第69話 出航!!
クロトとミィの二人は港へと戻って来ると、妙な騒ぎが起きていた。
黒服に身を包み鉄の胸当てをした兵士達が慌ただしく往来し、一般客がゾロゾロとその場に集まっていたのだ。何が起こったのか分からず、その人込みの前で立ち往生するクロトとミィは、困った様子でその人だかりを見据えていた。
「困ったなぁ……」
右手で頭を掻き、目を細めるクロト。ここを抜けないと港には入れず、パルの船まで戻れない。その為、人を掻き分けて進まなければいけないが、小柄なミィは流石にあの人込みを進めないだろうと踏んでいた。
何にしろ、このままここで立ち止まっているわけにも行かない為、クロトは小さく息を吐くとミィへと乾いた笑みを浮かべる。
「とりあえず、別の道を探すか?」
「そうッスね。でも、何があったんスかね?」
小さく頷き返答するミィが当然の疑問を口にする。クロトも気になっていた。一体、何があったのか。あの黒服に鉄の胸当てをした兵士は、このノーブルーの警備兵だ。その警備兵が慌ただしく動き回っている事から、何か重大な事件が起こったと言う事は分かる。
そして、クロトの脳裏には一つの嫌な予感が過ぎっていた。その予感に表情を引きつらせるクロトは、大きくため息を吐くと、両肩を落とし軽く頭を振る。その嫌な予感を払拭する様に。
妙な行動をするクロトの顔を見上げミィは訝しげな表情を浮かべる。ただ、ミィもクロトと同じく嫌な予感を感じていた。警備兵の動きから、港に集結しているのは分かる。もし、兵士達が海賊であるパルの事に気付いて集まっているとしたら……。そう考えると自然と焦りが生まれる。それでも、平静を装う。
「とにかく、早く船に戻る道を探すッス」
「だな」
ミィの言葉に短く返事をしたクロトは、ズボンのポケットに右手を突っ込み鼻から息を吐き、歩き出す。ミィもそれに続く。視線は人込みの方に向けながら。
静かに足を進める二人。何処も人で溢れており、とても港へと辿り着けそうになかった。完全に立ち往生し、困り果てる二人は人込みの最後尾で腕を組み考え込んでいた。この人込みをどう乗り越えるか、唸り声を上げるクロトに対し、ミィは一人の人物を発見し、クロトのシャツの裾を引く。
「クロト、クロト」
「んっ? どうした?」
裾を引き名前を呼ぶミィへと腕を組んだまま顔を向けると、ミィは右手で一人の男を指差す。
「アレ……」
ミィの指差す先へと視線を向ける。そこには褐色の肌に黒髪を揺らすケルベロスの姿があった。腕を組み、相変わらずの威圧的な鋭い眼差しを人込みへと向け、迷惑そうな顔をしている。そのケルベロスの姿に、クロトは安心した様な表情を浮かべ、ホッと胸を撫で下ろす。クロトの脳裏に浮かんだ悪い予感と言うのは、実はケルベロスが暴れて警備兵が集まっていると言うモノだった。
その為、ケルベロスの姿を見て本当に安心していた。ただ、ケルベロスを怒らせて以来話すらしていなかった為、声を掛けるのをためらっていた。
「どうしたんスか?」
「んっ? い、いや……ちょっと……」
苦笑するクロトは、複雑そうな表情でケルベロスを見据える。そんなクロトへとジト目を向けるミィは小さくため息を吐くとトコトコとケルベロスへと歩みを進めた。ミィのその行動にクロトは慌てふためくと、うろたえオロオロとし始める。
しかし、ミィは待ってはくれず、ケルベロスの方へと近付くと幼さの残る声を掛ける。
「ケルベロス」
と。その声にケルベロスは不快そうな表情を向けると、すぐにクロトの存在にも気付き小さく息を吐いた。
「何してるんだ? こんな所で?」
「実はッスね。人が邪魔で船に戻れないんスよ」
「そうか……。しかし、一体、何があったんだ?」
腕を組み相変わらず不満そうな表情を浮かべるケルベロスの問い掛けにミィは肩を竦め、クロトは苦笑いしながら歩み寄る。とりあえず、何か話さなくてはと、頭を働かせるクロトはその脳裏に浮かんだ事を思わず口にする。
「い、いやー。俺は、ケルベロスが暴れて騒ぎになってるのかと思っちゃったよ」
笑いながら頭を掻くクロトに、殺気を帯びたケルベロスの眼差しが向けられ、握り締めた拳を自分の顔の前で構えると、静かに告げる。
「望みなら、叶えてやろうか?」
低く、明らかに怒気の篭った声に、クロトは引きつった笑みのまま「い、いえ……結構です」と、僅かに震えた声で答え俯く。
