第299話 ズレる弾丸の正体と最悪の魔王の復活
木々の生い茂る森を抜けたクロトの目の前には、巨大な神殿が佇んでいた。
神秘的な空気を漂わせる神殿だが、その壁には青苔やツタが広がっていた。
呼吸を整えるクロトは、その神殿を見上げ、眉間にシワを寄せる。
神殿内部から溢れる不気味な魔力の波動。それは、とても大きく禍々しく、恐怖を与えるには十分過ぎる程だった。
息を呑むクロト。その手の平には汗がジットリと滲み、指先は冷たくなっていた。
緊張している。極限まで。
本当なら、今すぐこの場から逃げ出したい。それほど、怖かった。
それでも、クロトは戦わなければならない。守るべき人がいる。その背に背負った多くの人の想いがある。何よりも、自分を信じてくれている人達を裏切ることは出来ない。
瞼を閉じ、深く息を吐く。気持ちを落ち着かせ、いざ、歩みを進めようとした時だ。
乾いた銃声が一発、神殿内から聞こえた。
「な、なんだ!」
慌てるクロトは、唇を噛むと険しい表情を浮かべる。
脳裏をよぎったのは、冬華の顔。もし、自分よりも早く冬華がここにたどり着いていたら。そう考えた。もし、そうだったなら、今の銃声は――
ッ、と声を漏らし、クロトは走り出す。冬華で無い事を祈りながら。
床にひれ伏すケリオス。
その額には焦げ跡の付いた弾痕。
血はとめどなく溢れ、床には血が溜まっていた。
うつ伏せに倒れ動かないケリオスを見下ろすクロウは、鼻から息を吐くと、右足でその頭を踏みつける。
生存確認の為だった。不愉快そうに鼻から息を吐くクロウは、眉間にシワを寄せる。
「ふっ……貴様は、所詮その程度だ」
そう吐き捨て、クロウはケリオスを足蹴にした。
「冬華!」
慌ただしい足音と共にクロトの声が広い神殿内部に響く。
靴の裏がキュキュッと床と擦れ、クロトの足は止まった。その眼がクロウの姿を捉えたのだ。
その手に握るハンドガンの銃口からは白煙が僅かに揺らめき、足元には血を流し動かないケリオス。この光景を目の当たりにし、クロトはおおよその状況を理解する。と、同時に安堵する。
しかし、すぐに険しい表情を向け、キッとクロウを睨んだ。
「随分と遅かったじゃないですか。大分待ちましたよ。まぁ、暇つぶしの相手がいたので、時間は潰せましたが……」
「ッ!」
クロトは息を呑み、クロウの足元に倒れるケリオスへと目を向けた。完全に息は無い。間違いなく死んでいた。
ゆっくりと重心を落とすクロトは右手へと魔力を込めた。それにより、手の中へと呼び出す。朱色の刃をした剣・焔狐を。
「火の剣……焔狐。美しい刀身ですね」
微笑するクロウを無視し、クロトは呼び出した焔狐へと魔力を注ぐ。
話を聞くつもりはない。今、目の前にいるのは倒すべき相手で、話して分かり合えるとは到底思えない。故に、クロトは地を蹴る。力強く。
初速からトップスピードでクロウへと迫る。だが、クロウは口元を緩め、憐れむ様な眼差しをクロトへと向けた。
「五秒……四……三……」
カウントダウンが進む。その声を聞き、クロトは思い出す。
(ズレる弾か!)
と。
「……一――」
クロウとカウントダウンが終わる寸前、クロトは一気にスピードを殺し後方へと跳躍した。
しかし、次の瞬間、跳躍したクロトへと、音もなく現れた弾丸が放たれる。まるで、クロトがそこに跳躍すると分かっていたように。
「くっ! 属性硬化!」
かわせない。そう判断したクロトは、膝を曲げ、背を丸め、交差させた両腕で頭を守るように抱える。なるべく、的を小さくしようと考えたのだ。その状態で、全身に広げた魔力で、土属性による硬化を行った。
体を覆うのは光沢のある漆黒の物質。それが、一発、二発……と、次々に弾丸を弾いた。
「ッ!」
衝撃に思わず声を漏らすクロトだが、属性硬化によりダメージは無い。ただ、空中でのバランスが崩れ、そのままクロトは背中から地上へと落ちた。
重々しい音ともに、激しく土煙が舞う。硬化したおかげで、落下ダメージも殆ど無く、クロトはゆっくりと体を起こした。
「瞬時の判断。流石ですね」
クロトの行動を絶讃するクロウは、小さく拍手を送った。眉間にシワを寄せるクロトは、焔狐の柄を両手で握り締める。
迂闊に動く事は出来なかった。クロウの使うズレる弾丸ラグショット。これをどうにかしなければクロウに近づく事すら出来ない。
