第33話 生きてる
シオが横たわる青年の横まで下がり、ケルベロスは少女と対峙する。
静かに時が刻まれ、ゆっくりと二人の黒髪を風が撫でる。
大きく上下する少女の肩が、次第に緩やかに変わり呼吸も大分落ち着きを取り戻す。それでも、彼女の表情に浮かぶ疲労の色は消せず、苦しそうに眉間にシワを寄せていた。それ程まで体力を消耗していながら、目の前に対峙する少女の姿に、ケルベロスは疑念を抱く。
(一体、どう言うつもりなんだ)
と。何を考えているのか、理解出来なかった。人間と魔族は敵。敵であるはずの自分を助ける為に、何故そんなにまで頑張るのか、分からなかった。今まで戦ってきた人間に、こんなタイプの奴はいなかったからだ。
だから、ケルベロスも困惑していた。彼女を信じていいのか、人間を信じていいのか、と。そして、その視線は僅かにシオの方へと向けられた。シオはその視線に気付かなかったが、ケルベロスはしっかりとその瞳にシオの姿を映し、静かに瞼を閉じる。
(アイツが……信じているなら……)
と、静かに心で呟き。目の前にいるこの少女を信じようと。
対峙し、僅かな時が過ぎ、少女はゆっくりと右足を前に踏み出す。自分の間合いにケルベロスを捕捉し、腰を僅かに落とし、槍を引く。静かに口から吐き出された息が白く凍り付き、ゆっくりと瞼を開かれたケルベロスと視線が交錯する。
少女の体を覆う光が徐々に弱まり、一点へと集まる。彼女の手に構える槍の先へと。自らの守りを捨て、この一撃に全てを賭けるつもりなのだと、ケルベロスは悟り息を呑んだ。
と、その時、彼女の鼻から血が静かに流れ出す。あの光は彼女の肉体に対し、相当の負荷を掛けるいわば諸刃の剣の様な力だったのだ。
「ぐぅっ……」
僅かに彼女の呼吸が乱れ、その表情が苦悶に歪む。膝が僅かに落ち、地面に着いてしまいそうになるが、彼女はそれを堪えジッとケルベロスの姿を見据える。
ケルベロスもそんな彼女の姿をジッと見据えていた。自分が今出来るのは、この暴走する肉体をその場に抑え付ける事だけ。その為、ケルベロスは自分の意思をしっかりと保ちながら、少女の目を真っ直ぐに見据え、その一撃をただひたすら待った。
ケルベロスにとって長い長い数秒程の時が過ぎ、ようやく彼女が動き出す。右足へと全体重を乗せ、柄を握る手に力を込め、彼女は叫ぶ。
「シャイニングスピア!」
と。踏み込んだ右足に体重を乗せ、力いっぱいに地面を蹴り、腰を回転させその勢いを乗せ一気に光り輝く槍を突き出す。連動されたその彼女の今出せる最大の一撃。かわす事など容易く出来るその一撃を、ケルベロスは見届ける。自分の胸へと突き刺さる切っ先を、その目でしっかりと。
痛みはただ一瞬。その後、ケルベロスの意識はプツリと途切れ、大量の鮮血を放射線状にばら撒いたその肉体は、背中から刃を突き出させ静かに膝から崩れ落ちた。
だが、それと同時、彼女自身も倒れ込む。力を使い果たして。そして、ケルベロスの体を貫いた槍は静かに光の粒子となりその場から消滅した。
横たわる二人。静まる空気。無音の中で数秒の時が過ぎる。呆然としていたシオが、ようやくこの状況を把握し叫ぶ。
「冬華!」
シオが叫び、冬華と呼んだ少女の方へと走り出す。まだ少しだけ意識の残っていたケルベロスは、そんなシオの姿を薄れ行く視界の中に見据え、その瞼は静かに閉じられた。
それから、どれ位の時が過ぎたのか、ケルベロスは目を覚ました。空を彩る無数の星空を見上げ、貫かれたはずの胸へと右手を乗せる。
「生きてる……のか?」
胸に傷は無く、ケルベロスは静かに体を起こす。だが、僅かに体に走った痛みに「うっ」と声を漏らし、ケルベロスの表情が苦痛に歪んだ。暴走した事による反動で、ケルベロスの肉体はボロボロだった。魔力も殆ど残っておらず、体は重く動くのも辛い。
