第7話 劫火の炎
「ねぇ、どうして、私が部屋に入って来たの、分かったの? やっぱり、気配を感じたとか?」
薄暗い廊下を歩いていると、思い出した様にセラが尋ねた。
ランプを右手に持ち、困ったように頭を掻くクロトは、左斜め後ろにいるセラに目を向ける。期待に満ち溢れたその眼差しに、クロトは小さく息を吐く。
実の所、アレはたまたまだった。寒くて目を覚ました時に、ドアが軋む音が聞こえ、寝たふりをしていた。それだけの事だった。
とは言え、あんな期待に満ち溢れた目を向けられると、本当の事を言い出しにくかった。
とりあえず、その場を笑って誤魔化すと、セラは小首を傾げる。
「ねぇ、笑ってないで教えてよ」
「まぁ、それは、ね。それより、何処に行くんだ?」
誤魔化す様にそう尋ねると、セラは廊下の先を指差し、
「突き当たりを右に曲がったら、裏口があるから、そこから外に出る」
「裏口って……なんで正面から出ないんだよ?」
「馬鹿ねぇ。見張りがいるからに決まってるでしょ? それに、見回りだって、居るんだから静かにしなさいよ」
呆れた様子のセラに、クロトは「悪かったな」と小声でぼやきながら突き当たりを右へ曲がる。暫く行くと、裏口の扉が見え、セラが駆け足でその扉へと近付いていく。
「ほらほら、私の言った通りでしょ?」
と、セラが扉を開くと、その向こうに二人組みの兵士が立っていた。
「……」
「…………」
数秒の沈黙の後、セラがゆっくりと扉を閉じ、クロトの方へと振り返る。と、同時に扉の向こうで兵士の叫び声が聞こえた。
「ひ、姫様!」
「また、城を抜け出す気ですか!」
ドアノブがガチャガチャと音をたて、扉が激しく叩かれる。だが、セラは気にせずクロトの方へと歩み寄りながら、
「あっれぇー? おかしいな? この時間、こんな所に兵士は居ないはずなんだけど?」
「あ、あのなぁ……てか、アレ、大丈夫なのか?」
クロトが扉の方を指差すと、セラは腕を組んだまま、
「大丈夫。鍵は掛けて置いたから」
「いや、そう言う事じゃなくてだなぁ……」
困った様に頬を掻くクロトだったが、セラはそんなクロトを無視してそのまま歩いて行ってしまった。仕方なく、その後を追う。暫くすると、別の扉が薄暗い廊下の先に見えた。
「今度は、あそこから出ようって言うんじゃ?」
「もちろんよ。まぁ、今度は大丈夫だから」
「……」
疑いの目を向けるクロトに、あははと、笑うセラ。全く持って説得力は無かったが、ため息を吐きながら、クロトはドアノブをひねった。
軋みながら扉が開く。兵士の姿は見当たらず、ほっと胸を撫で下ろすクロトの横をすり抜け、セラが外へ飛び出す。
「ほら、言った通りでしょ」
可愛らしくウィンクするセラに、「そうだな」と小さな声で返答した。肩を落とし目を細めたクロトは外へと出てゆっくりと扉を閉じた。外にはやはり見張りはおらず、静まり返っていた。
冷たい風に軽く身震いさせ、クロトはセラの方を見た。セラにとってこのくらいの寒さは当たり前なのか、全く顔色一つ変えず、周囲をキョロキョロと見回していた。そんなセラの行動に、クロトももう少し危機感を持とうと、周囲を警戒するが、全く人の気配を感じなかった。
「大丈夫そうだな」
「そうね。じゃあ、行きましょう」
そう言って歩き出そうとした時、突然衝撃と共にクロトとセラの間に蒼い炎が噴出し、壁を作った。
「うおっ」
「きゃっ!」
クロトはその熱に仰け反り後退り、セラは前のめりに倒れこんだ。
見た事のある蒼い炎に、クロトは表情を険しくし、セラも厳しい表情で周囲を見回す。
