第30話 フォーメーション
静かな足取りで歩みを進める。
吹き抜ける風が奇妙な気配を漂わせる中、ケルベロスは次々と人間を殺していった。皆、ケルベロスは秘密兵器だと聞かされていた為、まさか自分達を襲ってくるとは思っていなかったのだ。その為、抵抗する事無く、一人、また一人と消されていった。
それでも、森の中にはまだ多くの人間が残っており、その気配をケルベロスは探りながら足を進めていた。近場近場へと寄りながら、より多くの人間が居るその場所へと向かう。そこには一つ二つ強い力を感じ、それは最も危険な存在なのだと、暴走しているケルベロスも直感的に感じ取ったのだろう。その為に、ウォーミングアップに散らばった人間を殺していた。
ゆっくりと足が止まる。その視線の先に映るのは四人組の男女のパーティーだった。一人は女で回復担当のヒーラー。残りの男は戦士、ハンター、騎士の三人。
両刃の両手剣を持つ戦士は着慣れた傷だらけの鎧をまとい、ハンターは腰に数本の手投げ用ナイフをぶら下げ、背中には数本の矢の入った筒を背負いその手には弓を握り、軽装で動きやすさを重視した服装をしていた。一方で騎士は、右手に持った長い槍を自らの横に立て、重々しく分厚い鉄の鎧をまとっていた。
その四人組の様子を窺っていたケルベロスは、荒々しく呼吸を繰り返すと、不敵に笑みを浮かべ、茂みから一気に飛び出す。
「誰だ!」
その物音にいち早く反応したのはハンターの男だった。背後から飛び出したケルベロスの方へと小柄な体で素早く振り返り、その手で矢を射る。その矢がケルベロスの頬を掠め、鮮血が舞う。
ハンターによる思わぬ反撃に、ケルベロスは動きを止めるとすぐに距離を取り、四人を威嚇する様に喉を鳴らす。
「あ、あれって……」
「秘密兵器……って呼ばれてた奴だな……」
驚くヒーラーの女に、騎士の男が静かに答え、女を守る様に前に立ちはだかる。それに少し遅れ、戦士の男がケルベロスの前へと歩み出ると、剣を構え眉間にシワを寄せ怒鳴った。
「おうおう。どう言うつもりだぁ! テメェは俺らの秘密兵器じゃねぇのか!」
「ふぅーっ……ふぅーっ……」
「聞いても無駄みたいだぜ。リーダー。こうなりゃ、戦うっきゃねぇ」
荒々しい呼吸を繰り返し両肩を揺らすケルベロスの姿に、ハンターの男が矢を引きながら言うと、戦士の男も「ふむっ」と小さく頷き口元に笑みを浮かべた。
「お前が誰だか知らないが、俺達のフォーメー――!」
戦士の男が自慢げにそう口にした刹那だった。その額にぶち込まれるケルベロスの右拳。蒼い炎が鉄製の兜を溶かし、拳がその兜を弾き飛ばし、木々にぶつかり澄んだ金属音を僅かに響かせる。間一髪で身を屈め拳をかわした戦士の男。一瞬で間合いを詰められ、驚いたがそれでも何とか対応出来る速さだった。
「くぅ……速いなぁ……」
戦士の男が後方へと飛び退き、左肩で頬を伝う汗を拭った。兜を失い短い黒髪を風に揺らす。
「わりぃ。リーダー。援護出来なくて」
「いや。いい。とりあえず、お前は後方支援だ」
謝るハンターの男を励まし、指示を出した戦士の男は、剣を構え直しケルベロスを見据える。
「今、補助魔法を……」
「ああ。頼む」
ヒーラーの女が杖の先を額へと当て、祈る様に瞼を閉じる。足元に浮かび上がる魔方陣が輝き、その輝きにケルベロスは素早く反応を示す。
「うがああっ!」
「しまっ――」
戦士の男の横をすり抜け、一直線にヒーラーの女へと突き進むケルベロス。だが、直前でケルベロスは急ブレーキを掛けると後方へと飛び退く。それに遅れ、前方から槍が突き出され、地面へとその刃を減り込ませた。
「ここから先は、通さん」
