第55話 クロトvsガーディン
暗がりの中壁伝いに洞窟を歩むケルベロスとルーイット。
先に入ったセラ・ミィ、パルの事が気がかりでケルベロスの足取りは自然と早くなるが、ルーイットの足取りは重かった。クロトの事が心配だったのだ。
何度も足を止め後ろを気にするルーイットにケルベロスは僅かに歩くスピードを緩めると、肩越しにルーイットの方へと顔を向け静かに尋ねる。
「心配か?」
「当たり前でしょ。大体、あんた分かってるの? アイツの強さ」
表情を強張らせ怒声を浴びせるルーイットは、すぐに不安そうな表情を浮かべ後ろの方へと視線を向ける。正直、クロトがあのガーディンに勝てるとは思えなかった。いや、到底時間稼ぎすら出来ないと、ルーイットは思っていた。それ程、ガーディンは強いのだ。
ケルベロスも僅かながら不安をその表情に覗かせ、後悔していた。やはり自分が残るべきだったんじゃないのか、と。
二人して考え込み足を進め、沈黙だけが続く。そんな中でルーイットは思い出した様に声を掛ける。
「首、大丈夫?」
「あぁ?」
「血、出てたじゃない」
「あぁ……。大丈夫だ。皮膚が少し裂けただけで、大した事は無い。ただ、血液の通り道だから血が派手に出ているだけだ」
まだ微かにだが出血が続くノド元を右手で触り、ルーイットに答えた。ケルベロスの相変わらずの態度にルーイットは不満げな眼差しを暗がりに浮かぶケルベロスの背中へと向け、小さく鼻から息を吐き、また静かに二人は足を進めた。
秘密基地内に残ったクロトは右膝を地に着き、魔力を注ぎ元の姿へと戻した魔剣ベルヴェラートを地面に突き立て苦悶に表情を歪めていた。すでに体中に切り傷を作り血を流すクロトに対し、刃の無い剣の柄を握ったガーディンが不適な笑みを浮かべる。
洞窟の壁や天井にも深く鋭利な刃物で切りつけた様な跡が残され、天井から出ていたツララ状の石は根元から砕け地面に幾つか突き刺さり、所々に鋭利なブーメラン状の刃が突き刺さっていた。
呼吸を乱すクロトは、震える右膝に力を込めゆっくりと立ち上がる。だが、ベルを支えに何とか立っている状態のクロトに、ガーディンは冷ややかな視線を向け呆れた様に頭を左右に振り小さく吐息を漏らす。
「まだやる気? 僕はキミに興味は無いんだけど?」
「くっ……ふぅ……ふぅ……」
「返答はなし、か。まぁ、そんな余裕は無いか?」
笑みを浮かべ尋ねるガーディンに、クロトは表情を歪める。彼の言う通りクロトに余裕などなかった。最初から全力を出しているが、それでもこの様だ。相手が強過ぎる。その身体能力も魔力の扱い方もクロトよりも数段上で、これでも善戦した方だ。
その証拠に体に傷はあるがどれも致命傷は避けており、派手な出血はしていなかった。それでも、魔力の消耗と、彼の放つ異様な殺気に気圧され精神的な消耗もあり、クロトの疲労感はいつもより激しく体を襲っていた。
全身が重く呼吸をするのも辛い。あのローグスタウンで戦った女性とは明らかに違う殺気。怒りや憎しみなど無いただ純粋な殺意にクロトは背筋が凍る様な錯覚を覚える。間違いなく殺されると、直感していた。
だが、一番クロトが恐怖を感じていたのは、ガーディンの眼差しだった。冷めた様な血に飢えた様ななんとも言えない今まで感じた事の無い印象を感じる。正直、ケルベロスの目を初めて見た時も怖いと言う印象を感じたが、それでもここまで恐怖を覚える事はなかった。
呼吸を整え息を呑み、静かに魔力を練る。意識を右手へと集中し、それをベルへと伝える。僅かに魔力を帯びた刃だが、それでも右手へと無駄に集まった魔力は徐々に消失されていく。
「ぐっ……」
「あーぁ。魔力なんて練っちゃって。コレだから魔人族は……」
呆れた様にそう言い肩を竦めるガーディンのその目の色が変わり、クロトもその空気の変化を肌に感じ胸の鼓動が跳ね上がる。瞳孔が自然と広がり、クロトの足が無意識に半歩下がった。
その行動にガーディンは口元へと笑みを浮かべると、手に持った柄へと魔力を注ぎ告げる。
「へぇーっ。勘がいいね。キミ。正直、その勘の良さはケルベロス以上かもしれないね」
冷めた目を向けるガーディンの手に握る柄へと、周囲に散乱していたブーメラン状の刃が反応を示す。僅かに魔力を帯びたブーメラン状の刃は引き寄せられる様にガーディンの手に握る柄へと連なる様に合わさると、のこぎり状の刃へと姿を変える。これが、ガーディンだけが扱える特殊な武器の正体だった。