――いや。実際の問題はズレる弾丸の方ではない。弾丸がズレるだけなら何の問題も無い。ただ、問題なのは、クロウが放つズレる弾丸は、ほぼ確実に命中する。初めからそこに動く事を分かっていたかのように、ズレる弾丸は放たれる。
まるで、未来が視えているかのように、正確に。
疑念と不安。それが、クロトの中に渦巻く。
疑念は――本当にクロウが未来視が出来るのか。
不安は――もしそうだとしたら、どう戦えばいいのか。
「くっ!」
思わず声を漏らすクロトは、険しい表情を向ける。
ひたすら思考を巡らせる。答えを見出そうと考える。
言葉を発せず、長考するクロトに、穏やかな表情を向けるクロウは両腕を広げた。
「考えている時間があるのかい? 君に」
クロウの発言に、クロトは右の眉をピクリと動かした。何を言っているのか、そう思ったのだ。
今のクロウの発言から、あまり時間を掛けている余裕はない、と言っているのは分かる。でも、クロトに覚えはない。
そもそも、長期戦に持ち込んで不利になるのは明らかにクロウの方だ。時間が経てば、後から他のメンバーも駆けつける。そうなれば、数で圧倒的優位になる。
ただ、欲を言わせれば、冬華が来る前には決着を着けたいと思っていた。
訝しげな表情を見せるクロトに、クスリと鼻で笑うクロウは静かに口を開く。
「呆けている暇があるのか? と、聞いたのですが……どうやら、理解していないようですね」
あざ笑うクロウに、クロトはギリッと奥歯を噛み、
「何を理解してないって言うんだ?」
と、静かに尋ねる。
すると、クロウは「ふんっ」と鼻で笑い肩を竦める。そんな時だ。軽快な足音が神殿内部に響く。
その足音にクロウは不敵に笑み、クロトは僅かに眉間にシワを寄せる。おおよそ、検討はついていた。
天童がまだ動けない事を考えれば、この状況でこの場に最も辿り着く可能性があるのは――
「クロト!」
英雄・冬華。透き通るような声を響かせ、肩を上下に揺らす。それにより、肩口で黒髪が揺れ、僅かに膨らんだ胸も上下する。
半開きの唇から漏れる吐息。ここまで、急いできたのだろう。体にも傷が何箇所かあり、冬華も敵と対峙してきたことは明らかだった。
静かに瞼を閉じるクロトは、奥歯を噛み締めたまま息を吐く。
「どうやら、役者は揃ったようですね」
クスリと笑うクロウは、上目遣いにクロトを見据える。小さく息を吐き、クロトはゆっくりと瞼を開く。
クロトとクロウ。二人の眼が交錯する。
そんな中、息を切らせる冬華は、胸に右手を当て呼吸を整えると、
「クロト! アイツの目的は、この地に封じられてる最悪の魔王を復活させる事よ!」
と、力強い口調で告げた。
冬華の言葉に、クロトはピクリと右の眉を動かす。
「最悪の魔王を復活させる事?」
疑念から思わずそう口にするクロトは、訝しげにクロウを見据える。今更、そんなものを復活させて何になるんだろうか、と考えていた。
疑念が膨らむ中、クロウは口元に薄ら笑いを浮かべる。
「おやおや。英雄殿は実に物知りだ」
頭を左右にゆっくりと振り、鼻から息を吐く。
「何処でそんな事を知ったのか、知りたい所ですね」
肩を竦め、そう言うクロウに、冬華は鼻筋にシワを寄せる。とても嫌そうな表情をクロウへと向けていた。
そして、一呼吸を置き、口を開く。
「全部聞いた。あなたが、三人の魔王から膨大な魔力を奪い、イエロからは動力の星屑の欠片を奪った」
「そうか……。それじゃあ、アレは俺達を分断する為じゃなくて、時間稼ぎの為の駒だったって事か……」
クロトもようやく理解する。ここまで辿り着くまでに戦った面々が、ただの時間稼ぎでしかなかった事を。彼らの能力を考えれば、時間を稼ぐには余りある。いや、寧ろ彼らで片が着くと考えていたのかもしれない。
結果的にクロトと冬華の二人が、クロウの所まで辿り着いた。戦力を削り、同時に時間稼ぎも出来る。
しかし、クロトには疑問が残っていた。
“今更、わざわざ時間を稼ぎをしてまで、最悪の魔王を復活させる意味があるのだろうか?”
と、言う疑問だ。
そもそも、クロウが最悪の魔王に拘る理由が分からない。そうまでして復活させて何をしようと言うのだろう。
世界の破壊? 人々への粛清?
