第42話 ルーイットの料理
「うぅっ……私のバカ~」
テーブルにひれ伏し涙声を上げるルーイットに、対面に座るクロトは苦笑する。
クロトたちは、宿の一階にある食堂に来ていた。買ってきた食材を厨房に持って、調理させてくれと頼んだのだが、結局許してもらえず、この宿の奥さんがその材料を使って料理を振舞ってくれる事になったのだ。
落ち込むルーイットに対し、クロトは落ち着かない様子だった。ここに来てやっとまともな食事にありつけると、言う期待があったからだ。空腹もあいまって、クロトの期待は膨れ上がっていた。
笑顔を絶やさないクロトをテーブルに伏せたまま頬を膨らし睨むルーイットは、不服そうに告げる。
「嬉しそうね」
「えっ? ああ……そりゃ、お腹空いてるからな」
「むぅーっ……私の手料理が食べられなくて残念とか、そう言う気持ちは無いの?」
ルーイットの少々棘のある言葉に、クロトは困ったように眉を曲げる。
「いや、そりゃ、残念だとは思うけど……仕方ないだろ?」
「そりゃそうだけど……」
「そんなに落ち込むなよ。とにかく、今は飯にありつける事が嬉しいんだ!」
満面の笑みを見せるクロトに、ルーイットはジト目を向けた後に顔を横に向けボソリと呟く。
「この宿、すっごい料理がマズイって有名らしいけど……」
と、ワザとクロトに聞こえる位の音量で。その言葉にクロトの笑顔が凍りつき、顔がゆっくりとルーイットの方へと向けられる。笑顔が引きつるクロトにルーイットは目をあわそうとしない。
「じょ、冗談ですよね?」
声を震わせるクロトに、ルーイットはゆっくりと顔をあげ不満そうに腕を組む。
「さぁ? どうかしら? あくまで噂だから」
相変わらず視線を合わそうとしたないルーイットに、クロトの額から薄らと汗が滲む。ようやく、食べられるまともな食事だったはずなのに。
硬直するクロトの元へと宿の主人がお盆を持って現れる。
「はい。お待ちどう」
愛想の無い低音の声でそう述べた主人の手からテーブルの上へと皿が置かれる。野菜を千切っただけのサラダに、黒焦げた炒めたお米の様なモノ。奇妙な匂いを放つアンの掛かった肉の塊。正直、食欲の出るモノではなかった。
目の前に置かれた不気味な料理を目の当たりにし、クロトの表情は一層引きつる。こんなまずそうな料理を食べなきゃいけないのかと。
「え、えっと……」
「お腹空いてるんでしょー。早く食べたら?」
「うぐっ……」
ルーイットはソッポを向いたまま冷ややかにそう言う。まだ怒っているようだった。
仕方なくクロトは目の前の料理へと目を向ける。唾を飲み込み、フォークとナイフを手に持ち、恐る恐る食卓に並んだ料理を口に運んだ。
――十数分後。
食事を終えたクロトは部屋のベッドにうつ伏せに倒れ込んでいた。食卓に並んだ料理の数々は、その見た目通り、ルーイットの言った通り、最悪の味で、クロトのショックは大きかった。久しぶりに食べた食事が全然まともではなかったと言う事が。
ベッドにうつ伏せに倒れたまま動かないクロトの姿に、ルーイットは小さくため息を吐く。結局、ルーイットは一口も食べなかった為、その味は分からなかったが、あの見た目から明らかに美味しくないと言う事は分かりきっていた。
テーブルの上には残った食材の入った紙袋があり、ルーイットはその紙袋の中身をチェックする。中にはブレッドが三つと、グリーンの色味の強い葉野菜が一玉に黒い球根型の野菜が一つに、黄色い卵が三つに形の悪い小さなの果実が五つ残っていた。
その材料を見据え、ルーイットは小さく頷くと腕まくりをして、気合を入れる。
「よしっ! これだけあれば、何とかなる!」
「あーぁ……」
