第83話 強くなりたい
穏やかに風が吹き抜ける。
草木が囁き、ようやく二人の時が動き出す。
異世界から来た。その言葉に驚愕、動揺していたグレイも、落ち着きを取り戻していた。
非常に静か。ただ聞こえる草木の囁き。川のせせらぎ。
対峙する二人の眼差しだけが交錯する。
揺れる黒髪。向けられた赤い眼差し。クロトはジッと、彼を見据えた。
納得した様にグレイは頷く。赤黒い炎も、輝く目も。ようやく合点が一致する。ジンとの共通点に。
眉間にシワを寄せ、吐息を漏らす。両肩から力が抜け、視線が落ちる。
それにあわせた様にクロトの視線も足元へと向く。肩の力が抜け、ゆっくりと瞼を閉じた。安堵する。張り詰めた空気から解放され。
閉じた瞼が開かれると、またグレイと視線が交錯した。彼が、ジッとクロトを見せていたのだ。
一瞬驚く。だが、それを表情には出さず、クロトは強い眼差しを向ける。
「本当にジンの事を知らないんだな」
彼の静かな声。それに、クロトは小さく頷く。
「ああ。別の世界から来たが、俺はジンて人は知らない。
第一、その人は死んだんだろ? どうして、そんな事聞くんだ?」
怪訝そうな顔を向ける。すると、彼は表情を険しくする。
「ジンは死んだ……と言うよりも、消えたんだ。この世界から。
確かに、刃は胸を貫いていた。でも、誰も息を引き取った所を見たわけじゃない」
「でも、光に包まれて消えたって……」
「確かに消えた。だが、だからと言って死んだとは限らない」
拳を握りそう告げる。彼は信じているのだ。ジンが元の世界で生きていると。
眉間にシワを寄せ、クロトは腕を組む。
消えた。それイコール死と結びつけるのは安易だと気付いたのだ。もしかすると、この世界で死んだ事により、元の世界に帰ったのかもしれない。その可能性は限りなく零に近いが。
「けど、お前がジンを知らないなら……ジンは死んだのかも知れないな」
彼が俯きそう静かに呟く。
異世界から来たと言うだけで、そのジンと名乗る人と同じ世界から来たわけじゃない。そう思いクロトは苦笑し告げる。
「まだ、そう決まったわけじゃないだろ? 俺とは違う世界から来たのかもしれないし」
「そうだと……いいけど」
沈んだ声。その声にクロトの表情は引きつる。最初の雄々しい印象とは全くの別人。落ち込み、俯いていた。
流石に、ショックは大きい。ジンが死んだと言う事は。今まで何処かで期待していた。今でも元の世界で生きていると。だからこそ、気丈に振舞えたのだろう。
彼は静かに息を吐く。深く、長く。気持ちを落ち着け、沈んでいた表情は雄々しく変わる。気持ちを切り替えたのだ。
真剣な眼差し。それを、静かにクロトへと向ける。
「悪かった。色々と」
「いや。俺も色々と聞けてよかった」
微笑み告げる。すると、彼は静かに仮面をつけなおす。
「俺はグレイ。お前は?」
その際、グレイがそう口にした。思わぬ言葉に、クロトは慌て、
「あ、ああ。お、俺は、クロト」
と、早口で述べた。
そうか、とグレイは静かに答え、その口元へと笑みを浮かべる。穏やかで優しい笑みを。
これが、本当の彼の姿なのだと、クロトは悟る。そして、不意に浮かんだ疑問を口にする。
「グレイは、どうしてこの大陸に?」
クロトの問い掛け。気になっていた。ここは魔族が暮らすには不便な所。話からするに、彼は元々ルーガス大陸に居たはず。それなのに、何故ワザワザこんな場所に。
その問いに、グレイは僅かに目を伏せる。僅かに眉間にシワがより、口から吐息が漏れる。ゆっくりと瞼が開かれ、顔が空を向く。
「俺は、あの人が言った言葉を確かめたくて、この大陸に来た。
この大陸で何が行われているのか、何があるのかをこの目で確かめる為に」
目を細める。思い出していた。この大陸に来た時の事を。人間による魔族狩りのその光景を。
「俺が、ここに来たのは、五年前だ」
「五年前? それじゃあ、それまで……」