それでも、何とか体を起こしたケルベロスは、胸を押さえ小さく肩を揺らす。冷たい夜風がそんなケルベロスの頬を撫で、漆黒の髪を揺らした。
「目が覚めた様だな」
「誰だ!」
突然の声に、ケルベロスは声をあげ、鋭い眼差しを声の方へと向ける。木々の合間の闇の中から、静かな足音が聞こえ、ソイツは姿を見せた。傷だらけの鎧をまとった一人の男が。穏やかな表情を浮かべ、戦意は無いと両手を広げながら静かに歩みを進めるその男の姿に、ケルベロスは膝を立てると奥歯を噛み締める。暴走している時に一度、彼を見た記憶があったからだ。
身構えようとするケルベロスに、男は慌てた様に早口で告げる。
「おいおいおい。落ち着け。俺に戦う意思は無い。ただ、聞きたい事があるだけだ」
「聞きたい事?」
男の言葉にケルベロスは眉間にシワを寄せると、男の穏やかな表情が一変し真剣な顔へと変わる。緊迫した空気が流れ、ケルベロスの額に薄らと汗が滲む。彼の放つ威圧感がそうさせたのだ。息を呑むケルベロスは、静かに腰を上げると、ゆっくりと立ち上がる。激痛を体に伴いながらも、立ち上がったケルベロスは、ジッと男の青い瞳を見据え口を開く。
「人間のお前が、魔族の俺に何を問う? 知りたい事があるなら、捕らえて拷問でもしたらどうだ?」
「番犬と呼ばれる君が、拷問位で答えるのか? 違うだろ? それに、俺は頼んでいるだけだ。イヤなら別に答えなくても良い」
「…………」
男は真剣な表情を崩し穏やかに笑い、ケルベロスは怪訝そうにその顔を見据えた。全く分からなかった。この男が何を考えているのか。だから、ケルベロスの警戒は余計に強まった。
「何を企んでいる?」
「何も企んでいないさ。ただ、今回のこの事件について、調査しなきゃいけない。それに、君を暴走させた激薬を誰が投与したのかも」
穏やかな表情をまた真剣な表情へと一変させそう述べた。その男の顔をジッと見せるケルベロスは「ふっ」と小さく息を吐き、肩の力を抜くとその場に座り込む。立っているのが限界だったと言うのもあったが、何故かこの男に魔王デュバルの姿がダブって見え、信頼しても良いと言う気持ちになった。
座り込むと男はやや心配そうな表情を向け、ケルベロスは深く息を吐き尋ねる。
「お前は何だ? 一体、何の目的で調査をしている?」
「んっ? 俺は、アオ。ギルド連盟直属部隊に所属している。今回行われたこのクエストは連盟に申請が無いにもかかわらず、連盟に加盟非加盟問わずに多くのギルドに対して連盟からの極秘クエストとして依頼されたモノなんだ」
「ちょ、ちょっと待て! 連盟が申請していないのに、何故連盟から極秘クエストとしてしかも非加盟のギルドにまで依頼されるんだ?」
ケルベロスが驚き声を上げると、アオは腕を組み唸り声を上げる。
本来、連盟に加盟していないギルドに対して、ギルド連盟から依頼が行く事は無い。故に、今回の様に非加盟のギルドがこのクエストに参加する事などありえない事なのだ。
「そこなんだ。俺もある筋からこの情報を得た時に、疑問を抱いてな」
「だが、なんでこの集落を? ここを襲う理由などないだろ?」
「ああ。確かにな。でも、これが実験だとしたらどうだ?」
「実験?」
ケルベロスが怪訝そうに問うと、アオは小さく頷く。
「ああ。今回は、お前に使った薬物の実験。そう考える方が妥当だろ?」
「なら、わざわざギルドに依頼しなくても……」
「そうなんだよなぁ……。そこだけ腑に落ちないんだよな」
穏やかな口調でそう述べるアオに、ケルベロスはジト目を向けると、
「お前、馴れ馴れしいな」
と小声で呟いた。