いや。どちらも当てはまらない。
世界を破壊する事くらいアレだけの魔力を奪ったクロウなら可能だろうし、人々を消すのはもっと簡単だろう。
疑念を抱くクロトに微笑するクロウは、頭を右へと僅かに傾ける。
「不思議ですか? 私が最悪の魔王の復活を願うのは?」
「ああ。そうだな。正直、そんな事をする理由が俺には分からない」
クロトが静かにそう答えると、その後ろで冬華が怒鳴る。
「ちょ、ちょっと! なに悠長に話してるのよ! 時間が無いんだから!」
「分かってる! ……けど、魔王の片腕として信頼されるあいつが、どうしてこんな事をするのか知りたいんだ」
クロトがそう言うと、冬華は不満そうに眉を顰める。
「知って……何になるのよ? もう、話し合いなんかで解決出来るような状況じゃないんだから!」
冬華が声を荒げる。すると、クロウは静かに拍手を送った。
「流石は英雄殿。状況判断能力も素晴らしい」
「バカにしないで!」
冬華はそう怒鳴り、槍を構える。
そんな冬華に対し、肩を竦めて見せるクロウは、首を左右に振った。
「バカになんてしてませんよ。私は褒めて差し上げているのですよ」
「それが、バカにしてるって言うのよ!」
動き出そうと右足を踏み出す。だが、それをクロトは右手で制止する。
「落ち着け」
「落ち着けるわけないじゃない! もう時間が無いんだから! てか、なんであんたはそんなに落ち着いてられんのよ!」
語気を強める冬華に、クロトは静かに息を吐く。
「仕方ないだろ。お前の前でかっこ悪い姿……見せられないだろ」
真顔でクロトはそう口にし、もう一度静かに息を吐いた。
クロトの言葉に冬華は押し黙る。暫しの沈黙に、クロトは後悔する。柄でもないことを言ってしまった、と。
そして、この場の空気に耐えきれず、
「……と、まぁ、冗談はこの辺にして……」
と、思わず口にした。
その瞬間、冬華は俯き、静かに槍を持ち直し、
「じょ、冗談ってなによ!」
と、石突きでクロトの背中を突いた。
「イダッ! ちょ、と、冬華さん!? やっ、な、痛いって!」
「う、うう、うるさいっ! バカッ! な、なな、何変な事言ってんのよ! こんな状況で!」
「痛っ! い、痛い! ほ、ほんと、痛いです!」
何度も何度も冬華の突きが背中を襲い、クロトの悲鳴に似た声が響き渡る。
その光景を黙って見据えるクロウは、不愉快そうに目を細めた。
先程までの緊張感は緩和され、クロトと冬華の二人は落ち着いた空気を作り出していた。それが、クロウは気に食わなかった。
「はぁ……はぁ……た、戦う前に……俺が力尽きるから……」
膝を着きうなだれるクロトは、肩で息をしていた。
一方、冬華も僅かに呼吸を乱し、不満そうにクロトを睨んでいた。
一体、何が悪かったのか、クロトにはさっぱり分からず、
「な、なんで怒ってるんですかね」
と、冬華へと顔を向ける。だが、冬華の答えはなく、冷ややかな眼差しで睨まれた。
あまりの迫力に「こ、怖ぇ……」と呟き、クロトは目を細める。これ以上、怒らせたら後が更に怖い。そう思い、クロトはクロウへと目を向けた。
「流石ですね。緊迫した空気をぶち壊すとは……黒き破壊者の名は伊達ではないと言う事ですかね」
嫌味っぽくそう口にするクロウに、クロトは肩を竦める。
「俺はそんな大層なもんじゃない。ただの一、魔族でしか無い」
「ふっ……謙遜を。まぁ、良いでしょう」
小さく頭を振ったクロウは微笑し、静かに一歩前へと出た。
「そうそう。先程の君の質問の中に一つだけ間違いがあったので訂正させてください」
「……?」
クロトは訝しげに眉を曲げる。
「彼は私を信頼して傍に置いていたわけではない。彼は、私を監視する為に傍に置いていたんですよ。薄々気付かれていたんでしょうね」
小刻みに肩を揺らし笑うクロウ。何がおかしいのか、クロトと冬華には分からない。
ただ分かるのは、このクロウと言う男を魔王デュバルが危険視していたと言う事だけだった。
「まぁ、今となっては彼の監視も何の意味も無い。私はこうして、ここに立っている。今、最悪の魔王を復活させ、全てを破壊する」
クロウとその言葉に、クロトは右の眉をピクリと動かした。
「最悪の魔王の復活? でも、お前は俺の中にいたアイツを消し去った。今更、肉体が蘇ったとして何になる」
「そうだね……彼には失望したよ。まさか、君らに感化されてしまうなんて……。でも、まぁ……“心“など不要。器とそれを動かすだけの動力、膨大な魔力さえアレばいい」
大手を広げ高らかにそう口にし大口を開け笑うクロウに、クロトは「“心“は……不要か……」と静かに呟いた。
一瞬だがクロトの表情はもの悲しげだった。だが、すぐにそれは真剣な顔つきへと変わり、その手に握った火の剣・焔狐の切っ先をクロウへと向ける。
「あんたとは、どうやっても分かり合えそうにないな!」
「バカなの? さっきから言ってるじゃない。もう話し合いで解決できる状況じゃないって」
呆れたようにそう即答した冬華は、左手で頭を抱え大きくため息を吐いた。
冬華の横槍で水を刺されたクロトは、小さく鼻から息を吐き出す。
二人のやり取りを眺めるクロウは、不愉快そうに眉間にシワを寄せる。今までの余裕が嘘のように、苛立っていた。
「話は済みましたか? そろそろ、片をつけたい所なのですがね」
クスリと笑いそう告げるクロウに、クロトと冬華は眼を向ける。
眉間にシワを寄せるクロトは、一歩、二歩と下がると、
「冬華、ちょっといいか?」
と、冬華にしか聞こえない程の小さな声を発する。
一瞬、訝しげな表情を浮かべる冬華だったが、「なによ?」と小声で返す。
二人は小声でやり取りをした後、冬華は小さく息を吐く。呆れたような眼差しをクロトへと向け、少々不満そうに腰に手を当て、
「わかったわよ」
と、渋々首を縦に振った。
「んじゃ、任せる」
「あんたも……死なないでよね」
不安げにそう口にする冬華に、クロトは困ったように眉尻を下げ、
「どうだろうな。とりあえず……攻略の糸口くらいは見つけるつもりだよ」
と、微笑し、その視線をクロウへと向けた。
クロウと視線が合うとクロトは一気に駆け出す。握り締めた焔狐に魔力を込め、朱色の刃は炎をまとう。
炎は火の粉を舞わせ、揺らぐ。
「バカ正直に正面から突っ込んでくるとは……浅はかですね」
クスリとクロトの行動を笑うクロウは、ゆっくりと右腕を肩の高さまで上げると、
「ラグショット」
と、引き金を引いた。
乾いた銃声が轟き、クロウのハンドガンは硝煙を噴く。だが、弾丸は放たれない。
僅かに表情を強張らせるクロトだが、その足は止まらない。ここで止まる訳にはいかなかった。後ろには冬華がいるからだ。
(どのくらいズレる?)
