第80話 ジンを知る者
クロトの足元に土煙が巻き上がり、その目は木彫りの仮面をした男を見据える。
仮面の奥から覗く赤い瞳。それは彼が魔族であると言う証拠。向けられた漆黒の剣。その切っ先を見据えるクロトは、魔剣ベルを下段に構える。前傾姿勢を取り、いつでも突っ込める様に体重を踏み出した左足へと乗せた。
だが、その間にダリアがその大きな体を揺らし割ってはいた。大手を広げ、クロトとその仮面の男を交互に見据える。腕を頭の上で何度も交差させて。
「お、落ち着け! こっちはすでに戦う意思は無い。ロックスを助けてくれた事には感謝するが、剣を――」
ダリアがそう言い掛けた時、仮面をした男は静かにその剣を投げる。自分から数メートル離れた地面へと向けて。切っ先が地面に突き刺さる。それと同時に地面を突き破り無数の竹やりが飛び出す。その鋭い先端が激しく土を巻き上げながら。
その光景にクロトは驚き、ダリアの肩越しに仮面の男を見据える。アレは、ロックスを助けたのではなく、クロトを助ける為の一撃。その事を理解し、クロトは静かに剣を下ろす。手に握っていた魔剣は元の錆びれた剣へと戻る。
光の粒子が溢れ、魔剣はやがて消滅。俯くクロトは「ありがとう。ベル」と小声で礼を言うと、すぐに仮面の男へ目を向けた。
一方、ダリアもまた驚く。こんな仕掛けがあると思っていなかった。やがて、ダリアは眉間にシワを寄せロックスを睨む。この罠を仕掛けたのは間違いなく彼だろう。それを知ってて挑発したのだと直感する。
ダリアの鋭い眼差しにロックスは小さく舌打ちし、その場を逃げる様に去った。その後姿を見据えるダリアは、深く息を吐き哀れんだ様な眼差しを向ける。彼がどうしてこの様な事をしたのか、分からないでもない。彼もまた人間によって傷つけられた人物なのだ。
ゆっくりと足を進める仮面の男。彼は、地面から突き出した竹やりをかわし、自分の投げた漆黒の剣を地面から抜く。土が僅かに舞う。そして、静かに鞘へと納めた。何も言わずただ淡々と物事を進めるその男に、ダリアは右手を軽くあげ、声を掛ける。
「いつもすまんな。グレイ」
彼が苦笑する。グレイと呼ばれたその男はダリアへと目を向ける。そして、気にするなと言う様に顔の横まで右手を上げ、小さく頷く。その行動にクロトは訝しげな表情を浮かべた。言葉を喋る事が出来ないんだろうか、と言う疑問を秘め、彼の背中を見据える。
その視線に気付いたのか、グレイは足を止め体を捻り顔を横にすると、視線だけをクロトへと向けた。赤い瞳がクロトを見据える。その姿に鼓動する様にクロトの右目が疼き、赤く薄らと輝きを放つ。右目の疼きに顔を伏せ、右手で目を覆う。だが、グレイはその目に驚愕する。瞳孔を広げ、肩を僅かに震わせた。ゆっくりと体がクロトの方へと向けられ、その足が静かにゆっくりと一歩踏み出される。震える唇。それがゆっくりと開かれる。
「ジン……」
小さく開かれたその唇から低音のか細い声が発せられた。まだ若々しく幼さの残る声。その声にクロトもダリアも驚き眼を細めた。顔の上半分に仮面をつけている為分からなかったが彼は若い。多分、クロトと同じ歳――いや、ジン。その名を知っていると言う事はクロトよりも少しだけ年上。それは間違いないだろう。
以前に、ベルが呟いた名前。そして、ベルの前の持ち主。訝しげな表情を見せるクロトに、グレイは我に返る。冷静さを保とうと静かに瞼を閉じ、小さく頭を二度振った。
右目を輝かせるクロトの姿に一瞬、ジンの姿がダブった。だが、そんなはずが無い。あるわけが無いとグレイは深く息を吐きゆっくりと瞼を開いた。その強い眼差しがクロトを見据え、彼もジッとグレイの目を見据えた。
「グレイ。知り合いなのか?」
「…………」
ダリアの声に沈黙したまま首を左右に振る。その行動にダリアは一瞬不満そうな表情を見せた。だが、これがいつもの事なので小さく息を吐き「そうか」と呟く。ダリアも初めて聞いた。グレイの声を。だから、驚いたのだ。さっき、グレイが声を発した事に。てっきり、喋る事が出来ないと思っていたから。ただ喋らなかったのは喋る必要が無かっただけ。そうダリアは解釈した。
ゆっくりと経過する時の中。赤黒い炎が消滅する。そして、負傷したケルベロスを治療するレベッカの姿あらわとなる。その隣りではセラとルーイットが心配そう顔を向けていた。負傷するケルベロスの姿にダリアは慌てて声をあげる。
「す、凄い怪我じゃないか! 今すぐ、医務室に運ぶぞ! グレイ! 手伝ってくれないか?」
ダリアがグレイの方へと顔を向ける。すると、グレイは小さく頷き、ゆったりとした足取りでケルベロスの方へと足を進める。クロトの横を通り過ぎる際、グレイの唇が僅かに動く。静かな声がクロトの耳に届き、訝しげな表情を彼の背へと向けた。
負傷したケルベロスをグレイとダリアが運ぶ。レベッカが昔住んでいた村にある医務室へと。
