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ゲート ~黒き真実~  作者: 閃天
最終章 不透明な未来編
295/300

第295話 不器用な男達

 東館から古城へと侵入したクロト達は、入ってすぐに足を止めていた。

 エントランスへと続く道は瓦礫で塞がれ、本館に向かう事は出来そうになかった。

 瓦礫で塞がれた道の前に腰を落とすクロトは、右手を顎へと添え唸り声を上げる。流石に、この瓦礫を退けている時間はないだろう。かと言って、強引に破壊しようとすれば、脆くなった柱が壊れ、更に天井が崩れかねなかった。

 故に、クロトは決断する。


「とりあえず、別の道を探そうか?」


 クロトは立ち上がり、振り返る。

 ライを背負うレッドと目が合う。赤紫の髪を揺らすレッドは、渋い表情を浮かべ、肩を竦める。

 現在、行ける場所は限られている。奥へと行く廊下か、地下へと続く階段のみ。

 廊下の奥は灯りが無い為、薄暗く先がどうなっているのか分からない。地下に続く階段もそうだ。故にクロト達は迷っていた。


「どうするつもりですか?」


 天童に肩を貸すティオが、困り顔でそう尋ねる。

 そんなティオに、腕を組むクロトは、鼻から息を吐き苦笑する。


「どうしよっか?」

「どうしよっかって……あんたね……」


 呆れたようにレオナは右手で頭を抱えた。この非常時で、急いでいる時に何を呑気にしているんだ、と言いたげなレオナに、クロトは右手で頭を掻く。


「地下はないと思うから……奥に進むしか――」


 クロトがそう言いかけた時、地下に続く通路から風が吹き抜けた。

 その風は微風で、僅かに階段の傍に佇むレオナの金色の髪が揺れただけ。それも、ほんの僅かに。

 レオナですら殆ど気付かない程の僅かな風。その風にクロトが気付いたのは偶然だった。たまたま、レオナの方を見ていて、その毛先が僅かに揺れているのに気付いた。


「ど、どうしたのよ?」


 真剣な表情を向けるクロトに、思わず表情を引きつらせるレオナは、胸の前で右手を握り締める。

 そんなレオナへと歩みを進めるクロトは、正面で足を止めた。


「な、なによ……」


 動揺を隠せないレオナの眼差しが、クロトの顔を見上げる。そんなレオナの肩へとクロトは両手を下ろした。


「ひゃっ!」


 思わず悲鳴を上げ、レオナは俯き瞼を閉じた。そんなレオナの体を右へと動かしたクロトは、そのまま横を通り過ぎ、地下へと続く階段へと歩み寄った。


「く、クロト?」


 ゆっくりと瞼を開いたレオナが、クロトへと振り返りそう呟く。

 レッドもティオも、不思議そうにクロトを見据え、天童はピクリと眉を動かした。


「……風?」


 僅かに階段から吹き抜ける風に、天童も気付いた。それに続き、レッドとティオも気付く。


「なんで、地下から風が?」


 訝しげに呟くティオは、首を傾げる。考えられるのは、地下に穴が開いているか、もしくは外へと繋がる通路があるのか。

 これだけ古びた城だ。地下に穴が開いていておかしくはない。だが、地下通路は逃げ道を確保する上で定石。故に、地下に通路がある可能性が少なからずあった。

 複雑そうに階段を見据えるクロトに、胸に手を当て息を吐くレオナは、目を細める。


「まさか、地下に行こうとか考えてないでしょうね?」


 呆れた目を向けるレオナにクロトは苦笑する。


「可能性はあるかもしれないけど……ある種の賭けよ? 賭けに出る状況?」


 不満そうなレオナに対し、クロトは至って真面目な目を向ける。クロトだってわかっている。だが、状況が状況だ。ここで、判断を誤れば、それだけロスする事になる。

 そうならないためにも、大きな賭けに出るしかなかった。


「確かに賭けに出る場面じゃないかもしれない。でも、俺達は後手に回ってる。だからこそ、賭けに出ないと行けない」

「気持ちは分からなくもないけど……」


 困った表情のレオナは諦めたようにため息を吐く。

 真っ直ぐな強い意志を宿すその目を、レオナは知っていた。こう言う目をする人とずっと一緒にパーティーを組み、理解している。

 それは、何を言っても絶対に折れない。強固な決意。故に、説得するだけ、文句を言うだけ無駄だと。だから、レオナはもう一度ため息を吐き、右手で頭を押さえる。


「分かった……分かったわよ! あんたの判断に任せる! 信じるわよ!」

「ああ。ありがとう!」


 パッと明るい笑みを浮かべるクロトは、ギュッとレオナの右手を握りしめた。

 そして、その腕を上下に振る。


「わ、分かった! もう分かったから! 手、離しなさいって!」


