第86話 魔族を封じる盾
死者六十数名。
重軽傷者七十数名。
魔族軍はほぼ壊滅。
動ける者は極僅か。
この状態で次、王国軍の侵攻があれば、間違いなく皆殺し。町に居る全ての魔族が。
病院の前に集められた負傷者達。必死に治療をするラヴィ。白衣を赤く染め、その手を真っ赤にして。この町に医者はラヴィ一人だけ。故に手が足りない。町の皆が協力し、せわしなく動き回る。
男達の悲鳴がこだまし、女達の泣き声が轟く。大切な人の亡骸を前にして。
そんな光景をクロトは、建物の壁にもたれ見据える。座り込み、俯く。何も出来なかった。誰も守れなかった。たくさんの人が命を失った。魔族だけじゃない。人間も。こんな意味の無い事で、あんなに多くの人が――。
悔しくて握った拳を地面に叩きつける。どうすれば良いのか分からない。魔族と人間が平和に暮らせる様にするにはどうすればいいのか。唇を噛み締め目を伏せると、その横にグレイが並ぶ。
「悔しいか。何も出来なくて。苦しいか。今の光景を見るのが。
だが、これが現実だ。この大陸では当たり前の様に行われている」
ポケットに手を突っ込み彼は淡々と告げる。ここまで、酷いのか。ここまで、国は腐敗しているのか。そう思い、一層強く奥歯を噛み締める。地面に突き立てた拳が震える。怒りが憎しみを生み、憎しみはクロトの中に闇を生む。
彼の姿にグレイは静かに瞼を閉じる。気付いたのだ。このままだと闇に呑まれると。知っている。闇に呑まれた者の末路を。だからこそ、彼は静かに告げる。クロトを正気に戻す為に。
「クロト……。相手を憎むな」
「でも! あいつ等は――」
「憎めば闇が生まれる。闇は、体を蝕み、やがて人を鬼へと変える。
それに、俺たちは守る為に戦うんだ。決して、人の命を奪う為に戦うわけじゃない。
今回は、向こうにも多くの被害者が出た。だが、やむ終えなかった。
だが、基本俺たちは守る戦い。人の命を平然と奪うこの国とは違う」
彼の言葉がクロトの心の闇を打ち消す。守る為の戦い。そう。クロトは常にそうしてきた。いつも、どんな時も。誰を守る為に戦ってきた。
静かに息を吐き、気持ちを落ち着ける。冷静になり、ようやくクロトの視界は開ける。その視線の先に映るのはセラ・ルーイット・レベッカの三人。怪我をした者を治療する彼女達の姿だった。守るべき者。その存在を改めて確認し、クロトは静かに鼻から息を吐く。
グレイは気付いていた。クロトの力の秘密を。ジンもそうだったから。彼とそこも共通していると言う確信。そして、何度も不意を突き切りかかっていき、それを証明した。
クロトの力の秘密。それは、自分の為には発動しない人を守る為の力。誰かを守る時のみ、彼の能力は大幅に上がる。いや、上がると言うよりも、元々ある潜在能力が解放されると言う方が正しい。その証拠に、彼は町で切りかかられた時、必ずグレイの一撃を止めていた。そこには、常にセラ、ルーイットのどちらかを背にして。
間違いなく、彼は守る者を背にした時、力が目覚めるタイプ。こう言うタイプは実践で大きく成長する。故に、彼は実践感覚の修行を行ったのだ。
そんな事、クロトは分かっていないようだが。
「確りしろ! ロックス!」
ダリアの声がこだまする。膝を着き、その腕に一人の少年を抱えていた。顔につけていた仮面がゴトリと落ち、褐色の肌をした顔があらわとなる。血に染まり、息絶えたその顔が。
胸には大きな風穴。体には無数に矢が刺さり、全身擦り傷だらけだった。勇敢に戦ったのだろう。絶命してもまだその手には剣が握られていた。
大きな体を震わせ、号泣する。大の大人であるダリアが。
その背中を見据え、クロトは渋い表情を浮かべる。ロックスとはあまりいい関係を築けなかった。いや、むしろ、彼はクロトを嫌っていた。罠にかけようとした位だ。それでも、知っている人の死は心が痛かった。
唇を噛み締め、クロトは静かに視線を落とす。空気が重い。皆が悲観していた。もう終わりだと。それだけ、多くの人が命を失った。悲観的になるのも頷ける。
重々しい空気の中で、クロトは静かに顔を上げた。先ほどの戦いを思い出す。魔族と王国軍の戦い。ただの一つの軍隊と二百数人と言う魔族の小規模な戦争。飛び交う魔法、矢、血、悲鳴、怒号。その記憶の中。一つの疑問。その疑問に、クロトは口を開く。
「なぁ、一つ聞いていいか?」
「急にどうした? 気になる事でもあるのか?」
腕を組むグレイは、隣りに座るクロトを横目で見据える。真っ直ぐな目で正面を向くクロトは、静かに尋ねる。
「何で、最初から魔術を使わなかったんだ? あの破壊力があれば、ここまで死者は出なくて済んだはずだろ?」
魔人族の放った魔術。その威力を思い出しながらそう尋ねる。すると、彼は正面へと目を向け、小さく鼻から息を吐く。
「使わなかったんじゃない。使えなかったんだ」
眉間にシワを寄せ、目を細める。訝しげな表情を浮かべるクロトは、その顔を見上げた。
「どう言う事だ? 使えなかったって? 思いっきり使ってたじゃないか?」
「そう……だな。まぁ、最終的にはだがな」
もう一度鼻から息を吐く。
