第84話 王国軍の襲撃
澄んだ金属音。
広がる衝撃。
足元に巻き上がる土煙。
対峙するのは仮面の男、グレイ。
アレから三日。グレイの不意打ちを何とか防げる様になった。と、言っても確立は五回に一回程。まだまだ合格点と言うわけではない。
不意打ちを防ぐと、今度は打ち合いになる。殺気を込めたグレイの一撃一撃。最初は戸惑い恐怖した。だが、今ではその一撃にも向かっていける様にはなっていた。
三日と言う短い時間での成長。グレイも少しばかり驚いていた。実践は確かに力をつける。だが、ここまで成長が早いだろうかと。
僅かな違和感。それを覚えながらも、グレイは剣を振り抜く。
重々しい一撃。それを防ぐクロト。そして、鍔迫り合い。二つの刃が震え、軋む。互いの赤い瞳を見据え、弾かれた様に両者は跳ぶ。間合いを取る。足元に土煙を巻き上げる二人。勢いを殺し、すぐに互いの姿を目視する。
周囲を囲う人だかり。皆、二人の攻防に目を奪われる。その中に、セラとルーイットの姿もあった。丁度、買出しの最中に、グレイは襲ってきたのだ。街中だと言うのに。
しかし、クロトの動きが良いのはこの環境。不意打ちを防ぐのも、この状況下でのみだった。何がそうさせるのか分からない。だが、間違いなく街中での一戦は互角だった。
それでも、最終的には――。
「これで、お前は死んだ」
グレイが勝つ。漆黒の刃が首元に触れる。膝を着き呼吸を乱すクロトの背後から。
地面に突き立てられた魔剣。肩を大きく上下し、額から大粒の汗が零れ落ちた。遅れて、周囲から歓声と拍手。皆、これが何かのパフォーマンスだと思っているのだ。
魔剣が消滅し、グレイも剣を納める。セラとルーイットは慌ててクロトに駆け寄った。
「クロト!」
「だ、大丈夫?」
息を切らせ、両手を地に落とすクロト。そんな彼にセラとルーイットはそう声を掛ける。心配そうな眼差しを向けるセラ。その一方で、ルーイットは鋭くグレイを睨む。
「何なのよ! あんた!」
怒鳴り声が響く。だが、グレイは全く気にしない。まるでルーイットなどそこに居ない様に、背を向け歩き出す。眉間にシワがより、青筋が浮かぶ。握った拳。それを震わせその背中に怒鳴る。
「ちょっと! 無視してんじゃないわよ!」
激しく腕を振るう。虚しく響き渡る怒鳴り声。やがて、それも人々の声にかき消される。集まっていた周囲の人々の声で。皆、先ほどのパフォーマンスの余韻に浸り、ザワザワと散る。
クロトはゆっくりと立ち上がった。震える膝に手を置き、深く息を吐きながら。不安そうな眼差しを向け、セラは胸の前に手を組んだ。声を掛けようと思うが、それが出来なかった。その真剣な顔、口元に浮かぶ笑みに。
何故だろう。傷付いているのに、とても楽しげだった。だから、言葉を呑み込み、ルーイットへと視線を向ける。
拳を震わせるルーイット。その赤い瞳が見据えるのはグレイの背中。遠ざかるその背を見据え、唇を噛み締める。紺色の髪が揺れた。静かに吹き抜ける風で。彼女も獣魔族。その目は獣の様だった。怒り。それが、彼女の本能を刺激したのだ。
「ルーイット?」
恐る恐る声を掛ける。その背中は恐ろしく殺気立って見えた。これが、獣魔族なのだと改めて理解する。
やがて、その殺気が消え、ルーイットの肩から力が抜ける。浅く吐息が漏れた。そして、振り返る。困った様な笑みを浮かべて。
「何か、ごめんね」
「ううん。別に」
彼女の謝罪に、セラは苦笑する。何故、彼女が謝ったのかよく分かっていない。
その横でクロトは背筋を伸ばす。その顔は空へと向き、鼻から静かに息を吐き出す。また、今日も勝てなかったと。グレイは強い。間違いなく、ケルベロスと同等。いや、武器を使う分、ケルベロスよりも強いかもしれない。その強さを肌に感じ、改めて自分の弱さを知る。だが、今はそれだけではない。確実に、自分が少しずつ成長しているのを実感していた。
当初はその動きすら、目で追うのがやっと。でも、今はその動きについていける。魔力の制御。それも、今の所順調。少しずつだが自分は前に進んでいるのだとわかる。それが、嬉しかった。
自然と零れる笑み。その表情をセラは横目で見据えた。流石に心配になる。何処か変な所でも打ったんじゃないかと。それ程、クロトの様子はおかしかった。
その後、三人は病院へと戻る。
静かな病室。その病室のベッドに、ケルベロスとレベッカは居た。窓側のベッドに座るケルベロス。彼の傷はもう殆ど回復していた。その回復力は異常で、ダリアもラヴィも驚いていた。幾らレベッカに治療してもらったからと言って、あの傷が三日で回復するなんてありえないと。
体を起こし、不機嫌そうなケルベロス。彼の目がジッとクロトを見据える。感じていた。クロトの変化に。何かが変りつつあると。