廃墟となっているはずのその村は美しく、そして多くの魔族で溢れていた。ここは数年前から魔族の隠れ場になっていた。すでに地図からも消されたこの村は、この国、いや、この大陸で唯一魔族が暮らせる場所。
クロト達はケルベロスが医務室で治療を受けている間、この村を静かに歩き回る。
変わり果てた村の姿にレベッカは驚いていた。だが、すぐにその表情は曇る。村の隅に並ぶたくさんのお墓を見つけて。一つだけ不恰好なお墓があった。レベッカが一人で作った最初で最後のお墓。それは、大切な自分を育ててくれた人のお墓だった。そこに、その人の亡骸は眠っていない。それでもレベッカはそこにお墓を作った。幼かったレベッカが出来る事はコレ位しかなかったから。
そのお墓を目にし、レベッカは胸を右手でギュッと握った。思い出したのだ。この村で起こった事を。自分の目の前で首を切り落とされたその人の姿を。
肩を震わせる彼女の頭にポンとクロトの右手が置かれる。その行動に「ふぇっ?」と声を漏らしたレベッカは、静かに瞼を開き顔をあげた。隣に並ぶクロトはニコリと笑みを浮かべ、優しく頭を撫でる。クロトが唯一彼女に出来る事だった。
美しい金色の髪。それが、クロトの指と指の間を流れる。数秒ほどクロトは頭を撫でた。そして、優しく二度頭を叩き微笑む。
「少しは落ち着いたか?」
クロトの問いかけにレベッカは小さく頷く。その表情から不安は消え、安心した様にニコリと笑う。彼女の笑顔にクロトも安心し小さく頷き、セラとルーイットの背中へと目を向けた。二人の関心はお墓よりも村の中にある様で、キョロキョロと村を見回す。それだけ、この村が二人には珍しかった。
目新しい物などは無い。だが、確かにこの村は不思議な印象が漂っていた。何がそうさせるのかはクロトにも分からない。しかし、何処か今まで見てきた村とは違う印象を感じていた。
セラとルーイットを見据えていたクロトは視線を感じ、振り返る。建物と建物の間に僅かに見えた。仮面をつけたグレイの姿が。その姿にクロトは眉間にシワを寄せ、険しい表情を浮かべる。
「レベッカ。セラとルーイットの事、頼むぞ」
「えっ? あっ、はいっ」
クロトの突然の声。それに、レベッカは戸惑いながらそう返答するが、クロトはそれを聞かず走り出す。何か慌てている。そんな印象だった。彼の背中を見据えるレベッカは小首を傾げる。そして、誰にも聞こえない声で「どうしたんだろう?」と呟いた。
グレイの姿を追い駆けるクロト。いつしか森の奥までやってきていた。誘い込まれたと、言うよりも人気の無い所まで案内された形。先程、すれ違う際に言われた一言。「後で話がしたい」と言う事だった。まさか、こんな形で呼び出されるとは思っていなかった。
背を向け佇むグレイの姿を見つけ、クロトは足を止めた。黒い髪が揺れ、ゆっくりと振り返る。仮面の向こうから覗く赤い瞳。それが威圧的にクロトを見据え、その唇が静かに言葉を紡ぐ。
「お前は何だ?」
と、落ち着いた口調で。
その言葉にクロトは渋い表情を浮かべる。何と答えればいいのか分からない。そもそも、何だと聞かれても、クロトはクロトでしかない。その為、説明の仕様が無い。眉間にシワを寄せ考えるが、やはり答えは出ない。
答えの出せないクロトに対し、苛立つグレイは次の質問を口にする。
「何故、お前が、その目を持っている。それに、あの炎も……」
静かな声。その声に僅かながら怒気が含まれているのにクロトは気付く。何を怒っているのか、一体、何がしたいのかクロトには分からない。だから、ただ彼の目を真っ直ぐに見据える。
二人の視線が交錯したまま数分の時が流れた。静かに吹き抜ける風が二人の髪を撫で、木々の葉がざわめく。穏やかな表情を浮かべるクロトに対し、グレイは目を伏せ拳を握り次の瞬間、怒声を響かせる。
「何なんだ! お前は! なぜ、お前がジンさんと同じ目を持ってて、しかも、同じ炎を使う!」
その言葉にクロトは表情をしかめる。彼がジンと言う人物の知り合いなのは分かる。だが、どうしてここまで熱くなっているのか分からない。だから、静かに尋ねる。
「そのジンさんって、誰なんだ? それに、君とジンさんの関係は?」
クロトの問い掛けに不愉快そうに小さく声を漏らす。彼はその強い眼差しでクロトを睨む。
ジンと呼ばれる人と彼との間に何があったのか、クロトには分からない。でも、彼がジンと言う人を慕っていたと言う事だけはハッキリと分かる。
視線を交錯させ数秒が過ぎる。グレイの口から吐息が漏れ、静かな口調で語り出す。ジンについての事を。
「俺がジンと出会ったのは十五年前。俺はあの人に酷い事をした」
「酷い事?」
不思議そうに聞き返すと、グレイは静かに小さく頷く。
「そうだ。アレは、英雄戦争が始まる少し前……」
彼は静かに語り出す。その日あった事を。自分がジンにした事を。淡々と静かな口調で。