第35話 消えた人
見回りの兵士が牢屋の前で立ち止まり、慌ただしく扉が開く。
軋み嫌な音をたてた後、兵士は無人の牢屋内に入ると慌ただしく周囲を確認する。そして、すぐに牢屋から飛び出すと、来た場所を慌てたように戻っていった。
足音が遠ざかっていくと、部屋の窓に備え付けられていた鉄格子がゆっくりと外れ、床へと落ち金属音が周囲へ広がる。
「あ、危なかった……」
外から牢屋へと戻ったクロトは、窓枠につかまるルーイットを引き上げると、ベッドに腰を下ろした。
クロトは両手首に付いたリングを外した後、あの赤黒い炎を使い窓枠を破壊し、外に隠れていた。足場が無く何とか窓枠に掴まり手の力だけで体を支えていた為、クロトは無駄に疲れていた。ルーイットもあまりの緊張感に疲弊し、肩を大きく揺らし呼吸を乱していた。
すぐに兵士が戻ってくる事は容易に予測がついた為、クロトは静かにベッドから立ち上がると、ルーイットに目を向ける。
「大丈夫か?」
「だ、大丈夫……」
息を乱し返答したルーイットに、クロトは右手を差し伸べ、
「行くぞ」
と、静かに告げた。だが、ルーイットはその手をとらず、呼吸を乱したままクロトの横を通り過ぎ牢屋を出た。その行動に、小さく吐息を漏らしたクロトは、その背中にジト目を向け、「素直じゃないな」と呟き後に続いて牢屋を出た。
廊下は静まり返っていた。脱獄した事はバレているはずなのだが、警報一つ鳴っていない。それどころか、さっきの兵士の足音がいつの間にか聞こえなくなっていた。この状況に、クロトの脳裏を嫌な予感が過ぎる。
ルーイットは辺りを見回し、一人でそそくさと歩き出す。危なっしく歩むルーイットの背中を追うクロトは、牢屋の一つ一つを覗く。もしかしたらベルがあるんじゃないかと、思ったのだ。だが、そんな所にベルがあるわけ無く、クロトは小さく肩を落とした。
「何? 落ち込んでるみたいだけど?」
「いや、実は、俺の剣があるはずなんだけど……」
「剣? 牢屋においてあるわけないでしょ?」
「でしょうね」
苦笑しながら即答したクロトに、ルーイットは不満そうな目を向けた。クロトの口調に妙にイラッと来たのだ。仏頂面のルーイットに、クロトは小首を傾げジト目を向ける。
「どうかしたのか? そんな顔して?」
「あんたって、ムカつくわね」
ルーイットの一言がクロトの胸を突き刺し、「うぐっ」と呻き声を上げたクロトは胸を押さえて蹲った。まさか、ほぼ初対面の女性にムカつくなどと言う単語を言われるとは思っていなかった。いや、言われる理由が思い当たらなかった。だから、余計に胸が痛んだ。
落ち込むクロトの姿に、ルーイットは小さく吐息を漏らすと、右肩をやや落としクロトを見据える。その視線にクロトは体を起こし無理に笑みを浮かべた。もう一度小さくため息を吐いたルーイットは、右手を額に当てると軽く首を振り両肩を落とす。
「ほら、行くわよ。剣、探してるんでしょ?」
「えっ、ああ……でも、どこにあるのか……」
「大体の見当はついてるから」
静かな口調で述べたルーイットは、静かに廊下を歩き出す。立ち上がったクロトは、そんなルーイットの後に続いた。暫く廊下を歩む。
その間、兵士に遭う事も無く、警報が鳴る事も無かった。
(やっぱりおかしい)
警戒するクロトは、何度も後ろを振り返る。足音が聞こえない。追っ手も無い。何かがおかしいと感じ、クロトは不意に足を止める。前を歩むルーイットは頭の上の耳をピクッと動かすと、足を止め振り返り小首を傾げる。
「どうかしたの?」
