第291話 ケルベロスの無謀な策
ルーガス大陸は眩い光に包まれた。
広大なルーガス大陸を覆う程の強い光。それは、とても禍々しい魔力でもあった。
その中に広がるのは三つの強い魔力の波動。
一つはルーガス大陸の南。戦場となったその場所を広範囲に渡り覆っていた。
更にそこから北西の森林地帯に一つ。範囲は南の魔力に比べて小さいが、それでも、濃く強い魔力が一帯を覆う。
最後の一つは、その禍々しい魔力の震源地でもあるルーガス大陸の奥地、古城内部。古城とその周辺を覆うように、巨大なドーム状に強い魔力が放たれていた。
眩い光――禍々しい魔力がルーガスを覆っていた時間は、約一分程だった。
光がゆっくりと引いていき、世界は時を取り戻す。
「な、何が起きた……」
ルーガス大陸奥地の古城前広場。
そこで、ゴートとグラスの二人と戦っていたケルベロスは、目を凝らし古城を見上げる。
震源地がそこである事は分かっていた。禍々しい程の魔力の波動に加え、もう一つ強い魔力の波動も、そこから広がっていた。
一体、何が起きているのか？
そう疑念を抱くのは、ケルベロスだけではない。
ゴートもグラスも、訝しげな眼差しを古城へと向けていた。
あの禍々しい魔力が何なのか、ケルベロスに検討はつかない。だが、もう一つの強い魔力には覚えがあった。
それは、デュバルの魔力だった。だが、デュバルは死んだ。故に、ケルベロスは困惑していた。
（何故、デュバル様の魔力が……。何が起きてるんだ……）
奥歯を噛み、くっ、と声を漏らすケルベロスは、眉間にシワを寄せる。
頭の中がゴチャゴチャとし、考えがまとまらない。
そんな折だった。突然、静まり返っていた古城内部で爆発が起きる。大量の土煙が舞い上がり、古城の一部が弾け飛ぶ。
瓦礫が広場へと降り注ぐ。と、同時に広場の中央に一つの影が落ちる。人影だ。
その人影に、広場に居た皆の視線が集まる。
「一体……何だ？」
ゴートが訝しげな眼差しで立ち込める土煙を見据える。
「人か？」
グラスは右の眉をピクリと動かし、ゴートへと目を向ける。その眼差しに、ゴートは小さく首を振った。
ゴートにも何が起きているのかは分からない。
皆の視線が集まる中、土煙は薄れていき、その人影の正体が明らかとなる。
ひび割れ窪んだ石畳の上、横たわるのは一人の男だった。土埃の被った黒髪が揺らぎ、額から流れる血が顔を赤く染める。
その黒髪の合間から覗く尖った耳は魔人族の現れだ。故に彼が魔族であると、皆理解する。
「……魔族？」
いかつい顔の中心にシワを寄せるグラスは、小さく首を傾げる。右目の眼帯が僅かに動き、潰れた眼がチラリと見えた。
白髪混じりの黒髪を揺らすゴートも、目を凝らす。
ゆっくりと体を起こす男は、頭を二度、三度と振った。
その男の姿に、ケルベロスは目を見開く。
「でゅ、デュバル様！」
ケルベロスの声に、デュバルは静かに顔を向け、険しい表情を浮かべる。
「な、なんで！ 何でデュバル様が！ 死んだのでは？」
ケルベロスのその声に、
「ソイツは、精巧な土人形を創り、自分が死んだように見せかけただけだ」
と、静かに答えたのは、古城からゆっくりと降り立つクロウだった。
長い黒髪を揺らし、右手で血を拭うクロウの左斜め後ろには虚ろな眼差しのセラがおり、その姿を確認し、ケルベロスは怒りを滲ませる。
「貴様！ 一体、何をした！」
声を荒げるケルベロスに、クロウは肩を竦め、笑う。
「私は何もしていない。したのは彼女の方さ」
「ふざけるな！ セラ様に何をしたと言っているんだ！」
ケルベロスが怒声を轟かせ、地を蹴る。
すると、クロウは肩を落とし、
「そっちか……」
と、鼻から息を吐く。
両拳に蒼い炎をまとうケルベロスは、その炎を揺らし真っ直ぐにクロウへと迫る。
