第74話 魔族に育てられた人間
夜も深まり、セラは教会の奥にあるレベッカの部屋に泊めてもらっていた。
こんな遅くから女の子を外に出て行かすわけには行かないと、ロズヴェルに引きとめられたのだ。狭い一室だが、それでもベッドは詰めればセラとレベッカの二人が寝る事が出来、二人は並んでベッドに横になっていた。
並んで天井を見上げるセラとレベッカ。静かな一室に流れる窓ガラスが揺れる音。その音を聞きながら、セラは隣で眠るレベッカへと静かに尋ねる。
「レベッカは、私の事怖い?」
「えっ? どうしてですか?」
突然の言葉に、ゆっくりとセラの方へと顔を向ける。天井を見上げたまま、少しだけ悲しげな表情を浮かべるセラは伏せ目がちに口を開く。
「私は魔族だから……その……」
レベッカはセラの横顔へと視線を向け、その尖った耳に少しだけ悲しげな表情を浮かべると、小さく頭を振った。シーツが擦れる音が聞こえ、やがてレベッカの静かで綺麗な声が聞こえる。
「私は全然。この教会では人間と魔族の平和を願う場所ですから」
静かに述べるレベッカは瞼を閉じ、口元へと薄らと笑みを浮かべる。
僅かな静寂が流れ、セラは小さく頷き「ごめんね。変な事聞いて」と謝った。その言葉にもう一度シーツが擦れる音が聞こえ、レベッカは鼻から息を吐き答える。
「いえ。私は、この国の人達は間違っていると思ってますから。
人間も魔族も、きっと一緒に手を取り合って生きていけると信じてます」
力強くそう言うレベッカ。その淡いブルーの瞳が薄らと潤む。思い出していた。幼い頃の事を。
滲んだ視界を塞ぐ様にゆっくりと瞼を閉じたレベッカは、鼻を啜りセラへと告げる。
「私は、この国で魔族によって育てられました」
静かに淡々と震える声で告げるレベッカの言葉に、セラは耳を傾け、その手を優しく握った。
レベッカはこの大陸の今は無き小さな村で生まれた。その村は小さいながらも皆で協力し何不自由なく暮らしていた。そんなある日、一人の傷付いた青年がその村へと訪れた。尖った耳、褐色の肌からすぐに彼が魔人族だと村人達は気付いたが、それでも傷付いた青年を見捨てる事が出来ず、村の人達はそんな青年を受け入れ傷を治療した。
だが、それが悪かった。その事を国王に知られ、その村は――殲滅された。見た事も無い大勢の人が――大勢の兵士が――その小さな村を焼き払う。魔族の青年は激昂した。自分が大人しく捕らわれれば、村の人達には何もしないと言う約束が守られなかった事に。
激昂した魔族の青年はその場に居た兵士達をなぎ払い、その村を襲っていた兵士達を皆殺しにした。何も残らないその村でただ一人生き残ったのはまだ赤ん坊だったレベッカだった。このレベッカと言う名前も、その魔族の青年が付けてくれた名前だった。
それから、八年。レベッカはその青年と廃墟となったその村で暮らしていた。二人きりで静かに平和に。だが、そんな時だった。その廃墟となった村に一人の兵士が現れたのは。傷付き弱りきったその兵士を、レベッカも魔族の青年も快く村へと迎え入れ、治療し食事を与えた。
しかし、事件はその日の夜に起こる。深夜の廃墟へと足を踏み入れる大勢の兵士。その兵士達は寝静まるレベッカと魔族の青年の家へと乗り込み、レベッカを人質にし魔族の青年を処刑したのだ。レベッカの目の前で。
当時八歳のレベッカにとってそれはとてもショックな事だった。暫く立ち直れず、その廃墟の村で一人きりで呆然と過ごしていた。食べる事も飲む事もせず、ただ呆然と。
それから数日が過ぎ、レベッカは出会う。この教会の神父であるロズヴェルと。彼は傷心する彼女へと優しく手を差し伸べ、この教会へと導いた。立ち直るまで時間は掛かったが、レベッカは元気を取り戻し、普通に生活出来るまでになった。それでも、昼間人目の多い外へ出る事は出来ず、ずっと教会に閉じこもっているのだ。
レベッカの話にセラは小さく鼻を啜る。思わず泣きそうになった。瞳を潤ませるセラを見据えるレベッカは小さく微笑む。
「昔の話ですから、あんまり気にしないでください」
「ぐすんっ……でも、レベッカって壮絶な人生を歩んでるんだね。私と同じ歳位なのに……」
肩を震わせるセラの言葉に、レベッカは「えっ?」と驚き上半身を起こす。その行動にセラもぐすんっと鼻を鳴らしながらゆっくりと上半身を起こした。パジャマ姿のレベッカは愛らしく金色の長い髪を耳へと掛け、小さく首を傾げセラの顔を見据える。
「アレ? セラさんって、十五歳ですか?」
「えっ? ううん。私、十七歳だよ?」
「わっ! セラさんの方が私より二つも年上です」
嬉しそうに胸の前で手を一度叩いたレベッカは愛らしく微笑むと、セラは驚いた表情でレベッカの顔を見つめる。
「えっ? ええっ? セラって、十五歳なの?」
「はい。私、十五歳です」
「あうぅっ……全然、私よりも大人っぽいよぉ……」
声を震わせそう言うセラに「そんな事無いですよぉー」とレベッカはセラの肩を優しく叩き嬉しそうに笑っていた。