 レオナにそう言われ、クロトは慌てて手を離す。こんな大胆に女の人の手を握り締めるなんて、普段のクロトには出来なかっただろう。


「よし! 行こう!」


 そう声を張るクロトは、寝かせたキースを背負い直す。

 そんなクロトに、ティオの肩を借りる天童は心配そうに尋ねる。


「それより、大丈夫ですか?」

「……? 何が?」


 天童の言葉に不思議そうな表情を浮かべるクロトが、振り返る。すると、天童は眉間にシワを寄せ、


「彼らで大丈夫だったんですか?」


と、静かに尋ねる。

 その言葉にクロトは首を傾げ、レッドは訝しげに眉を曲げた。


「彼らと言うのは?」


 天童の問いにティオがそう尋ねる。すると、天童は、非常に言いづらそうに、


「魔術師の相手ですよ。とてもじゃないですが、共闘出来るとは思えないんですが……」


と、不安げに眉を曲げる。

 そんな天童にきょとんとした表情を向けるクロトは、やがてクスリと笑い、


「大丈夫だよ。俺は信じてるから」


と、クロトは微笑し地下へと続く階段を下る。そんなクロトに天童は吐息を漏らし、レオナは苦笑する。

 レッドとティオも顔を見合わせるが、小さく頭を振りそのままクロトの後へと続いた。



 場所は古城前広場へと移る。

 地面は裂け、陥没し、地形は大きく変化していた。

 地面に刻まれる複数の陥没した跡。その中心に右腕の膨れ上がったルーイットの姿があった。

 そして、そのルーイットからやや離れた位置に片膝を着く魔術師は、息を切らせ眉間にシワを寄せる。

 一方で、ケルベロスとシオの二人は少々やり辛そうにしていた。

 その理由は――


「邪魔だ! ルーイット!」


 ケルベロスが怒鳴る。


「さっきから、飛んでは落ちて、飛んでは落ちてで、足場が最悪じゃねぇか!」


 シオも怒声を響かせる。

 そんな二人の声に、元の右腕へと戻したルーイットは紺色の長い髪を揺らし、右の獣耳を閉じる。そして、ペロッと舌を出し、


「てへっ。やり過ぎちゃった?」


と、おどけてみせた。

 ルーイットのその態度に、ケルベロスとシオは呆れると同時に、コメカミに青筋を浮かべる。

 辺り一面が陥没しているのは、ルーイットが跳躍しては急降下し拳を地面に叩きつけてを繰り返していたからだ。

 何も考えずの力任せのゴリ押しだった。一撃一撃の威力は高いものの、単調で単純なその一撃は容易にかわすことが出来た。

 故に、魔術師に殆どダメージはなく、地形だけを変えただけ。

 呼吸を僅かに乱すケルベロスは額に大粒の汗を浮かべる。ルーイットが単調な攻撃を仕掛けている間も、魔力開放を行ったケルベロスの魔力は着実に消失していた。

 あと、どれくらい戦えるのかそれは分からないが、悠長にしている時間はない。


「悪いが、お前らみたいに遊んでいる暇はないんだ」


 ケルベロスがそう言い、両手に蒼い炎を灯す。

 その言葉にシオは、ピクッと右の眉を動かすと、不快そうに眉間にシワを寄せる。


「おい! 誰が遊んでるだ!」

「黙って引っ込め」


 ケルベロスは静かにそう言い地を駆ける。

 そんなケルベロスにシオは唇を噛み締めると、


「テメェの言う事なんて聞くかよ!」


と、地を蹴った。

 ケルベロスの方が先に地を蹴ったが、シオはすぐに追いつき追い抜く。

 そして、そのまま魔術師へと突っ込む。だが、魔術師はゆっくりと立ち上がると、口元に薄っすらと笑みを浮かべる。


「さっきから……俺の事、馬鹿にしてねぇ? 言っとくけど、テメェら如きが束になっても俺には勝てねぇよ!」


 魔術師は左手をシオへとかざす。


「フレア」


 静かな声が発せられ、魔術師の左手に赤い光が圧縮される。瞬時にピクリと獣耳を動かすシオは、その光を目視し、眉間にシワを寄せた。

 魔力耐性のないシオにとって、魔術師のその一撃は致命傷となりかねない。

 しかし、シオは更に一歩踏み込み、握りしめた右拳を腋の下へと握りこんだ。その拳に精神力をまとわせ、踏み込んだ足に体重を乗せ、つま先までしっかりを力を込める。


「獣拳!」


 シオの上半身が僅かに左へと傾き、踏み込んだ足のつま先が外へと半円を描く。

 それと同時に、魔術師の手の平に圧縮された赤い光が解き放たれ、紅蓮の炎がシオを包み込むように広がる。

 しかし、シオは奥歯を噛むと、そんな事はお構いなしに右拳を捻るように突き出した。

 パンッと甲高い破裂音が衝撃と共に広がり、目の前に広がる紅蓮の炎に風穴が空く。その向こう側に不敵に笑む魔術師の姿が映るが、それを遮るように炎は火力を強め、穴を塞いだ。


