第64話 男と男の約束
クロトとウォーレンの戦いは終わった。
両者共に武器が壊れたと言う事で引き分けになったのだ。クロトの放った一刀両断。完璧でないにしろ、ハンマーの柄を折るほどの破壊力を持ち合わせていた。しかし、アレはいわば練習用のハンマー。それ故に強度が無く壊れやすかったのだろう。
戦いを終えてすぐ、ウォーレンはクロトへと笑顔で告げた。
「今回は諦める。だが、次はお互いのちゃんとした武器で勝負だ」
と。何とも諦めの悪いウォーレンにクロトは表情を引きつらせ笑い、パルの苦労を思い知らされる。それでも、クロトは悪い気はしなかった。彼とならもう一度戦いたいと言う気持ちがあったからだ。だから、差し出されたウォーレンの右手を握り返した。
その時、ウォーレンはクロトの右脇腹から血が滲んでいる事に気付く。
「お前、怪我してたのか?」
「えっ?」
クロトもそこで気付く。包帯に滲んでいた血がシャツにまで染み出ていた事に。ズキズキと激しい痛みは感じていたが、まさかここまで出血しているとは思っていなかった。とりあえず、この場を乗り切ろうと笑みを浮かべたクロトは、静かに答える。
「大丈夫。大した事……ないから」
「そ、そうか? でも――」
苦しそうな素振りすら見せないクロトに、ウォーレンは訝しげな表情を浮かべるが、すぐにいつも通りの態度で答える。
「分かった。お前が大丈夫って言うなら、大丈夫なんだろう」
と。
これで、ウォーレンは物分りがいい。多分、理解したのだろう。クロトがこの傷を隠していると言う事を。何故隠しているのかと、言う理由までは分かっていない様だったが、ウォーレンなりに解釈はしていた。
「しかし、流石、俺のライバル。パルの事を思って傷を隠して戦うなんて、見上げた根性だ!」
と、クロトの肩を左手で激しく叩く。
苦笑するクロトは、そんなウォーレンの顔を見据え何度も頷く。いつの間にかウォーレンのライバルにされていると、思いながら。そして、考える。この先ももしかするとずっとこう言う感じで絡んでくるんじゃないかと。そう思うと妙に憂鬱になるが、それを表情には出さずクロトは答える。
「とにかく、この事は誰にも言わないで欲しいんだけど……」
「分かってる。安心しろ! 男と男の約束だ!」
「何が男と男の約束なんだ?」
唐突にウォーレンの背後から響く、パルの綺麗な声に、ウォーレンは「ひゃわっ!」と男らしくない悲鳴の様な声をあげ飛び上がる。驚きすぎなのではないかと言う程の驚きっぷりにクロトは大丈夫だろうかと、心配になりつつも右脇腹の傷を隠す様に左手でお腹を押さえる。ここは、ウォーレンのハンマーを受けた時にお腹を痛めたと言う事にしようとクロトは考えたのだ。
一方、大慌てのウォーレンはシドロモドロで手足をバタバタと激しく動かし、先程まで威風堂々と戦っていた男とは思えぬうろたえっぷりだった。
明らかに怪しむパルの眼差しがクロトへと向けられる。
「で、何が男と男の約束なんだ?」
「え、えっと……そう! もう二度とパルには係わらないって言う――」
「うぉいっ! そんな約束――」
「そうか。もう二度と私に係わらないと言う男の約束をしたわけか」
「ちょ、ちょっと待――」
「そうなんだ! 流石、一国の王子は、潔いね!」
ウォーレンの声を無視し、クロトとパルが笑いあう。そんな空気の中呆然と立ち尽くすウォーレンは、やがてワナワナと拳を震わせ俯く。その様子を横目で見据えるクロトは、やっぱり怒ったのだろうかと、不安に思っているとウォーレンの目に涙が浮かび、
「お、覚えてろよぉぉぉぉっ!」
と、子供の様に捨て台詞を吐いて逃げ出した。あの戦闘中の堂々とした態度とはかけ離れたウォーレンの背中を見据え呆然とするクロトの横で、パルは深いため息を落としジト目を向ける。
「見ての通り、アイツは子供なんだ……」
右手で額を押さえるパルの小さな声に、クロトも苦笑するしかなかった。
その夜。
クロト達の船が出港し、早数時間以上が過ぎていた。
静まり返ったミラージュ城内。その中で一人、異変を感じている者が居た。この国の王子であるウォーレンだ。夕刻過ぎまで賑わっていた城内が、ここ数時間で物音一つたたない程静まり返った事に疑念を抱くウォーレンは城内の見回りを行っていた。