クロトの呻き声が聞こえ、ルーイットは苦笑した。
それから、ルーイットは風呂場へ行き、鉄のカップに水を汲みそこに黄色の卵を入れ、両手でカップを握り締める。
「ふぅーっ……」
静かに息を吐き、ルーイットは瞼を閉じる。意識を手の平に集中すると、コップ内の水に気泡が溢れ出す。蒸気が揺らぎ、水はお湯へと変わる。魔力を注ぎ、鉄製のカップに熱を加えお湯を沸かしたのだ。本来、魔力を持たない獣魔族だが、ルーイットには生まれつき魔力が備わっていた。だが、それと引き換えに、ルーイットは獣魔族が本来持っている高い身体能力が失われてしまったのだ。その微弱な魔力と引き換えに。
それ故に彼女が魔力で出来る事と言えば、自分の魔力を相手に渡したり、こうして魔力を込めてお湯を沸かす位なものだった。
鉄製のカップの中でグツグツと煮込まれる黄色の卵の殻が徐々に赤く変色していく。それを目視し、ルーイットはカップをテーブルへと置き、紙袋からブレッドを取り出す。綺麗な焼け目の入ったブレッドをカバンから取り出したナイフで上下二つに裂いたルーイットは、鼻歌を交えながらバターを切り口に塗りつけた。
ベッドにうつ伏せに倒れていたクロトは、その鼻歌で体を起き上がらせ、バターの匂いを嗅ぎ素早く振り返る。
「あーっ! じ、自分だけ何作ってんだよ!」
「えっ? あっ、ち、違う違う!」
「何が違うだ! 俺だけあんなマズイモノ食わせて……」
「いや、だ、だから、これは……」
クロトの声に口ごもったルーイットの頬が僅かに赤く染まり、視線をそらす。そんなルーイットにクロトは身を寄せ追求する。
「これは、何だ? んんっ? ほら、言ってみろよ!」
「だ、だから、これは、あんたのために!」
「えっ?」
突然怒鳴ったルーイットにキョトンとするクロトは、右手で自分の顔を指差す。
「俺に?」
「そ、そう。あんな料理じゃ、魔力だって回復しないだろうし、少しでも魔力が回復する様に美味しいモノを作ってあげようって……」
俯き顔を真っ赤に染めるルーイットに、クロトも顔を赤く染め左手で頭を掻く。まさか、自分のためだとは思っていなかったのだ。照れ笑いを浮かべるクロトに、ルーイットは僅かに頬を膨らす。
「ほ、ほら。気付いたんなら手伝ってよね」
「お、おう。で、何をしたらいい?」
「その野菜千切ってブレッドの上に乗せて」
「あ、ああ……」
クロトはルーイットに言われたまま緑の葉野菜を千切りブレッドの上へと乗せていった。
その後、茹でた卵の殻を剥き刻み、これまた刻んだ黒い球根状の野菜と合わせ、マヨネーズで和えてそれをブレッドの上に置かれた葉野菜の上へと乗せ、その上からあの形の悪い果実の汁を絞りかける。
「はいっ! 完成!」
「おおっ……でも、大丈夫か?」
驚くクロト。確かに見た目は美味しそうだった。だが、使った食材を見ただけに、少しだけ抵抗があった。地球の野菜と形は似ていても色が違ったからだ。
不安そうなクロトの顔に、ルーイットの両肩が僅かに落ちる。
「もしかして……食べたくないとか?」
「えっ? い、いや、そ、そんな事無いよ! う、うん」
「本当に?」
不安そうな目を向けるルーイットに、クロトは戸惑い苦笑する。流石にこの状況で食べないわけにも行かず、クロトはそのサンドウィッチを手に取った。唾を飲み込み、意を決し、口に運ぶ。
「かぶっ……もぐもぐ……」
「ど、どう?」
「…………」
無言で口を動かすクロトが、口のものを飲み込み、静かに息を吐く。暫しの間が空き、クロトは静かに口を開く。
「美味い!」
「ほ、本当?」
「うん。本当、美味しいよ」
満面の笑みを浮かべるクロトに、ルーイットは安心した様に息を吐くと、えへへ、と無邪気な笑顔を見せた。