第3話 魔王の娘とケルベロス
疾風が吹き、血飛沫が舞う。
衝撃が木々の葉をざわめかせ、同時に悲鳴と断末魔の叫びをこだまさせる。
「キャァァァァッ!」
「グアアアアッ! お、俺の腕が――」
何が起ったのか分からず、ただその場に座り込んだまま動けずに居る裕也。その目の前で、一人の男が悶え苦しむ。その男は先程、まさに裕也にランスを振り下ろした鎧を着た男。だが、そのランスを持った腕は肘から切断され、鮮血を撒き散らしている。
「な、何だよ……一体何が……」
腰を抜かしたまま後退しようとしたその時、右手に何かが触れた。生暖かく、それでいてヌメッとしたモノ――それを確認した瞬間、その場に蹲り嗚咽を吐く。腕だった。ランスを持ったままの腕。
蹲ったまま嗚咽を繰り返す裕也の前で、足音が一つ止まった。騒然とする周囲の人々の声の中、裕也の耳に声が届く。
「この程度で、このザマか……」
「ぐっ……」
明らかに裕也に向けられた言葉。その言葉に顔をあげると、目の前にたたずむ一人の男。褐色の肌に鋭い眼差しが刺す様に裕也を見据えていた。瞳は燃え盛る炎の様に赤く、表情は氷の様に冷たい。
そんな男と視線が交わる。刹那、向う側から斧を振りかざした大男が突っ込んできた。
「うおおおおっ! ケルベロス! テメェの首、貰った!」
大男が斧を振り下ろす。だが、それは空を切った。ケルベロスと呼ばれた男が、斧の側面を叩き軌道を反らした所為で。
「な、何!」
驚く大男。しかし、振り下ろされた斧はその重みと勢いに逆らう事は出来ず、そのまま地面にその刃を突き立て、大男は前のめりになった。
「おい。誰の首を貰うって?」
前のめりになった大男の耳元で、静かに囁くケルベロス。その声に大男は腰を抜かし、膝を振るわせる。その体格に似合わぬその怯えっぷりに、ケルベロスは更に冷たい視線を向け、その手に炎を灯した。美しい淡い青の炎を。
「や、やめろ! や、やめて――」
「ならば、聞こう。貴様等は、やめたのか?」
「お、俺はや、やめ――」
「否。貴様等人間は、命を乞う俺の同胞達の命を、奪った。見せしめの様に、大衆の面前で!」
「ひっ! ち、違う! お、俺は――」
怯える大男に対し、更にもう片方の手にも炎を灯す。
「弁解の余地は無い。死――」
「抜刀! 閃光!」
突如響いた声と共に、一人の男がケルベロスに切りかかった。ほんの一瞬の隙を突いた一撃に、ケルベロスも紙一重で後方、裕也の頭を飛び越え距離を取る。服が裂け、僅かに腹部に赤く線が滲む。侍の様な格好をした男は抜いた刀を鞘に納めると、大男の前に立ちふさがる。
「……すまんが、ここは退かせてもらう」
「俺が、大人しく見逃すと?」
「思っては無い。だが、こっちにもコレがある」
と、男が懐から手の平サイズの宝石を取り出す。
「ワープクリスタルか……初めから逃げ帰る前提だったと言う事か……」
「それは違う」
「ふっ……どうでもいいさ。消えるならさっさとしろ。俺は気は長くない」
「そうか……」
男が静かに呟くと、右手に持った宝石を空へと投げる。すると、眩い光が男たちを包み込み、一瞬にしてその場から消えた。何事も無かった様に、静まり返った一角で、少女が呻き声をあげ目を覚ました。
「んんっ…」
「姫! 目がご無事ですか!」
突如声をあげたケルベロスは、もうろうとしながらも体を起した少女の方へと駆け寄ると、少女はボンヤリしながら、静かに口を開く。
「ケル……ベロス? 何で、あんたがここに?」
「何を言ってるんですか! 姫様が、城を勝手に抜け出すから、追ってきたんじゃないですか!」
「そう……くっ。私は、また守れなかった……町の人達がまた……」
少女は唇を噛み締め、その目から涙をこぼす。そんな少女の体を抱きかかえたケルベロスは、静かに裕也の方へと体を向けた。
「あの者は……」
「彼を、城に……。唯一の生き残りだから……」
「はっ。 おい! お前! 立て! 我等の城に案内する」
命令する様な口調で裕也にそう告げる。
ようやく、吐き気も薄れ、落ち着きを取り戻した裕也は、彼の言葉に従う様にゆっくりと立ち上がった。二人の視線が僅か数秒交錯し、ケルベロスが歩き出す。
