第58話 三十分
パルが目を覚ました時、その視界に飛び込んだのは親友であるミィの姿だった。
首を絞められ苦しそうな表情をする彼女の姿に、もうろうとした意識はハッキリとし、パルの胸の奥で何かが弾けた。これ以上、自分の大切な人を失いたくない。その気持ちにパルは自然と腰のガンホルダーから銃を抜いていた。金色の銃を。
パルとミィの視線が交錯したのはその時だった。まだダーヴィンを殺された時の光景が頭に過ぎり、引き金に掛かった指が震える。怖かった。この引き金を引いたらまたダーヴィンの様にミィを失うかも知れない。その恐怖で引き金が引けずに居た。
そんなパルにミィは唇を動かす。掠れた誰にも聞こえない程小さな声が、パルの耳に届く。
「パルを信じてるッス」
と、言うミィの声が。魔族とのハーフのパルにはその声が聞こえた。いや、ミィがパルにしか聞こえない声を出したのだ。その声にパルは唇を噛み締め、覚悟を決めグリップを握りなおす。
そのパルの行動はケルベロスの目にも入っていた。故にケルベロスはガロンの言う通り両拳の蒼い炎を消し、ガロンにパルの存在が気付かれぬ様、その表情をゆがめる。
全てが演技だと気付かずガロンが甲高く笑い、声を張り上げたその瞬間、パルの指が彼のコメカミへと銃口を向けた状態で引き金を引いた。
魔力が銃口へと収縮され、解き放たれる。甲高い銃声が轟き、淡い緑の銃弾がガロンのコメカミを打ち抜く。鮮血が舞い、その腕からミィが解放され地面へと倒れ込む。横へと弾かれたガロンの体は激しく地面へと倒れ、土煙が舞う。
銃を構え呼吸を荒げるパルは、まだ硝煙が昇る銃を下ろし肩を大きく上下に揺らし呆然としていた。
「ぐっ……くうっ! き、貴様――」
コメカミを押さえゆっくりと立ち上がるガロンがパルへと目を向ける。
パルが放ったのはウィングショットの威力を最小限まで抑えたモノ。元々、風を圧縮した弾丸の為、相手に致命傷を与えるまでも行かないが、コメカミに近距離から浴びれば気絶する位の威力のある技だが、それでもガロンに意識があったのは、それだけガロンが丈夫だと言う証拠だった。
だが、ガロンは間違っていた。この時、一番に目を向けなければ行けないのは、パルではなく――
「蒼炎拳!」
低く力の篭ったケルベロスの声が真横から聞こえ、ガロンはその顔をケルベロスの方へと向ける。目の前へと迫る蒼い炎。それが、ガロンの顔面を打ち抜く。鈍い打撃音が響き、ガロンの顔は大きく跳ね上がる。顔に蒼い炎を僅かに帯びながら、ガロンの体は激しく地面を転がった。
蒼い炎を拳へとまとわせるケルベロスは、仰向けに倒れるガロンを冷ややかな視線で見据える。顔面へと蒼炎拳を打ち込まれ流石に意識は失われていた。元々、パルの一撃を受け意識はモウロウとしていたのだろう。本来ならこの程度でガロン程の男を簡単に気絶などさせられないと、ケルベロスは感じていた。
深く息を吐き、拳の炎を消したケルベロスはミィとパルへと目を向ける。
パルはミィの傍へと駆け寄り、今にも泣き出しそうな声で、
「だ、大丈夫か? け、怪我は無いか? 何処も痛くないか?」
と、早口で尋ね、ミィはノドを右手で擦り、
「だ、大丈夫ッス。怪我は無いッス。ノドが少し痛いッスけど、平気ッス」
と、ミィは苦しそうな声でゆっくりと答え、軽く咳き込む。首を絞められていた為、ノドが僅かながら痛んでいた。
そんな二人の様子に安堵した様に吐息を漏らしたケルベロスはすぐにセラの姿を探す様に周囲を見回す。と、同時にルーイットの声がケルベロスへと届く。
「大丈夫。セラは無事よ」
