第76話 強い心
砂浜の小さな小屋。
レベッカを連れてやってきたセラの話を静かに聞いていたクロトとルーイットだったが、そんな静けさを破る様に小屋の戸が開かれ、ケルベロスの声が響く。
「今すぐ! ここから離れるぞ!」
その声の具合から急を要するのだと皆が理解する。僅かに痛む傷口を左手で押さえながら立ち上がるクロト。そんなクロトへと肩を貸すルーイット。気を失うレベッカを抱きかかえるセラ。そして、戸の前に立つケルベロスは険しい表情を見せ、叫ぶ。
「急げ!」
急かすケルベロスの声に三人は慌てて小屋を後にした。
それから、数分後。小屋は消し飛んだ。一人の男によって。激しい爆音と大量の砂が舞い上がり、その一帯は大きく抉れた。まるで何かが落っこちた様に。
レベッカをケルベロスが背負い、先頭を走る。後に続くのはクロト、セラ、ルーイット。痛みを伴いながらも必死に走るクロトは、爆音を聞いた。それは小屋が消し飛ぶ瞬間の音だった。
バレリア大陸は森や山岳地帯が少ない。その為、クロト達は何処までも広がる砂浜を駆ける。普段砂浜など走った事の無いクロト達にはとてもキツイ事だった。足跡を残さない為にわざと波打ち際を走り、岸辺の岩陰に身を潜める。
不慣れな土地の為、夜に動くのは危険だとケルベロスが判断した。クロトの傷の事もあるし、セラとルーイットの二人に波打ち際を走らせ続けるのは体力的に問題があるそう考えたのだ。
呼吸を乱すセラとルーイット。やはり不慣れな砂浜を走った影響か、相当息を切らせていた。クロトもまだ右脇腹が痛み、表情を歪め岩へと背中を預け座り込んでいる。
「一体、何があったんだ?」
苦しそうに表情を歪めるクロトが、辺りを警戒するケルベロスへと問い掛ける。息を僅かに切らせ肩を上下させ、ゆっくりと腰を落としたケルベロスは険しい表情をクロトの方に向け、額の汗を拭う。
ケルベロスがあんなに汗を滲ませる所を見ると、相当やばい事が起きているのだと理解する。そんな中で、セラだけが落ち着かない様子で寝かされたレベッカの頭を撫で不安そうな顔をケルベロスへと向けた。二人の視線が交錯し、セラの唇が僅かに開く。だが、声を発するよりも先にケルベロスが告げる。
「ロズヴェルは呪いの影響でああなっただけだ。呪いを解けば元に戻る」
「そ、そうなんだ……」
安堵するセラが口元へと僅かな笑みを浮かべる。ロズヴェルがレベッカに手を上げるなんて考えられなかった為、安心した。呪いの所為だったと分かり。
呼吸を乱すルーイットはその紺色の髪を揺らし空を見上げていた。大きく口を開き胸を上下させる。流石にここまで全力疾走した為、息は上がっていた。運動が出来ないルーイットにとっては辛い距離だった様だ。
一方、クロトは一人苦笑していた。自分の問いを完全に無視したケルベロスに対し、ジト目を向けクロトは右手で頬を掻き、静かに鼻から息を吐く。
「それで、何があったんだ?」
静まり返り、もう一度クロトが問うと、ケルベロスは眉間にシワを寄せ静かに答える。
「さっき話してた神父が暴れてたんだ。ここに来る時に起きてた爆発も多分、アイツの仕業だ」
「え、えっと……もしかして、それがさっき言ってた呪いと何か関係があるのか?」
先程の爆発を思い出しクロトが静かにそう尋ねると、ケルベロスは小さく頷く。
「俺もまさか呪われていると思わなかったけどな」
「でも、一体、どんな呪いだったのかな?」
セラが不思議そうに尋ねる。呪いにも色々と種類がある。相手を縛るモノ、相手の自我を奪うモノ、命を奪うモノ。様々な種類があるが、そのリスクもある。もちろん、失敗すればその呪いが自分に返って来ると言うモノだ。その為、呪いの類を使う者は少なく、ケルベロスも呪いを受けた者を見るのは初めてだった。
呪いについての本は読んだ事があるが、それでもそれがどんな呪いなのかを判別する事は難しく、ケルベロスが見た時に感じたのは自我を奪い破壊衝動に襲われる。基本的な呪いの一種だが、ケルベロスは僅かな違和感を感じていた。本当に、この呪いをロズヴェルが受けていたのかと。
「何か気になる事があるのか?」
渋い表情を浮かべるケルベロスに、クロトが静かに尋ねる。セラの質問にいつまでも押し黙っているケルベロスに違和感を感じたのだ。そんなクロトの言葉にケルベロスは小さく首を左右に振る。
「いや。何でも無い」
「本当か?」
「ああ。それより、朝まで休もう」