「ッ!」

「炎に焼かれて死ね」


 険しい表情を浮かべるシオへと、魔術師はそう告げ、開いていた手を握りしめた。それと同時に広がっていた炎は、シオを包み込むように収縮し始める。

 そんな折だ。


「引っ込んでろと言っただろ!」


 ケルベロスがそう怒鳴り、シオの襟首を後ろへと引いた。


「うぐっ!」


 呻き声と共にシオの体は後方へと投げ飛ばされる。

 その代わりに収縮する炎の中に残されたケルベロスは、右拳に魔力を集中した。そして、跳ねる様に上体を引くと、右拳をそのまま足元の地面へと振り下ろす。


「蒼炎拳!」


 ケルベロスの右拳が地面を砕く。地面に亀裂が走り、そこから蒼い光が溢れ、やがて爆発。砕石が弾け、蒼い炎が周囲へと広がった。

 その衝撃と噴き出した蒼い炎により、魔術師の放った紅蓮の炎は一瞬にして掻き消された。

 砕けた地面の中心に佇むケルベロス。その右拳には僅かに蒼い炎が揺らめき、体からは黒煙が薄っすらと漂っていた。


「いってねぇな! 何しやがんだ!」


 ケルベロスへとシオが怒鳴る。だが、すぐに息を呑んだ。視界に映るケルベロスの姿に。

 ケルベロスの右腕は褐色の肌を焦がしたように黒ずんでいた。皮膚は痛々しくただれ、その拳からは赤く濁ったドロドロの液体がこぼれ落ちる。

 そんな中、魔術師は手を叩く。ケルベロスのその行動を称賛するように。


「見事だよ。爆風とその火力で俺の炎をかっ消すなんて。でもさぁ……」


 魔術師は手を叩くのを止め、薄ら笑いを浮かべる。


「それ――いつまで持つのかな?」


 魔術師の静かなその言葉に、ケルベロスは眉間に深いシワを刻む。

 魔術師は分かってる。ケルベロスの魔力が、体力がもう限界に近いと。幾ら本人に戦う意思があっても、体がその気持ちについていかない。

 そもそも、魔力開放の効果は絶大だが、その持続時間は短い。すでに十分以上も経過し、効力は明らかに落ち始めていた。


「最初から飛ばし過ぎなんだよ。それとも、俺を瞬殺出来るとでも思ってたのか?」


 大手を広げ、声を高らかにそう言う魔術師に、ケルベロスは半開きの口から熱気のこもった息を吐き、脱力する。

 全身から力を抜き、落ち着いた面持ちを見せるケルベロスはやがて、強い眼を魔術師へと向けた。


「テメェを瞬殺出来るなんて思ってないさ……」

「の、割に余裕なく魔力開放しちゃって、勝負を焦ってるようにみえるけど?」


 右手を顎へと当て考えるようなポーズを取る魔術師は、すぐに閃いたように顔をあげると目元を緩ませる。


「そっかそっか。もしかして、俺に勝てないって知って、自棄糞になってんのかな?」


 肩を揺らし笑う魔術師を、ケルベロスは鼻で笑った。

 その声が聞こえたのか、魔術師は笑うのを止め、不快そうにケルベロスを睨む。

 ゆっくりと腰を上げるシオは、衣服に付いた土を両手で払い、不満気に目を細めていた。

 僅かな静寂の中、ケルベロスは握り締めた拳を構え、


「自棄糞? そんなわけないだろ。俺は、俺のすべき事をするだけだ」


と、告げると握り締めた拳に魔力を集め、蒼い炎をまとう。

 ケルベロスのその言葉に、シオはムッとする。冷ややかな言葉の数々。その裏に秘めた意味、意図をようやく理解した。

 非常に不満そうだったが、シオは何も言わず静かに息を吐いた。

 そんな折だった。


「もう! 私もいるんだから!」


 と、声を上げたルーイットが一歩、二歩と足を進めた後に、何もないその場所で転倒した。


「痛っ!」


 ルーイットの声にケルベロスとシオは視線を向ける。


「アイタタ……」


 膝を地面に打ち、血を流すルーイットの姿に、ケルベロスとシオは呆れた目を向ける。

 そして、思い出す。ルーイットは獣魔族では稀な超がつく程の運動音痴だと言う事を。

 呆れたように右手で頭を抱えるシオは、大きく息を吐く。


「ルーイット! お前は黙ってろ!」

「うっさい! 人に命令しないで!」

「いいから……今はおとなしくしてろ」


 シオの言葉に、ルーイットは獣耳をうなだらせ、頬を膨らせた。

 三人の視線は自ずと魔術師へと向く。ふてぶてしいその表情は、余裕の現れだった。

 そんな魔術師を睨むケルベロスは僅かに肩を上下に揺らし、右足を前へと出す。


「まだやんだ。まぁ、いい加減飽きたし、そろそろ殺すよ」


 両手を広げ、膨大な魔力を広げる魔術師は、群青の髪を揺らす。


「そうだな……そろそろ、終わりにしようか」


 ケルベロスはそう言い、重心を落とす。そして、右拳に蒼い炎をまとわせる。

 それを見届け、魔術師は右手を空へとかざす。


「アクアベール」


 かざした右手を起点とし、水の膜が魔術師を覆う。

 ケルベロスが火属性の魔力しか持っていない事を知っているのだ。故に弱点である水属性を使用しているのだ。

 険しい表情を浮かべるケルベロスに、魔術師は肩を竦め首を振る。


「さぁ、どうする? テメェの攻撃は俺まで届かねぇぞ」


 魔術師の挑発的な言葉に対し、ケルベロスは力強く地を蹴り、


「んな事は関係ねぇよ」


と、右拳を水の膜へと叩き込む。

 衝撃音と同時に水飛沫が弾け、蒸気が噴き上がる。水の膜はその見た目とは裏腹に硬く、ケルベロスの拳を完全に受け止めていた。

 奥歯を噛み締めるケルベロスは眉間にシワを寄せ、右拳を引き、同時に左拳を突き出す。今度は炎をまとわずに。

 だが、魔術師は全くその場を動こうとしない。