三つ並ぶベッドの真ん中。そこにレベッカはちょこんと座っていた。足には布団を被り、三人へと満面の笑みを見せる。無邪気な歳よりも幼く見える笑顔を。
彼女も、薬のおかげですでに全快していた。それでも入院させられているのは、経過を見る為。幾ら薬が効いたと言っても、その副作用が出ないとも限らない。
ラヴィが調合した薬。あれは、人間にも害は無い。だが、強力な薬品。人間に使うのは初めてだった為、投与する量が分からなかった。一応、魔族と同じ分量で投与したが、彼女は小柄で華奢。もしかすると分量が多く、体調を悪くするかもしれない。そう、ラヴィは心配したのだ。だが、そんな心配を他所に、レベッカは順調に回復していた。
「えへへ。お帰りなさいです」
「ただいまっ」
笑顔のレベッカに、セラも笑顔を返す。その手に持った紙袋。それを、ベッドの脇にある小棚へと置く。紙袋には大量の果物が入っていた。一応、見舞いと言う事で買って来たのだ。
「調子はどう?」
ルーイットがケルベロスとレベッカの間の通路に入り尋ねる。
「はいっ。もう、大丈夫です!」
胸の前で両拳を握り、力強く答える。そんなレベッカに彼女は「そっか」と笑みを浮かべた。
「そうそう。美味しそうな果物あったんだよ」
紙袋から果物を取り出すセラ。赤く瑞々しい果物に、レベッカは嬉しそうな笑みを浮かべる。
「わぁーっ。美味しそうです」
「でしょでしょ! えへへ。今、切って――」
そこで、セラの動きが止まる。突然の事にレベッカは小さく首を傾げた。
「どうかしましたか?」
「まさか、ナイフが無いとかじゃないよな」
クロトが頭の後ろで手を組み笑う。静まり返るその場で、小さくセラの頭が縦に動く。
「えっ?」
その場に居た誰もがそう声を発した。流石のケルベロスも呆れ、右手で頭を抱える。セラのドジもここまで来ると才能だなと、思いながら。
乾いた笑い声。それが部屋に響く。クロトも、ルーイットも、流石のレベッカも困り顔だった。一人俯くセラ。彼女は「うわーん」と声を上げレベッカへのお腹に顔を埋める。
「ごめんなさいっ! 私が、私がドジなばっかりに!」
一応、その自覚があるのだと、クロトは苦笑する。
今までの事を思い出す。セラのドジの数々を。それは、ケルベロスも同じだったのか、クロトと同じ様な複雑そうな表情を浮かべていた。彼も一応、セラのドジの被害者だったのだ。
「大丈夫ですよ。また、今度に――」
レベッカがそう言い、セラの頭を撫でた時だった。病院の扉が荒々しく開く音が聞こえた。その音に皆の視線がドアの方へと向く。
「ラヴィ! コイツらを頼む!」
荒々しいダリアの声。それが、ドアの向こうから聞こえた。その声の乱れからクロトもケルベロスも悟る。何かあったのだと。
「何なのよ! これ、一体何が……」
ドアの向こうから聞こえるラヴィの驚きの声。それに、クロトは動き出す。遅れて、ケルベロスもベッドから立ち上がる。その行動にルーイットは慌てて声をあげた。
「ちょ、何処行く気?」
「俺も行く」
「ダメに決まってるでしょ! 何考えてんのよ!」
立ち上がろうとするケルベロスを、彼女は強引にベッドに押さえつけた。普段のケルベロスなら容易に振り解けるが、今回は違う。体に走る激痛に、表情を歪め動きを止める。
「もぅ。無理しちゃダメだよ。ケルベロス」
苦痛に表情を歪めるケルベロスに、セラが頬を膨らす。苦笑するレベッカも小さく頷き、
「そうですよ。今は傷を癒してください」
愛らしい笑顔。ケルベロスはその笑顔に静かに息を吐く。何故だろう。先ほどまで湧き出ていた闘争心が沈められる。それ程、彼女の笑顔は温かみがあった。
病室を飛び出したクロト。その目の前に広がるのは、血に塗れた武装した魔族の青年達だった。皆、クロト達が洞窟を抜けた時に矢を射て来た者達。片腕を失った者、酷い火傷を負った者。皆、重傷だった。
呆然と立ち尽くす。すると、ダリアの視線が向けられる。二人の視線が交錯し、クロトは奥歯を噛み締めた。
「何があったんですか!」
声を荒げる。すると、ダリアは渋い表情を浮かべ返答する。
「敵襲だ。王国軍が攻め込んできた……」
「なっ! 王国軍が! 何で、王国軍が……」
驚き声をあげるラヴィ。その目は揺らぎ、瞳孔が開いていた。ここは地図にすら載らない場所。しかも、その入り口を知る者は少ない。なのに、何故。
動揺し、彼女の手が震える。恐怖。脳裏に焼き付く殺戮の瞬間。それを思い出したのだ。
険しい表情を見せるダリアは、クロトの目を真っ直ぐに見据える。
「お前、戦えるか?」
静かな声。真剣な表情。そのダリアに、クロトは小さく頷く。
「俺で出来る事があれば」
「そうか。なら、一緒に来い。今は少しでも兵力が欲しい」
ダリアの声にクロトは「はい」と声を張る。そして、二人は病院を飛び出した。