第8話 闇を照らす赤黒い炎
静けさ漂う深夜。
対峙するクロトとケルベロス。
だが、クロトの体を包む赤黒い炎は次第に弱まり数秒後には消滅した。と、同時にクロトの意識も飛んだ。力を使い果たした様に前のめりに倒れた。
「く、クロト!」
突然の事に驚きクロトの名前を叫びながら、セラは駆け寄った。呼吸はあった。だが、それは弱々しく今にも途切れてしまいそうだった。
「クロト! し、確りしてよ! クロト!」
何度も名前を呼ぶが返ってくるのは弱々しい吐息だけ。副作用が出たのだ。ただでさえ、ケルベロスの蒼い炎を受けてダメージを負ったと言うのに、その上ここゲートでも扱える者は極僅かしかいない劫火の炎の開花により、クロトの体は内側からその力によって蝕まれていた。
そもそも、劫火の炎を扱える者が極僅かしか居ないのには理由がある。その理由は、その強大な力に耐えうる器、いわゆる肉体が耐えられないと言う事だ。何百人と言う猛者達が、この力を我が物にしようと手を出してきたが、皆命を落としていった。体の内側から赤黒い炎を吹きながら。
クロトも今、その一途を辿ろうとしていた。体内が突如として焼ける様に熱く、呼吸が苦しくなる。
「クロト! クロト!」
セラの声がやたら大きく鮮明に聞こえるが、返答出来なかった。薄らとだが意識が戻る。体中を巡る激痛に、うめき声を上げ、呼吸を乱す。このまま死んでしまうんじゃないかと、思うほど苦しかった。
涙で眼を潤ませるセラの顔が見えた。自分の為に泣いてくれるのかと、少しだけ嬉しかった。まだ出会って間もないのに、そこまで慕ってくれていたなんてと。
「クロト! 死んじゃダメだよ!」
「セラ様! どいてください!」
ケルベロスがセラの肩を掴むと、後ろへと力強く引っ張った。尻餅を着き、涙を流すセラ。ケルベロスは、クロトの胸の上に手を合わせる。現状を把握する為に行った行動だった。胸が焼ける様に熱く、肌に薄らと亀裂が走っているのが分かった。
危険な状況だとすぐに分かったケルベロスは右手に力を込める。クロトの胸に合わせた手が蒼い炎に包まれる。
「け、ケルベロス……な、何するの……」
「上手く行くか分かりませんが、俺の炎をコイツの体内に打ち込んで、何とか相殺出来ればと」
「で、でも、そんな事したら!」
「危険です。正直、死ぬ確立の方が高まりますが、どうせこのままでも死んでしまいます。でしたら!」
と、ケルベロスは力を込め、それをそのままクロトの体内へと打ち込む。その瞬間、クロトの体が衝撃で跳ね上がった。ドクンと、心臓が強く脈打ち、クロトは闇へと意識を失った。
漆黒の闇の中で、クロトは目を覚ます。
ぼんやりとした意識で、頭を激しく振ったクロトは、目を細め周囲を見回した。何処を見ても続く闇の中で、僅かに揺らめく一筋の光が見えた。だが、それは赤黒く炎と言うには、禍々しく見えた。
恐る恐る歩みを進める。その炎が、まるでクロトを導いている様に見えたからだ。カツカツと、踵が床を叩く。暫く歩みを進めると、声が聞こえる。
『汝、我に何を求める』
突然の声に戸惑い周囲を見回す。だが、何処にも声の主の姿は無かった。辺りを見回すクロトに対し、更に野太い声が言葉を続ける。
『今一度問う。汝、我に何を求める』
もう一度同じ問いを投げかけられる。一体、何の事なのか分からず、また周囲を見回す。そして、叫ぶ。
「お前は、誰だ! 何を求めるって、どう言う事だ!」
『…………我は汝』
意味不明な答えに、クロトは眉間にシワを寄せた。何とか理解しようと、思考を働かせるが、色々ありすぎて上手く考えがまとまらなかった。頭を掻き毟り、「ああー」と、声を上げたクロトは、天を見上げ叫ぶ。
「誰だか知らないけど、俺は何も求めてねぇ! て、言うか、ここ何処だ!」