「ちょっと待て!」
その背中に裕也が叫ぶと、ケルベロスが足を止め振り返る。
「何だ?」
鋭い眼差しが裕也を刺す様に見据え、裕也もその眼差しに恐怖し膝を震わせる。初めて感じる殺気。ケルベロスと言う男から感じる圧倒的な威圧感に、裕也は心を折られそうになりながらも、声を絞り出す。
「ここは何処だ……それに、お前達は一体……」
「ふん。ついて来い。歩きながら説明してやる」
ケルベロスはそう言うと裕也に背を向け歩みを進めた。まだ気分の悪かった裕也は、そんなケルベロスの背中をふら付きながらも追った。
暫く歩いた後、ケルベロスに抱かれた少女が沈黙を破る様に口を開く。
「ここはゲートと呼ばれる世界。きっと、あなたは別の次元から来たんでしょ?」
「えっ、あっ…まぁ……」
状況をつかめない裕也の心を見透かした様に、少女の言葉に思わずそんな返事をした。だが、ケルベロスはそんな裕也を怪訝そうに見据え、
「とても、そんな風には見えませんが? 奴と同じ別次元から来たとは?」
「いや。間違いなく、コイツは別次元から来た。私がこの目で見たんだ。間違いない」
「まぁ、姫が言うなら……信じましょう」
と、言いながらも疑いの目を向けたままのケルベロスに、裕也は一人苦笑した。何と無く状況が分かれば、少しだけ安心した。僅かに安堵の表情を浮かべた裕也に、少女は優しく微笑みかけ、
「私はこの大陸の一部を管理する魔王デュバルの娘で、セラ。よろしく」
突然切り出された、魔王と言う単語に、裕也は目を細め引き攣った笑いを浮かべる。
「はは……魔王って……」
乾いた笑い。
ここが異世界だと言う事は理解したが、まさか、魔王と言う単語が出てくるとは思ってもなかった。確かに、先程の連中は魔族がどうとか言っていた為、多少覚悟はしていた裕也だが、この少女が魔王の娘とは……と、半ば呆れていた。
そんな裕也の心情を悟ったのか、不愉快そうな表情を浮かべ、
「貴様、死にたいのか?」
「エッ! いや、何で!」
「ケルベロス! いきなり、失礼だろ? 悪いな。コイツも悪気があるわけじゃないんだ」
「い、いえ……で、出来れば、この世界の事から話してもらえるとありがたいです……」
ケルベロスの放つ圧倒的な威圧感に、押し潰されそうになりながらも、裕也がそう言うと、セラは「それもそうね」と呟き、ケルベロスの肩越しにニコッと裕也に微笑みかけた。
「ゲートは、五つの大陸。三人の魔王。五つの国から成り立つ世界」
「魔族と人間の争いが絶えぬ世界だ」
「コラ! ケルベロス! 妙な事を付け加えるな!」
「俺は本当の事を教えたまでだ」
仏頂面でそう答えたケルベロスに、セラは小さくため息を漏らした。
「ごめんなさい。ケルベロスも悪気があるわけじゃないのよ」
「い、いえ。俺は何も気にしてないから」
「そう? それじゃあ、続けるね」
嬉しそうに笑みを浮かべたセラが、更に言葉を続ける。
「この世界の中心と言われるのが、今私達の居る大陸ルーガスよ。空からも海からも侵入される事が出来ぬ大陸って言われてるけど、唯一南側の一部の海岸が今だけ通れる様になってるの。だから、さっきの様な人達が……」
一瞬セラの表情が曇ったが、すぐに笑みを浮かべる。
「んで、その唯一の入り口前に城を構えるのが、私の父親よ」
「ふーん。それじゃあ、この一体だけがその魔王の土地で、後は人間の土地って事?」
「んなわけねぇだろ。この大陸の九割が未開拓の地だ」
ケルベロスがそう口を挟むと、セラが「ムーッ」と、不満そうに声を上げた。
「今、それ、私が言うつもりだったのに! ドヤ顔するつもりだったのに!」
「いや、ドヤ顔って……」
呆れた笑いを浮かべる裕也に、ケルベロスは小さくため息を漏らし、遠い目をしながら、
「正直、デュバル様が居なければ、この大陸に辿り着ける者など居なかった。人間も魔族も……」
ケルベロスの意味深な言葉に、裕也は首をかしげたが、すぐに「ほら、あれがウチの城よ」とセラが叫んだ為、その言葉はすぐに消えて行った。記憶の片隅へと。