「魔族は、完全に能力を封じられてたんだ。王国軍の前衛、ガーディアンにな」
「ガーディアン? えっと、あの大きな盾を持ってる……」
記憶を辿りながら答えると、小さく頷く。
「ああ。あの盾はガーディアンにのみ与えられる全てを弾く盾。魔人族の魔術も、獣魔族の打撃もな」
「じゃあ、龍魔族の……ぶ、れす? アレはどうなんだ?」
曖昧な記憶でそう尋ねる。すると、グレイは目を伏せる。
「ブレスは確かに有効だ。だが、相殺される。ガーディアンの後方に控える魔導部隊の魔術でな」
その言葉でクロトも納得する。ただでさえ、魔族は少ない。その中でも龍魔族は一割程しか居ない。故に、どれだけ有効なブレスを使えたとしても、百を超える魔導部隊の魔術に簡単に相殺される。これで、龍魔族のブレスも封じられた。魔族側はこれで、戦う術を失った。
王国軍の軍略の凄さに、クロトは渋い表情を浮かべる。ガーディアンは攻撃を防ぐだけではなく、魔族全ての特性を殺す存在。この存在があるからこそ、この王国は強いのだと理解する。
納得し、膝を立てる。そして、膝の上へと顎を乗せた。
「凄いな。そのガーディアンて。あの攻撃力に、防衛力……」
「別に、ガーディアン自体は大した事無い」
「えっ? でも、魔族全ての能力を防ぐんだろ?」
グレイの言葉に驚きそう声をあげると、彼は小さく息を吐き首を振る。
「凄いのは、あの盾だ。ミラージュ王国で作られた最強の盾。
まぁ、扱えるのはガーディアンのみだから、そう考えると凄いのかもしれないけどな」
眉間にシワを寄せそうぼやくグレイに、クロトは苦笑する。だが、すぐに真剣な顔を見せ、呟く。
「ただ、どんな奴でも欠点はある。ガーディアンは重装備な為、動きが鈍い。
故に、隊列を組み少しずつ行進するんだ。まぁ、正直、攻略戦には不向きだ」
「えっ? そうなのか?」
「ああ。多分、今回攻めて来たのは、王国軍第五部隊だ」
落ち着いた口調でそう述べるグレイに、クロトは訝しげな表情を浮かべる。どうして、そんな事が分かったのか。そう思ったのだ。
彼の表情で気付いたのか、グレイはまた吐息を漏らす。
「その第五部隊の隊長はクライデン……んっ? グライデンだったか?」
小さく首を傾げ、やがて諦め言葉を続ける。
「まぁ、どんな名前かはいい。そいつは完璧を求めている。
どんな戦いも無傷で、そして、圧倒的な力を見せ付けて勝つ。そう言うポリシーを持ってる奴だ」
「その為に、ガーディアンを編成して攻略戦を行ってるって事か……」
小さく頭を上下させるクロトに、グレイは鼻で笑う。
「ふん。軍略は二流。兵としては五流の男だ。軍を率いるには明らかに向いていない」
目を細め力強くそう宣言する。そんなグレイにクロトはただただ苦笑する。そこまで言うかと。軍を率いているのがどんな人なのか、クロトは知らない。ただ、思う。相当ガーディアンに依存しているんだと。
洞窟内の王国軍。
コチラも、多くの死傷者が出ていた。千人を超える兵。その四分の一が失われていた。まだまだ兵力としては優位だが、士気は確実に落ち込む。アレだけ優位な状況に居ながら、返り討ちにされたと言う現実に皆、心が折れていた。
重い空気の中、部隊長であるグライデンは拳を壁へと叩きつける。
「クソがっ! 私の策を! 鉄壁の布陣を! クソッ! クソッ! クソッ!」
何度も何度も、その拳が壁を叩く。地響き、そして、微量の土が天井から落ちる。
重々しい鉄の鎧が擦れ合い、嫌な音を響かす。兜の下に見える怒りに歪む顔。奥歯が軋む。怒りが収まらない。自分の考えた最強の布陣。それを、魔族が破るなどありえないと。
怒りに燃えるグレイデン。だが、そこに響く静かな足音に、その拳が止まる。聞き覚えの無いその軽い足音に。
「誰だ?」
静かに顔をそこへと向ける。洞窟の奥。そこに薄らと影が映る。細い体つきの男の影が。そして、響く。静かな笑い声が。
「くくくっ……。無様だな。高々二百程度の魔族相手にこの様とは。隊長の名が聞いて呆れるな」
静かな声に、グライデンが体をその声の方へと向け激昂する。
「誰だ! 貴様! 私が誰だか――……」
グレイデンの声が途切れる。その視線の先に浮かぶ一人の男の姿に。
息を呑み、体が自然と震える。威圧的な殺意を向けるその存在に、完全に呑み込まれた。いや、その人物の姿がとても大きなモノに見えた。畏怖し、下あごが震える。
「な、なな、な、な、何で……お、お、おまっ、お前が……」
動揺に揺れる瞳。その瞳を不気味な紫の瞳が見据え、静かな声が反響する。
「派遣されたんだよ。この隊に。
テメェーじゃ、魔族は狩れない。そう、判断されたんだよ」
「ふ、ふざけるな! わ、私の隊は、さ、さいきょ……」
そこで、グレイデンは息を呑む。ポンと彼の肩にその男が右手を置いた為。瞳孔が開き、震えが一層強まる。そして、耳元でその静かな声が囁く。
「俺が、手本を見せてやる。どうやって魔族を狩れば良いのかを。
よーく見て、勉強しろよ。隊長さん」
不気味な声に、彼の体は落ちる。膝から地面へと。恐怖。完全にそれに呑まれ、それ以上、彼が言葉を発する事はなかった。