第90話 黒と白
衝撃が広がり、舞う土煙。
雷撃が迸り、赤黒い炎と蒼い炎が空から降り注ぐ。
僅かに吹き抜けた風は、その炎を揺らし火の粉を巻き上げた。
抉られた地面。
大きく陥没し、深い亀裂が無数に走る。
舞う土煙の中、佇む一つの影。
光沢良く輝く漆黒の鎧が、土煙の中に見え隠れする。
傷一つ無く、不気味な輝き。表面に僅かな雷撃が走り、手の平には蒼い炎と風が渦巻く。
魔剣ベルは地面に突き刺さり、その輝きを失う。
砕かれた刃の残骸。
折れた棍棒の破片。
そして、横たわる四つの影。
各々が呻き声を上げ、表情を歪める。
またしても、弾かれた。
クロトの放った業火爆炎斬も、ケルベロスが放った蒼炎牙狼拳も、グレイが放った爆風乱舞も、ロズヴェルが放った雷光龍砲も。
四人の今もてる最強の技。それを四方から放った。逃げ場など無く、普通なら致命的なダメージを受ける。だが、全て弾かれた。しかも、倍の威力になって。
初めて受ける自らの業火爆炎斬の威力。それは絶大だった。ベルが咄嗟に力を使い防いだ。それでも衣服は焼かれ、体には深く切り傷を残す。傷口は焼け焦げ、血はすでに凝血している。激痛、高熱が体を襲い、意識を失う事すら許さない。もうろうとする視界で、土煙の中に立つ男を見据える。全くの無傷の男を。
「くっ……くくっ……。無駄な攻撃だったな」
不適に笑い、重々しい足音を響かす。
蒼い炎で体を燃やすケルベロス。仰向けに倒れ、僅かにその体を動かす。右肩と左脇腹には牙の痕が残る。蒼炎によって生み出された狼の牙にやられたのだ。コチラも傷口は焼けただれ、血は凝血していた。
意識はあるが、もうろうとし、視界はぼやける。弱々しく胸を上下に揺らすケルベロスの視線が、漆黒の鎧を着た男へと向く。
「蒼き炎は魔界の炎。しかし、俺には通じない」
右手の平に渦巻く蒼い炎を握りつぶし、蒼い火の粉だけが舞う。
血に塗れたグレイ。衣服ごと体を風の刃で切り裂かれていた。皮膚が裂け、肉が裂け、血が溢れ出す。何度も吐血が繰り返された。その手に握る刃を砕かれた剣が、ゴトリと落ちる。咄嗟に跳ね返ってきた攻撃を剣で防いだ。だが、刃がその威力に耐えられなかった。故に、グレイは全身に風の刃を受けたのだ。
震える瞼。引きつる表情。揺らぐ視線の先に映る無傷の男。その姿に、彼は諦めた様に息を吐き空を見上げた。全力の一撃。それでも無傷。絶望しかなかった。
「風刃は鋭いが、硬き壁の前では無力」
左手の平へと集まった風を握りつぶし、そよ風だけがその指の合間を流れる。
膨れ上がった右腕を焦がすロズヴェル。複数の亀裂が腕に走る。雷撃を受け皮膚が裂けたのだ。だが、出血する前にその表面が焼かれ黒焦げた。筋肉が切り裂かれ、激痛だけが腕へと走る。
奥歯を噛み締め、表情を歪めた。僅かな呻き声が上がり、その目が坂の上に立つ男を見据える。
「雷撃はこの肉体の前では無力。容易に返せる」
彼が全身に力を込めると、体に纏っていた雷撃が消滅する。
四人の視線を浴びる漆黒の鎧を着た男。彼の体が反転し、仰向けに倒れるロズヴェルへと向く。
視線が交錯し、ロズヴェルは表情を歪める。体が動かない。身構える事も、立つ事も出来ない。ただ、彼の姿を見据えるだけ。その男の足がゆっくりと進む。重々しい音を奏でて。
「王国軍。元、第三部隊隊長、ロズヴェル。
十五年前。最年少にして部隊長を任され、八年前の暴動を起こした一人。