眉を八の字に曲げ、不安そうな表情を浮かべるルーイットに、クロトは口元に人差し指を当てる。静かにと言う合図だった。その行動にルーイットは自分の口を両手で塞ぎ、コクッと頷く。静まり返った廊下。やはり足音は聞こえない。訝しげな表情を見せるクロトは、息を呑み近くの扉を開き部屋の中を確認する。
誰も居ない殺風景で無人の部屋。そこに静かに足を踏み入れたクロトは、本棚、机と見据えた後、ゆっくりと窓へと近付く。壁へ身を隠し、窓から外を確認する。やはりおかしかった。外にすら誰一人居なかった。
「おいおいおい……おかしいぞ。ルーイット」
「えっ? 何が?」
クロトに続いて部屋に入ってきたルーイットは口を押さえたままくぐもった声でそう返答し、不思議そうな表情を浮かべる。全くと言う程異変に気付いていない様子のルーイットに、クロトは呆れた様にジト目を向けると、小さく吐息を漏らし頭を掻いた。
どうもルーイットは抜けている所がある。一人で脱獄出来る程頭が切れるはずなのに、この違和感に気付かないなんてと、苦笑しもう一度ため息を吐いた。
「いいか。よく聞けよ?」
「う、うん」
小さく頷くルーイットに、クロトは腕を組み窓の外を横目で覗き込み、言葉を続ける。
「脱獄してどれ位の時間が経ったと思う?」
「それは……十分位……かな?」
「その間、追っ手や他の兵士に遭わなかったろ?」
「うーん。あははっ、私達、運がいいんだね」
可愛らしく笑顔を見せるルーイットに、クロトは頭を抱えた。そして、ジト目を向け更に言葉を続ける。
「あ、あのなぁ……。じゃあ、何で警報は鳴ってないと思う?」
「えっと……運が……いいから?」
「違う。消えたんだ。その兵士も、この飛行艇の乗っていた兵士も、この街の人達も」
「消えた? えっ? ど、どう言う……」
困惑するルーイットに、クロトは右手の親指で窓の外を指差す。外を見ろと言わんばかりに。わけが分からず、ルーイットはよろよろと窓の前まで歩みを進めると、息を呑みその目で確かめる。窓の外を。
人一人見当たらない静まり返った町並み。ここは最前線防衛ラインであり、ミラージュ王国最大の防衛要塞のある場所でもある。そんな場所に人が一人も居ない。それは異様な光景だった。
息を呑むルーイット。その瞳孔は開き、激しい鼓動が胸を打つ。見開かれたその眼差しに、クロトは眉間にシワを寄せる。クロトは知らないのだ。この街がどう言う所なのか。だから、ただ街に人が居ない事がおかしいといっているのだ。
だが、ルーイットは違う。この街を知っている。そして、この街がどう言う場所でどれ位重要な所なのかと言う事を。だから、言葉を失っていた。驚愕し震えていた。目の前の現実を受け入れられずにいた。
腕を組み壁に背を預けるクロトは、ルーイットの異常な反応に戸惑っていた。なぜ、あんなに驚いているか分からなかったからだ。とりあえず、ルーイットが落ち着くまで待とうと、クロトは息を吐きルーイットを椅子へと座らせた。
「大丈夫か?」
「う、うん……だ、大丈夫」
「大分驚いてたみたいだけど……」
クロトの言葉に、ルーイットは静かに息を吐き俯く。その態度でクロトも深刻な状況なのだと理解する。そして、静かに窓の外へと目を向けた。争った跡などは無く、それが余計に恐怖を煽る。
その時だった。突如としてクロトの右目が疼いたのは。赤く輝きを放ち、またクロトの視界に変化が起きる。
「イッ……」
ルーイットに聞こえない位小さな声で呟くと、目を細めた。薄らと扉の隙間から部屋へと入り込む赤い煙。何かがこの飛行艇内に入り込んだのだと、クロトは気付き身構えた。