「そうだな」
ケルベロスの静かな言葉に、クロトも静かに答え瞼を閉じた。
静かな波の音を聞き、皆はゆっくりと眠りに就き、翌朝、日の出と共に動き出す。
目を覚ましたレベッカは周りを取り囲む魔族におびえ、その集団の中で唯一顔を知っているセラの背中へと隠れ、クロト、ケルベロス、ルーイットの順に顔を見据える。
黒髪を揺らすクロトとケルベロス。二人は対照的な表情を見せていた。優しく微笑むクロト。怒りの様なモノを滲ませ、面倒臭そうなケルベロス。そんなケルベロスに頬を膨らせるセラは、程よく膨らんだ胸を張る。
「もうっ! レベッカちゃんが怖がるでしょ! もっと笑顔で!」
「いや……コイツの笑顔はもっと怖がるでしょ?」
セラの言葉に対し、瞬時にルーイットがそう告げると、「そっか」とセラは笑顔でルーイットの方へと体を向け、二人で手を取り笑いあっていた。その光景にクロトも「確かにそうだ」と思ったが口にはしなかった。女性であるルーイットの言葉に対し、ケルベロスの額には薄らと青筋が浮かんでいるのを見たからだ。多分、クロトが言ったらぶっ飛ばされていただろう。
怯えるレベッカは金色の髪を揺らし、体を小刻みに震わせる。恐怖を感じている様子だった。そんなレベッカへとルーイットは右手を差し伸べ、笑顔で自己紹介する。
「私はルーイット。獣魔族よ」
紺色の髪から覗く獣耳をパタパタと動かすと、レベッカは興味津々にその耳を見据える。初めて獣魔族を見たのだろう。目を輝かせる。その眼差しに気を良くしたのか、ルーイットは更に耳をパタパタと動かしていた。嬉しそうなルーイットへと目を向けるクロトは右脇腹を押さえながら笑う。
そんな中で明らかに不機嫌そうな表情を浮かべるケルベロスは右手で頭を抱え、静かに告げる。
「とりあえず、何処か身を隠せる場所に行くぞ。陽のある内はここは目立つ」
「何処かって言われても……」
クロトがそう呟き辺りを見回す。見えるのは海。そして、その背中に広がるのは砂浜。確かに陽がある内は目立つ。だが、森や山岳地帯の少ないバレリア大陸で果たして身を隠せる所があるだろうかと、クロトは考えていた。
もちろん、クロトの抱いた疑問はケルベロスも考えていた。おそらく、土地勘の無い状況では探せないだろう。だが、今はレベッカが居る。この大陸で生まれ育ったレベッカが。だから、ケルベロスはレベッカを強い眼差しで見据え、静かに口を開く。
「お前なら知ってるだろ? 隠れられる場所を」
「あぅぅっ……」
ルーイットの耳を見て目を輝かせていたレベッカはケルベロスの鋭い眼差しに怯える様にセラの背中に身を隠す。その行動にケルベロスは眉間に深いシワを寄せ、セラとルーイットはムッとした表情をケルベロスに向けた。
「ケルベロス!」
「あんたねぇ……」
二人がほぼ同時にそう言うと、ケルベロスは不快そうな表情を浮かべる。
セラとルーイットの二人はレベッカを落ち着かせ、レベッカの顔に笑みが戻った。全くわけが分からんと腕を組み深いため息を吐くケルベロスに、クロトはくくくっと、声を殺して笑う。それでも腹部の傷が痛み左手で右脇腹を押さえ蹲った。
「何してるんだ? 貴様は」
「イチチッ……ちょっと傷が痛むだけだよ」
「別に心配はしてない」
不貞腐れた様にそう言うケルベロスに、クロトは腹部を押さえたまままた「くくくっ」と声を押し殺して笑った。口調は乱暴だがこれで心配しているのだとクロトは分かったのだ。
暫く談笑していたセラとルーイットとレベッカの三人。レベッカにクロトとケルベロスの事を必死に説明し、レベッカもそれに納得する。
「え、えっと……それじゃあ、私の育った村なら……」
レベッカが静かにそう言う。その瞬間、ケルベロスは表情が険しくなり、眉間にシワを寄せ問う。
「大丈夫なのか?」
「えっ? あっ……はい」
ケルベロスの言葉の意味を理解していているのだろう。少しだけ沈んだ表情で俯く。
ロズヴェルから聞いた話から、彼女の言うその育った村は――すでに廃墟。確かに隠れるには最適な場所だろうが、彼女にとっては辛い場所。そんな所に案内させるのはケルベロスとしても申し訳なく思う。
だが、レベッカはそんなケルベロスへと満面の笑みを浮かべると、「私は大丈夫です」と明るくそう言う。その言葉にケルベロスは思う。彼女はとても強い人間なのだと。だから、ケルベロスは小さく頷き、「じゃあ、そこへ案内してくれ」と静かに告げた。