一つの体に二つの人格を持つ貴様は、危険な存在」
静かに語り歩みを進める男が、ロズヴェルの前で足を止める。陽の光を浴び、輝く漆黒の鎧。その姿を見上げ、ロズヴェルは眉間にシワを寄せた。
(コイツ……何で、俺の過去を……)
殆どの者が知りえない自らの過去。それを、何故彼が知っているのか、疑問に思う。特に、彼が二つの人格を持つと言う点。そこは誰も知らないロズヴェルと、もう一つの人格のみが知りえる事実。それを、何故彼が――。
一体、何者で、何を企んでいるのか、理解出来ない。
そんな彼の顔を見据え、男は口を開く。
「不思議そうだな。ふふっ……俺は何でも知っている。この世界の過去はな」
不適な笑みを浮かべ、彼の右足がロズヴェルの膨れ上がった右腕へと乗る。
「ぐっ!」
表情が歪む。激痛が腕を襲う。
「痛いか? ふふっ……君の武器は、確か、この右腕……」
僅かに体重がかかり、更に激痛が走る。やがて、黒焦げた皮膚に亀裂が生じ、血が滲み出す。
「うぐっ! があっ!」
「ふふっ……。厄介なこの武器は――」
右足が大きく振りあがる。
「壊させてもらおう!」
声と共に、勢い良く踵から落ちる。その腕に向かって。
「がああああっ!」
痛々しい鈍い音が響き、それをかき消す様にロズヴェルの悲鳴が上がる。鮮血が迸り、右腕は地面へと減り込む。耐え難い激痛が彼の腕を襲う。腕を押さえ呻き声を上げるロズヴェルの姿を見下し、男はゆっくりと動き出す。その重々しい足音を響かせて。
向かう先にいるのはグレイ。その姿を見据え、漆黒の鎧を着た男は、不適に笑う。
「ふふふっ……。この大陸の魔族軍総指揮官グレイ。
十五年前の大戦開戦の真実を知る者。そして、今や数少ない風刃の使い手」
その足がグレイの前で止まった。静かに吹き抜ける風。舞い上がる土煙。その中で、彼の冷めた目がグレイを見下す。赤く輝く瞳。それを見据え、奥歯を噛み締める。
「君の武器はその足。跳躍力と瞬発力」
グレイの右膝へと彼の足が乗る。重々しい足に踏まれ、グレイの表情は歪む。
「魔人族にして、獣魔族と同等の身体能力。その足には――」
膝を踏み締める足に力が入り、奥歯を噛み締める。
「死んでもらわんとな」
全体重を乗せ、膝を踏み付ける。
「うぐああああっ!」
骨が砕ける嫌な音が響き、同時にグレイの悲鳴がこだまする。その足は曲がってはいけない方向へと曲がり、その皮膚はうっ血していた。完全に膝の骨が砕けた。身を震わせ、激痛に奥歯を噛み締めるグレイ。その表情が歪む。
赤く輝く目が、そんなグレイの姿を見下し、鼻で笑う。そして、その足はゆっくりと歩き出す。彼の逆側にいるケルベロスの方へ向かって。鉄の擦れ合う音が響き、足音は静かにケルベロスに近付く。
「ルーガス大陸、魔王デュバルに最も信頼される男ケルベロス。
数少ない魔界の炎を扱う者。そして、ルーガス大陸の入り口を守護する姿から番犬の異名を持つ」
彼の足がケルベロスの前で止まる。揺らぐ瞳で、その男を見据えるケルベロスは奥歯を噛み締めた。ロズヴェルとグレイの惨状を見ていた為、覚悟を決めていた。腕か、足か、それとも――。
だが、その男はジッとケルベロスの顔を見下し、口元へと不適な笑みを浮かべる。
「お前は、アイツのお気に入り。だから、見逃してやろう」
そう言い背を向ける。
(……アイツ? 一体、誰の事だ?)