だが、そこで更なる異変を感じる事となる。侍女はおろか兵士とすらすれ違わない。現在、ここミラージュ城内に仕える兵は一万を超える。他にも魔導砲を整備する整備士、魔導師など合わせて約二万近くの人が居るはずの城内。その城内がこんなに静まり返る事などありえない事だった。
廊下を歩むウォーレンの静かな足音だけが響き渡る。そんな中でゆっくりと足を止めたウォーレンは、背負っていたハンマーの柄へと右手を伸ばす。うごめく様な気配をその視界に見たのだ。
静かに足音を殺し足を進めるウォーレンは、その気配の漂う部屋へと近付く。半分だけ開かれた扉。その向こうで金属の擦れ合う音だけが聞こえる。額に汗を滲ませるウォーレンは恐る恐る部屋の中を覗き見た。
「――ッ!」
驚愕する。そこに広がるのは血の海。無残に裂かれた複数の兵士達の姿。そして、玉座に座る全身に漆黒の鎧を纏った者。異様な空気を放ち、その手に持った剣の切っ先で床を何度も切りつける。何をしているのか分からない。いや、それ以上に何故アイツが玉座に座っているのか分からず、ウォーレンはただその場に立ち尽くす。
動揺し瞳が揺らぐ中で、その視線の先に一人の男の姿を発見する。それは、この国の王でありウォーレンの――
「親父!」
叫び声と共に扉が激しく開かれる。漆黒のフルアーマーに身を包んだその者はその声と扉の開く物音で、顔を上げる。表情は見えないが、その顔を覆う鉄仮面に浮かぶ不気味に輝く赤い瞳がウォーレンの姿を目視すると、ゆっくりと玉座から立ち上がる。
その足元に倒れる国王ゲイツ。血を流し弱々しく肩を上下させるゲイツの姿に、ウォーレンはまだ生きていると、安堵の表情を浮かべた後、ハンマーを構え玉座の前に立つフルアーマーの者を見据える。
異様で重苦しい空気。明らかに目の前にいるあの者がその空気を漂わせているのだと分かるウォーレンは、警戒心を強め、ジッとその者の目を見据える。
静かな波に揺られる船。
潮風香る夜風に吹かれるクロトは、その手すりに身を預け真っ暗な海を見据える。すでにセラとルーイットは眠りに就き、ケルベロスは相変わらず部屋にこもり精神統一を続けていた。まだ両手の怪我が思わしくないが、ケルベロスは一日中蒼い炎をその手に灯し続けていた。ミィも今夜は部屋へとこもり所持品の確認と商品の在庫を確認作業を行っていた。目的地である港町ノーブルーで商品を調達する為に。
その為、現在クロトは一人きりで夜風に吹かれる。黒髪が緩やかに揺れ、クロトは夜空を見上げる。久しぶりにゆっくりと空を見た気がする。
ボンヤリと空を見ていると、不意に綺麗な声が耳に届く。
「こんな時間に何してるんだ?」
その声の方へと顔を向けると、そこに居たのはパルだった。寝る前だったのか、普段の露出の激しい服装とは打って変わって綺麗な淡い桃色の寝巻きを着ていた。普段着からのギャップなのか妙な違和感を感じるクロトは、マジマジとパルの姿を見据える。
その視線にパルは恥ずかしそうに顔を背けた。
「な、何だ?」
「いや、何だか印象違うなって、思って」
「わ、私だって、こ、こう言う服位着る」
「そっか。似合ってるぞ」
笑顔でそう言うパルは顔を真っ赤にする。
「な、な、何言ってんだ! ま、全く」
慌てた様な早口で返答すると、クロトは不意に生まれた疑問をパルへとぶつける。
「そう言えば、何で俺だったんだ?」
「へっ? い、いや、べ、別に――」
「ケルベロスだって居たじゃないか? 俺よりもケルベロスの方がパルには似合ってると思うんだけど」
クロトの一言にパルの表情が一瞬で沈み、冷ややかな視線がクロトへと向けられる。明らかな態度の変化に笑っていたクロトの表情が引きつった。何か悪い事を言ったのだろうかと、思うクロトに対し、パルは小さなため息を漏らすと、胸を持ち上げる様に腕を組み答えた。
「ケルベロスが黙って私の言う事聞くと思うか?」
「えっ……いや、全然想像出来ないです」
パルの言葉にクロトは思わずケルベロスがあの場に居る光景を想像しようとしたが、全く持って想像出来なかった。そもそも、ケルベロスの場合頼まれても絶対に付いて行かないだろうと言う答えしか出ない。その為、納得した。パルが自分を選んだ理由を。