第57話 炎の質
二つの蒼い炎が交錯し、互いの頬を弾く。
皮膚を焼く異臭が僅かに漂い二人の体が後方へと弾かれる。頬を僅かに焦がす二人の足元に舞う土煙。肩を上下に揺らすケルベロスに対し、呼吸一つ乱さないガロウ。ケルベロスの方が怒りで魔力の消費量がガロウより大きく、その影響が現れていた。
それでも、魔力量では絶対的に優位に立つケルベロス。同じ量、同じ回数、蒼炎を扱っているのに、ケルベロスよりも魔力量は少ないはずのガロウが全く疲れていない事に、ケルベロスは疑問を抱いていた。
「はぁ…はぁ……」
「大分息が上がってるな。まさか、この程度でバテてんのか?」
ガロウが挑発する様にケルベロスへと声を張る。ケルベロス同様に頬を僅かに焦がすガロウは口元へと笑みを浮かべると、更にその両拳の蒼い炎の火力を上げる。それも挑発のつもりなのだろう。
“俺はまだまだコレだけの力が残っているんだ”
と、ケルベロスに力の差を見せ付ける為に。
だが、ここでケルベロスもようやく冷静さを取り戻しつつあった。鋭い眼差しを向けながらも、その殺気を体から放出しながらも、冷静に呼吸を整えるケルベロスは、自分の魔力の残量を計算し練り込む魔力を調節する。
拳を僅かに包み込む程度まで火力を抑えるケルベロスを、ガロウは鼻で笑う。
「おいおい。まさか、ここに来て魔力を温存するつもりか? 分かってんのか? 今の状況を?
テメェーは俺様に劣ってんだぞ? それとも、俺様との力の差に諦めたってか?」
呆れた様子で言葉を連ねるガロウが、肩を竦め失笑する。
だが、ケルベロスは静かに息を吐き出すと、ゆっくりと小指から順に指を折り拳を握り締めると意識を集中し拳を薄く包む蒼い炎を制御しつつ、拳を構える。
その光景を眺めるルーイットはケルベロスとガロウの二人が灯す蒼い炎の違いに気付く。確かに拳に灯した炎の大きさは違うが、それ以前にケルベロスの炎がガロウの炎よりも輝いて見えたのだ。何故、そんな風に見えたのかルーイットは分からず怪訝そうな表情を浮かべていた。
静かな風が二人の間を流れ、ガロウの拳に灯した炎が激しく揺れる。一方で、ケルベロスの炎は風に揺れる事なく安定した火力で拳を包み込んでいた。対極ともいえる二人の炎の大きさの差が、二人の態度の差として表れる。
「さっきから黙り込んでどうしたんだ? まさか、この俺様が消耗するのを待ってんのか?
そう言う考えなら、時間の無駄だぜ? 俺様はお前よりも格が上だからな。ちゃんと計算して魔力は使ってんだよ」
炎に包まれた右拳を顔の前にかざし、堂々とした態度のガロウ。その言葉数も拳に灯った激しい炎同様に多く口調は激しいモノとなっていた。
一方、ケルベロスはどうだ。未だ一言も語らず、自らの拳に灯した炎の様にただ静かにその場に留まっていた。
沈黙を守るケルベロスに対し、ガロウも痺れを切らせたのか、笑みを歪め額へと青筋を浮かべ怒鳴る。
「何とか言ったらどうだ! このヤロー! ビビッてんのか!」
「ふぅーっ……。貴様に教えてやる。俺と貴様の格の違いと炎の質の違いをな」
静かな口調でそう告げたケルベロスに、ガロウの顔から笑みが消え、鼻筋にシワを寄せ怒りに表情を歪ませる。圧倒的に優位な位置に立つガロウにとって、ケルベロスのその言葉はただの強がりにしか思えなかったが、そのガロウに向けられたケルベロスの小物を見る様な冷ややかな視線が、ガロウのプライドを傷つけ、逆鱗に触れたのだ。
一層炎を強く燃え上がらせるガロウの両腕の肘の辺りまで蒼い炎が包み込む。その火力に僅かにガロウの皮膚が黒ずみ、呼吸が僅かにだが乱れる。経験上ケルベロスは知っている。怒りは魔力の消費量を大幅に上げる事を。そして、もう一つ。怒りは冷静な判断力を失わせる事も。
落ち着き静まった心でガロウを見据えるケルベロスは、左足を踏み出しゆっくりと腰を落とす。重心を低くし下半身へと力を込めるケルベロスに、ガロウはその怒りをぶつける様に突っ込む。何の予備動作もなく唐突に。