初めにケルベロスの首へと襲い掛かったのは、こののこぎり状の刃を分裂させ飛ばしたブーメラン状の刃。飛ばせる範囲はそう広くないが、コレにより近距離から中距離の間合いで戦う事が出来る。しかも、その威力は室内でより強く発揮される。飛び交うブーメラン状の刃は微量な魔力を感知し襲い掛かってくる為、室内と言う狭い空間では逃げ場を失ってしまうのだ。
だが、今回は刃を飛ばす様子はなく、剣の状態のまま構えていた。その事から、クロトは接近戦をするのだと確信し、唾を飲み込みベルを握る手に力を込める。
「もしかして、接近戦なら勝てるとか思ってる?」
静かに話しかけるガーディンの右足が僅かに動く。微量の土を踏みしめジリジリと音を微かに鳴らし、その指先へと体重を移動する。今まで戦ってきた感覚から、クロトはガーディンが突っ込んでくると判断し、その攻撃に備える為に足元へと力を込めベルを構える。
だが、それは予期せぬ所から襲い掛かってきた。
「ぐふっ!」
クロトの背後から狙い澄ました様に右脇腹を抉ったブーメラン状の刃がガーディンの下へと戻る。
右脇腹を切りつけられ血を吐き体勢を大きく崩したクロトはもう一度派手に血を噴き、地面へと倒れ込む。飛び散った鮮血が地面へと大量の血痕を残し、蹲ったクロトの脇腹からとめどなく血が溢れ出す。
完全に不意を突かれ、反応する事すら出来なかった。これは確実に致命傷となる一撃だった。
左手で右脇腹を押さえるクロトは僅かに体を震わせ、小さな呻き声を漏らす。口元から流れる血が、顎から静かに地面に広がった血の上へと落ち波紋が広がる。激痛に表情を歪めるクロトの視界がほんの一瞬真っ暗になった。その一瞬、クロトは死を覚悟したが、すぐに意識が戻りクロトは奥歯を噛み締める。
“こんな所で死ねるか”
と、心に念じながら。
それでも、クロトの限界は近かった。血を大量に流しすぎた為、頭は朦朧としていたのだ。思考が上手く働かず、考える事すら間々ならない状況の中で、顔を上げたクロトの視界に映る。両手を広げバカにした様に笑うガーディンの姿が。
意識が朦朧としていた所為か、その声は聞こえてこない。全くの無音の中で、クロトは小さく息を吐き魔力を練る。
「ふっ……まだ戦う気か? 今の不意打ちで完全に意識を断ったつもりなんだけどな」
まだ戦う意思を見せるクロトへと、苛立つガーディンはその手に持ったのこぎり状の刃をした剣を下ろしたまま冷ややかな視線をクロトへ向ける。唇を噛み締め、眉間へとシワを寄せたガーディンはゆっくりクロトの前へと足を進める。地面に広がるクロトの血を踏みしめ、血が僅かに足へとはねた。だが、それを気にする様子はなく、ガーディンは魔力を練るクロトの意識を断つ為に左足を振り上げ、クロトの右脇腹へ向かって一気に振り抜く。
「うがああああっ!」
痛々しい打撃音の後響くクロトの悲鳴。体は地面を転げ、地下通路へと続く階段の手前で動きを止める。激痛に身を震わせ、体を丸めるクロトの姿に、ガーディンは快感を覚えたのか、薄らと笑みを浮かべると、その足をクロトの方へと進める。
呼吸を乱し途切れそうになる意識を何とか繋ぎとめ魔力を練り続けるクロトは、激痛に耐え僅かに顔を上げガーディンの姿をその視界に捉える。そして、ゆっくりとその身をよじり、地下通路へ続く階段へとその身を投げ出す。
「なっ! てめっ――」
慌てて駆け出すガーディンだったが、すぐに異変を感じその場を飛び退く。すると、階段の奥からクロトの声が響いた。
「業火!」
声に遅れて熱風が吹き荒れ、後退したガーディンの体を洞窟の入り口まで吹き飛ばす。地面を転げ、土煙を僅かに舞い上げたガーディンはすぐさま視線を階段の方へと向け、その表情に怒りを滲ませる。視線の先でまるで階段を塞ぐ様に赤黒い炎が吹き上がっていた。その炎を見据えるガーディンは、一人の兵士を呼びつける。
「ど、どうかしま――」
「行って来い」
兵士の返答を聞かず、ガーディンはその兵士を階段の方へと投げた。軽々と宙を舞う兵士。彼は何が起こったのか分からぬまま、赤黒い炎へと包まれその肉体を焼き尽くされた。
その光景を見据え、ガーディンはより一層表情へと怒りを滲ませると、小さく舌打ちをし振り返る。
「ふざけやがって! お前ら! 急いで待ち伏せ場所へと急げ! 奴らを逃がすな!」
圧倒的に優位な状況に居ながら、止めを刺す事が出来なかった事に怒るガーディンの頭へと刻まれる。クロトの名と顔が。瀕死の状況で自分からまんまと逃げ切った唯一の人物として。