を伏せる。
クロトなら、即答してくれると思っていた。分かった、助けに行こうと。
しかし、返って来た言葉は期待を裏切る言葉。奥歯を噛み締め、拳を握る。そして、レベッカは頭を深く下げると、そのまま部屋を飛び出した。
「レベッカ!」
「レベッカちゃん!」
ルーイットとセラが叫ぶ。
セラの怒った様な眼差しが、すぐにクロトへと向く。
「クロト! どうしてあんな事! 助けに――」
「セラ! これは、即答出来る問題じゃないの。分かるでしょ。この大陸がどう言う所なのか!」
クロトへと詰め寄ろうとしたセラを、ルーイットが制する。現状、ロズヴェルを救い出すのがどれだけ困難なのか、セラも分かっていた。だから、ルーイットに制止され、唇を噛み締める。
俯くセラへとクロトは静かに告げる。
「ごめん。レベッカの事お願いしていいか?」
「…………」
何も言わず、セラは小さく頷く。そして、静かに部屋を出て行った。
「それじゃあ、私もレベッカの所に行って来るわね」
「ああ。頼むよ……」
ルーイットの声にクロトはそう答え、小さく俯く。クロトのその目は辛そうだった。それ程、レベッカの頼みに悩んでいた。
そんなクロトの気持ちが、ルーイットは痛いほど分かった。だから、何も言わずルーイットは部屋を出た。




