第34話 獣魔族 ルーイット
飛行艇に揺られて数日が過ぎ、飛行艇はようやく停泊する。
ゼバーリック大陸の最西端に位置する魔科学を発展させた国、ミラージュ王国。その王国の東、ギリギリ領土内の国境近くに位置するこの国では最大の防衛線が張られた中型の街。要塞と研究所、そして飛行場が備わったその街に、飛行艇は停泊し燃料を補給していた。
着陸した事により揺れは治まり、クロトの酔いは醒めていた。硬いベッドに横になり、薄汚い天井を見据えるクロトは、小さく息を吐く。腕を頭の上に乗せ、小さく呻き声を上げると、寝返りをうつ。体を横にし壁を見据え、クロトは瞼を閉じる。僅かに耳に届く足音。その足音に耳を澄ませる。
(誰だ? 持ち主か? それとも……見回りか?)
息を呑み、呼吸を潜める。ここはこのままやり過ごす方がいいと言う考えに至った。ゆえに、クロトはその足音が聞こえなくなるのを待つ。握ったその手に僅かに汗を滲ませながら。
静かな足音が徐々に近づき、やがて止まる。何処かの檻の前で立ち止まり、複数の鍵がぶつかり合う音が聞こえた。何処かの牢屋が開かれようとしているのだと、直感する。同時に鉄のこすれる音が響き、鍵が開く音が廊下から響く。それに遅れて鉄の軋む嫌な音が響き渡り、また足音が静かに耳に届いた。それは間違いなく、クロトの方へと近付いていた。それを確信し、クロトは足音が止むと同時に体を起こし、その人物に掴み掛かった。
「キャッ!」
目の前にいた人物を押し倒すと、そう可愛らしい悲鳴が上がり、クロトはその悲鳴に驚き目を丸くする。押し倒し体を押さえつけて気付く。右手に感じる柔らかな感触。そして、目の前に映る可愛らしい色白の少女と目が合った。
暫しの沈黙。硬直するクロトは、今ある自分の状況に耳まで赤く染め慌てて飛び起きる。
「わわっ! ご、ごめん!」
飛び上がりベッドへと正座し深々と頭を下げる。警備服を着た少女は立ち上がるとお尻をパンパンと叩き、長い紺の髪を揺らしムスッとした表情を向けた。その頬を僅かに赤めらせる少女は、クロトをジッと見据えると、眉間にシワを寄せる。
「いきなり、人を押し倒すなんてどう言うつもり?」
「い、いや、てっきり、見回りの兵士かと――」
顔を上げたクロトは、その少女が警備服を着ているのを見て言葉を呑んだ。急に黙り込んだクロトに小首を傾げた少女は、自分の服装を見て納得したのか、二度頷いてニコッと笑みを向ける。
「これ、さっきそこで奪ったモノ」
「奪った?」
訝しげな視線を向けるクロトに、「そっ」と短く返答した彼女は腕を組み右手を頬へと沿えると、困り顔で吐息を吐く。
「それで、脱獄しようとしたんだけど……一人じゃ不安でしょ? その時、あなたが囚われてる事を思い出して、一緒に脱獄しようと思ったら……」
そこまで言って彼女は拳を握り震わせる。おおよその予測がつき、クロトは引きつった笑みを浮かべた後に、もう一度深々と頭を下げた。
「ほ、本当に申し訳ありませんでした!」
「全く、いきなり押し倒して、おまけに胸まで……」
顔を赤くしそう告げた少女は、恥ずかしそうに俯き両肩を震わせる。
土下座していたクロトは、不意に顔を上げ気付く。彼女の頭、紺色の髪に隠れている二つの獣耳を。そこでようやくクロトは彼女が魔族である事に気付いた。あまりの事に呆然とするクロトに対し、少女は憮然とした表情を向ける。
「ちょっと、人の話聞いてる?」
「えっ、あー……キミって……魔族?」
不安げにそう尋ねるクロトに、少女は頭に生えた獣耳をピクッと動かすと、不思議そうな表情を向ける。その表情は明らかにクロトに対し、警戒心を強めていた。怪訝そうに自分を見据える少女に対し、クロトは苦笑し右手で頭を掻くと、申し訳なさそうに口を開く。
