第65話 魔力と精神力
船はゆっくりと進む。
波に揺られ、潮風に吹かれ。ゆっくりと静かに。
あれから数日が過ぎた。相変わらず、穏やかな航海が続く。
甲板では露出の激しい服装でパルが射撃の訓練をしていた。それを離れた場所から見守るのはセラとルーイット、ミィの三人。多少ながら苛立ちを見せるパルは、十数メートル先に置かれた缶を狙い引き金を引く。何度も何度も。魔力を込めては引き金を引く。弾丸が缶を弾き、弾かれた缶をまた弾丸が弾く。空中で何度も跳ね上がる缶を見上げ、「おおーっ!」と感嘆の声を上げるセラとルーイットは拍手を送る。
そんな二人と裏腹にジト目を向けるミィは苦笑し、呟く。
「ありゃ? パルにしては大分荒れてるッスね」
「ふぇっ? 荒れてるの?」
ミィの隣にいたセラが不思議そうに問い掛けると、ミィが呆れた様にため息を吐き、朱色の髪の毛先を指先で弄る。長い付き合いからだろうか、パルが何となく苛立っているのが分かったのだ。
全くそんな風には見えないセラとルーイットは顔を見合わせ首をかしげ、訝しげにパルの銃捌きを見据える。
次々とホルダーから銃を出しては射撃するパルのその真剣な顔。それは女のセラとルーイットから見てもカッコいいモノだった。海賊ハットの下から覗く美しい黒髪が激しく揺れ、ショートパンツから伸びる足は細くしなやか。スタイルも良く強い女性であるパルに憧れの眼差しを向ける二人を横目に、ミィは一人苦笑していた。
静まり返る部屋の中で、一人精神統一を行うケルベロス。胡坐を掻き丸椅子に座り、膝の上に置かれた手の指先から蒼い炎が静かに燃える。魔力の制御と集中力を高めるケルベロスなりの訓練だった。
そんな静かな部屋のドアをノックする音が響き、ケルベロスは閉じてた瞼をゆっくりと開く。指先の蒼い炎が僅かに揺れ、遅れてクロトの声がドアの向こうから聞こえた。
「ちょっといいか?」
その声にケルベロスは少しだけ間を空け、答える。
「ああ」
と、静かに。何となくだが、そろそろクロトが来る気がしていた為、ケルベロスは落ち着いた様子で息を吐きクロトを招き入れる。
その声にドアが軋み開かれ、クロトが静かな足取りで部屋へと入る。
「精神統一してたのか。悪いな」
「いや。いい。丁度、区切りがいい」
「そっか」
安心した様に笑みを浮かべるクロトにケルベロスは相変わらずの鋭い眼差しを向ける。その目に威嚇され、クロトの笑みが引きつるが、ケルベロスは気にせず口を開く。
「それで、何の用だ?」
「ああ。ちょっとさ、聞きたい事があって」
「聞きたい事? 何だ?」
「技について聞きたいんだけど?」
クロトの突然の言葉にケルベロスは表情をしかめ、やがて静かに息を吐く。呆れた様なそのケルベロスの眼差しに、クロトの笑顔が更に引きつる。暫しの沈黙が続き、ケルベロスは深くため息を吐き腕を組み答える。
「そうだったな……お前、異世界から来たんだったな。普通に技を出してるから、気にしてなかったが……」
小さな吐息を漏らし、頭を掻くケルベロスは右手に蒼い炎を灯す。蒼い炎が美しくその手の中で揺らぐ。
「コレは、蒼炎。魔力を消費し、手に魔界の炎を灯す。そして――」
と、ケルベロスは灯した炎を握り締め拳を作ると、蒼い炎がその拳を包み込む。そして、その拳を顔の横に構え静かに告げる。
「こうやって拳に乗せ相手に打ち込んだり、放ったりするのが、蒼炎拳だ」
「へぇーっ。蒼炎拳と炎を灯したまま殴るのとどう違うんだ?」
「試してみるか?」
ムッとした表情でそう告げるケルベロスに、クロトは両手を胸の前に出し、