だが、クロウは表情一つ変えず、ケルベロスをふてぶてしく見据えていた。ギリッと奥歯を噛むケルベロスは、右拳を振りかぶる。
「いいのか？ 私に向かってきても」
腕を組み薄ら笑いを浮かべるクロウに、ケルベロスは右足を踏み込み叫ぶ。
「いいに決まって――！」
ケルベロスの声を断ち切るようにコメカミに、鋼鉄のガントレットを装着したグラスの右拳が叩き込まれる。
鈍い音とほぼ同時にその鉄鋼が赤く輝き、爆発が起きる。
「ぐっ！」
爆発に遅れ、ケルベロスは声を漏らし、地面を転げる。
激しい土煙が舞い、ケルベロスの額からは血が流れ出す。点々と血が地面に滴れる。
「残念。お前の相手は私じゃない」
肩を竦めるクロウは、あざ笑う。その顔に、ケルベロスは鼻筋にシワを寄せる。
だが、ケルベロスの前に立ちはだかるのは、グラスとゴートの二人だった。
「俺の……邪魔をするな！」
ケルベロスが怒声を轟かせるが、ゴートもグラスも顔色一つ変えず、
「邪魔をされたくないのなら、俺達を倒すことだな」
「まぁ、どうあがいても貴様では勝てぬがな！」
二人の言葉に奥歯を噛むケルベロスは、握った拳を震わせる。
ケルベロスがゴートとグラスに足止めをされている最中、クロウはデュバルへと足を進める。
体の傷はいつの間にか消えていた。魔族であるクロウに再生能力などないはず。故に、デュバルは怪訝そうに眉間にシワを寄せる。
何かあるのだろうと、目を細めると、クロウは肩を竦めた。
「どうしたんですか？ 不思議そうな顔をして」
大手を広げるクロウに、デュバルは膝を震わせ立ち上がる。表情には出さないが、とても苦しそうなデュバルにクロウは薄ら笑いを浮かべていた。
「あれだけ魔力を奪われて、まだ立てるなんて、流石ですね」
クロウの言葉にデュバルは苦笑する。正直、立っているだけでもやっとだった。それほど、魔力を失っていた。
原因はハッキリしている。クロウの斜め後ろに佇むセラだ。彼女の力は魔力吸収。それも、無差別にだ。
それを阻止する為に、デュバルはこの周辺一帯に魔力を広げた。故に、デュバルは相当の魔力を持って行かれた。
荒々しい呼吸を繰り返すデュバルは、ゆっくりと背筋を伸ばすと深々と息を吐いた。
あと、どれほど魔力が残っているだろうか？
ふとそんな事を考えるデュバルだが、すぐに考えるのをやめた。考えた所で残り僅かしかない事はわかりきっていた。
穏やかな表情を向けるデュバルは、微笑する。
「とりあえず、セラを返してもらおうか？」
穏やかな口調のデュバルに、クロウは鼻から息を吐き小さく頷く。
「えぇ。いいですよ。すでに十分過ぎる程、魔力も集まりましたし、必要性もないですから」
クロウはそう言うと、セラの方へと体を向け、右手をかざす。クロウの行動にデュバルは眉間にシワを寄せる。
「さぁ、集めた魔力を回収しますよ」
クロウはそう言うと右手に半透明の玉を出し、それをセラへと渡した。
小さくコクリと頷くセラは、半透明の玉へと自らの体内に集めた魔力を注ぎこむ。セラを包む禍々しい魔力と一緒に体内に取り込んだ大量の魔力が、その玉へとみるみる圧縮される。
「まさかの誤算でしたよ。三大魔王の魔力を取り込めるとは……。これだけの魔力があれば、アレの封印も簡単に解ける」
クロウのこの言葉に、デュバルは目を見開く。
「まさか！ お前の目的は――」
「えぇ。アレの復活ですよ」
「馬鹿な！ あんなものを復活させてどうする気だ！ 世界が崩壊するぞ！」
声を荒げるデュバルにクロウは首を振り、強い眼差しを向ける。
「ふふっ……おかしな事を言いますね」
「何？」
「世界を崩壊させる為にやってるんですよ？ こんなくだらない世界……崩壊した方がいい。そして、新たに創り直す」
「創り直す？ 神にでもなるつもりか？」
眉間にシワを寄せ、不快そうにデュバルは尋ねる。すると、クロウは肩を揺らし笑う。