前屈みになり両拳を引き地を駆け抜けるガロウの怒り狂ったその形相を、ケルベロスは静かに見据え、握った拳へと力を込める。
「「蒼炎拳」」
二人の声が重なり、ほぼ同時に右拳が振り出される。激しく鈍い打撃音が衝撃と共に広がり、両者の拳と拳がぶつかり合う。片方は静かに安定した炎をまとい、もう一方は激しく轟々しい炎をまとう。
二人の拳と二つの炎がぶつかり合う中で変化が起きたのはガロウの方だった。
突如、表情を歪めたかと思うとその右拳の炎が弾ける様に消滅し、腕が後方へと吹き飛んだのだ。その衝撃に体は自然と後方へと下がり、ガロウの表情が苦痛に歪む。ケルベロスの拳に触れた拳の皮膚が焼けただれ、出血を伴っていた。
「うぐっ……テメェ……何を……」
表情を歪め、左手で右手首を掴むガロウに対し、ケルベロスは変わらず冷ややかな視線を向け静かに答える。
「言っただろ。格の違いと炎の質の違いを教えてやると」
「くっ! 格は俺様の方が上だ! 炎の質も……」
険しい表情を見せるガロウは再び右拳へと蒼い炎を灯すと、更にその炎の火力を増す様に激しく炎を吹き上がらせる。その光景を見据えるケルベロスは、哀れむ様な視線を向け小さく息を吐く。
ガロウは気付いていない。ケルベロスと自分の炎の質の違いに。
一見派手に燃え上がり、如何にも炎を吹き上がらせ燃えている様に見えるガロウの炎。だが、それは魔力を放出し外へと噴出して炎を大きく膨らせているだけで、火力自体は何も変わっていないのだ。
一方で、ケルベロスは魔力を外へと放出するのではなく、体内に留め濃い濃度の魔力を注ぎ皮膚へと直に炎を纏わせたのだ。それにより、炎の質は格段に上昇し、その火力はガロウの炎よりも数段高くケルベロスの体に掛かる負担も上昇していた。すでにその拳の皮膚は焼けただれ、痛みを感じぬ程感覚は麻痺していた。
それでも、その激痛を押し殺し表情を変えぬケルベロス。これが、番犬と謳われるケルベロスの本気だった。
「こ、この俺様が、テメェごときに!」
怒りを滲ませるガロウの視線がミィとパルへと向けられた。
意識を取り戻したミィは、意識を失うパルの体を起こし声を掛けていた。
「ぱ、パル……。しっかりするッス……」
「ん、んん……」
僅かに反応はあるもののパルの瞼は開かず、ミィは呼吸を乱す。ガロウにやられたダメージが残っており、ミィ自身まだ意識がぼんやりとしていた。
そんな二人へと向けられたガロウの眼差し。そして、次の瞬間、ガロウはミィとパルへと向かって走り出す。
「くっ! ミィ! パル! そこから離れろ!」
ケルベロスは瞬間的に叫ぶが、意識がもうろうとするミィはその声に反応はするものの、言葉の意味を理解するまで至らず、「うぐっ!」と声をあげガロウの腕で首を絞められ持ち上げられる。
「動くな! コイツを殺すぞ」
不適な笑みを浮かべ声を張り上げるガロウの姿に、ケルベロスは険しい表情を向け、その光景を見たルーイットは声を上げる。
「卑怯よ! 人質をとるなんて! あんた、それでも副官なの!」
「バカか? 戦いってのは、どうやっても勝てが鉄則だ。人質をとってでもな!」
声を張り上げるガロウに、ルーイットは「最低」と小声で呟いた。
「さぁ、ケルベロス。テメェのその手の炎をまず消してもらおうか?」
「俺が、言う事を聞くとでも?」
「ああ。聞くと思ってるぜ。でなきゃ、コイツが死ぬんだからな」
腕に力を込めミィの首を絞めるガロウに、ケルベロスは小さく舌打ちをする。ここでミィを見殺しにする事などケルベロスには出来なかった。人間が嫌いだが、それでもケルベロスにとってミィはすでに仲間と言う認識があった為、ガロウの言葉に従うしかなかった。
小さく息を吐き肩の力を抜く。それと同時に両拳を包んでいた蒼い炎は消滅し、その拳から赤黒い血がポツポツと地面へと零れ落ちた。
「ふははははっ! コレで、俺さ――」
銃声が響き、ガロウの体が横へと弾かれる。コメカミ辺りから僅かに鮮血を迸らせ、その腕からミィの体が落ち、ガロウの体は地面を転げた。