 それが物語っていた。突き出したケルベロスの左拳が水の膜を通過しないと言う事を。

 鮮血が弾け、ケルベロスの左拳は血に染まる。


「くっ!」


 苦悶の表情を浮かべるケルベロスが、左拳を引く。拳の皮が剥け、痛々しく血が散る。

 魔術師を覆うのは水の膜と言うよりも、水圧の壁。とても水とは思えぬ程、頑丈な防御壁だった。


「くくくっ! 残念だったな。テメェの脆弱な力じゃこの防壁は突破できねぇよ」


 腕を組み全身に魔力を込める魔術師は、ゆっくりと片膝を着くと両手を地面へと着け、


「羅生門!」


と、声を上げる。

 すると、地響きが起き、巨大な門が地面から姿を現す。高さ十メートル、横幅八メートル程の赤い門。両開きの扉は閉ざされ、不気味な雰囲気を漂わせる。

 門を見上げるケルベロス。一目見ただけでその門が危険なものだと理解した。

 故に、すぐにそれを破壊しようと、魔力を込めるが、それを阻止するように魔術師を覆う水の防壁が門を包み込んだ。


「おっと。コイツを破壊されちゃ困るな。開門までの十分間。お前らは何も出来ず死を待つんだよ」


 大手を広げ、高笑いする魔術師にルーイットは唇を噛みシオへと目を向ける。本能的にその門が相当ヤバイものだと、ルーイットも感じ取ったのだ。


「どうするのよ! あんなのに守られてたら手出しなんて出来ないじゃない!」


 目尻をややつり上げ怒鳴るルーイットに、シオはジッとケルベロスの背を見据える。何も言わず、その場にジッと佇んで。

 沈黙するシオに、ルーイットは奥歯を噛み、その目をケルベロスへと向ける。

 無言――だった。ケルベロスもその危険性は分かっていながら、無言のまま水の防壁に守られた門を見据える。

 呼吸は大分乱れていた。僅かに肩を上下に揺らし、辛そうに瞼を動かす。すでに魔力開放の効果時間は残り僅か。

 あとはもう全てを絞り出すだけだった。

 故に、ケルベロスはゆっくりと両足を肩幅に開き、重心を落とす。


「全てを……尽くす……」


 ケルベロスは全ての魔力を血液へと注ぎ込む。そして、血液中に蒼い炎を灯した。


「燃やせ――血液を!」


 蒼い炎が血を燃やし、ケルベロスの全身を青白く輝かせる。

 だが、それとは裏腹にケルベロスの褐色の肌は赤く、髪は一気に白く染まる。完全にケルベロスの魔力が失われ、残すのは体内の血流と同調し血を燃やす蒼い炎のみだった。


「命を燃やし、お前を討つ!」


 そう宣言したケルベロスは地を蹴る。地面が砕け、大量の土が舞う。

 地を蹴ったケルベロスは、先程の比ではない速度で踏み込み、水の防壁へと拳を打ち込む。

 衝撃音と共に水の弾ける音が広がり、赤い水滴が飛び散る。弾かれるように打ち込んだ拳が引かれるが、それと同時にケルベロスはもう一方の拳をすぐさま打ち込む。

 しかし、拳はまたしても水の防壁の前に衝撃音と水の弾ける音と、血飛沫を広げるだけ。

 それでもなお、ケルベロスは一点を見据え、拳を交互に何度も打ち込んだ。限界など遠に超えていた。何度も水の防壁に打ち込んだ拳は血に染まり、その返り血がケルベロスの顔には付着していた。

 半開きの口から吐き出される熱気。褐色の肌は青白く発光し続け、全身からは白煙が吹き続ける。


「まずいよ! シオ! このままじゃ……」


 不安げな声を上げるルーイットに、下唇を噛むシオはただ黙ってその光景を見据えていた。

 何も言わない動かないシオに、業を煮やし、ルーイットは動く。


「もういい! 私がなんとかする!」


 ルーイットは身を屈めると、そのまま地を蹴り跳躍する。

 限界を迎えながらも留まる事なく、水の防壁へと拳を打ち込み続けるケルベロス。その姿に魔術師は呆れたように笑う。


「何発殴っても無駄だ。テメェ程度の力じゃ――」


 そう言いかけた時、水飛沫が弾け、魔術師の顔に赤い液体が付着する。

 右手の親指でその液体を拭った魔術師は、不可解そうに眉を歪めた。何故なら、その血は魔術師のものではなかったからだ。

 なら、一体どこから。その疑問に答える様に水飛沫が水の防壁の内側へと広がる。


「な、何だ! まさか――」


 驚く魔術師の瞳孔が開く。

 目の前には水の防壁を突き破るケルベロスの右拳。それが、引かれ続けざまに同じ箇所に左拳が放たれる。

 水の防壁が完全に塞がる前にケルベロスの左拳が水飛沫を上げ、水の防壁の内側へと侵入する。


「ッ! 強引な力押しかよ!」


 険しい表情を見せる魔術師だが、瞬時に右手をケルベロスの方へとかざし、魔力を込める。目に見えて分かっていた。ケルベロスの疲弊が。

 故に、魔術師は薄っすらと口元に笑みを浮かべ、


「まっ、そこが、テメェの限界だがな」


と、右手に集めた魔力を水へと変換する。

 だが、その時だった。天より轟く。


「部分獣化! 右腕!」


 紺色の長い髪を揺らし、右腕を振りかぶるルーイット。その右腕が金色に輝きを放つ。

 その声と気配に気付く魔術師は、顔をあげると視線を向ける。そして、不快そうに眉間にシワを寄せると、


「チッ! 獣風情が……同じ事を繰り返しやがって」


と、鼻から息を吐くが、すぐに視線をケルベロスへと戻す。

 もう何度もルーイットの攻撃を見てきた。跳躍して急降下からの一撃。ルーイットにはこの攻撃しか出来ない。故に、魔術師はルーイットなど相手にしない。再三の攻撃で分かっているからだ。ルーイットの一撃では、この水の防壁は破壊できないと。