「そうですね……神……いいですね。そうなるのも」
「……他に目的があるって事か。一体、何だ？」
「言ったじゃないですか。世界の崩壊ですよ」
クロウはシンプルにそう答え、真剣な眼差しでデュバルを見据える。
その言葉に嘘偽りはないと感じ取り、デュバルは眉をひそめた。ようやく、玉に全ての魔力を移し終えたセラは、その場に倒れこんだ。
「セラ！」
デュバルが叫ぶ。だが、クロウは気にした様子はなく、セラの手から転げ落ちた玉を手にとった。膨大な魔力を注がれ、恐ろしい程の魔力を放つその玉に、デュバルは険しい表情を浮かべる。
「ではでは。私は忙しいので」
「ま、待て！」
デュバルがそう言い右足を踏み出すが、膝から力が抜ける。
「っ！」
「無理ですよ。今のあなたに動くだけの力はありません。大人しく世界が崩壊するのを見ていてください」
そう言い、クロウは歩き出す。デュバルはその背をただ見送るしかなかった。
鋼鉄の手甲をした拳が何度も地面を叩き、爆発を広げる。
石畳の地面を砕き、土煙が激しく舞い上がる。
後退するケルベロスは、そんな拳を振り回すグラスを睨み、奥歯を噛む。
そんなケルベロスの背後に全身に精神力をまとうゴートが両手を組み振り上げる。
殺気に振り返るケルベロスに、ゴートはその手を振り下ろした。鈍い打撃音が広がり、ケルベロスの体がくの字に折れた。
両足を踏みしめ、その衝撃に耐えるケルベロスは、顔を上げる。赤い瞳がゴートを睨み、両手の蒼い炎が火力を強めた。
「蒼炎拳！」
ケルベロスの右拳がゴートの腹部へと突き出される。鋼の肉体にケルベロスの右拳は衝突し、鈍い打撃音と共に蒼い炎が散った。
奥歯を噛むケルベロスは険しい表情を浮かべる。やはり、ゴートの鋼の肉体に打撃は効果が薄かった。
「どうした？ この程度か！」
そう野太い声を上げ、ゴートは笑う。すぐに距離を取るケルベロスは、視界にグラスとゴートの二人をおさめる。
どちらか片方を見失うと、先ほどのように不意打ちを受けてしまう。幾ら魔族と言えど、打たれ強いわけではない。
これ以上、ダメージを負うと、流石にケルベロスでもきつかった。
呼吸を乱すケルベロスは、肩を上下に揺らす。体力の消耗は激しい。血も大分流していた。故に、これ以上、戦いを長引かせるわけには行かなかった。
静かに息を吐き出すケルベロスは、グラスとゴートを交互に見据える。この二人の内、優先すべきはゴートだ。
グラスには隙が多い。右目が見えないと言う事もあり、死角があるのだ。だが、それをゴートがカバーしている。故に、ゴートを先に倒さなければならなかった。
右拳を握るケルベロスは、深く息を吐く。心を静め、冷静になる。この二人を相手に熱くなっては、相手の思う壺だった。
赤い瞳でグラスとゴートを交互に見据えていると、ゆっくりとゴートが前へと出る。
「幾ら番犬と言えど、我々、白銀の騎士団二人を相手では無力だな」
ゴートの言葉にケルベロスの右の眉尻がピクリと動く。
“二人を相手”
なぜ、こんな簡単な事に気づかなかったのか、とケルベロスは笑いが込み上げる。
肩を小刻みに揺らし笑うケルベロスは、俯き頭を振った。
突然のケルベロスの奇行に、ゴートとグラスは訝しげな表情を浮かべる。いや、どちらかと言えば哀れみを宿した目を向ける。ついにおかしくなったのか、そう言う眼差しだった。
そんな二人の眼差しに、ケルベロスはゆっくりと顔をあげる。口元に笑みを浮かべ、深々と息を吐き出す。
「悪いな。すぐに終わらせてやる」
ケルベロスはそう言うと両手に蒼い炎を灯す。そして、片膝を付くと、両手を地面へと押し付ける。
刹那、ゴートとグラスの間を裂くように地面に亀裂が生じ、そこから蒼い光が薄っすらと溢れ出す。
「な、何だ？」
地響きにグラスは首を傾げ、ゴートは訝しげに目を細めた。考えが読めない。