『ここは、我と汝の境界線。我は汝、汝は我。我と汝は一心同体。決して切り離す事の出来ない存在』
「俺は俺だ! 黒兎……裕也だ! お前なんて知らない!」
『いずれ分かる。今は、まだ時期でない。ならば、我はもう暫しの眠りに就こう。汝には、記憶の断片と、我の力の一部を解放しよう』
「力? 解放? 何の事だ! ちゃんと説明しろ!」
『黒兎裕也。お前が、我の力をどう使うか、見極めさせてもらう』
謎の声がそう告げた瞬間、眩い光が全ての闇を払い、クロトの意識は遠退いて行った。
どれ位の時間が過ぎたのか、クロトは潮の香りを感じ、ゆっくりと瞼を開いた。波の音が聞こえ、日差しが目覚めたばかりのクロトの視界を奪う。
「んんっ? こ、こは?」
上半身を起こし、目を凝らす。徐々に目が光になじみ、視界が開けてきた。ぼんやりと見上げていた。木の板で出来た天井を。僅かに揺れを感じ、クロトは右腕を目の上に乗せた。
「あぁー。気持ち悪っ……」
横たわったままそう呟くと、戸の軋む音が聞こえ、遅れてセラが名を呼ぶ。
「クロト? 起きてる?」
「ああ……」
弱々しい返事をすると、冷たいタオルが額へと乗せられた。
「ありがとう……」
と、目の上から腕を退けると、セラの潤んだ瞳と視線が合う。それだけで、分かる。セラがどれ程心配していたのか。だから、クロトは右手を伸ばし、セラの頭を優しく撫でた。弱々しいその手つきに、セラは俯き赤面する。
「悪い……心配かけたみたいで」
「べ、別に、し、心配なんてしてないから」
照れ隠しする様に力強くそう言ったセラが、顔を背けた。そんなセラの態度に、クロトははにかんだ。
だが、すぐにセラの頭から手を退けると、胸を押さえた。
「大丈夫? まだ体調悪いの?」
心配そうな表情を浮かべるセラに、弱々しく笑う。
「あーぁ。何か、この揺れが気持ち悪くて……」
「揺れ? もしかして、船酔い?」
セラの言葉で、クロトはようやく状況を把握した。通りで揺れるわけだと、クロトは引き攣った笑みを浮かべ、大きなため息を吐いた。正直、クロトは乗り物の類が苦手だった。当人が酔いやすいという理由が大きい。
天井を見上げ、深いため息を吐き、瞼をゆっくりと閉じた。その瞬間、自分が意識を失う寸前の光景が脳裏によみがえり、体を勢いよく起き上がらせた。
突然の事に驚き目を丸くするセラの両肩を掴んだクロトは怖い表情で問う。
「あ、あいつは、どうしたんだ?」
「ちょ、痛いって。クロト」
肩を掴むクロトの力に、セラは表情を歪める。その刹那、戸が乱暴に開かれ、漆黒の衣服に身を包んだケルベロスが部屋に入ってきた。
「キサマァ! セラ様に何を!」
「くっ! ケルベロス!」
セラの肩から手を放し、立ち上がりケルベロスへと視線を向ける。その時、無意識に行ったのだろう。突如セラの悲鳴が聞こえ、自らの右拳が赤黒い炎を纏っている事に気付いた。
「く、クロト、そ、その炎」
「な、何だこれ!」
自らの拳を包むその炎に驚き声を上げるクロトに、ケルベロスは掴みかかり、そのまま窓から外に放り投げた。
「おうっ!」
「ちょ、け、ケルベロス!」
セラがケルベロスに怒鳴るとほぼ同時に、窓の外でザブンと音が聞こえ、「うおっ! 冷てぇ!」とクロトの叫び声が聞こえた。その声に、セラは窓から顔を出すと、海面から顔を出すクロトの姿が見えた。ずぶぬれだが、それでも右拳を包む炎は消えず、海面に気泡が溢れていた。
「な、何だよ。この炎! 全然消えないぞ!」
「クロトー大丈夫ー」
「だ、大丈夫じゃない! 炎が消えないんだよ!」
「おい。貴様、その炎が消せるようになるまで、船には近寄るな」
ケルベロスがセラを押し退け、窓から顔を出しそう告げ、窓を閉めた。反論する事さえ出来ず、クロトはただ海面から呆然と船を見つめていた。