 それだけ、この守りに自信があった。

 魔術師のその判断にケルベロスはクスリと笑う。水の防壁の内側へと突き出された左拳から、ポツリポツリと青白く輝く血液が落ちる。


「お前……アイツを甘く見てるだろ……」


 静かに呟くケルベロスの声。その声は魔術師には届いていないのか、反応はなく、ただただ右手に創りだした球体の水を膨張させていく。

 弱り切ったケルベロスにトドメを刺すつもりだった。

 そんな中、高らかに響く――


「雷帝!」


 ルーイットの叫び声。

 ――刹那。轟くのは雷鳴。大気を裂く閃光。大地を揺らす衝撃。鉄壁とも呼べる水の防壁は跡形もなく消し飛び、魔術師は地面へとひれ伏す。

 大きく陥没する地面の中心。魔術師へと拳を叩き込んだのは、空より飛来したルーイット。

 その右腕は今までの攻撃で見せてきた何倍にも膨張した腕ではなく、黒光りする筋肉質で細い腕だった。黒煙を拳から噴かせ、腕には激しい雷が幾度と無く弾ける。

 呼吸を乱すルーイットの紺色の髪はその雷の影響で、逆立ち、酷く乱れていた。


「ぜぇ……ぜぇ…………」


 大きく口を開き、肩を上下に揺らし呼吸をするルーイットは、よろよろとその場を離れ、やがて天を仰ぐ。これは、酷く消耗する為、使いたくなかった技の一つ。

 複数の獣を宿すキメラ型の獣魔族、ルーイットの中にある魔獣の力。

 今までの部分獣化では精神力の消耗だけで済んでいたが、魔獣の力を使うには魔力を消費しなければならない。基本魔力を持たない獣魔族だが、ルーイットは稀なタイプで少量の魔力を所有していた。

 もちろん、戦いで使える程量は多くなく、この雷帝も全ての魔力を使用し、ようやく一発打てる程度だった。故に、二度目はない。だから、外す事など出来ないルーイットの切り札だった。

 息を乱すルーイットの肩を、ケルベロスのボロボロの左手が叩く。


「よく……やった……」


 もうろうとするケルベロスの足がもつれる。もう、魔力開放の効果はなく、ケルベロスの髪は完全に真っ白になっていた。

 だが、ケルベロスは足を進める。まだ、やらなければならない事があった。

 それは、未だに消える事なく、そこにそびえる赤い門。これを破壊しなければならない。

 ケルベロスのその行動に、膝に手を付いたルーイットが、苦しそうに呟く。


「む……無理よ……。もう、魔力もない……のに……」

「ああ。テメェも休んでろよ」


 ルーイットの呟きに答えたのは、シオだった。金色の髪を揺らし、低い姿勢でルーイットの横をすり抜け、ふらつくケルベロスを追い越す。

 全身に広がる濃い精神力。それを両腕へと集め、シオは閉ざされた赤い門へと右足を踏み込んだ。


「獅子爪撃!」


 シオの拳が交互に振り抜かれる。右、左、右、左と何度も。鋭い一撃一撃が、閉ざされた赤い門へと叩きこまれ、その度に門に三本の爪痕が刻み込まれる。時には抉るように、時には切り裂くように、様々な角度で、何度も何度も。