そう考えるクロトは、上体を前へと傾け更に加速する。ズレる弾丸が放たれる前に、クロウに斬りかかりたい。
そんなクロトの思考を読んだかの如く、クロウは口元に笑みを浮かべ、銃口を向け引き金を数回引いた。
乾いた銃声が轟き、今度は数発の弾丸が放たれる。
僅かに表情を険しくするクロトだが、瞬時に魔力を全身へと広げる。
(属性硬化! 土!)
全身に広げた魔力を土属性へと変化させると、それにより自らの体を硬質物で覆う。だが、それと同時にクロトの動きは停止した。
全身にまとう硬質物により間接も固定されたのだ。それだけ、硬い物質だった。
それにより、放たれた弾丸は次々と弾かれ、火花が散る。しかし、次の瞬間、クロウの口元に薄っすらと笑みが浮かび、
「穿け」
と、ハンドガンへと魔力を込め、
「アクアショット」
と、引き金を引く。
刹那、青い閃光が一直線にクロトの硬化した体を撃ち抜いた。
「う、ッ!」
クロトの体が後方へと大きく弾かれ、鮮血が宙へと舞う。
二度、三度と床を転げ、クロトは仰向けに倒れる。
「クロト!」
冬華が声を上げ、走り出す。だが、それを、
「来るな!」
と、クロトは制した。
ゆっくりと上体を起こすクロト。右脇腹には激痛が走り、「くっ!」と思わず声を漏らし、左手で右脇腹を押さえる。
シャツの上からでも分かるヌルッとした感触に、クロトの表情は歪む。硬化した体を安々と撃ち抜かれるとは、想像していなかった。
ただ、簡単に行くとは思っていなかった為、驚きは少なく、クロトは瞬時に左手に魔力を込めると傷口を炎で焼いた。
出血を防ぐ為に傷口を強引に塞いだのだ。
「うっ……くぅっ……」
激痛に噛み締めた歯の合間から吐息が漏れ、両目は涙で潤んでいた。
呼吸を乱し、肩を上下に揺らすクロトは、すり足で右足を前へと出す。
「自慢の属性硬化も、私の前では無意味。簡単に貫けますよ」
「そう……みたいだな!」
クロトが激痛に耐えながら床を蹴ると同時に、それは現れる。先程、クロウが放った一発の弾丸だ。
まるで空間を貫いてきたかのように出現し、クロトの左肩を撃ち抜いた。
「うぐっ!」
クロトの表情が一層歪み、左肩が大きく後方へと弾かれる。鮮血は霧状に散り、やがて消えた。
背中から倒れたクロトは、二度三度と体をバウンドさせた。傷口からは血が溢れ、床へと血を広げる。
険しい表情を浮かべ、体を起こそうとするクロトだが、その体をクロウが左足で押さえつけた。
「うがああっ!」
思わずクロトが声を上げる。クロウの踵がクロトの左肩の傷口をえぐっていた。
「うぐぅ……がああああっ!」
激痛に声を上げるクロトを、クロウは蔑むように見下ろす。
「クロトから離れて!」
冬華の声が響き、槍がその手から放たれる。冬華の方へと顔を向けるクロウは、口元に薄っすらと笑みを浮かべる。
「残念ですが、それも――」
クロウの声の後、真っ直ぐに向かってくる槍に一発の銃弾が真下から直撃する。澄んだ金属音の後、火花が散り、槍は上へと弾かれ回転し、地面へと突き刺さった。
「なっ!」
驚く冬華に、ニヤニヤと笑うクロウは、右手を腰へと当て、頭を左右に振る。
「英雄殿は非常に直線的ですね」
「っるさい!」
冬華はそう叫ぶと床を蹴り、駆ける。クロウへと向かう途中、床に突き刺さった槍の柄を左手で握り、そのまま反転し、
「ぬっ!}
と、声を漏らし槍を引き抜き、クロウの方へと向き直る。と、同時に冬華は左手に握った槍をクロウへと全力で投げた。
この距離ならどうだ、と言わんばかりの勢いだが、クロウはそれを鼻で笑い左指をパチンッと鳴らせ、人差し指で冬華を指差す。
「無駄ですよ」
静かな声と共に一発の銃弾が槍を上へと弾き、二発目の銃弾が槍を冬華の後方へと弾いた。
計二回の澄んだ金属音と火花。そして、冬華の遥か後方へと落下する槍が、カランカランと音立てた。
呆然とする冬華。その眼は見開かれ、ゴクリと息を呑む。
ニタリと笑むクロウは、グッと左足へと力を込める。
「ぐあああああっ!」
クロトの悲鳴がこだまし、冬華は我に返る。
「クロト!」
冬華が動き出そうとする。だが、クロウはそんな冬華へと銃口を向け、動きを牽制した。
銃口を向けられ動きを止める冬華は、険しい表情を浮かべる。
だが、次の瞬間、クロウはその場を飛び退く。
「おっと……危ない危ない」
クロウはそう言い横たわるクロトへと目を向ける。
「ハァ……ハァ……」
呼吸を乱すクロトは赤黒い炎をまとう焔狐を床へと突き立て、右手を左肩へとあてがう。そして、奥歯を噛むと赤黒い炎で傷口を焼き止血する。
声を押し殺し、表情だけを歪め止血を終えたクロトは、涙目になりながら両肩を大きく揺らす。
「全く……流石は黒き破壊者。あんな状態でも反撃してくるとは……驚きですよ」
微笑し、肩を竦めるクロウに、クロトはゆっくりと床に突き立てた焔狐を抜き立ち上がった。