気を失うセラの体を抱き上げ、何処も怪我をしていない事を確認したルーイットの声に、ケルベロスはまた安堵した様に息を吐き肩の力を抜いた。だが、その表情はすぐに歪む。
蒼い炎の純度を上げた代償として、ケルベロスの両拳は皮膚がただれ血が滲んでいた。ケルベロスの遣う蒼い炎とクロトの使う赤黒い炎の最大の違い。それは、使用者に対する反動だ。
クロトの赤黒い炎はその炎をここに留める為の維持コストとして大量の魔力を支払わなければならない。だが、ケルベロスの扱う蒼い炎は自らの身を犠牲にする。特にその炎の純度を上げると体を蝕む速度が加速するのだ。故にケルベロスは普段はただ魔力を放出し、なるべく肉体への負担が掛からない様に調節していた。
表情を歪めるケルベロスにルーイットは気付く。ルーイットもその蒼い炎の危険性を知っていた為、すぐにその視線はケルベロスの両手へと向けられる。痛々しく焼け爛れたその手を見据え、ルーイットは思わず目を瞑ってしまった。それ程ケルベロスの手は酷い状態だった。
「あと三十分位したらここを出るぞ」
「ちょ、ちょっと待つッス! クロトはどうするんスか!」
淡い朱色の髪を揺らしケルベロスの方へと顔を向けるミィに、ケルベロスは静かに答えた。
「ここまで抜け道を使えば二十分で来れる。もし、クロトが無事ならその間にここまでたどり着くはずだ」
「まだ戦ってる可能性だってあるんじゃない? 彼の相手、強いんでしょ?」
大人びた綺麗な顔立ちのパルは澄んだハッキリとした声で問う。完全に立ち直り、いつも通りのパルの姿に、ミィは嬉しそうな表情を見せた。そんなパルにケルベロスは静かに首を振る。
「強いからこそ、三十分が限界なんだ。クロトが奮闘し長引かせたとしても、その時クロトは逃げ切れる状態だと思うか?」
ケルベロスの問いにパルとミィは息を呑む。答えは分かっていた。否だ。
長引かせると言う事は、それだけ消耗すると言う事。そして、消耗したクロトがあのガーディンと言う男から逃げ出す事は不可能に近い。ましてや、無傷で居られるわけも無い。消耗し傷付いた状態で逃がす程相手も甘くは無いだろう。
そのことを考慮しての三十分だった。それ以上、クロトを待っている時間は無いとケルベロスが判断したのだ。
二時間が過ぎ――。
その場に集まる足音。
ガーディン率いる獣魔族の部隊だった。その先陣をきるガーディンは水路の出口が見え足を緩める。
戦闘の痕が残るその場所を訝しげな表情で見回すガーディンは、その視線を不意に止めた。その先に妙に血が広がる場所を見つけ眉間にシワを寄せると、ガーディンの後から続いていた兵士達がその光景に悲鳴の様な声を上げる。
「ひぃっ!」
「が、ガロウ様が……」
ざわめく兵士達。その中でガーディンだけが静かに動き出す。
地面に広がる血。漂う異臭。そして、そこに転がるのは切り裂かれたガロウの肉体。鋭利な刃物で体を裂かれ、すでに絶命していた。
そのガロウの体に触れるガーディンは更に表情を険しくする。まだ体温が残っており、その事からついさっきまで生きていたと言う事が分かったのだ。周囲へと警戒を強めるガーディンは静かに立ち上がりあ辺りを見回す。
「ケルベロス……何て奴だ……」
表情をしかめガーディンの横へと並んだ一人の若い兵士がそう呟くと、ガーディンは静かに答える。
「違う。ケルベロスは口だけの男だ。人の命を奪ったりはしない」
「しかし、ガロウ様は……」
「それに、奴は武器は使えない。この切り口は明らかに武器によるもの……アイツじゃない」
「じゃあ、一体……」
ガーディンたちが話しているその時、背後の茂みがゆれ一人の男が現れた。