「ぐうぅぅっ……」
騎士の男は地面に減り込んだ槍の刃を土ごと持ち上げると、その刃先をケルベロスの方へと向け笑みを見せた。これが、この四人組のフォーメーションだった。戦士の男が前衛でその後ろにハンターの男。そして最終防衛ラインとしてこの騎士の男が立ちはだかる。そんな三人を更に強化する様にヒーラーの女の声が響く。
「光の祝福!」
杖が振り上げられ、輝く光が三人の男に降り注ぐ。体を包む薄い光。これが、光の祝福の効果だった。だが、ただ体が光っているだけではない。肉体強化。それが、光の祝福の効力で、瞬発力・跳躍力・筋力を強化し、相手の打撃や斬撃などの攻撃を軽減する働きもある。効果は五分程だが、それでも十分すぎる効力が備わっていた。
その効力を知ってか、ケルベロスは静かに左足を退き、表情を強張らせる。
「さぁ、五分で終わらせてやるぜ!」
戦士の男がそう叫びケルベロスへと駆け出す。一蹴りで地面が抉れ、ケルベロスとの間合いが縮まり、男はその手に握った剣を振り抜く。
「くっ!」
だが、刃は空を斬る。ケルベロスがバックステップで後ろに数十センチ下がったからだ。切っ先がケルベロスの目の前を通り過ぎ、その太刀風で黒髪が揺れる。刃が目の前を通過すると、ケルベロスは蒼い炎に包まれた右拳を握り締めると、右足を踏み込む。
「させるかってのっ! 爆陣烈波」
ハンターの男の幼さ残る声に、ケルベロスは踏み込んだ足で地を蹴ると後方へと更に飛び退く。遅れて地面へと一本の矢が突き刺さり、それと同時に戦士の男は慌てて後方に飛ぶ。
「クッ!」
戦士の男が飛び退くのとほぼ同時に、地面に突き刺さった矢が衝撃波を広げ、周囲一帯を吹き飛ばす。地面が抉れ、後方へと飛び退いた戦士の男は衝撃で地面を転げた。一方、ケルベロスは右手を地面へと着き、体勢を低くし衝撃を逃れていた。
「ああーっ! ライ! 危ないだろ!」
「いやいや。リーダーならかわせる。そう信じてたんだよ」
ライと呼ばれたハンターの男が右手の親指を立てニッと笑うと、戦士の男は額に青筋を浮かべ表情を引きつらせる。だが、すぐにケルベロスの方へと視線を向け、剣を構え直す。
一方、ケルベロスは別の気配を感じ、その方角へと顔を向けていた。強い力。複数の強大な力さえも飲み込んでしまうその力の波動に、ケルベロスは体の向きを変える。
その行動に、戦士の男は訝しげな表情を浮かべ、
「おいおい……戦いの最中に余所見なんて……余裕だな!」
一気に地を駆けケルベロスへと間合いを詰め、右足を踏み込む。その瞬間、戦士の男の握った剣の刃が光り輝く。
「雷火――」
刃を包む光が蒼く変わり、稲妻が迸る。踏み込んだ足へと体重を乗せ、腰を回転させ一気に刃を振り抜く。
「轟雷斬!」
雷鳴が轟き刃を包む雷撃が振りぬかれると同時に前方へと放たれる。凄まじい稲光が全ての者の視界を遮り、同時にケルベロスを襲う激しい雷撃。だが、この中で戦士の男だけが表情を強張らせる。振り抜いたはずの剣が、途中でピタリと止まっていたからだ。
「ぐっ……」
奥歯を噛み締め、目の前のケルベロスを見据える。刃はケルベロスの左手で受け止められていた。僅かに黒焦げた手の平から真っ赤な血が刃を伝う。それでも、その視線、その体の向きは変えず、ケルベロスは静かに歩き出す。
完全に四人の存在など忘れ、その強い力に惹き付けられる様にゆっくりと歩みだすケルベロスに、戦士の男は静かに剣を下ろす。
「な、何なんだ……一体……」
呆然とその背中を見据える戦士の男は、息を呑み自分の剣へと目を落とす。刃は僅かに溶けていた。ケルベロスの蒼い炎に包まれた手で掴まれた所為で。