第78話 食中毒と聖女レベッカ
早朝、クロトはお腹の痛みで目を覚ます。
昨夜食べたセラとレベッカの料理が原因なのは分かっていた。
腹を押さえ蹲り呻き声をあげると、その声にケルベロスも目を覚ます。まだ陽が昇っておらず、辺りは暗かった。その為、ケルベロスは怪訝そうな表情を浮かべ、クロトの方へと顔を向ける。肩を小刻みに揺らし、奥歯を噛み締めるクロトの姿にケルベロスは眉間にシワを寄せる。小さくため息を吐くと、ケルベロスは体を起こしクロトの方へと顔を向けた。
「大丈夫か?」
どうして苦しんでいるのか見当がついた為、静かにそう尋ねると、クロトは軽く右手を上げ頭を小さく上下に振る。大丈夫だと言うアピールの様だが、それが余計に痛々しく見える。その為、ケルベロスは呆れた様にため息を吐くと、静かに立ち上がりクロトの方を睨む。
「お前、懲りてないのか?」
怒りの篭った声にクロトは静かに体を起こすと、僅かに肩を揺らしながらケルベロスの方へと顔を向ける。暗い所為か顔が青ざめて見え、ケルベロスは眉間にシワを寄せる。相当体調が悪いと言う事はすぐに分かった。だが、今回はミィがいない。常に薬を常備しているミィが居ない為、ケルベロスは困った表情を浮かべ、腕を組む。
「お前……無理して食べるからだ」
「うぐぐっ……」
表情を歪めるクロトは、腹部を押さえたままジッとケルベロスを睨む。その目が何か言いたそうと言うのは分かり、ケルベロスは小さく吐息を漏らし呆れた様な眼差しを向ける。何となく何が言いたいのか分かったのだ。だから、ケルベロスは何も言わずもう一度鼻から息を吐くと、右手を軽く振る。
「わかった。俺はもう少し寝る。強がるならもう少し静かにしろ」
「うぐぅっ……」
クロトがそう呟くと、ケルベロスは小さく欠伸をしてもう一度その場に横になった。それから暫くクロトの呻き声が聞こえたが、ケルベロスは気にせず眠りに就いた。
それから、数時間が過ぎ陽が昇った頃、ケルベロスは目を覚ます。横たわるクロトを心配そうに見据えるセラとルーイット。そして、クロトの腹部に手をかざすレベッカの姿があった。何をしているのか分からず、訝しげな表情を浮かべていると、その視線にセラが気付き振り返る。視線が僅かな時間交錯し、セラは慌ただしくケルベロスの方へと歩み寄った。
「大変だよ! ケルベロス」
「どうかしたのか?」
慌てた様なセラの言葉に静かにそう返答すると、セラは両腕をパタパタと振り、肩口で茶色の髪を揺らしながら言葉を続ける。
「実は、クロト食中毒なんだって!」
「食中毒!」
驚くケルベロス。まさか、そこまで状態が悪いとは思っていなかった。それ程、セラとレベッカの作った夕食は殺人的だったと言う事だろう。そんな事とも知らず、セラは腕を組み困った表情を浮かべる。
「全く……。昨日あんなに食べたのに、拾い食いするなんて……」
と、呆れた様な口振りで呟いていた。その言葉が微かに耳に届きケルベロスは深くため息を吐く。本人に悪気は無いのだと分かっている。分かっているが、もう少し自覚は持って欲しいと願う。このままでは更に犠牲者が出る。そう考えると頭が痛くなり、ケルベロスは右手で頭を押さえ深くため息を吐いた。
クロトの食中毒の治療をレベッカが行っていた。レベッカは聖力を持つ聖女ヒーラーだった。本格的に教会で習ったわけではなく独学で覚えたモノだが、それでも効果はすでに実証済み。だから、自信を持ってレベッカはクロトのお腹の上に聖力を帯び輝くその右手を乗せる。
暖かい感触がクロトの腹に伝わる。それが、癒しの力。体の痛みが徐々に薄れて行くのを感じ、クロトの顔色は段々良くなっていく。手の平から溢れる輝きは粉の様に空へと散る。聖力が少しずつあふれ出していた。レベッカも上手く聖力をコントロール出来ていないのだ。
無駄に体力を消費し、額から汗を滲ませるレベッカは小さく息を吐くと、その手をゆっくりとクロトのお腹から離す。
「お、終わりましたっ!」
口元へと笑みを浮かべ、肩を大きく揺らしながら明るくそう言うと、クロトは静かに瞼を開く。もうお腹の痛みは無く、クロトは右手でお腹を擦りゆっくりと体を起こす。
「おおっ! 痛くない!」
「ほ、ホント? もう大丈夫?」
慌てた様子でルーイットがクロトの顔を覗きこむ。ギュッとクロトの右手を両手で握り締め、潤んだ瞳をクロトへと向ける。余程心配してくれていたのだとクロトは分かり、静かな笑みを浮かべ左手でルーイットの頭を優しく撫でた。紺色の髪が指と指の合間を流れ、時折その獣耳に手が触れる。頭を撫でられ、猫の様に瞼を閉じ「うぅーん」と喉を鳴らす。獣魔族とあって、やはり何処か獣に近いモノがあるのだろうと、クロトは頭を撫でたままそう思う。だが、その心を読んだかの様にルーイットの目が開かれジト目がクロトへと向けられる。
「ど、どうかした?」
視線が合いクロトがニコッと笑みを浮かべたままそう尋ねると、ルーイットは綺麗な顔で少しだけ頬を膨らすと不満そうに唇を尖らせる。
「今、変な事思ったでしょ?」
「い、いや……別に……」
