第50話 差別と偏見
一定の間隔をあけ歩みを進めるクロトとケルベロス。
先導する様に前を歩くケルベロスの背中に苦しそうに表情を歪めるクロトは静かに問う。
「な、なぁ、追われてるのは分かったけど、一体、何処に向かってるんだ?」
「秘密の場所だ」
背を向けたまま答えるケルベロスに、クロトは額から汗を流し奥歯を噛み締め更に問う。
「秘密の場所って何処だよ……それに! コレ何に使うんだよ!」
クロトは手に持っていたベッドの縁を手放した。ベッドの足が大きな音をたて地面へと落ち、僅かに地面を抉り、その反対側の縁を持っていたケルベロスは大きく後ろに仰け反ると、怒気の篭った鋭い眼差しをクロトへと向ける。
「おい! いきなり手を離すな! 危ないだろ!」
ベッドを下ろしクロトの方へとゆっくりと体を向けるケルベロスは不快そうな表情を浮かべ怒鳴る。だが、そんなケルベロスにひるむ事なくクロトは大声を上げる。
「だーかーら! 色々説明を端折り過ぎだろ! 追われてるのは分かるけど、せめてこのベッドを何処に持っていくのかは説明しろよ!」
「だから、秘密の場所だと言ってるだろ! 貴様の脳みそは腐ってるのか!」
自分の頭を右手で指差し怒鳴るケルベロスにクロトの表情が引きつる。流石に怒りが頂点に達し、米神が僅かに震える。拳を握り締め何とか怒りを抑えようとするクロトに、ケルベロスは大きく吐息を吐く。
「使えない奴だとは思ったが、ここまでバカとはな!」
「だ、だ、だ、だ……」
両肩を震わせるクロトが俯き静かにそう呟くと同時に、背後から呆れた様なルーイットの声が響く。
「あのさぁ……追われてるんなら、もう少し静かにした方がいいんじゃない?
ここ、獣魔族の領土よ? 獣魔族って、嗅覚や聴覚が優れてる者も多いし、あんまり騒ぐとすぐ見つかるわよ?」
両手に椅子を抱えジト目を向けるルーイットに、ケルベロスは腕を組み静かに息を吐くと、クロトへと背を向けベッドの縁を握る。
「とっとと持て! 今は揉めてる場合じゃないんだ」
「だったら、その理由を教えろよ」
小声でぼやいたクロトも小さく吐息を漏らしベッドの縁を握った。二人してベッドを持ち上げ、静かに歩み出す。その背中を追う様に椅子を抱えて歩くルーイットはその行き先に覚えがあり、不満そうにケルベロスの背中を見据えていた。
暫く黙って森を歩み、壁へと突き当たる。切り立った崖と言う方が正しいその場所でケルベロスはベッドを置くと、その岩肌を右手で触れた。
「確か、この辺りに……」
「違うわよ。もう少し右よ」
不貞腐れた様な表情でルーイットがそう告げ、ケルベロスは何も答えず言われた通りに更に右の方へと右手を動かす。すると、その指先に僅かに切れ目を感じ、そこに爪を立て力を込める。腕に浮き出る血管からケルベロスが凄い力を込めたのだと分かったクロトは、その切り立った崖を見上げ、
「一体、何があるんだ?」
と、怪訝そうに質問した。だが、ケルベロスはそれに答えず、押し殺した声を漏らし更に腕へと力を込める。その背中に呆れた様な眼差しを向けたクロトは、ベッドの縁に腰を下ろし頭の後ろで手を組み深くため息を吐いた。
そんなクロトに、ルーイットがケルベロスに代わって静かに答える。不機嫌そうな表情をケルベロスに向けたまま。
「秘密基地の裏口があの位置にあるの」
「へぇー……って、な、何でルーイットが!」
驚き振り返ったクロトにルーイットはプイッとソッポを向くと椅子を置きそこに腰を下ろした。足を組み頬杖を着くルーイットは小さく息を吐き遠い目をする。何かを思い出す様なその眼差しに、クロトは小首を傾げ小声でルーイットの名前を呼んだ。だが、その声に返答はなく、ケルベロスの力む声だけが響く。
暫し遠くを見据えたルーイットは目を伏せ静かに吐息を漏らすと、肩の力を抜いた。その吐息にクロトはルーイットの顔を見据え、静かに口を開く。
