第85話 魔族対王国軍
町を抜け、洞窟へと続く緩やかな坂道。
そこでは激しい戦闘が繰り広げられていた。
仮面をつけた魔族の弓隊。茂みに身を潜め、幾重にも矢を放つ。休む事無く何度も、何度も。
それを迎え撃つのは王国軍。青い正装の上から重々しい鎧。頭には深く兜を被り、その手には重厚な五角形の盾。
ガーディアン。そう呼ばれる重武装の防衛に特化した兵士。盾の中央には十字が刻まれ、縁は赤いペイント。尖った先を地面へと突きたて、前衛で全ての攻撃を受け止める。矢は次々と弾かれ、火花が迸り、金属音が響く。
重々しい足音がリズミカルに一歩、また一歩と踏み出される。足並みを揃え、魔族を威圧する様に。
統率された兵士。恐ろしく静かに進攻する。そんな王国軍に、魔族は徐々に後退していく。それだけ、圧倒的な戦力差があった。
「魔導部隊!」
王国軍側から、一人の男の声が響く。この部隊の隊長グレイデンの声。だが、声はするが、その場に姿は見せていない。洞窟内から指示を出しているのだ。
そのグライデンの声に、ガーディアンの後ろに百を超える魔導士が踏み出す。魔導着を着込んだ百の兵。彼らはその手に持つ杖を空へとかざす。赤・青・黄・緑と様々な色の輝き。魔力の波動が僅かに広がり、高らかに響く。兵士の声が――。
「フレアインパクト!」
「エアスライス!」
「アクアレーザー!」
「ライトニングショック!」
放たれる。無数の魔力による攻撃が。
炎の玉が空から降り注ぎ、疾風が鋭く木々を切り裂く。高速で撃ち出される水が地面を貫き、大気を裂く雷撃が地面を砕いた。
轟音。爆音。雷鳴。代わる代わるに様々な音が轟き、周囲に広がる。木々が倒され、地面が砕ける。舞い上がる土煙は全てを覆う。
悲鳴。叫び声。咆哮。魔族側から響く声の数。鮮血が迸り、異臭が漂う。焦げ臭いから血生臭い臭いまで。
疾風に切り裂かれた木々が、降り注ぐ炎の玉で燃える。雷撃が地面を砕き、舞う砕石を水の弾丸が貫く。
数分に及ぶ、魔導部隊の一方的な魔法攻撃。ただでさえ、数で不利な魔族側。その攻撃で兵の三分の一を失う。
倒れた大木の下敷きになる者。
無数に飛び交う水の弾丸で貫かれた者。
炎で焼かれる者。
雷撃を受け消し炭になる者。
すでに、魔族側は半壊だった。
魔導部隊はかざした杖を下ろし後退。それに連動する様に弓隊が前へと出る。
「弓隊! 追撃だ! 放て!」
数百以上居る弓隊。彼らはグライデンの声に連動する様に右側から順々に弓を上げる。鮮麗された動きで矢を引く。そして、合わせた様に一斉に放つ。空へと向かって。
黒煙と土煙の混ざるその場所に、放たれた矢は雨の様に降り注ぐ。呻き声、悲鳴。響くのは痛々しい声だけ。これにより、更に魔族側は兵を失う。
前衛をガーディアンで固め、後衛から魔導・弓隊による遠距離攻撃。統率された王国軍の力に、ただただ圧倒される。
血生臭い臭い。肉の焦げる臭い。全ての嫌な臭いが混ざり合う。そんな異臭が漂う場所にクロトはようやく辿り着く。
目を疑う。その悲惨な光景に。血、血、血。辺り一帯、血だけが広がる。多くの者が傷付き呻き、平伏し動かない者は皆すでに息絶えていた。
驚くダリア。
(こんなにも一方的に……)
彼の拳が震える。目の前で息絶える若者達。その姿にただただ怒りだけが湧き上がる。握り締めた拳から血が零れた。唇を噛む彼の強い眼差しが、黒煙と土煙の向こう、王国軍へと向く。
その隣りでクロトは絶句する。こんなにも激しいものなのか。こんなにも酷いモノなのか。目の前に広がる光景。それが、目に、記憶に、焼きつく。
彼らが人間に何をした。ただ、ここで平和に暮らしていただけ。それだけで――。
胸を打つ鼓動。殺意。その衝動にクロトは奥歯を噛み締め、目を伏せた。湧き上がる憎悪を必死に押さえる為に。
突然の地響き。王国軍の行進。それによって生じたものだった。
震える大地。
響く足音。
息を呑むダリアはその場を鼓舞する様に叫ぶ。
「動ける者は立ち上がれ! 負傷した者は下がれ! ここを死守しなければ、待つのは死のみだぞ!」
その声に、皆我に返る。平伏していた者は体を起こし、立ち尽くしていた者は声をあげる。
