第48話 再会
光が収縮され、ルーイットは静かに瞼を開く。
嗅覚を揺さぶる自然の香り、風の匂いに、静かに瞼を開いたルーイットは驚愕し瞳孔を広げる。そこに広がっていたのは深い森だった。無数の木々が冷たい夜風で揺れ、辺りに散らばる家具が音をたてて倒れていく。
呆然と立ち尽くすルーイットに、椅子に座りテーブルに肘をついた状態で硬直するクロトの手の中でワープクリスタルが砕け散る。あまりの眩い光に放心状態のクロトはその冷たい風を頬に浴び、我に返った。
「戻ったか!」
慌てて椅子から立つ。椅子がその勢いで後方へと倒れ、クロトは周囲を見回す。そこに広がる木々にクロトの肩は落ちる。すぐに気付いたのだ。ここは元の世界じゃないと言う事に。
肩を落とし落ち込むクロトに、ルーイットもすぐに我に返りクロトの方へと体を向け怒鳴る。
「な、ななな、何してんのよ! てか、ここ何処よ!」
ルーイットがクロトのもとへと歩み寄りその胸倉を掴み、体を前後へと揺さぶる。ルーイットも困惑していた。突然、こんなわけの分からない場所へと飛ばされて。頭を前後へと激しく揺さぶられながらも、クロトは申し訳なさそうに告げる。
「ご、ご、ごめん! ま、まさか、本当に飛ぶと思わなかったから……」
「ごめんで済むか! どうすんのよ!」
「ど、どうすんのって聞かれましても――あだっ!」
ルーイットの手が急に離され、クロトの体は後方に投げ出され、倒れた椅子に足を取られ激しく横転する。
「いってー……いきなり、手を離すなよ……」
腰を擦り体を起こしたクロトが、ルーイットにジト目を向けた。両肩を大きく落としたルーイットは涙目でテーブルへと突っ伏し叫ぶ。
「あーぁ! どうして、こんなバカと一緒に……」
「ば、バカは言い過ぎじゃないですか?」
「うっさい! バカ! バカ! バーカ! いっぺん死ね!」
罵声を浴びせるルーイットの迫力に、クロトは目を細め何も言わず黙り込む。ルーイットの一言一言がクロトの心を貫き、廃人となっていた。
暫しの間沈黙が続く。無造作にその場に散らかる家具。二つ並んだベッドのシーツが冷たい風で激しくはためく音だけが二人の間に流れる。ルーイットに罵倒されたクロトは膝を抱え倒れた椅子に横になって座り込み、ルーイットはテーブルに伏せたまま動かない。
膝を抱えて空を見上げるクロトは、星空を見据え小さく吐息を漏らす。その息が白く凍る。昼間はまだ暖かかったと言うのに、流石に夜は冷え込んでいた。チラッとテーブルに伏せるルーイットの姿を見たクロトは静かに立ち上がり、羽織っていた上着をルーイットの肩へと掛ける。
「な、何よ? 急に」
「いや、寒くなってきたから……」
顔を挙げ仏頂面で睨みつけるルーイットに、クロトは戸惑いながらも優しく笑顔を向けた。ムスッとした表情のルーイットは肩に掛かった上着をギュッと握り締め身を縮こまらせると、ソッポを向く。そんなルーイットに、素直じゃないなぁと、思いながらクロトは一人微笑した。
暫くクロトは周囲を見回していた。ここがまだゲートである事は明白であるのは、自分の耳を触って確認した。まだその耳は尖った魔族の耳だったからだ。問題はゲートの何処に転移されたのか、と言う事だった。クロトの行った事のある場所は限りなく少なく限定されるが、この様な森を訪れた覚えは無い。森らしい場所と言えば、最初にゲートにやってきた時セラと出会ったあの場所位だが、こことあの場所とでは明らかに生い茂る木々の多さが違っていた。ここはどちらかといえば樹海に近く、あそこはまだそこまで深い森と言う感じではなかった。
考え込むクロトの姿に、ルーイットは視線を向ける。真剣な顔で考え込むクロトの姿に思わず見とれる。いつもはそうでも無いのに、なぜか少しだけカッコよく見えた。