「いえ。口で説明して頂ければ……」
と、クロトは引きつった笑みで答えた。その答えに残念そうな表情を浮かべたケルベロスは「そうか」と呟き、手に灯した炎を消し複雑そうな表情を浮かべた。
「まぁ、簡単に言うと、蒼炎は手の平に灯す技だ。拳に灯した時点でそれは蒼炎拳となる」
「じゃあ、基本的にケルベロスは蒼炎拳しか使えないのか?」
クロトが何気なくそう尋ねると、ケルベロスの怒りに滲んだ眼差しがクロトへと向けられる。これは、まずい事を聞いたと表情をゆがめたクロトは、目を細めた。嫌な間が空き、ケルベロスは静かに息を吐き答える。
「別に使えないわけじゃないが、蒼炎拳は使い勝手がいいからな。お前も、業火を多用するだろ?」
「うーん……俺の場合はそれしか使えないから……」
「剣術の基本技も使えないのか?」
「剣術の基本? 一刀両断とか?」
クロトはこの前ウォーレンから教わった技の名前を呟くと、ケルベロスは「何だ知ってるのか」と驚いた表情を見せた。
苦笑するクロトは、「ちょっとな」と右手で頭を掻く。流石にウォーレンから教わったのだとは言えなかった。いや、そもそも、ミラージュ城でそんなイザコザがあったなどと口が裂けても言えなかった。言ったら何を言われるか分かったもんじゃないからだ。
眉間にシワを寄せため息を吐いたクロトが肩を落とすと、ケルベロスは訝しげな表情を向ける。
「どうかしたのか?」
「いや……特には……」
目を細めたままそう答えたクロトは、「あはは」と、静かに笑いふと思い出した事を尋ねる。
「そう言えば、魔力と精神力って違うのか?」
「はぁ? 今更何言ってるんだ?」
ジト目を向けるケルベロスが、呆れた様にそう呟く。何が何だか分からず首を傾げるクロトに対し、深いため息を吐いたケルベロスは、面倒臭そうな眼差しを向ける。
「精神力って言うのは魔族にとっての魔力みたいなモノだ。
まぁ、違いがあるとすれば、魔力は属性変化で、精神力は肉体強化と言う所だろう」
「えっ? でも、それじゃあ、魔力を持たない人間は属性変化は使えないって事か?」
驚くクロト。それはそうだ。クロトは戦った事がある。炎の剣術を扱う人間の女性を。だが、ケルベロスは落ち着いた様子で口を開く。
「いや。人間は精神力を魔力へと変換出来る。と、言ってもそれには変換する為の道具が必要となるがな。魔導士が使う杖とかがそうだろうな。」
「それって、剣とかでも大丈夫なのか?」
「そうだな。剣でも大丈夫だろうな。パルも銃を媒介に精神力を魔力に変換しているんだ」
「そうか……」
頷くクロトに対し、ケルベロスは腕を組むと過去を思い出す。
「俺の知る限り、体に直接魔法石を埋め込んだって言う例もあるな」
眉間にシワを寄せ、嫌なものを思い出したと表情を歪めるケルベロスに、クロトも表情を歪める。魔力を使う為だけに、自分の体に魔法石を埋め込むなんて考えただけで背筋が凍った。
クロトが何を考えているのか分かったのか、ケルベロスは怪訝そうな表情を浮かべる。
「人間の考える事は分からんな」
「そ、そうだな」
ケルベロスの言葉にクロトは引きつった笑みを浮かべた。流石にその意見に対してはクロトもケルベロスと同じ気持ちだった。
こうしてケルベロスと長く話すのは初めての事だった為、少しだけケルベロスの事が分かった様な気がした。そして、今までの怖い印象が少しだけだが和らいだ。相変わらず、目つきや態度は怖いが、それでもクロトはケルベロスの事を少しだけ理解でき、安心する。ケルベロスにもこう言う普通の人と同じ所があるんだと。