 鈍い打撃音が轟き、衝撃が何度となく広がる。


「うららららっ!」


 雄叫びを上げるシオの拳から血が弾ける。それほど、門は硬い。それでも、徐々に速度を上げ、拳を叩き込む。

 拳が軋む。痛みが腕を伝う。それでも、シオは奥歯を噛み締め全力で門を殴る。

 柱が軋み、門に亀裂が生じる。


「これで、終わりだ!」


 シオは叫び、腰に力を込める。そして、全体重を乗せ、右拳を振り抜く。

 その一撃は轟音と衝撃を広げた。門へと突き出されたシオの拳が血を噴く。だが、同時に閉ざされた門も音を立て砕け散る。

 呼吸を乱すシオは、ゆっくりと右拳を下ろし、息を吐き出す。肩から力が抜け、シオは上半身を前へと倒した。

 壊れ行く門を見据えるケルベロスとルーイット。二人とも疲弊し、その場から動けずにいた。

 その時、ケルベロスは目にする。蠢く一つの影を――


「シオ!」


 ケルベロスは叫び、全ての力を尽くし駆ける。それと同時に放たれる。疾風の刃。

 ケルベロスの声で振り返るシオ。

 ケルベロスの声に顔を向けるルーイット。

 二人の視界に飛び込むのは弾けた鮮血。

 真っ赤な雫が宙を彩り、ケルベロスの白髪を赤く染める。

 何が起こったのかを理解するのに、数秒。血を噴き背中から倒れるケルベロス。二度、三度とケルベロスの体がバウンドし、ひび割れた地面に血が流れこむ。

 目を見開くルーイット。その視線の先には――


「くっ……くくっ……おいおい。まさか、羅生門を壊したら終わりとか思ってねぇーだろうな」


 ひび割れた魔導義手である右腕から漏電しているのか、火花が何度も散る。額からは血が流れ、左足を引きずる魔術師の不敵な笑み。

 その笑みに憤怒するシオは、鼻筋にシワを寄せ、叫ぶ。


「ケルベロス!」


 瞬間的に右足で地を蹴る。衝撃が広がり、土煙が舞う。シオの姿は魔術師の視界から一瞬で消え、次の瞬間、魔術師の視界は真っ暗になる。


「がはっ!」


 魔術師の顔面を、シオの右拳が打ち抜く。


「シオ!」


 ルーイットは思わず叫ぶ。それは、体にまとう精神力の揺らぎから、シオに獣化の傾向が出ていたからだ。

 ルーイットの部分獣化と違う。完全な獣化の傾向。体力の消耗、肉体的なダメージを考えれば、今、獣化をするのは得策ではない。

 元々、獣化は体に相当の負荷がかかり、下手をすれば命を落とす危険がある。それが、例え獣王の息子だとしても。

 金色の髪が逆立ち、振り抜いた拳から鮮血が弾けた。殴りつけられた魔術師の顔が歪み、鼻と口から血が溢れる。


「うおおおっ!」


 シオの雄叫び。瞳の色が一層赤く染まり、獣の様に楕円の形へと変わる。

 膨れ上がった腕を振りかぶり、膨れ上がった脚を踏み込み体重を乗せる。地面が砕け、砕石が舞う。そして、大気を裂き、音を裂き、鋭く振り抜かれた拳が、魔術師の腹部を殴りつける。


「ふぐっ!」


 地面へと叩きつけられた魔術師の体が跳ね、大量の血が口から吐き出された。

 地面に叩きつけられ跳ね上がった魔術師の背中に、右足を振り抜く。


「うっ!」


 魔術師の背骨が軋み、呻き声を上げる。蹴り上げられ、空高く舞う魔術師に、追い打ちを掛けるようにシオは跳躍した。


「シオ! ちょ……」


 叫び、空を見上げるルーイットは、唇を噛む。完全に獣化したシオを今のルーイットでは止められない。

 重々しい打撃音が轟き、魔術師が地面に叩きつけられ、地面が爆発し土煙が舞う。凄まじい衝撃に、ルーイットの紺色の髪が揺らぎ、横たわるケルベロスは地面を転げる。


「ケルベロス!」


 地面を転げるケルベロスの下へと駆け寄るルーイットは、屈みこむとその体を支える。

 血が止めどなく溢れていた。魔力開放を使用した副作用で魔力を失い、耐性が無くなったケルベロスに先程の魔術師の一撃は相当なダメージを与えていた。

 脈が弱まり、血の気が失われているのが、見て取れ、ルーイットは渋い表情を浮かべる。


「脈が弱まってる……このままじゃ……」


 ケルベロスの右手を両手で握り締めるルーイットは、瞼を閉じる。そんな折だった。静かな足音と共にデュバルがそこに姿を見せた。


「随分と派手にやられたな……」

「でゅ、デュバル様!」


 デュバルの声に驚くルーイットは目を見開き、その顔を見上げる。そんな不安げなルーイットの頭を、デュバルは優しく撫でる。


「安心しろ。ケルベロスは死なせない。それに、アイツもな」


 デュバルはそう言い、魔術師へと怒涛の攻撃を仕掛けるシオへと体を向けた。

 膨れ上がった右腕の血管が切れ、血が噴き出していた。そして、魔術師を蹴り上げ、跳躍する為地面を強く蹴った右足は、その衝撃に耐えられず骨が折れていた。

 それでも、シオは止まらない。折れた足を踏み締め、砕けた拳を叩きつけ、魔術師を殴り続けていた。血を吐き、血を噴き、骨が砕け、意識があるのかないのかも分からない状態の魔術師を、ただひたすらに。

 その姿はまさに狂獣。怒り狂う化物だった。


「死なせないって……それじゃあ――」

「ああ。まずは、アイツを止める」


 デュバルはそう言うと静かに地を蹴る。魔力はまだ殆ど回復はしていない。それでも、最強の魔王としての意地で、シオと魔術師の間に割って入る。

 シオとデュバルの視線が交錯する。すでに自我を失っているのか、大きく開かれた口から唾液を撒き散らす。そんなシオの右拳がフック気味に振り抜かれる。


「狂獣だな……」


 そう呟き、デュバルはシオの右手首を右手で掴むと体を反転させ、勢いをそのままにシオを投げた。地面にシオの背中を叩きつけ、それと同時にデュバルは左手で頭を掴み、


「深く眠れ――」


と、魔力を注いだ。

 背中を打ち付けられながらも、暴れるように両手足をジタバタさせるシオだったが、やがてその動きは鈍くなり、動かなくなった。

 デュバルの魔力による催眠効果だった。深く息を吐き出すデュバルは、シオの顔から手を話すと、背筋を伸ばした。

 その視線の先には抉れた地面に埋もれる魔術師の姿。血に染まり、ボロボロの魔術師だが、その瞼がゆっくりと開かれ、薄ら笑いを浮かべる。


「くっ……くくっ……ま、おう……の手で……死ねるなら……」

「残念だが、私がお前に手を下す事は無い」


 デュバルの冷めた眼が真っ直ぐに魔術師を見据える。

 そんなデュバルの言葉に肩を小刻みに揺らし笑う魔術師は、


「くくっ……俺を生かして、おく……つもりか?」


と、デュバルを見据える。

 だが、デュバルは小さく息を吐くと、一層冷ややかな眼を向ける。その目は恐ろしく、魔術師は思わず息を呑む。


「生かしておく……わけないだろ? お前に手を下すのは――」

「部分獣化――」


 静かな声がデュバルの後ろから響くルーイットの声に、魔術師は目を見開く。その眼に映るのは、異様な魔力の波動。

 その魔力を放つルーイットは、静かに息を吐き出す。すると、デュバルはシオの体を抱き上げ、ルーイットへと告げる。


「私が許可する」

「はい!」


 デュバルの声にルーイットは返答し、


「――口! 冥王!」


と、高らかに告げる。これは、今現在のルーイットが使用するには危険な代物。故に、許可が必要だった。自分よりも遥かに強い者の――この力を抑えられるだけの力を持つ者の。