その眼は真っ直ぐにクロウを見据え、熱気を帯びた吐息が口から漏れる。
「クロト?」
不安そうな冬華の声に、
「大丈夫だ」
と、クロトはハッキリと答えた。冬華を心配させない為だった。
だが、実際は大丈夫とは言い難い状態だった。右脇腹に左肩。すでに二発も撃たれている。止血したとは言え、それは止血と言うには雑で、本当に傷口を強引に塞いだ程度。
体には激痛が走りっぱなしだった。それを必死に隠し、クロトはゆっくりと火の剣・焔狐を構える。
「俺の心配はいい」
「でも――ッ!」
そこまで言って、冬華はすぐに言葉を呑んだ。
二人の間に流れる沈黙、奇妙な空気感に、クロウは疑念を抱く。何かがおかしいと感じていた。
呼吸を整えたクロトは、すり足で右足を前へと出す。両手で確りと焔狐の柄を握り締め、クロトは魔力を広げた。
朱色の刃に赤黒い炎が灯り、それが僅かな火の粉を上げる。
真っ直ぐな瞳を向けるクロトに、クロウは不愉快そうに表情をしかめた。
「まだ、そんな目が出来ますか。この絶望的な状況下でも……」
その口から漏れる小さな吐息。両肩は僅かに沈み、クロウは瞼を数秒伏せた。そして、薄っすらと口元に笑みを浮かべ、その口からもう一度小さな吐息を漏らす。
「私は視えている。あなた達の未来が――。絶望し、死を迎えるあなた方の姿がね」
クロウがそう口にする。自信に満ち溢れた表情に、クロトは僅かに表情をしかめた。
薄々、そうだとは思っていたが、本人の口から聞かされると真実味が増す。だが、クロトは未だに違和感を感じていた。
思考を張り巡らせるクロトは、右足へと体重を乗せる。
動き出そうとするクロトに、クロウは不敵な笑みを浮かべ銃口を向けた。
「次は……何処に――」
――刹那。クロウの声を遮る乾いた銃声。
目を見開くクロウ。その体から弾ける鮮血が床を彩る。
「うぐっ!」
奥歯を噛むクロウの左膝が落ち、弓なりになった上半身はやがて前のめりに倒れた。
表情をしかめるクロウは、左手を床へと着く。左脇腹には銃創が刻まれ、血が溢れ出ていた。
そんなクロウの姿にクロトは驚愕し、やがて口元へと笑みを浮かべる。今までの疑念、疑惑、違和感の全てがクロトの中で一つに繋がったのだ。
「……クッ!」
息を吐くクロウは、静かに立ち上がるとすぐに振り返る。
その眼は真っ直ぐに額から血を流すケリオスを見据える。間違いなく死んでいたはずだった。その証拠に額には銃創がくっきりと残り、血が滴れる。
「くっ……くくっ……」
肩を揺らし笑うケリオスは、体をゆっくりと起こす。
「どう、した? 未来……が、視える、んだろ?」
声を震わせるケリオスに、眉間にシワを寄せるクロウは静かにハンドガンを向けた。
「……忘れていましたよ。あなたは生き返れるんでしたね!」
銃声が重なる様に何発も轟き、弾丸はケリオスの体を貫く。鮮血をまき散らせ、何度も何度も。
ケリオスの手から銃は弾かれ、やがてその体は力を失い崩れ落ちる。体中に銃創が何箇所も刻まれ、ケリオスの動きは完全に止まった。
僅かに息を切らせるクロウは、ゆっくりと腕を下ろす。
「これだけ撃ち込めば流石に完全に死んだでしょうね。幾ら甦れるとしても」
ふふふっと笑うクロウは、最後に一発ケリオスの眉間に銃弾を撃ち込んだ。
無数の銃創を刻まれたケリオスの体から大量の血だけが溢れ出していた。
辺りは静まり返る。
口元を両手で覆い絶句する冬華。
俯くクロト。
誰もがその場で沈黙を守り、刻々と時が流れる。
その中で静かに動き出すクロトは、ゆっくりと顔をあげると天を仰ぐ。
クロトの動きにクロウはピクリと眉を動かし、振り返る。
「不愉快ですね。君は一々」
眉間にシワを寄せ、クロウはクロトへと銃口を向けた。
すると、クロトはゆっくりとクロウの方へと眼を向け、静かに息を吐き出す。それが、クロウは不愉快で、引き金を引く。
破裂音のような銃声が轟き弾丸が放たれる。しかし、クロトはそれを手にしていた火の剣・焔狐で両断した。
澄んだ金属音が響き、火花が散る。
不満げな表情を浮かべるクロウは、下唇を噛み眉間にシワを寄せた。
「なぁ……一ついいか?」
クロトの静かな声に、クロウは相変わらず不愉快そうに眉間にシワを寄せたまま、
「なんですか?」
と、少し間を開け答えた。
クロウの答えに、クロトは強い眼を向ける。
「あんた、本当に未来が視えてるのか?」
唐突なクロトの問いに、クロウは目を細める。何か意図があるのか、と疑念を抱いた様子だった。
そして、冬華も唖然とした様子でクロトの背を見据える。
静けさが漂い、やがてクロウは静かに笑う。
「なんですか? 唐突に――」
「今更、そんな事聞いてどうするのよ!」
クロウの声を遮り、冬華がクロトの背中へとそう怒鳴った。
その声にクロトは複雑そうに目を細め、小さく右肩を落とす。