燃え上がる炎の音に隠れ、静かな足音が聞こえ、クロトが振り向く。僅かな月明かりに映し出される一つの影。クロトはそれが誰なのかすぐに分かった。
「ケルベロス! 何しやがる!」
その声に、ケルベロスは右手に蒼い炎を灯す。月明かりだけでは映せなかったケルベロスの表情が、その炎でハッキリと映し出され、鋭く赤い瞳がクロトに向けられていた。殺気に満ちたその眼差しにクロトは、右足を半歩下げたが、背中に感じる熱気で、その足を止めた。
あの炎は最初から逃げ場をなくす為の炎だったのだと、気付き「くっ」と声を漏らし表情をしかめる。
自分の状況に今更気付いたクロトに、ケルベロスはバカにした笑みを浮かべると、右手の炎を一層強く燃え上がらせながら、一歩前に出た。
「今頃、気付いたのか? 随分とのん気なもんだな。それで、よくここからセラ様を連れ出そうとしたな」
「ま、待って! ケルベロス! クロトは――」
セラが叫ぶが、ケルベロスはその言葉を聞かず、右手に灯した炎を拳に乗せ、
「蒼炎拳」
と、叫び拳を突き出した。右拳に纏った炎が、突き出すと同時に飛び出し、衝撃と共にクロトの体を襲った。吹き飛ばされ、背後にそびえた炎の壁を突き破り地面を転がる。その間もクロトを包む蒼い炎。その炎の熱に、クロトは言葉にならぬ声を発しながらのたうち回る。
「うがああああっ! うううっ! ああっ!」
「く、クロト!」
駆け寄ろうとするセラだが、クロトを包む炎の勢いに近付く事が出来なかった。
「ケルベロス! 今すぐ炎を消して!」
「それは出来ない。幾ら、セラ様の命令でも。コイツはあなたを連れ出そうとした。それだけで重罪だ」
呻き、苦しむクロトを蔑む様な目で見据えるケルベロスに、セラは涙を浮かべ怒鳴った。
「違うの! 彼が私を連れ出そうとしたんじゃない! 私が、彼に頼んだの! だから、彼は悪くないの!」
「理由はどうあれ、奴がセラ様をここから連れ出そうとした事に変わりは無い。それに、この程度で死ぬ様な奴に、セラ様を守る資格は無い」
と、ケルベロスは背を向けその場を立ち去ろうとした。だが、その瞬間、背後から漂う異様な空気に振り返る。横たわるクロトの体を包む炎が、いつしか赤黒く変化し、うめき声もやがて消え、クロトの静かな呼吸が聞こえてきた。
「こ、これは……」
驚きの声を上げるケルベロスに、セラも右手で涙を拭き笑みを浮かべる。
「クロト!」
セラが叫ぶと、クロトがゆっくりと体を起こした。
炎に包まれているはずなのに、体にその熱が伝わってこない。自分がおかしくなったのか、と自らを疑う。それに、ケルベロスの放った炎は確かに蒼かったはずなのに、何故赤黒く変化してしまったのかと、疑問を抱いた。
「どう……なってるんだ?」
自らの身に起きた異変に戸惑うクロトに、セラは嬉しそうに笑みを浮かべたまま、
「それは、劫火の炎。全てを焼き尽くす炎で、クロトはその使い手に選ばれたんだよ!」
「な、何で、こんな奴に!」
鼻筋にシワを寄せ、怒りをあらわにするケルベロスが、もう一度右手に蒼い炎を灯した。先程よりも更に火力を上げ、轟々と燃え上がるその炎を圧縮し拳へと乗せる。
「蒼炎拳!」
拳を突き出すと、蒼い炎が弾丸の様に飛び出す。先程は全く目で追えなかったその炎が、今度はハッキリとクロトの目でも見えた。軌道も、その速度もハッキリと分かる。そして、赤黒い炎に包まれたその右手をかざす。
衝撃が手の平を直撃し、クロトの体が後方へとよろめく。だが、炎自体はクロトを覆う劫火の炎がすべて相殺していた。驚くクロトだが、それ以上にケルベロスは驚き、怒りににじんだ形相でクロトを睨んでいた。