と、その時だった。突如として轟く号砲。それが、合図だった様に悲鳴をあげ動き出す集まった民衆。逃げ惑い、その人の波がクロト達三人を呑み込む。
「な、何だ!」
驚きの声を上げるケルベロスは表情を歪め、港の方へと視線を向ける。激しく上る水柱。砲撃が行われたと言う事は理解した。
「ミィ!」
人波に揉まれながら、クロトはミィの腕を慌てて掴む。この人込みに小柄のミィが呑み込まれると大変だとクロトはそのままミィの体を自分の方へと引き寄せ、ケルベロスの方へと顔を向ける。飛び交う悲鳴と足音に表情を歪め、ケルベロスへと叫ぶ。
「何があった?」
だが、その声は悲鳴と足音にかき消され、ケルベロスまで届いていなかった。その為、クロトは自分の胸の前へと引き寄せたミィへと視線を落とし静かに声を掛ける。
「大丈夫か?」
「大丈夫ッス。そ、それより、さっきの砲撃は何スか?」
怯えた様な表情を見せるミィに、クロトは首を振り「分からない」と答え、立ち上る水柱を見据えていた。水柱は大きな滴を降り注がせ、やがて消える。相変わらず人波は酷く、クロトは背を向けたままゆっくりとケルベロスの方へと足を進めた。
距離が近くなり、クロトはもう一度ケルベロスへと叫ぶ。
「ケルベロス!」
その声に、ケルベロスはクロトの方へと顔を向ける。今度は聞こえた様で、ケルベロスは眉間へとシワを寄せ叫ぶ。
「今の内に船に戻るぞ!」
「あ、ああ。でも、こう人の流れが速いと……」
表情を歪めるクロトに、ケルベロスも同じく表情を歪める。確かにこの状態で前に進むのは危険だった。だが、その危険を冒してでも前に進まなければならないと、二人共分かっていた。その為、クロトはゆっくりと、ミィへと視線を向けると優しく微笑む。
「このまま前に進むけど、安心して。俺が、ちゃんと壁になるから」
優しい口調でそう告げるクロトだが、その表情は険しかった。先程から何度か、その右脇腹に人の肘や腕が当たり、傷が激しく痛んでいたのだ。体に巻かれた包帯には血が滲み、奥歯を噛み締めるクロトはそれをミィに気取られない様ただひたすら平静を装い笑みを浮かべていた。
額に滲む大量の汗に、ミィはクロトの異常を察知していたが、何も聞けない。自分の為に体を張るクロトに聞けるわけが無かった。
ゆっくりと進むクロトに対し、ケルベロスは人を掻き分け素早く足を進める。
やがて二人は人込みを抜け、港へと辿り着く。その頃には港に集まっていた人の姿は無く、黒服に胸当てをした警備兵だけが残っていた。そして、海の向こうに数隻の船があるのが見えた。ドクロを囲う様に二本の剣が描かれた旗を掲げた船が。
息を切らせるクロトは、膝に手を置きその艦隊を目を細め見据え、ケルベロスは険しい表情を浮かべる。間違いなく海賊だと分かった。しかも、パルの海賊と違う多数の船を持つ海賊。戦力もその数も圧倒的なその海賊一味に警備兵もただただ圧倒されていた。
「アレは……漆黒の牙ッス!」
海に浮かぶその艦隊の海賊旗を見て、ミィが叫ぶ。ミィは覚えていた。この大陸を出る時に乗った船を襲ったその海賊一味の旗を。その時の恐怖がよみがえり震えるミィの肩を優しく掴んだクロトは、荒い呼吸で静かに口を開く。
「安心しろ。今回は俺達も居るし、何より、パルがいるじゃないか」
ミィが海賊に襲われたと言う事をクロトは覚えていた。そして、あの海賊がミィの乗った船を襲った海賊なのだとその様子で気付いた。だから、そう励まし、元気付ける。今回は前回とは違うと。
そのクロトの優しさにミィは「そうッスね」と笑みを浮かべる。それでも、体の震えは止まらない。それだけ、深く記憶に焼き付いているのだろう。
とりあえず、パルの船へと戻ると、すでに整備は終わり、出航出来るだけの準備が済ませてあった。
「遅いぞ! お前ら!」
船に乗るなり、パルの怒声が響き慌ただしく甲板を船員達が走り回っていた。クロトは謝ろうとするが、パルはそんな状態ではないらしく、船員達へと檄を飛ばす。
「出航の準備だ! 今すぐ、出るぞ!」
「ですが、奴らが入り口を塞いでますが?」
「正面から突破する! これ以上、付き合ってられるか!」
パルが怒声を響かせると同時に、前方に浮かぶ艦隊から野太い声が轟く。
「海賊女帝、パル! そろそろ、俺の女になる気になったか!」