「ご、ごめん。俺、あんまり詳しくなくて……」
「……ふーん。あんたって、結構田舎の生まれなのね。私は獣魔族のルーイット」
「えっ、あぁ……俺はクロト。それで……獣魔族って?」
軽く自己紹介をした後、クロトがそう尋ねるとルーイットの表情が歪む。面倒臭いと言いたげなそんな眼差しに、クロトは困った表情を浮かべ申し訳なさそうに微笑んだ。そんなクロトに小さくため息を漏らしたルーイットは、肩を落とすと渋々と説明を始める。
「いい。魔族って言うのは大きく分けて三つの種族に分かれてるの。まずは、あなたみたいに褐色な肌に尖った耳なのが、魔人族。この魔人族の長、いわゆる王様がデュバル様ね」
「へぇーっ……魔人族……」
「そっ。魔族の中で一番多いのは魔人族よ。あっ、瞳の色が赤いって言う特徴もあるかしら?」
思い出した様にそう付け足したルーイットは、視線を右上へと向けうんうん、と小さく頷きニコッと笑う。
「次に獣魔族ね。私みたいに頭の上に獣耳が生えてて、ほら見て」
ルーイットは口をイーッとして歯を見せる。クロトはその歯をジッと見据え気付く。二本の牙が生えている事に。驚くクロトに対し、ニシシッと笑ったルーイットは口を閉じ、説明を再開する。
「見ての通り、獣魔族には牙があるの。他にも爪を隠し持つ者や、翼を持つ者と色々居るわよ。ちなみにだけど、獣魔族は魔人族と違って魔力が弱くて、身体能力が高いの。魔族の中では一番身体能力が高い種族よ」
「えっと……じゃあ、ルーイットも身体能力が高いのか?」
「うーん…………」
妙な間が空き、クロトは悟る。あくまで基本と言うだけで、皆が皆身体能力が高いと言うわけでは無いのだと。
微妙な空気が流れ、クロトは引きつった笑みを浮かべ、
「と、とりあえず、説明を続けてもらえるかな?」
と、促すと、ルーイットも僅かに苦笑し、視線を逸らせ「そ、そうだね」とつぶやきクロトに背を向ける。本人も分かっているのだろう。自分がそんなに身体能力が高くないと言う事に。だから、複雑だったのだ。
ギクシャクする二人の顔から笑みが消え、ルーイットが深く息を吐くと肩を落とす。その背中からにじみ出る不のオーラにクロトはジト目を向ける。
「もしかして……自覚あんのか?」
「どうせ、運動神経悪いわよ……。何よ! 悪い!」
唐突に開き直り怒鳴るルーイットに、クロトはうろたえる。
「い、いや、別にわ、悪いなんて言ってないだろ?」
「うーっ! その目! その目がそう言ってるのよ!」
ルーイットはクロトの赤い瞳を指差しそう怒鳴る。そんなルーイットの八つ当たりに近いその言い分に、どうすりゃいいんだと、言いたげに目を細めると、ルーイットの頬がプクーッと膨れる。その表情に何処かセラに似た印象を感じ、クロトは思わず笑いを噴出す。
「ぷっ! くふふっ……」
「ちょっ! 何笑ってんのよ! あんた、いい加減にしな――」
と、そこでルーイットの声が途切れる。クロトの右手で口を押さえられて。微かに足音が聞こえたのだ。それを確認する為にルーイットの口を押さえ、顔を近付け耳元で「静かに」と呟いたのだ。
耳を澄ませる二人。息を呑む。静まり返った一室に僅かに響く足音に、クロトは渋い表情を浮かべ、ルーイットも表情を歪める。長いし過ぎたと、後悔するが今となってはそれも後の祭りだった。
額に汗を滲ませるクロトは、ふと彼女の腰にぶら下がった鍵の束に気付き、自分の手首についたリングを見据える。
「ルーイット。その鍵の束に、このリングを外す鍵はあるのか?」
静かな口調で問うと、口を塞がれているルーイットはコクコクと二度頷き、右手で鍵を取るとクロトの両手首に付いたリングの鍵穴へと差し込んだ。僅かに走る電流にクロトは奥歯を噛み締め耐え、近付く足音に耳を澄ませた。