「世界を巡っていた。力をつける為に。まぁ、その更に三年前に師匠が亡くなってな。
その師匠が“世界を巡れ”と、死に際に言うからな。三年程世界を回ったんだ」
懐かしげな笑み。思い出していた。師匠の事を。
彼の師匠は剣士としてそれ程、有名な人ではなかった。特別抜刀が速いと言うわけでも無く、剣術があるわけでも無い。ただ、教える事に関しては群を抜いた人だった。その人の下で五年修行した。血の滲む様な基礎的な事を。
その後、彼は死んだ。天命をまっとうし。
すでにグレイはルーガス大陸でも有数の剣士となっていた。その実力は、デュバルの直属部隊に誘われる程だった。しかし、彼はそれを断り旅に出た。デュバルは寛大な人で、断ると馬鹿みたいに笑い、
「お前の道だ。生きたい様に生きろ。
だが、いつでも帰って来い。ここはお前の家だからな」
と、快くグレイを見送ってくれた。
それから、五年間。大陸を巡った。南のゼバーリックから、東の大陸クレリンス、北のフィンク。そして、最後にこの地、バレリア。全ての大陸を見てきたから分かる。この国の異常さを。だから、彼はここに留まり、この町を守っていた。
彼の話を聞き、クロトは小さく頷く。そして、強い眼差しを向ける。その視線に彼も気付き、穏やかだった表情は、真剣なモノに変わる。
「頼みがあるんだ」
クロトの静かな声。
遅れて吹き抜ける風。それによりざわめく木々の葉。差し込む光が揺らぎ、やがて静まり返る。
真剣な顔を向けるグレイ。その唇がゆっくり開く。
「頼み? 何を俺に頼む?」
少々棘のある声。疑念を抱く目。そんな彼に、クロトは深く頭を下げる。
「俺に、剣術を教えてくれ!」
突然の事にグレイは戸惑う。
「悪いが、人に教えるなんて俺には無理だ!」
「頼む! 俺は弱い……だから、強くなりたい! 今のままじゃ、誰も守れないから!」
懇願する。その姿にグレイは唇を噛み締める。昔の自分の姿を見ている様だった。自分が師匠に弟子入りした時の事を。
静かに息を吐き、肩を落とす。その熱意に負け、
「分かった……」
と、渋々了承する。
「ほ、本当か!」
クロトは勢い良く顔を上げた。
目を輝かせる。だが、そんなクロトに、彼は恐ろしく冷めた目を向ける。
「だが、さっきも言ったが、俺は人にモノを教えるなんて無理だ」
「えっ? でも……」
クロトは訝しげな表情を浮かべる。さっき、分かったと言ったのにと。
だが、すぐにその答えが返ってくる。静かにその腰の剣を抜刀しながら。
「俺が出来るのは、その体に刻む事。体感して、技術を盗め」
「ちょ、ちょっと待て……それって……」
表情が引きつる。嫌な予感。右手を前へと出し、制止を促す。だが、グレイは鋭い眼差しで睨む。
「強くなりたいなら、より強い者と戦え。それが、一番の近道だ!」
だっ、の合図で地を蹴る。初速から一気に加速。そして、クロトの間合いへ低い体勢で突っ込む。
漆黒の刃。それが、地面を裂き、土煙を巻き上げる。枯葉が舞う。土煙と共に。刃が閃き、土煙を裂く。そして、止まる。クロトの喉元で。その切っ先が。
皮膚へと僅かに刃が触れ、鮮血がスッと流れる。息を呑み、喉ぼとけが動く。寸止めされた刃へとクロトの視線は落ちる。
これが、実践だったなら――。そう思うと身が凍る。この瞬間、クロトは首を刎ねられ死んだ事になる。表情を引きつらせ硬直するクロトに、彼は真剣な目を向ける。
「いいか。どんな時も、神経を研ぎ澄ませ。この地では、そうしていないと死ぬ事になる。
これから、俺はお前を見つけたら、その瞬間に斬りかかる。お前はそれを防げる様になれ」
「……わ、分かった」
了承すると首筋へと向けられた剣が下された。
緊張から解放され、腰を抜かす。本当に死を間近に感じた。
荒く呼吸を繰り返す。そんな彼にグレイはゆっくりと剣を納め告げる。
「気を緩めない事だな。強い者と言うのは、常に気を張り生きているモノだ」