「……いや。今、重要な所だから、ちょっと静かにしててくれませんか?」
冬華の方へと振り返ったクロトはそう言い、苦笑する。
クロトの言葉に冬華はムスッと頬を膨らした。不満はあるようだが、“重要な所”と言われては黙るしかなかった。
口を噤む冬華へとチラリと目を向けた後、クロトはクロウへと目を向けた。
二人の視線が交わり、クロウの表情が一瞬だけ不愉快そうに歪む。だが、すぐにその口元には笑みを浮かべ、小さく肩を竦める。
「ホント、今更なんですか? そんな事を知って何か変わるとでも?」
「……そうだな。この際だから、ハッキリさせておこうと思ってね。あんたの使うそのズレる弾丸の正体をさ」
クロトは自信たっぷりの眼でクロウを見据える。その眼にクロウは眉間にシワを寄せた。
「ラグショットの事ですか? それと、私の未来視。何か関係があるとでも?」
鼻から息を吐きもう一度肩を竦めるクロウは、小さく頭を左右へと振った。
呆れた様な眼差しを向けるクロウに、クロトは変わらず自信に溢れた強い眼差しを向ける。
「ああ。関係あるね。ハッキリ言おう。あんたのラグショット。それだけなら、全く脅威じゃない。ただ、弾丸が遅れてくるだけなのだから」
「……で、何が言いたいんだ」
僅かにクロウの声のトーンが下がった。
「あんたのラグショットの脅威。それは、"絶対に”外れない事だ」
「当然でしょ。私には未来が視えている。ハッキリとね」
クスリと笑うクロウに、クロトは小さく息を吐く。
「なら、何故……あんたはさっきの一発をかわせなかった? ハッキリと視えてるんだろ?」
「…………」
僅かにクロウの表情は曇るが、何も答えない。
沈黙を守るクロウに対し、クロトは言葉を続ける。
「まぁ、仮にアレがあんたの芝居で、未来視が無いと、俺に油断させる為にワザと撃たれた、とも考えられる。だが、俺はずーっと違和感を、疑念を抱いていた」
「違和感? 疑念?」
クロウがクロトを睨む。
「ああ。疑念はあんたの正確過ぎる未来視。そして、違和感は絶対に外れない弾丸。俺は、ずっとあんたには未来視があるから弾丸は絶対に外れないと思ってた。だが、そもそも、その前提が間違っていたんだ」
クロトは一呼吸開ける。まるでクロウの反応を伺うかのように。
そして、自分の導き出した答えを口にする。
「何故、弾丸は外れないのか? あんたが未来視が出来るから? いや、違う。イエロが言っていた。未来は無数に枝分かれしている、と」
「私と彼女とでは能力が違うんですよ。そりゃ、視ている未来だって違うに決まってるじゃないですか」
呆れたと言わんばかりに肩を竦めるクロウに、クロトは首を振った。
「そうだとしたら、おかしくないか?」
「何がですか?」
「さっきの弾丸をかわせなかった事は」
「それが、君の言う通りブラフだとしたら?」
「ありえないだろ。そもそも、あんたにそのブラフは必要ないはずだ。それに……そうしたかったなら、もう少し弾丸を外しておくべきだった」
クロトはそう言い辺りを見回す。辺りには全く弾痕が無い。それは、クロウが放った弾丸は全て的に当たっていると言う証拠だった。
あまりにも正確な射撃。それは、全く無駄弾が無いと言う事になる。イエロの言う通り、未来が無数に枝分かれしていてるなら、幾ら事前に弾丸を仕込んでいたとしても百発百中はありえない。
その事から、クロトは確信していた。
「お前に未来視は出来ない」
そうハッキリと言い放ち、クロトはその右目に魔力を宿す。それは、赤い輝きを放つと、クロトの視界に鮮明に周囲の魔力の波動を映し出した。
「そもそも、ラグショットのカウントもおかしいだろ? カウントなんて、本来必要ない。わざわざ、カウントを聞かせるって事は、お前は相手に植え付けたかったんだ。“自分には未来視が出来る”と」
「でも、なんでそんな事する必要あるのよ?」
黙るクロウに代わり、後ろから冬華が不満げに声を挟む。
「未来視が仮になかったとして、絶対に外れないなら、そんな事する必要ないでしょ?」
「違う。そうする必要があったのさ。絶対に外れない弾丸のタネを見破られない為に」
クロトの発言にクロウは静かに右腕を肩の高さまで持ち上げ、銃口を向ける。
「君はそのタネを見破った……と、言いたいのかな?」
引き金に人差し指を掛け、静かに尋ねるクロウに、クロトは呆れたような眼差しを向ける。
「今までの話を聞いて、そんな事言ってるのか?」
「…………ですね。答えを聞くまでも無いですね」
クロウの人差し指が引き金を引く。乾いた発砲音の後、『カウント十秒』と機械音が響き、
「――ラグショット」
と、クロウは不敵な笑みを浮かべる。
銃口から白煙が吹き出されるが、弾丸は放たれない。
クロウの眼を真っ直ぐに見据えるクロトは、正面だけでなく周囲一帯を警戒する。