 ルーイットを包む異様な魔力が逆巻く。ゆっくりと右手を差し出すルーイットは、瞼を開くと真っ直ぐに魔術師を見据え、


「私が裁きを下す。冥王の名の下に――開け! 冥府の門!」


 ルーイットがそう告げると同時に、異様な魔力が魔術師を包む。と、同時に薄気味悪い靄が魔術師の周りに渦巻く。


「な……何を――」


 魔術師が全てを言い終える前に、靄から突如として無数の手が飛び出す。その手は次々と魔術師へと伸びる。

 そして、次の瞬間、その手は魔術師の体を引き裂き、次々と靄の中へと引きずり込む。


「ぬああああっ!」


 悲鳴がこだまする。

 だが、ルーイットはそれを見ることなく背を向けると、


「シャルルの眼は、返してもらったから」


と、静かに呟き、傍らに現れた靄へと手を差し出す。すると、そこから血に染まった眼球が二つルーイットの差し出した手の上へと置いた。

 魔術師の悲鳴が響き、肉を裂く嫌な音が響き渡る。ベチャ、ベチャ、と血と肉片が地面へと飛び散った。


「随分と強くなったものだな」


 シオをケルベロスの横へと寝かせたデュバルは、ルーイットの方へと体を向け苦笑した。希少種であるキメラ型のルーイットの事は、デュバルもロゼから聞かされていた。

 幼いケルベロスを預ける際にもチラリと目にした事があったが、とても戦闘センスがあるようには見えなかった。だからこそ出た言葉だった。

 関心するデュバルに対し、ルーイットは小さく首を振り、


「アレは、私の力じゃないです……だから、私が強くなったわけじゃ……」


と、少しだけ儚げに呟き、悲しげな目を伏せた。

 だが、すぐに瞼を開くとケルベロスとシオへと目を向ける。


「それより、二人は……助かるんですか?」


 ルーイットの言葉に、デュバルは腕を組むと首を傾げる。


「まぁ、何とかなるだろ?」


 微笑する。脳天気に、自信たっぷりに。

 あまりの自信たっぷりのデュバルに呆れるルーイットは、目を細め肩を落とす。何処と無くだが、クロトに似た印象を感じた。

 だからだろう。ルーイットも自然と笑みをこぼした。

 だが、すぐに我に返り、


「えっ! じゃ、じゃあ、どうするんですか!」


と、声をあげる。

 そんなルーイットに、右手で頭を掻くデュバルは、眉尻を下げた。


「まぁ、時期にここにヒーラーが来るだろう。とりあえず、今は――」


 唐突にデュバルの表情が真剣なものへと変わり、空を見上げる。

 その行動にルーイットも空を見上げる。すると、その視界に複数の虫の姿が目に入る。それは高速で羽を動かし、ゆっくりと地上へと降り立つ。


「な、何……アレ……」


 虫と言うには大きすぎる緑色の昆虫種。それが、数百と言う群れをなしていた。

 そんな大量の虫の姿に、深く息を吐くデュバルは、拳を握り締める。


「アレは……バグだ。この地に巣食う災厄だ」

「さ、災厄? あれって、モンスターじゃ……」

「元は……な」


 静かにそう言うデュバルは、突っ込んできた一体の昆虫種のモンスターを右拳で殴り飛ばした。衝撃音と共に甲殻を粉砕する乾いた音が広がる。

 軽く一振りしただけの一撃で、容易にモンスターを蹴散らしたデュバルは、小さく息を吐く。


「バグとは、寄生ウイルス。あのモンスターの体を変色させている緑色のものが、それだ」

「えっ! じゃあ、私達にも寄生するんじゃ……」


 身をよじらせ嫌な顔をするルーイットに、デュバルはクスリと笑う。


「安心しろ。人への害はない」

「ほ、ホントですか?」


 疑いの眼差しを向けるルーイットに、デュバルは苦笑し、右手で頬を掻いた。だが、すぐに左手で裏拳をみまう。

 衝撃音の後、背後に迫っていた昆虫種のモンスターを弾き飛ぶ。慣れた様子のデュバルは深い溜息を吐いた。


「私はそんなに信用がないのか……」


 ガックリと肩を落とすデュバルに、ルーイットは苦笑する。どこから見ても魔王と言う威厳はなかった。

 ショックを受けるデュバルだったが、すぐに気持ちを切り替え、


「とりあえず、私はここを死守する。それまで、彼らを頼むぞ?」


と、ルーイットへとケルベロスとシオの事を頼み地を蹴った。

 そんなデュバルへと、


「ちょ、ちょっと! デュバル様!」


と、ルーイットは声を張った後、涙目で、


「二人の治療は……」


と、呟いた。



 古城の地下へと進むクロト達は、階段を下り終え、薄暗くかび臭い通路を進んでいた。左手を壁に這わせ先頭を歩むクロトは、右手の人差し指に赤黒い炎を揺らめかせる。

 クロトに続くのは、ライを背負うレッド、レオナ、天童に肩を貸すティオの順。流石に唯一のヒーラーであるレオナを最後尾にはおけないと、レッドとティオで挟む事になったのだ。