轟く怒号。千人を超える王国軍の地響きにも似た足音を打ち消す。百も行かない魔族の声。その声が、周囲を包む。
まだ、彼らは諦めていない。ここを死守するのだと言う強い気持ち。それを感じ、クロトは静かに剣を呼び出す。右手に現れる錆びれた剣。瞼を閉じ、魔力を注ぐ。ゆっくりと刃は輝きを取り戻し、美しく輝く。
大柄の体を揺らすダリア。彼も、背負った大剣を抜き、右足を踏み出す。重々しく地を揺らし、土煙が舞う。赤い瞳が見据える。ゆっくりと進行する王国軍を。尖った耳を澄ませる。轟く彼らの足音へ。
そして、彼は叫ぶ。全ての者へと。
「魔人族は魔力を集中! 龍魔族は待機! 獣魔族は突っ込め! 俺が、先陣を切る! 後へ続け!」
駆け出す。大きな体を揺らし。重々しい足音を響かせ。その手の剣を振るう。地面に転がる燃える大木を弾き飛ばす。その足が砕け凹凸の激しい地面を踏み締める。彼は切り開く。後から続く者達の道を。
その背を見据え、クロトも走り出す。右手に魔剣ベルを携えて。おおよそ二十人程の獣魔族も、彼に続く。口元から小さな牙を見せながら。その爪を地面に突き立てながら。軽快な足取りで、徐々に加速する。流石に彼らは速い。身体能力が違い過ぎる。そう思わされる程、彼らの身のこなしは軽やかだった。
グングン離されるクロト。それでも、必死に追いかける。
後塵が視界を遮る。そして、その向こうから歓声が沸く。激しい金属音が――、衝撃が――、広がる。横並びになった王国軍前衛のガーディアン。その中央。大きく盾が弾かれ、数人の兵士が大きく体を仰け反らせる。地面に両足を踏み止めながらも体は後方へと流れる。
足元に土煙が激しく舞う。その前に佇むのはダリア。大きな剣は振り切られ、土煙を舞わせる。
驚き、慌てる王国軍。前衛が崩れた事により、後続が乱れる。だが、すぐに部隊長であるグライデンの声が響く。
「前衛! 下がれ! 列を守れ!」
その声にすぐに前衛のガーディアンが下がる。横一列に並び、防衛線を守る為に。後退するガーディアン。彼らに追い討ちをかけようと、獣魔族が襲い掛かる。精神力の練りこまれた拳が、足が、重厚な盾を襲う。
痛々しい鈍い音。散る鮮血。弾かれる獣魔族。拳から、足から、鮮血が弾ける。重厚な盾が輝いていた。この瞬間を狙っていたかのように、盾は精神力をまとう。精神力に寄る武装強化だった。
ただでさえ頑丈な盾。それを強化したのだ。幾ら獣魔族でもそれを破る事は出来ない。ガーディアンの前で横転する二十人近い獣魔族。彼らの顔が苦痛に歪む。
刹那だった。目の前に佇むガーディアン達が、静かに重厚な盾を振り上げたのは。統率された様に右から順々に盾が振りあがる。その奇妙な行動を魔族はただ呆然と見据える。だが、その魔族にダリアは叫ぶ。
「退け! 全力で逃げろ!」
声が轟き、横転していた獣魔族は一斉に立ち上がり、身を翻す。
土煙を抜けたクロト。その視線に色がる異様な光景。輝く盾を振り上げるガーディアン。逃げ出そうと振り返る獣魔族。そして、反転したダリアが、クロトに気付き叫ぶ。
「逃げろ! クロト!」
「グランドクラッシュ!」
ダリアの声に遅れ、ガーディアン達の声が響く。右から順々に振り下ろされる重厚な盾。その鋭く尖った先端が地面に突き立てられる。地の底から響く地響き。そして、揺らぐ。
全てがスローに映る。次々と地を打つ盾。その衝撃が遅れて地面を伝う。まるで波の様にゆっくりと地面がうねる。全ての盾が撃ち出されると、そのうねりは爆発。津波の如く土が大きく噴き上がる。
「なっ!」
驚きクロトは足を止める。空を覆う大きな土の波。それが、その場に居る全ての者を呑み込もうとしていた。
(業火――。いや、業火でこの土はどうにも出来ない。なら、業火爆炎斬――。
間に合わない! 魔力の練っている間に呑み込まれる)
一瞬の間に考え、奥歯を噛み締める。この波には何も出来ない。今のクロトの力では。眉間にシワを寄せ、未だに大きく噴き上がる波を見据える。その時、声が響く。
「伏せろ!」
と、言うグレイの声が。その声に獣魔族も、ダリアも伏せる。そして、クロトも。
“ドラゴンブレス!”