そもそも、先程の笑いがゴートは気になっていた。気が狂ったと言うわけではないだろう。何か算段があると言う事なのだろう。そうゴートは答え付けた。
だが、そう答えを出した時、ゴートとグラスを分断するように地面に入った亀裂がぶち破られ、蒼い炎の壁が噴き上がる。
高くそびえ立つ蒼い炎の壁をゴートを見上げた後、その視線をゆっくりとケルベロスの方へと向けた。
「今更、分断か？ なんの意味もない行動だな」
肩を竦めるゴートに、ケルベロスは静かに息を吐くと目を細める。
「おいおい。お前が気にするのは、そこじゃないだろ？」
ケルベロスは強い眼差しを向け、頭を右へと傾けた。
右の眉尻をピクリと動かすゴートは、不快そうに眉間にシワを寄せる。
明らかに雰囲気が変わった。そんなゴートにふてぶてしく笑みを浮かべるケルベロスは、もう一度息を吐くと、両手を肩まで上げる。
「考えてみろ。お前とグラス。二人がいて、分断して、俺がお前の前にいる。どういう意味かわかるか？」
ケルベロスの発言に、ゴートはギリッと奥歯を噛む。賢いゴートは、ケルベロスの言葉で理解した。
故に、一層不快そうな表情を浮かべる。
「それは、俺の方が与し易い。そう言いたいのか？」
「さぁ？ それは、お前の判断に任せるな。ただ、俺は奴よりお前の方を選んだ」
意味深にそう言うケルベロスは、両手に蒼い炎をまとった。
こめかみに薄っすらと青筋を浮かばせるゴートは、隆々とした筋肉を膨張させ、全身に精神力を広げる。明らかな怒りを感じ取るケルベロスは、薄っすらと口元に笑みを浮かべた。
「なら、後悔するといい。俺を選んだ事を！」
ゴートが地を蹴り、右拳を振り上げる。それに合わせるようにケルベロスも左足を踏み込み、右拳を振り上げた。
二人の拳は勢い良く振り下ろされ、互いの拳へと衝突する。蒼い炎が舞い、衝撃が広がった。後方へと弾かれるケルベロスは、両足をしっかりと地面に踏み締める。
一方、ゴートの体は僅かに上半身が仰け反っただけだった。
「どうした？」
上半身をゆっくりと戻すゴートは、口角を上げる。
上半身を前へと倒すケルベロスは、深く呼吸を繰り返すと右手を軽く振った。ゴートの一撃は重い。しかも、肉体も硬く、打ち合った拳は激しく痛んでいた。
ゆっくりと顔をあげるケルベロスは、ジッとゴートを睨み付ける。
「さぁ、続きを始めるぞ」
ゴートはふてぶてしく笑みを浮かべ、地を蹴った。
蒼い炎の壁の向こう。分断されたグラスは蒼い炎の壁を見上げる。
「くっ！ ふざけやがって！」
グラスは怒りをぶちまけるように声を上げると、鋼鉄の手甲をした拳を炎の壁へと叩きつけた。
衝撃が広がり、炎が揺らめく。だが、炎の壁はびくともしない。
眉間にシワを寄せるグラスだが、深く息を吐くと全身の精神力を右拳へと集中する。
「くくくっ……。馬鹿め……お前の魔力の波動が駄々漏れだ！」
グラスは炎の壁の前に佇むと、右拳を振り上げる。
グラスの目にはハッキリとケルベロスの魔力の波動が映っていた。蒼い炎の壁の向こう。丁度、グラスの真ん前だった。
背を向けているのか、全くグラスの様子には気づいていないようだった。当然だろう。目の前には炎の壁。それに、背を向けているのだ。グラスの気配など感知出来るわけがなかった。
全力で打ち込めば、この程度の壁を貫き、その向こうにいるケルベロスの不意をつける。そうグラスは考えたのだ。
銀色の手甲は集められた精神力により朱色に染まる。すでに準備は整い、グラスは深く左足を踏み込んだ。
「爆拳！」
大きく振りかぶった右拳を、グラスは力任せに振り抜いた。
蒼い炎の壁。そこに背を向け佇むケルベロスは、呼吸を乱していた。
流石に、疲労の色は隠せない。何度も拳をぶつけ合った為、両拳とも感覚がなくなる程痛んでいた。
だが、ゴートの方はどうだ。拳に僅かに焦げ跡が残る程度で、未だにピンピンとしていた。