「なるほど……どうやら、本当に私のラグショットのタネは分かったようですね」
「ちょ、ちょっと待って! ラグショットのタネって何よ!」
クロトの後ろから冬華がそう声を上げる。
その問いにクロトは冬華に背を向けたまま答える。
「思い出せ。広場での事を」
「広場での事?」
冬華は怪訝そうに眉間にシワを寄せた。だが、すぐに思い出したようにパッと表情は明るくなる。
「それって、もしかして、イエロの――」
冬華がそう口にした時、クロトは素早く手にしていた焔狐を振り抜く。火の粉が舞い、火花が散る。何処から現れたのか分からない弾丸が真っ二つに割け、クロトの横をすり抜ける。
焔狐を振り抜いたクロトの眼はクロウを見据え、クロウもまたクロトを見据える。その口元に薄ら笑いを浮かべて。
引き金が何度も引かれ、轟く十発の銃声。だが、放たれたのはたったの二発。それをクロトは軽くいなし、その手にした焔狐を消した。
そして、次の瞬間、クロトの両手には風の剣・嵐丸が姿を見せる。瑠璃色の細い刀身の二本の剣。それを握り締めたクロトは、やや腰を落とし、赤く輝く右目で周囲を見回す。
「あんたのラグショットの正体。それは――」
クロトの右目に小さな魔力の渦がハッキリと映る。自らの右斜め四十五度。その角度に映り込む魔力の渦に対し、クロトは素早く風の剣・嵐丸を振り抜く。
左手の剣が魔力の渦を裂き、同時にそこから放たれたであろう弾丸を両断。その破片が僅かにクロトの左頬を掠め、微量の血が弾けた。
「――空間転移」
強い眼差しをクロウへと向けた後、クロトの瞳は右へ左へと動く。と、同時にクロトの両手に持った二本の剣をしなやかに振るい、次々と魔力の渦を切り捨てた。
音もなく火花だけを散らせ、振るわれた二本の剣。その麗しき瑠璃色の刃は、静かな風をまとっていた。
「そうだと考えれば、あんたの絶対に外れない弾丸も説明がつく」
背筋を伸ばし、クロトは一息に息を吐き出す。
「好きな時に、好きな場所に弾丸を打ち出せるんだ。そりゃ、外れるわけないさ。……でも、欠点もある」
クロトはそう言い、目を細めクロウの姿を凝視する。
「欠点? 何を……バカな……」
ふてぶてしく笑むクロウ。何事もないかの様に、平静を装うクロウだが、クロトの眼には鮮明に映し出される。クロウ自身の異変――大量に体から吐き出される魔力の波動が――。
「随分と消耗しているみたいだな。まぁ、当然だろうな。空間転移はそれだけ消耗の激しい代物。あんたが未来視があると思わせたかったのは、空間転移による魔力の消耗を隠す為。タネがバレて対策され、長期戦になれば分が悪いもんな」
クロトのその言葉にクロウの表情は曇った。だが、すぐにクスリと笑うと、首を傾げる。
「……そうですね。あなたの言う通りですよ。長期戦になれば分が悪い。しかし――」
不敵に笑むクロウの指が引き金を引く。何発も轟く銃声が重なり、弾丸が放たれる。銃声が重なった為、何発の弾丸が撃ち出されたのか分からないが、明らかに銃声と放たれた弾丸とでは数が合わない。
だが、クロトがやる事は変わらない。向かってくる弾丸を嵐丸で切り落とすだけ。
風をまとう瑠璃色の刃を持つ二本の剣は、しなやかに空を切り弾丸を裂く。火花が何度も散り、僅かな金属音が響く。
そんな中、不敵な笑みを浮かべるクロウは、静かに尋ねる。
「……いいのかい? 彼女を放置していて?」
クロウの言葉にクロトは気付く。自分の後ろには冬華がいて、消えた弾丸は今、彼女の下へ――。
奥歯を噛むクロトは、瞬時に振り返る。だが、その瞬間、数発の銃声と共に弾丸がクロトの背中を撃ち抜く。
「うぐっ!」
噛み締めた歯の合間から血を吐くクロトの背中から鮮血が弾ける。
と、同時に「キャッ!」と冬華の悲鳴が響く。
「冬華!」
左膝を地面に落とすクロトは、声を上げ冬華へと目を向ける。その眼に映る。無数の弾丸を浴びる冬華の姿が――。
だが、クロトはすぐに安堵する。何故なら、弾丸は全て弾かれていたからだ。冬華の体を覆う光の鱗、光鱗によって。
その光景に不愉快そうに表情を歪めるクロウは、ギリッと下唇を噛むと銃口をクロトの背中へと向ける。
「危ない!」
冬華の声が響き、クロトは視線をクロウへと戻す。
すでに引き金に指掛かり、そのに力が入る。しかし、クロウの目はクロトではなく、真っ直ぐに冬華へと向いていた。
何故なら、そこには光り輝く槍を振り被る冬華の姿があったからだ。
直感的にクロウはそれが危険なものだと理解する。が、同時にそれは放たれる。
「いっけぇぇぇぇっ!」
と、言う冬華の叫び声と共に。
大気を貫き、矛先を螺旋状に回転させながら直進する光の槍に、クロウの足は半歩下がった。
この勢いは並の銃弾では弾けない。かと言って、今から魔力を込めて強力な弾丸を撃とうにも、魔力を消耗し過ぎていた。