男の背を見据え、訝しげな表情。彼が、一体誰の事を言っているのか、分からない。そして、何故自分が見逃されたのかも。
戸惑うケルベロスは、問いただそうとする。だが、体が動かない、声が出ない。ただ、その背中を見据える事しか出来なかった。
男の足はゆっくりとクロトの方へと向かう。
「十五年前と同じ、異世界から来た男クロト。
地獄の業火、赤黒い炎を扱う者。そして、最もこの世界で危険な男」
火花が散り、金属の擦れる音が響く。霞む視界の中、クロトは見据える。剣を抜いたその男の姿を。
殺気が漂う。殺意の篭ったその眼差しがクロトを見据える。
二人の視線が交錯。やがて、男は口を開く。
「貴様の命。ここで絶たせて貰う」
静かにそう告げ、剣を振りかぶる。完全に終わった。そう思い、クロトは声も上げず、ただ静かに瞼を閉じた。
諦めたクロトの姿に男も静かに笑みを浮かべる。
「潔いな。死を覚悟したか」
不適な笑みを浮かべ、その剣を突き出す。
だが、その手が止まり、彼は後方へと跳躍。土煙を足元へと舞い上げ、鋭い目つきで顔を上げる。
クロトの前に佇む二人の女性。
一人はクロトの魔力を糧に元の姿へと戻った魔剣ベルヴェラート。小柄な背丈にまとう黒衣。美しく揺れる腰まで届くオレンジの髪。右手に持った魔剣。それが、不気味に輝きを放つ。切れ長の眼差しの奥、輝く金色の瞳は、真っ直ぐに男の姿を見据える。
そして、もう一人。彼女の横に片膝を着く、空から舞い降りた少女。ベルとは対照的な白銀の鎧をまとい、背には純白の翼。その手に握るのは光り輝く矛。長い白髪が揺れ、彼女は静かに立ち上がる。穏やかな綺麗な顔。印象的な淡い蒼の瞳。冷ややかで落ち着いたその眼差しを、真っ直ぐに男を見据える。
突如として現れた二人の姿に、漆黒の鎧を着た男は驚愕し瞳孔を広げる。
「な、何で……お前が――」
驚き声を上げる。その手が僅かに震え、足は自然と下がった。胸を打つ鼓動が速まり、呼吸が荒くなる。
白銀の鎧をまとう少女は、静かに矛を地面から抜き、ベルへと目を向ける。
「余計な、お世話でしたか?」
「いや。助かった。誰だか知らないが感謝する」
魔剣を肩に担いだまま、ベルは微笑。彼女が誰なのか分からない。だが、何処か懐かしい印象。何処かで会った事がある様な気がした。
ベルの言葉を聞き、彼女は安堵した様に息を吐く。
「そうですか……。それなら、良かった」
表情を変えず静かにそう述べた彼女は、右手の矛を大きく振りかぶる。
「では、アレは私が、片付けます」
「じゃあ、任せる」
彼女に対し、ベルがそう返答。すると、彼女の左足が踏み出される。
「極光……」
彼女の声で矛が発光。そして、徐々にその形状を変える。
「螺旋!」
左足へと全体重を乗せる。形状を変化させる矛。その矛先は螺旋を描き、柄は二倍以上も長く伸びる。
腰が回転し、左肩を引く。それによって前へと出る右肩。そして、右腕が振り出され、衝撃と共に矛が放たれる。
閃光が大気を貫き、一瞬。全ての時が止まり、静寂。時にして一、二秒の後、突如、男が血を吐く。
「がはっ!」
体が後方へと弾かれ、漆黒の鎧が砕け散る。右脇腹が抉れ鮮血が舞う。その後方では岩壁が轟音を立て崩れ落ちる。
何が起こったの分からない。光速の一撃。頑丈な何でも弾く鎧が、反応出来ぬほどのスピードと威力。
横転し倒れる男の姿に、彼女はゆっくりと体を起こす。
「では……。後はお任せします」
彼女はそう静かに告げると、背中の翼を広げ飛び立つ。まるで、ここから逃げ出す様に。彼女の背中を見据え、ベルは訝しげな表情を浮かべる。何故、あれ程まで強いのに、逃げるのか。一体、何を恐れているのかと。
小さく吐息を漏らし、その視線が男の方へと向く。だが、その視線の先に男の姿はなかった。いつの間にか消え、血痕だけが地面に残されていた。