静かな砂浜を歩む一つの足音。暗いその闇へと溶け込む様な黒衣に身を包んだ神父ロズヴェルは、クロト達の居る小屋へと向かっていた。
だが、小屋に辿り着く前に、ロズヴェルの前へとケルベロスが姿を見せる。黒い衣服に身を包んだケルベロスは、潮風に黒髪を揺らし物怖じしない静かな顔でロズヴェルを見据えていた。その姿を見つけたロズヴェルはゆっくりと足を止めると、メガネ越しにケルベロスを細い目で見据える。
「セラはどうした?」
「彼女でしたら、私の教会にいますよ」
静かに問い掛けたケルベロスに対し、静かに答えるロズヴェル。
静寂が場を支配し、潮の香りが漂う。目を細めるケルベロスに、ロズヴェルは口角を上げ微笑むと、静かに口を開く。
「知っていますか? この国には魔族に育てられた一人の少女がいるんですよ」
「それがどうした? 今は関係ない話だろ」
「そうですね……。
でも、ここがどう言う地であるかを知ってもらう為にも、あなたには聞いてもらいたいと」
笑顔を崩す事無く、ロズヴェルがそう述べると、ケルベロスは怪訝そうな表情を浮かべる。だが、それ以上何も言わず、渋い表情だけを見せていた。
「その少女を育てた魔族は、少女の目の前で処刑された。この国の兵士によって。
彼は何かしたわけでもなく、ただ少女と二人で静かに暮らしていただけなのに」
「…………」
何かを言うわけでもなく、ただ眉間へとシワを寄せるケルベロス。聞いた事はあった。この国では平然と魔族を処刑していると。握った拳を震わせるケルベロスへと、ロズヴェルは微笑む。
「私はその魔族に命を救われた。だから、彼の大切に育てた少女を、引き取り今まで育ててきました」
「…………」
眉間へとシワを寄せたケルベロスは、何か嫌な予感がしその顔をジッと見据える。ロズヴェルのその目に僅かに悲しみが宿った。冷たい夜風が二人の合間に吹き抜け、砂が舞う。
お互いに視線を交錯させ、ロズヴェルは静かに頭を下げる。
「何のマネだ」
突然、頭を下げたロズヴェルへと渋い表情を向けるケルベロス。その低く腹の底から吐き出されたケルベロスの言葉にロズヴェルは頭を下げたまま静かに口を開く。
「私は、彼女を幸せにする責任がある」
「なら、責任を取ればいい」
即答するケルベロスに、ロズヴェルは困った様に笑みを浮かべ顔を上げた。
「それが出来れば、よかったんですが……」
「どう言う事だ?」
「私は、一度、国を裏切りました。一人の少女を守る為に」
静かな口調のロズヴェルに、ケルベロスは怪訝そうな表情を浮かべる。その表情に、ロズヴェルは言い難そうに口を開く。
「私は、元々王国に仕える兵士でした。そして、私は多くの兵士を撲殺しました。
それが、七年程前の事ですが、私の事を嗅ぎつけた者がおり、追ってが二・三日で来るでしょう」
「それで、俺達にお前の引き取った少女を預けたいって事か?」
ケルベロスの言葉に、ロズヴェルは黙って小さく頷いた。何となくこう言う事になると思った。だから、ケルベロスは不快そうに小さくため息を吐くと、眉間へとシワを寄せ奥歯を噛み締める。そんなケルベロスに、ロズヴェルは真剣な表情を向けた。空気が一変し、漂う緊迫感。
ロズヴェルの放つ威圧感に、ケルベロスは一層不快な表情を見せる。それは、もう嫌だと言わせぬ空気だった。だが、その空気の中でもケルベロスは強い姿勢を崩す事無く睨みを利かせたまま、ゆっくりと口を開く。
「七年前の事で何で今更追ってが来るんだ?」
当然の疑問にロズヴェルの表情が僅かに引きつり、沈黙する。幾ら多くの兵士を撲殺したと言っても、七年も経って尚追ってを出すだろうか、いや、それ以前に七年も放って置くだろうかと、言う疑問から発せられたケルベロスの問い。その真意を悟りロズヴェルはメガネを外し、細い目を開きケルベロスへと向けた。
灰色の瞳がケルベロスを見据える。その瞳にケルベロスの表情は険しく変わった。
「分かっていただけましたか?」
静かに口を開き、メガネを掛け直したロズヴェルへ、ケルベロスは険しい表情のまま口を開く。
「呪い……か?」
「はい。私は呪いを受けてます」
「なら、追ってと言うのは……」
「彼女をあなたに預ける為の口実に過ぎません」
「…………いいのか? それで」
「はい。私は、罰を受けなければいけません」
悲しげな目を向けるロズヴェルに、ケルベロスは腕を組み静かに鼻から息を吐く。
灰色の瞳。それは呪いを受けた証だった。どんな呪いなのかは分からないが、その目を見ただけでのろわれていると分かる。それを隠す為に、彼は普段から細い目をしているのだとケルベロスは理解した。
七年。その呪いの恐怖に怯えていたのだろう。ロズヴェルの手は僅かに震えていた。そんな姿を見せられ、断れる程ケルベロスは冷酷な男ではなく、小さく舌打ちし静かに答えた。
「分かった。だが、ついて来るかは彼女に決めさせる」
「はい。それでは、彼女の事をよろしくお願いします」
渋い表情を浮かべるケルベロスに、ロズヴェルは深々と頭を下げた。その姿を見据えケルベロスは右手で頭を抱え、小さくため息を吐いた。また、厄介事に首を突っ込んでしまったと。