故に、クロウの決断はその場から離れる事。だが、動き出そうとしたその時、クロウは目にする。静かに笑むクロトの横顔を――。
その表情にクロウは一瞬躊躇う。自分の下した決断は間違っているのか、と。
一瞬の躊躇い。その僅かな遅れが、クロウから逃げると言う選択肢を奪う。それほど、速い速度で槍はクロウに迫っていたのだ。
「くっ!」
小さく声を漏らすクロウは、左手に魔力を込めると、それを右から左へと払うように振るった。クロウの左手は空間を裂いた。空間転移だ。
冬華の放った光り輝く槍はその空間の裂け目へと吸い込まれるように消えた。
「ッ!」
僅かに冬華の表情が歪む。
だが、クロトの表情は変わらず、安堵したように息が吐き出される。
クロトが笑んだのはたまたまだ。クロウの判断を鈍らせるつもりもなく、ここで空間転移を使わせるつもりもなかった。
ただ、この場に到着した者の魔力を感知し、思わず出た笑みだった。
しかし、その笑みが生んだクロウの躊躇い。それにより使わざる得なかった空間転移。
冬華の一撃をやり過ごし、不敵に笑むクロウ。だが、その直後――
「ぐふっ!」
その口から大量の血が吐き出され、体は弓なりに反る。
腰の位置に突き刺さるのは先程、クロウが空間転移で消したはずの光り輝く槍。その刃は深々と突き刺さり、クロウの体を貫いていた。
腹から突き出た切っ先は鮮血を滴らせ、クロウの膝は静かに床へと落ちる。
「な、何故……た、確かに……空間――!」
クロウはそこで気付いた。
「空間転移が、あなただけの専売特許だと思ったら大間違いなのですよー」
弾む女の声。その声にクロウの表情は歪む。彼にとって天敵とも言える存在。それが――
「イエロちゃん参上なのですよ!」
右目の目元でビシッと右手でピースを作り愛らしく微笑する少女――イエロ。右半分は銀、左半分は金の美しい髪は静かな風でなびく。
継ぎ接ぎだらけの手足に、衣服の上からでも分かる胸の中心に輝く拳大の魔法石。その姿はとても痛々しいものだった。
肩口から繋がれた両腕は褐色の肌で、それは魔人族の腕だと一目で分かる。他にも見た目には分からないが、獣魔族と龍魔族の肉体の一部が移植されていた。
そんな姿を晒すイエロは愛らしく微笑み、クロトへと右手を振った。
「お待たせしたのですよー」
「クロト!」
イエロの声に遅れて、セラの声が響く。イエロの横を通り抜け、クロトへと駆け出すセラだが、クロトはそれを左手で制する。
「来るな! 俺は大丈夫だから!」
クロトの言葉にセラは足を止め、不安そうに眉を曲げる。そんなセラの右肩をイエロは軽く叩き、
「心配しなくても大丈夫なのですよ」
「でも……」
何か言いたげなセラだが、イエロは微笑し「彼を信じるのですよ」と言う言葉に吐き出そうとした言葉を呑み込んだ。
「ぐっ……何故……あなたが……」
口角から血を流すクロウは、体を突き抜ける槍を右手で掴み、イエロの方へと顔を向けた。足元には血溜まりが広がり、クロウの呼吸は弱々しい。
そんなクロウの言葉にイエロは小首を傾げ、にこやかに答える。
「知らなかったのですか? 彼女は魔法石を作り出せるのですよ?」
と、イエロはセラの肩をポンと叩いた。
僅かに表情を険しくするクロウは、赤く染まった歯をむき出しにし、静かに息を吐いた。
「それより、形勢は逆転したんじゃないか?」
イエロの後ろから姿を見せるアオは、よろめきながらクロウへと目を向ける。
「ぐっ……足を退けろ!」
アオの言葉の後、クリスの声がイエロの足元から聞こえた。
「嫌なのですよ。足を退けたら、クリスっちはすぐ戦おうとするのです。怪我人は大人しくしているのです!」
頬を膨らせそう言うイエロは右足をクリスの背に乗せ、地面に押さえつけていた。
クリスはすぐに無茶をする為、イエロが戦闘を禁止したのだ。負傷していると言う事もあるが、ここはクロトと冬華の二人に任せるべきだとイエロが判断した結果だった。
「くっ! 私は、冬華を――」
「駄目と言ったら駄目なのですよ! ワガママ言うと怒るのですよ!」
場の空気などお構いなしにイエロ達のやり取りは続く。
そんな中、唐突にクロウの笑い声が響いた。皆の視線が一斉にクロウへと向けられる。肩を揺らし、ほくそ笑むクロウは、突き刺さった槍を強引に両手で引き抜くと、
「さぁ……時は、満ちた!」
と、声を上げる。
その瞬間、地響きが起き、祭壇より禍々しい魔力が溢れ出す。
「最凶……最悪の……魔王の復活だ!」
揺れは激しさを増し、一本の支柱が音を起て砕け落ち、瓦礫が降り注ぐ。
険しい表情を向けるクロトは、手にしていた嵐丸を消し、両手に魔力込める。
冬華もその手に槍を呼び戻し、神力を練る。二人の眼差しを――いや、その場にいる全ての者の視線を集め、祭壇は静かに崩れる。
まるで全ての時を止めてしまったかのように、ゆっくり、ゆっくりと――。