その野太い声にパルは表情を歪め、クロトは唖然とし右肩を僅かに落としてパルへと視線を向ける。この台詞と似た様な台詞を以前にも聞いた気がした。引きつった笑みを浮かべていると、パルと視線が合う。その目が絶対にウォーレンの事は言うな、と言う目をしていた為、クロトは目を細め視線をそらした。
「どうかしたんスか?」
「い、いや。別に……」
クロトの異変に気付いたミィが不思議そうな表情を向け、クロトは引きつった笑みを返した。怪訝そうに首を傾げるミィが更に問おうとすると、パルの怒声が響く。
「ミィ! お前は部屋に言ってろ! ここは戦場になる!」
「わ、分かってるッス。で、でも……」
ミィは不安そうにクロトへと視線を向けるが、すぐにパルが「早くしろ!」と怒鳴り、渋々部屋へと入っていった。それと同時に船は静かに動き出す。緩やかな船の揺れに、クロトが両足でバランスをとっていると、そこにパルが歩み寄る。
威圧的な眼差しを向け、海賊ハットの下から覗くパルの黒髪が潮風に揺れ、相変わらずの露出の激しい衣装で堂々とクロトとケルベロスの前で足を止める。
「お前達にも手伝ってもらうぞ?」
「俺は構わんが、コイツは戦力外だと思うがな」
ケルベロスが、激しくクロトを睨む。まだあの手合わせの事を怒っているのだと、クロトは一人表情を強張らせる。何があったのかパルは分からない為、首を傾げた後に軽く首を振る。
「いいや。戦力外だろうが無かろうが、クロトにも手伝ってもらう」
「そんなに強いのか?」
「見ての通りだ」
パルがケルベロスへとそう返答した。
見ての通り。それだけで、全ての意味が分かる。戦力差、砲台の数、そして何より、副船長が居ないと言う事が一番大きな差だった。だが、そんな不利な状況の中で一つの救いが空から現れる。大きな漆黒の飛行艇。それが、ゆっくりと艦隊に向かって進んでいた。
「アレは……盗賊ギルドのジェス? 一体、何のマネだ?」
疑問を抱くパルだったが、その視線の先にもう一隻港から出航し始めた船を発見し、理解する。
「そう言う事か……」
「どう言う事?」
笑みを浮かべるパルに、クロトは首を傾げ、もう一隻の出航した船を見据える。ケルベロスもある程度の予測がついたのか、僅かにだが安心したように吐息を漏らし、肩の力を抜く。
「どうやら、俺達の手伝いは必要なさそうだな」
小声で呟くケルベロスに、クロトは更にわけが分からなくなり、首を傾げる。
「な、何? どう言う事?」
「どうやら、盗賊ジェスの船もここに居たらしい。コレは強い味方だ」
「そうなのか?」
「ああ。小さいギルドだがその戦力はこの大陸でも相当のモノだからな。幾らアイツでもこの二組を相手にするのは難しいだろうな」
勝機を見出したパルは笑みを浮かべ、船員達へと声を張り上げる。
「戦闘準備だ! 砲台へ砲弾をつめろ!」
「アイアイサー!」
船員達が慌ただしく砲弾を砲台へと詰める。そして、次々と砲弾を放つ。漆黒の牙と呼ばれる海賊団に向かって。轟々しい爆音が轟き、無数の水柱が上がる。それに遅れて、上空から無数の爆雷が降り注ぎ、固まって停泊していた艦隊に次々と直撃し、激しい爆発が置き炎が吹き上がる。
激しい爆雷攻撃に、漆黒の牙の船員達は騒然となった。
「くっそ! 盗賊ジェス!」
野太い声が響き渡る中、パルの船はその艦隊の横をすり抜ける。その際、大柄の明らかに他の船員とは違う圧倒的に海賊だと言う風貌を漂わせる一人の男とクロトは目があった。それが、その海賊団の船長だとクロトは認識し、息を呑む。すると、その男は鼻筋にシワを寄せ叫ぶ。
「女帝! パル! 俺は諦めねぇー! テメェーを必ず、俺の女にしてやる!」
叫び声が響く中、クロトは隣に佇み疲れた表情を見せるパルに視線を向け苦笑する。いつの間にかケルベロスは居なくなっており、ケルベロスがいない事を確認した上でクロトは静かに告げる。
「パルって、モテるん――うぐっ!」
だが、全てを言い終える前に、パルの右肘がクロトの腹へと突き刺さり、クロトは腹を押さえてその場に蹲った。どうやら地雷を踏んだ様だった。額に青筋を浮かべるパルは蹲るクロトへと鋭い眼差しを向け「言うなと忠告しただろ」と静かに言い放ち、クロトは蹲ったまま「す、すみばぜん……」と、くぐもった声で答えた。