彼はそう言うとゆっくりと歩き出す。その背中を見据え、クロトは後悔する。
人選を間違えたと。
バレリア大陸、唯一の国家。ラフト王国――。
広大な平地へと連なる建造物。その中心に王宮が姿を見せる。他の建造物よりも少し高いと言う程度の高さ。だが、その広さはこの街の半分を占める。それ程、広大な要塞。
王宮を囲う塀と堀。堀には川が流れ、塀には無数の小さな穴。塀を登ろうとすると自動で銃弾を放つ。恐ろしいモノだ。
その堀の周りを数人の兵が小隊を組み見回る。一定の間隔を開け、ゆっくりと。故に、侵入が最も難しい場所とされている。
その王宮の中心。謁見の間に一人の男が居た。片手に棍棒を握り、黒服に身を包むロズヴェルだった。瞼を閉じ、広い部屋に一人。静かに響く足音。その音に瞼を開き、ゆっくりと片膝を着いた。
赤い絨毯を踏み締め、玉座の前へと佇む男。この国の王、バルバス。齢六十。口周りに白ヒゲを蓄え、垂れた眉の合間から、鋭い眼光が覗く。年老いて尚も衰える事の無い重圧。緩やかな衣服に身を包んでいる為、分かり難いがその肉体もまた衰えを知らない。
緊迫した重苦しい空気。広いこの一室がとても小さく感じられる。
その中で静かにバルバスの口が開かれる。
「長期の離脱。これにより、我が国の受けた甚大なる被害。分かっておるな」
静かな声。だが、それはとても重く、ロズヴェルの腹へと響く。
「はっ。分かっております」
ロズヴェルの返答に、彼は玉座の背もたれへと背を預ける。そして、そのまま彼を見下す。
「本来ならば、即刻打ち首じゃが、お前の力は我が軍には必要不可欠。よって、隊長の座を剥奪、暫くの間、第五部隊への降格に処する」
「はっ! 寛大な処置。感謝します」
静かに左手に右拳をぶつけ頭を下げた。バルバスが「ふむっ」と小さく呟く。そして、ゆっくりと玉座から立ち上がる。
「第五部隊は現在、魔族討伐の為、南へ向かっておる。すぐに合流し、魔族を狩って来い。その功績次第で、貴様を第三部隊の隊長に戻すかを決める」
垂れた眉の向こうから向けられた眼光。好戦的で威圧的なその眼差しに、ロズヴェルは顔を上げる事が出来なかった。それ程、彼は恐ろしく、大きな存在だった。
彼が部屋を後にする。静まり返る室内。そこに彼の重圧だけが残されていた。
部屋の中央で片膝を着くロズヴェル。全身から汗が溢れ、衣服は濡れていた。髪の毛先から水滴が落ち、ロズヴェルはようやく立ち上がる。膝が震え、僅かによろめく。それでも何とか持ち堪え、静かに部屋を後にした。
「随分、お疲れですね」
部屋を出ると、そう告げられる。佇むのは若い男。赤と青の入り混じった髪色。それが、妙に不気味だった。
温和な雰囲気とは打って変わって、彼の言葉、声色は何処か冷たいものを感じる。
「何の用だ」
彼を睨みそう告げる。すると、彼は肩を竦め、穏やかに笑う。
「嫌だなぁ。僕は、情報を教えにきたんですよ」
ニコヤカな表情。だが、その目の奥は笑っていない。明らかな殺気。それが、ロズヴェルへと向けられていた。
疑っているのだ。ロズヴェルの事を。過去にこの国を裏切った者を。
「第五部隊の隊長はグライデン。あなたが居ない間に、隊長まで上り詰めた方ですよ」
「興味ないな」
簡潔な説明に、ロズヴェルはそう即答した。こうなるのを知っていたのか、彼の目は楽しげだった。
ロズヴェルは歩き出す。彼に構っている暇は無いと。静かに淡々とした足取りで。彼の前を通過する。そして、暫く歩いた後に背後から聞こえる。彼の声が。
「知ってますか。彼らが向かったのは、例の場所なんですよ。八年前、あの男を処刑した場所」
ロズヴェルの足が止まる。彼のその言葉に。僅かに肩が震え、やがて天を仰ぎ笑う。
「ふはははっ! そうか! あの場所か!
くっ、くくっ……。今のは面白い情報だ。ケイト」
「そうですか。喜んでいただけて僕も嬉しいですよ」
ケイトが微笑む。冷ややかな眼差しをその背に向けて。