「んっ? どうかしたのか?」
不意にクロトがルーイットの方へと顔を向け不思議そうに問いかける。その言葉で我に返ったルーイットは顔を赤く染め慌てた様に両腕を振り叫ぶ。
「な、ななな、な、何でもないわよ!」
「そうか? それよりさぁ、ルーイットはここ、見覚えないのか?」
「ふぇっ? わ、私? ん、んんーっ……」
クロトに言われて改めて周囲を見回す。懐かしい木々の香りと風。何処か見覚えのあるその風景に目を細める。記憶を辿るルーイットはその場に散らばる家具を視界から消去していき、もとの風景を頭の中で思い描く。
「……もしかして」
ルーイットが呟く。記憶の中に残る一つの風景を思い出したのだ。それを思い出すと分かる。この場所が何処なのか。記憶の風景と照らし合わせ、ルーイットははっきりと思い出す。
「ここ、知ってる……」
「えっ? 知ってる場所なのか?」
「う、うん。ここって、私が子供の頃によく遊びに来てた……」
ボンヤリとだが覚えていた場所。そこは幼い頃ルーイットが良く遊びに来ていた場所だった。しかも、この場所は――と、その時、茂みが揺れ、ルーイットの思考が止まる。瞬時に身構えるクロトは、その手に魔剣ベルを素早く召喚し、魔力を注ぐ。
――刹那。茂みから飛び出す黒髪を揺らす男。その拳に青い炎をまとわせ、鋭い眼差しを向けるその男に、クロトも素早く右足を踏み込む。だが、すぐにその動きを止め驚いた表情でその男の顔を見据え叫ぶ。
「け、ケルベロス!」
クロトとルーイットがほぼ同時に叫ぶと、二人は驚いた様子で顔を見合わせる。そんな二人にケルベロスも足を止めると拳に灯した炎を消し、怪訝そうな表情を見せ、
「クロト、ルーイット。何でお前らがここに?」
と、驚いた声で問う。だが、一番驚いていたのはクロトとルーイットの二人だった。顔を見合わせ戸惑いわけが分からずケルベロスの方へと視線を向ける。奇妙な行動をとる二人に対し、呆れた様な眼差しを向けるケルベロスは、小さく息を吐くと面倒臭そうに頭を掻く。
「とりあえず、落ち着け」
「えっ? てか、知り合いなの? あんたとクロト!」
慌ただしくクロトとケルベロスの顔を交互に見据えるルーイットが声を荒げると、ケルベロスは視線を逸らしもう一度深くため息を吐く。そんなケルベロスに代わり、何とか落ち着きを取り戻したクロトが引きつった笑みを浮かべ答える。
「実はケルベロスと一緒にこの大陸に渡ってきたんだ」
「えっ? じゃ、じゃあ、あんたって、コイツと一緒に旅してたの?」
「ま、まぁ……二人きりでは無いけど……」
「ま、マジ? この悪童と一緒に?」
「おい。昔の話を持ち出すな」
ケルベロスが睨みを利かせると、ルーイットの肩がビクッと跳ね上がりクロトの背中へと身を隠す。怯えるルーイットに、クロトは表情を引きつらせ、ケルベロスに向かって「まぁまぁ」と言い宥める。
ルーイットとケルベロスは幼い時に同じ師の下で修行した仲だった。その頃からルーイットはケルベロスを苦手意識しており、あの目で睨まれるとこうして思わず隠れてしまうのだ。
相変わらずの鋭い目つきでクロトとその背中に隠れるルーイットを見据えるケルベロスに、クロトは周囲を見回しぎこちなく笑みを浮かべる。
「無事だったんだな。結局、あの後どうしてたんだ?」
「あぁ? 囚われて、変な薬品を使われて……て、どうでもいいだろ。貴様に関係ない」
「で、ですよねぇー」
「てか、何で、あんたがここに居んのよ!」
ルーイットがクロトの背中に隠れたままそう怒鳴ると、いつもの様に眉間にシワを寄せケルベロスが威圧的な視線を向ける。その視線にルーイットはまた肩をビクッと跳ね上げ身を縮こませると、クロトはそんなケルベロスを「まぁまぁ」と宥めた。