第38話 魔力の扱い方
目の前に佇む緑の化け物に、クロトは苦笑した。
完全に倒したと思っていたからだ。全力で放った一撃。ほぼ魔力を使い果たし、ベルの形状を保つだけの魔力しか残っていなかった。壁にもたれ座り込むクロトは俯き肩を揺らし静かに笑う。もう笑うしかなかった。魔力もほぼ使い果たしたこの状況で、どう戦えと言うのだろうかと。
殆ど無傷の緑の化け物は、ヘドロの体を揺らしゆっくりとした足取りで前進する。クロトの技により足場が瓦礫だらけになり、歩き難そうにゆっくりと進むヘドロの化け物は瓦礫に足を取られ横転した。地面に倒れると、放射線状にヘドロが散乱し、気色悪い水音を響かせ体が揺れる。あの体がクロトの放った炎を防いだのだとベルは解釈した。
完全に肩で息をするクロトは、半開きの口から荒い呼吸を繰り返し、俯いたまま両肩を大きく揺らす。もう戦うだけの魔力は持ち合わせておらず、絶体絶命の状況にベルは焦っていたが、クロトはそれに反し妙に落ち着いていた。クロトには見えていたのだ。赤い煙が、はっきりとその右目に――。
視界は霞んでいるはずなのに――。体は重く動く事も辛いのに――。その右目には鮮明に映っていた。その化け物から噴出す赤い煙が、自分の体からにじみ出る魔力の波動が。だから、まだ戦える。そう信じ、クロトは柄を力強く握った。
『クロト?』
突然、力が込められ驚くベル。
俯くクロトは視線を上げ、強い意志の宿った力強い眼差しを、緑の化け物へと向けた。この状況下で、まだそんな目が出来るのか、まだ戦う気なのかと驚愕するベルに、クロトは深く息を吐き尋ねる。
「うくっ……ベル……。もう少し、付き合ってくれ……」
顔を上げたクロトの口元に笑みが浮かぶ。疲労の色は隠せないが、それでも化け物に対し笑みを向け、強い視線を向けるクロトにベルも覚悟を決める。
『いいだろう。ならば、お前に見せてやろう』
「見せてやる?」
『ああ。本来なら、この姿には戻りたくなかったんだが、特別だ。貴様に戦い方と言うのを指導してやる』
ベルの言っている事が理解できず困惑するクロトに、ベルがクスッと笑い『驚くなよ』と静かに告げると、唐突に右手に持っていた剣が輝く。強い鼓動が柄を伝いクロトの体に流れる。これが魔剣と呼ばれるベルの鼓動。その鼓動は徐々に強さを増し、柄を握るクロトの右手が暖かなモノに包まれ、背中から囁く様に女性の声が聞こえる。
「手を離せ。私が、無知な貴様に魔力の使い方、戦い方を見せてやる」
「えっ?」
その声に驚き思わず手を離すと、眩い光が魔剣ベルへと収縮されクロトの横に一人の女性が立っていた。小柄な背丈に漆黒の衣服をまとうその女性は、腰まで伸ばしたオレンジ色の髪を揺らし魔剣ベルを肩へと担ぎ、切れ長の目でクロトを見据える。金色の美しい瞳に、クロトは思わず吸い込まれそうになった。
「クロト」
「えっ、あっ!」
突然、名前を呼ばれ我に返ったクロトに、その女性は険しい表情を向ける。
「あまり、私の目を見るな」
「あ、ああ。ご、ごめんなさい」
頭を下げ視線をそらす。それでも、気になり、その美しい目をチラチラと覗き見る。その行為にその女性は怪訝そうな表情を見せ、クロトを横目で睨む。
「おい」
「うえっ! あっ、ご、ごめん!」
「いや。別にいい。元々、私の目が悪い。この目は見る者を魅了し、魔力を奪う。今のお前だと、モノの数分で全ての魔力を失う事になるぞ」
強い口調でそう述べる女性に、クロトは慌てて視線を逸らし硬く瞼を閉じる。背を向けるクロトに、小さく吐息を漏らし不適に笑みを浮かべ、緑の化け物を見据えた。
「いいかい。まず、魔力の扱い方からだ」