ケルベロスの一撃では、破壊力が足りない。元々、ケルベロスは力で押すタイプではない。確かに肉弾戦が主流だが、ケルベロスの場合、魔界の炎である蒼い炎で相手を焼き尽くすと言う戦法をとっている。
故に、ゴートの様に肉体が硬く、炎などに耐久がある者とはハッキリ言って相性は悪い。
「番犬もこの程度とは……」
小さく首を振るゴートは、炎の壁を背にし、息を乱すケルベロスを見据える。
白髪混じりの黒髪を左手で乱暴に掻きむしり、ゴートは鼻から息を吐く。
「さっきまでの威勢は何処へ行った？ あれだけ大口を叩いておいて――」
ゴートはここで気付く。そして、不敵に笑う。
「そうか……。強がりか？ 俺を動揺させる為に、ワザとあれ程の大口を叩いたのか」
肩を揺らすゴートは、左手で顔を覆う。
「はははっ！ 残念だったな。策にハマらなくて。動揺どころか、俺を怒らせる結果になったわけだ。意味のない作戦だったな」
大笑いするゴートに対し、全身から膨大な魔力を発するケルベロスは、俯きクスリと笑った。
その声に、ゴートは些かイラッとした表情を見せると、その拳に精神力を注ぐ。
「何がおかしい？」
「いや……よく喋るな、と思ってな。言っておくが、俺だって馬鹿じゃない。そんな安い作戦なんて考えるわけないだろ」
「……ふっ。今更、強がっても無駄だ。お前は、選択を誤った。ただそれだけだ！」
ゴートは地を蹴る。重低音の足音を響かせ、後塵を巻き上げ迫る。
ケルベロスはこの時を待っていた。いや、こうなる事を確信していた。アイツなら、こうすればこう言う行動に出るだろう。
思い描いた構図。思い描いた状況に、思わずケルベロスは笑みをこぼす。
「この一撃で楽にしてやる！」
ゴートが右足を踏み込む。それと同時に、ケルベロスは胸の前で手を叩き、一瞬にして直径一メートル程の蒼い炎の玉を体の前に灯した。
しかし、踏み込んだゴートは鼻で笑う。当然だ。この程度の炎ならば、ゴートには痛くも痒くもない。ただ、皮膚が多少焦げる程度だ。
故に、ゴートは構わず、ケルベロスへと向かって拳を振り下ろす。
だが、その瞬間、ゴートは目を疑う。ケルベロスは左へと体を動かすと、その炎の玉を炎の壁へと向かって投げたのだ。
「完璧だ……」
ケルベロスの唇がそう動いたのを、ゴートは目にした。直後だった。炎の壁が波打ち、それと同時に壁をぶち抜く朱色の手甲。それが、ケルベロスの放った蒼い炎の玉を殴りつけた。
「ぐっ！」
足を止めようと、ゴートは体重を後ろへと傾ける。
だが、もう遅い。眩い光が朱色の手甲へと圧縮され、次の瞬間、周囲一帯を呑み込む強烈な爆発を起こした。
衝撃波は蒼い炎の壁をぶち壊し、地面を陥没させた。一方で、その拳が最後に殴りつけた蒼い炎の玉は、その衝撃で打ち出され、目の前にいたゴートを直撃した。
蒼い炎の火力と、グラスが放った最大級の爆拳の威力が合わさった一撃は、凄まじい破壊力を生み、陥没した地面に抉れた一本の線が残されていた。
そして、その先には毛を焼かれ、体も黒ずみと化したゴートが横たわっていた。
「協力、感謝する」
爆発で衣服がボロボロのケルベロスは、そう口にし、グラスの腹部へと突き立てた拳を引き抜いた。
「う……がはっ」
巨体が膝を落とし、白目を向くと、そのままうつ伏せに倒れた。
息を乱すケルベロスは、肩を落とし空を見上げる。体中が痛み、その場を動けなかった。爆発の際、うつ伏せに倒れ身を庇った為、背中は焼け、ジリジリと痛んでいた。
「あぁ……くそっ……」
無謀な賭けだった。思い描いていたとは言え、グラスが自分の気配に気付かなかったら――、全力で打ち込んで来なかったら――、ゴートが挑発に乗らなかったら――、自分の考えに気付いてしまったら――。
今になり、色々と問題の多い策だったと思い、ケルベロスはクスリと笑った。