 僅かな水音が響く闇の中、クロトは不意に足を止める。そんなクロトの動きの他の皆も足を止めた。


「どうかしたの?」


 すぐさま声を掛けたのはレオナだった。その目が見据えるのはクロトの右手の火の明かりの向こう。何があるのかは全く見えない。

 その為、レオナは首を傾げる。サラリと金色の髪が右へと流れ、その毛先が美しく揺らぐ。

 静かに数秒の時が流れる。埃っぽい風が足元に吹き抜け、次の瞬間、奥の方から順々に明かりが灯る。

 そこは、広い空間になっていた。幾つもの柱に支えられた地下空間。その一本一本にランプが備え付けられ、広いその空間を明るく照らしていた。

 突然現れたその広い空間の前で足を止めているクロトは、左手を壁から離すと、静かに息を吐き出す。


「やぁやぁやぁ。待ってたよー」


 地下空間に響き渡るのは幼さの残る穏やかな声。

 その声で、クロト以外の者がようやくそこに人がいる事に気付いた。小柄な少年ゼットだった。薄紅色の短髪を左手でかき揚げる。


「さぁーて、今回はちょっとは楽しめるかな?」


 にこやかに笑い、ぴょんぴょんと跳ねる。準備運動をするゼットに、クロトは眉をひそめた。その赤く輝く右目にゼットのまとうオーラがハッキリと見えていた。

 眉間にシワを寄せるクロトは、ゆっくりと担いでいたキースを床へと下ろした。


「で? 誰が相手をしてくれる? どうせなら、全員一斉でもいいよ?」


 ブンブンと右腕を振り、腰骨を鳴らすゼットは、ニシシと笑った。


「どうしますか?」


 最後尾からティオがそう尋ねる。ここで、足止めを食らうのは得策ではなく、かと言って元・英雄のパーティーである怪童・ゼットを避けて通る事は出来ない。

 誰かがここで、ゼットと戦わなければならない状況だった。


「しょうがない……ここは、俺が――」


 クロトがそう言い一歩踏み出そうとした時だった。その足をキースが右手で掴んだ。

 今しがたまで意識のなかったキースのその行動に、クロトは驚き顔を向ける。


「き、キース! 目が覚めたのか?」


 慌ててそう声を掛けると、キースはゆっくりと体を起こし、虚ろな眼差しをクロトへと向けた。


「あ、ああ……。それより、ここで、お前を戦わせるわけにはいかないだろ」


 おおまかに傷の治療は済んでいた。痛みも殆ど残っていないだろうが、キースは苦しそうに顔を歪め、静かに立ち上がった。

 体は異様に重い。恐らく、蓄積されたダメージが思った以上に深刻で、レオナの力では全てを回復することは出来なかったのだ。

 感覚を確かめるように手を握っては開くを繰り返し、深呼吸を三度して、キースは微笑する。


「悪いね……足を引っ張った……」

「いや……そんな事ないよ」


 キースにそう答えたクロトは、右手で頭を掻く。正直、クロトも人の事を言えた立場では無い為、少々困っていた。

 あまり顔色の良くないキースの顔を、レオナは不安そうに覗きこむ。


「大丈夫? まだ、休んでた方がいいんじゃない?」


 心配するレオナに、スッと右手を上げるキースは、鼻から息を吐き、地下広場に佇むゼットへと目を向ける。


「大丈夫ですよ。それより、急ぐんでしょ。ここは、僕が引き受けますよ」

「けど――」


 そう言いかけたクロトを制したのはティオだった。右肩を掴み、真っ直ぐに目を見据える。その眼差しに、クロトは言葉を呑む。

 キースの覚悟。それを、クロトも感じ取っていた。だからこそ、言葉を呑んだのだ。

 そんなクロトに、ティオは小さく息を吐くと、困ったように笑みを浮かべる。


「キースの言う通り、我々は先を急がなければいけません。それに……クロト。キミにはキミにしか出来ない事がある。こんな所で立ち止まってる場合じゃないでしょ?」


 ティオはそう言い、右肩を強く握り締める。


「託しますよ。私の思いも」


 強くそう言い放ち、ティオは手を肩から離し、パンッとその胸を叩いた。

 言葉の意味をクロトは理解し、小さく頷く。そして――。


「任せるぞ。キース、ティオ」


と、告げ、天童へと肩を貸し、ゼットを避ける様に壁際に沿って歩みを進める。

 動き出したクロト達の様子に、ゼットはすぐに気付く。


「あっ! ちょ、ちょっとちょっと! 僕の話、聞いてた? 全員でかかってこいって!」


 そう言い、背負っていた槍を右手で抜くと、それをクロト達へ向けて投げつける。

 切っ先で大気を貫き、真っ直ぐに進む槍。それを、防いだのは突如地面からつき上がった石の壁だった。

 衝撃と爆音を広げ、砕石と土煙が周囲に散る。突然、現れた壁に、怪訝そうな表情を浮かべるゼットは、その目を正面へと向けた。

 その先に佇むティオは、地面に切っ先の平な剣、黒天を突き立て、静かに息を吐き出す。


「あなたの相手は我々ですよ」


 ゆっくりと黒天を持ち上げ、強い目を向けるティオに、ゼットはクスリと笑うと背負っていたもう一本の槍へと左手を伸ばした。


「そっかー。君たち二人で、僕を存分に楽しませてよね」


 ゼットの殺気が広い地下空間を一瞬にして覆い尽くした。

 寒気すら感じるその殺気に、苦笑するティオは、隣に佇むキースへと目を向ける。

 無造作な黒髪を左手でゆっくりと撫で下ろすキースは、軽く肩を回し肩甲骨をほぐす。


「何処まで……やれるか、わかりませんが……。よろしくお願いします」


 丁寧にキースは頭を下げ、剣を抜いた。

 そして、二人は一気に駆け出す。合わせたように左右に別れて。

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