「そろそろ、聞いていいかな?」
「えっ? あっ、うん」
「秘密基地の裏口って……」
「あぁー……」
ルーイットが答えようとした時、唐突に地響きが起きる。思わずベッドから立ち上がったクロトは振り返り、その光景に驚愕する。ルーイットの言った通り、そこには入り口が存在していた。大きく開かれた洞窟の様な横穴が。
驚き息を呑むクロトの横を、椅子を抱えて通り過ぎるルーイットは不満そうな表情をケルベロスへと向けたまま答える。
「ここ、私達が幼い時に作った秘密基地よ。まぁ、誰かさんは秘密基地なんて必要性が無いとか言ってたけど!」
明らかにケルベロスに対する嫌味の様だが、当のケルベロスは全く気にした様子はなく小さく肩を上下に揺らしクロトの方へと戻ってくる。
「とっとと、これを中に運ぶぞ」
「あ、あぁ……分かった」
静かな口調で述べたケルベロスにそう返答したクロトはベッドを持ち上げ軽く首を傾げる。クロトは知らないのだ。ケルベロスとルーイットの関係を。だから、考えていた。二人の間に一体何があったんだろうかと。
(恋人同士……には見えなかったし、あった時の反応も……)
ベッドを持ち進むクロトは色々考えた後、目を細めゆっくりと考えるのを止めた。結局、自分が考えた所でそれが当たっていると言う可能性は限りなくゼロに近いだろうと言う確信があったからだ。だから、直接聞く事にした。今、目の前に居るケルベロスに。
ベッドを持つケルベロスの背中を見据え、クロトはタイミングを探る。なるべく自然に聞き出した方がいいだろうと、考えたのだ。
薄暗い洞窟を歩む二人の足音と息遣いだけが反響して響く中、ケルベロスは静かに口を開く。
「ルーイットとは同じ師の下で修行した仲だ。
と、言っても、俺は慣れ親しむつもりはなかったし、たった一年間の事だ。仲が良かったってわけじゃない」
静かに淡々と答えるケルベロス。その表情はやけに険しかった。ケルベロスにとって修行をしていた一年間はとても思い出したくない記憶だった。人間の中にも貴族と貧民の様な格差、国と国による妙な偏見がある様に、魔族の間にもその様な差別・偏見はあった。
身体能力が高く魔力が少ない獣魔族の中には、ケルベロスの様な膨大な魔力を持つ魔人族を忌み嫌う者も多い。それは、自分達が魔力を持っていないと言う事と、自分達より身体能力が劣るのに魔力が高いだけで優遇されていると言う劣等感から来る妬みの様なモノだった。
もちろん、人間同様、その様な事を考えるのは獣魔族の中でも一部の者達だけ。それでも、ケルベロスが幼い頃はその妬みを持った者達がこの辺りには多く存在していた。一人ぼっちの魔人族。誰もが皆自分に対し冷たい視線を向け、コソコソと言うのだ。
「魔人族の癖に――」
「魔人族だから――」
「魔人族は――」
今でこそその風潮は薄れているが、それはもうケルベロスの記憶から消える事の無い深い心の傷となっていた。ルーイットが悪いわけじゃない。彼女はどちらかと言えばケルベロスに対しても優しく接してくれた数少ない人物だった。でも、だからこそケルベロスはそんな彼女達と距離を置いていた。自分の所為で彼女達を巻き込みたくなかったから。幼いながらにケルベロスはそう考え、自分一人で耐えてきたのだ。
この秘密基地だって――。
ようやく、洞窟の奥に明るい光が見え、ケルベロスは足を止める。僅かにつんのめり足を止めたクロトは、そんなケルベロスの背中を見据え、眉間にシワを寄せる。
「急に止まるなよ? 危ないだろ?」
「ああ。悪い……」
クロトの抗議に対し、珍しく大人しく謝るケルベロス。その姿にクロトは僅かに身震いし、表情を引きつらせた。ケルベロスらしくないと感じてしまったのだ。だが、ケルベロスはそんなクロトの様子に気付く事なく、妙に大人しかった。