静かな口調でそう述べた女性は、肩に担いでいた魔剣を静かに構える。クロトの右目にハッキリと見える赤い煙。全身から僅かに染み出ていたその赤い煙が魔剣を握る右手へと集まり、それが魔剣へと流れる。煙状ではなく、薄い膜状に魔剣を包み込むと、薄らと光を放つ。同じ魔力の練り方でもここまで違うのかと驚くクロトに、その女性は口元に笑みを更に浮かべて告げる。
「見えたか? これが、お前と私の魔力の扱い方の差だ」
「扱い方の差……」
「いいか。魔力って言うのは無尽蔵に湧き出てくるモノじゃない。お前の魔力量は確かに高い。実際、魔王クラスの魔力量を持っていると言っていいだろう」
女性のその言葉に息を呑む。自分の魔力の量がそんなに多いなんて思ってもいなかったからだ。驚くクロトなどお構いなしに、女性は更に言葉を続ける。
「だが、魔力の扱いが下手なお前は、その魔力をずっと出しっ放しにしている。だから、たかが一発の大技で魔力を殆ど消費してしまうんだ」
「そんな事言われても……」
「よく見ろ。私の体を。魔力は溢れているか?」
女性に言われ、クロトは右目を凝らし彼女の体を見据える。赤い煙が全くと言う程出ていなかった。いや、クロトが見る限り、彼女の右手に持つ魔剣を包む赤い膜だけしか見えなかった。これが、魔力を留めると、言う事なのだと理解する。
「理解はした様だな。魔力を放出すると言うのは簡単だ。蛇口を捻れば簡単に水が出るのと同じだ。だが、それを留めるのが難しい。日々の鍛錬により集中力を鍛え、感覚を磨く以外に道は無いだろう」
「感覚を磨く……」
クロトは自分の手へと視線を移し、静かに拳を握る。自分も鍛えればアレ位できる様になるのかと、思いながら。
拳を握ったクロトに、女性はまた笑みを浮かべると更に言葉を続ける。
「あと、技を使用する時の魔力量についても教えておこう。お前が出す赤黒い炎。アレは地獄の炎だ。アレを出すだけでも、常人は相当の魔力を持っていかれるが、お前は特別なのか、少量の魔力で出す事が出来る」
「え、えっと……それって……」
「そうだな。もしお前の魔力量が一〇〇だとすると、その炎を出すのに消費する魔力はおおよそ一~五程の魔力を消費する事になる。まぁ、それは、放出する炎の量にもよるだろうが、刃に炎を灯す程度ならこの位が妥当だろう」
女性の言葉に軽く頷き、言われた事を頭の中で整理していた。そんなクロトに女性は更に説明を続ける。
「だが、お前はこの炎を灯す時に余分に魔力を消費する。だから、発火の瞬間爆発的に炎は燃え上がり、それから徐々に火力を弱めていく。だが、私のように魔力を一定量で留めていると――」
彼女が瞼を閉じ念じると、真っ赤な炎が魔剣の刃を包み込んだ。静かに根元から切っ先へと向かって徐々に燃え上がったその炎は、僅かに揺らぎ火の粉を舞い上がらせる。信じられなかった。魔力の扱い方が違うだけでこんなにも差があるのかと。
驚くクロトに女性は更に厳しい口調で言葉を続ける。
「あと、お前の使用した技も同じだ。無駄に魔力を注ぐから、見た目は派手だが威力が弱い。確かにあれは広範囲の敵を攻撃する為の技かもしれないが、魔力量を調節し、もっとコンパクトに振りぬけば――」
女性は魔剣を頭上へと構え、真っ直ぐに緑の化け物を見据える。足場の悪さに殆ど身動きの取れないその化け物に対し、金色の瞳が輝き彼女は叫ぶ。
「爆炎斬!」
高らかに響き渡る美しい声と同時に、振り下ろされる魔剣。眩い光が周囲を包み込んだ後に光が収縮され爆音と共に衝撃が広がる。魔剣を包んでいた紅蓮の炎は、爆風で前方に広がる。だが、クロトが放った時とは違い、その範囲は狭くそれでいて高熱を宿した炎が緑の化け物だけを呑み込み、水が蒸発する様な音が周囲へと僅かに聞こえた。
女性の斜め後ろにいたクロトは、広がる衝撃に弾かれ壁に背中を打ちつけうなだれていた。明らかにクロトの放ったモノとは別物の破壊力に、クロトは息を呑む。魔力の使い方でこれ程まで違うのかと。