視線を逸らすクロトの態度にすぐにルーイットは悟り、更に頬を膨らしクロトを見据えていた。
そんな二人の雰囲気を窺うレベッカはキョロキョロと辺りを見回し、ケルベロスの前で腕を組み考え込むセラを見つけると、トテトテと軽快な足取りでセラの方へ近付き、服の裾を引っ張った。
「せ、セラさん! セラさん!」
「わわっ! れ、レベッカ? あ、アレ? 治療は……」
「終わりました! それより!」
突然の事に戸惑うセラに対し、レベッカは困った様に眉を曲げ、不満そうな表情を浮かべる。そんなレベッカにセラは小首を傾げクロトの方へと目を向けた。そこにはクロトの手を握るルーイットの姿があり、セラは微笑ましくその光景を眺める。
しかし、レベッカは全く納得していないのか、愛らしく頬を膨らすともう一度セラの服の裾を引っ張る。その行動にセラは「わわっ」と声を上げ困った様にレベッカを見据えた。
「な、何? どうしたの?」
「どうかしたじゃなくてですねっ!」
語尾を強めに言うレベッカにセラはたじろぎ一歩後退り苦笑する。何故、レベッカがあんなに怒っているのか分からなかった。不機嫌そうに腕を組むレベッカはやがて唇を尖らせると、不満そうにクロトとルーイットの方へと目を向ける。その行動にセラは昨夜の事を思い出し、苦笑したまま静かに口を開く。
「れ、レベッカ。何か誤解がある様だから、言っておくけど……」
「誤解? 何ですか? 誤解って」
「うん。あのね。私、クロトの事を特別視はしてないよ?」
「ふぇっ? そ、そうなんですか?」
驚いた様に目を丸くするレベッカ。だが、すぐにその目は疑いの眼差しへと変り、「本当ですかぁ?」と不満そうな声で尋ね、セラは苦笑し「本当だよぉー」とおどけた様子で答えた。
和む空気の中でケルベロスだけが不服そうな顔を見せており、腕を組み苛立った様子で右足は地面を叩く。苛立つケルベロスに一番最初に気付いたのはクロトで、ルーイットの頭を撫でていた左手を離すと、ゆっくりと立ち上がる。
「えっ? あっ、だ、大丈夫?」
僅かに残念そうな表情を浮かべたルーイットが心配そうにクロトを見据えるが、クロトは困り顔でケルベロスの方へと目を向け、ポンポンとそのまま左手でルーイットの頭を軽く叩き静かに鼻から息を吐く。
「もう大丈夫だよ。それより、ケルベロスの怒りが爆発しそうだよ……」
クロトのその言葉でルーイットはケルベロスの方へと体を向ける。そして、右足が何度も地面を叩いているのに気付き呆れた様に目を細めた。ケルベロスが短気だと言うのは昔から分かっていたが、こう言う状況でもそんなにイライラしなくてもいいんじゃないだろうかと、ルーイットは思う。
だが、クロトはそんな事気にする様子も無く、ゆっくりと足を進めるとルーイットは不服そうに小さく吐息を漏らしその後へと続いた。
その後、落ち着いた一同はレベッカの案内で洞窟へと入っていった。幸いにも松明とランプ両方を持っていた為、暗い洞窟の中も何とかなった。先頭を歩くケルベロスが松明を持ち、レベッカと並んで歩き、その後ろをランプを持ったセラを挟む様にクロトとルーイットが足を進める。
天井から僅かに零れ落ちる水滴の音が洞窟内には響いていた。それ程静かに五人は足を進める。波の音ももう聞こえない。大分、洞窟の奥まで来ている様だが、未だに出口は見えず、少しだけ肌寒くなっていた。
「後どれ位だ?」
静かなケルベロスの声が洞窟内に反響する。その声にクロトとセラ、ルーイットの三人は松明を持つケルベロスへと目を向ける。闇の中で松明の光を浴び金色に輝く髪を揺らすレベッカは、隣に並ぶケルベロスへと顔を向け愛らしく無邪気な笑みを浮かべた。
「もう少しですよ」
「そうか……」
静かに頷くケルベロスは再び足を進め、レベッカもゆっくりと動き出す。その動き出しに後続の三人もゆっくりと動き出した。
それから数十分後、レベッカの言う通り、ようやく出口の明かりが見える。そこでケルベロスは松明の明かりを消し、セラもランプの明かりを消した。足場はそれ程悪くない為、出口の明かりだけで十分だと判断したのだ。
「出口を出て、少し行けば、私の住んでた廃墟です」
「廃墟?」
レベッカの言葉にルーイットは不思議そうな顔をして首を傾げる。頭の上の獣耳がピクッピクッと動く。何か音が聞こえるのか、ルーイットは綺麗な顔の眉間にシワを寄せセラの方に顔を向ける。その動きにセラもルーイットへと目を向け首を傾げる。
「んっ? どうしたの?」
「今、レベッカ、廃墟って言ってた……よね?」
「それがどうかしたのか?」
ルーイットの言葉にセラの向こうから顔を覗かせるクロトが不思議そうに尋ねると、ルーイットは訝しげな表情を浮かべ答える。
「あのさぁ……声、聞こえるんだけど……」
「声?」
「うん」
「誰の?」
「分かんない」
短い受け答えをするクロトとルーイット。その二人の間に挟まれ居心地悪そうな表情を見せるセラは、小さくため息を吐き両肩を大きく落とす。その行動でクロトとルーイットも気付いたのか二人して静かに謝った。