数人の龍魔族の声。それが重なる。遅れて、地響き。大きく揺らぐ大地。それと共に螺旋を描く暴風が地面を抉る。地面に平伏す者すらも、呑み込もうとするその鋭い風。それが、土の波へと衝突する。
強大な技と技の衝突。拮抗する力と力。広がる凄まじい衝撃。それにより、周囲の木々がなぎ倒され、土が弾け空から降り注ぐ。
息を呑むクロト。その衝撃、その威力に。これが、龍魔族だけが使える最大の武器。数人と言う圧倒的数で不利な状況にも関わらず、その土の波と互角に渡り合う。それ程、強力なモノ。
亀裂が生じる土の波。だが、ブレスの威力も著しく低下する。ここに来て人数の差が、大きく影響していた。ブレスの威力が弱まった事により、土の波が動き出す。ぎこちなく軋みながら。
だが、その瞬間だった。空に浮かぶ一つの小さな影。その影が土の波へと降り立つ。
「断絶!」
と、声を響かせ、土の波へ刃から。刃が土の波と衝突。全ての音が消える。いや、音が消えたと言うよりも、全てが停止した。風が――、音が――、時が――。一瞬。ほんの一瞬だけ停止。
そして、時が動き出す。土の波の崩壊と共に。
跳ね上がるグレイ。土の波へと剣を振り下ろした事により、その衝撃が体を激しく襲ったのだ。その下を突き抜ける。風の咆哮。それが、全てを呑み込む。砕けた土を。その向こうに居る王国軍を。
叫び声がこだまする。威力が弱まったとは言え、そのブレスは十分な破壊力があった。中央から大きく崩れる。兵士達は次々と後退する。前衛を務めるガーディアンの崩壊。それにより、軍の全てが崩壊する。
この軍にガーディアン以外の近距離攻撃可能な兵士がいない。元々、この軍の勝ちパターン。それは、ガーディアンで前を固め、後方からの魔導・弓隊の遠距離攻撃。故に、ガーディアンはこの軍の要。それさえ突破すれば、少ない数でも十分戦える。
咆哮が消え、目の前に立ちふさがる土の波が崩壊。向こう側に広がる慌てふためく王国軍。その姿に、素早く立ち上がったダリアが叫ぶ。
「魔人族!」
その声に、魔力を練っていた魔人族が声をあげる。
「メテオフレイム!」
「ウィングスラッシュ!」
「ウォーターボム!」
「ライトニング!」
次々と放たれる魔法。王国軍が放っていた魔法とは威力も、その魔力の純度も桁が違う。
降り注ぐ炎は流星の如く次々と王国軍を襲う。大地が砕かれ、激しい爆音。広がる炎。
疾風は地面を裂き直進。立ちふさがる全てのモノを切り裂く。
空気中に漂う一センチ程の水の玉。それに触れようモノなら、破裂しその体を吹き飛ばす。
そんな轟々しい音を裂く雷鳴。それが、地上へと落ち全てのモノを消し去る。
「退け! 撤退だ!」
王国軍の兵が叫ぶ。その声に、王国軍は散り散りに逃げる。
激しい魔法攻撃が終わる。完全に沈黙する王国軍。皆、洞窟の奥まで撤退し、辺りは酷い有様だった。どれ程の兵が失われたのか定かではない。だが、そこに転がる重厚な盾、杖、弓、そして、兵士達。無残なモノだった。
何も出来ず、ただその場に佇むクロト。ここまで激しいモノなのかと、呆然と立ち尽くしていた。