第29話 肉体を蝕む炎
地を駆ける。
木々を次々となぎ払いながら。
なぎ払われた木々は蒼い炎に包まれ、やがて灰となり散る。
自我を奪われ暴走するケルベロスが追う。目の前を進む複数ある人間の気配を。
自我を失っても尚、人間を敵視する気持ちは変わっては居なかった。暫く森を駆け抜け、ケルベロスは足を止める。小さく息を吐くと周囲を見回し、全ての気配を探る。
あの二つの気配があの魔術師と接触しているのが分かり、ケルベロスはその方角へと顔を向ける。
「うぐぐっ……ぐがぁぁぁっ……」
喉を鳴らしたケルベロスは、大きく肩を上下に揺らし荒々しい呼吸を繰り返す。暴走しているとは言え、体力は失われていく。しかも、拳に蒼い炎を灯し数十分程。その間ずっと魔力を出しっぱなしだった。その為、より一層疲れているはずなのだが、暴走しアドレナリンが異常なまでに出てその疲れを感じさせていなかった。
大きく肩を揺らし、一歩二歩と足を進めると、また魔術師の気配のする方に顔を向ける。隠していた二つ気配がハッキリと分かる程の力を放つ。魔術師と戦闘を開始し、気配を隠す必要がなくなったのだろう。
それでも、魔術師の方は殆ど気配を出さず、未だに底を見せようとはしていない。それだけ、力の差があるのだろう。
暫し、ケルベロスはその場に立ち尽くし、その気配を感知し続けたが、ゆっくりと顔を別の方角へと向けると、また喉を鳴らし走り出す。別の強い気配を感じて。
その力はまるで光の様な輝きを放ち、あの魔術師とは対照的な印象の気配だった。それ故に惹かれたのかもしれない。ケルベロスもどちらかと言えば、魔術師と同じ側の力の波動。あの対照的な眩しい力の波動は何なのかと。暴走しながらもその奥に僅かに残ったケルベロスの意思がそうさせたのだ。
(うぐっ……な、何とか、しないと……)
薄れる意識の中でケルベロスは思う。どうにかして、この暴走を止めなければと。色々と試みていたが、今のケルベロスにはどうする事も出来なかった。こうして僅かな意識を維持するだけで精一杯だった。
走り出して数十分。数頭の馬が乗り捨てられた場所へと出る。そして、その近くで大きな爆発が起き、炎が空へと舞った。空へと昇る黒煙を木々の合間から見上げ、ケルベロスは足を止める。
「うぐぅーっ……うぐぅぅぅぅっ……」
荒い呼吸を繰り返し、蒼い炎を灯した拳で一番近くに居た馬を殴る。それは、薬の作用によって体の奥からあふれ出す魔力と怒りを鎮める為に行った行動だった。その為に一頭の馬が蒼い炎へと包み込まれ、悲鳴の様に鳴き声を上げ、その場をのたうち回り、やがてその馬は灰となる。その鳴き声に驚き、周囲に馬は一頭も居なくなり、ケルベロスだけがその場に立ち尽くしていた。
湧き上がる怒りにその拳の炎は火力を増し、体を巡る血液が全身を熱く燃え上がらせる様に駆け巡り、体中が焼ける様に熱くなる。
「うぐっ……かはっ……」
咳き込み、唾液を吐き出す。吐き出す息は高熱を持ち、胃が――肺が――焼ける様に熱かった。その激痛に腹を押さえその場に膝を着いたケルベロスは、地面に額を擦りつけ奥歯を噛み締め激痛を耐える。
「うぐあっ……があっ……ぐふっ……」
呻き声が森の中へと響き渡り、その声に数人の人間がそこへと歩み寄る。
「お、おい。大丈夫か? お前」
「こんな所で何してんだ?」
武装した数人の人。短剣を腰にぶら下げた二十代後半程の無精ヒゲをはやした男がケルベロスへと近付く。だが、それを一人の男が制止する。金髪を長く伸ばした鼻の高い男。傷一つ無い綺麗な胸当てをまとい、高価な装飾のされた剣を腰にぶら下げ、いかにも貴族風のその男は、静かに笑う。
「フフフッ……お前、あの馬車に乗ってたヤツだろ?」
銀色の脛当てをぶつけ合いながら静かな足音を響かせる。ケルベロスへと歩み寄ったその男は、髪をかきあげると、その手をケルベロスの肩へと下ろす。
「確か、お前は奥の手ってヤツなんだろ? なら、お前の出番なんてね――……ぐああああっ!」
突如として燃え上がる男の腕。蒼い炎に包まれたその腕の皮膚が焼けただれ、悲鳴だけがこだまする。
「うああああっ!」
「き、貴様! な、何のつもりだ!」
腕を炎に包まれのたうち回るその男を庇う様に、無精ひげをはやした男が腰の短剣を抜き、ケルベロスへと刃を向ける。
だが、その言葉にケルベロスは答えず、静かに息を吐き出しゆっくりと腰を上げた。漆黒に染まったその眼差しを男へと向けると、ケルベロスは歩みだす。その男に向かって。一歩、また一歩と。ゆっくりと静かに。しかし、その体から溢れ出す殺気は男を威圧する様に膨大に膨れ上がる。
「ひ、ひっ……」
男はその圧倒的な殺気に怯え、腰を抜かす。
「く、来るな! 来る――うわああああっ!」
男の額をケルベロスの右手が掴む。蒼い炎に包まれたその手で。
「うああっ! あががががっ!」
悲鳴を上げ手足をジタバタさせる男。だが、それも数秒程で静まり、男の腕はうな垂れ動かなくなり、ケルベロスの手がその男の額から離れると、男の体はゆっくりと倒れる。蒼い炎を頭へ灯したまま。すでに息は無いが、体はビクッビクッと痙攣を起こしていた。やがて動かなくなった男の体をまたぐと、ケルベロスはのた打ち回る貴族風の男へと歩み寄る。
「ひ、ひぃっ! や、やめてくれ! お、俺がわ、わる――ぎゃぁぁぁぁっ!」
ケルベロスはゆっくりと屈み、右手を伸ばす。その男の口元へと。男の口を塞ぐ様に右手で顔を掴むと、その顔へと蒼い炎が移り一気に燃え上がる。
「んんーーーーっ!」
口を押さえられ、悲鳴をあげる事も出来ず男の顔は燃え上がる。皮膚がただれ、髪が溶け、やがて嫌な臭いが漂う。黒煙を吹くその男から手を離し、ケルベロスは歩き出す。仰向けに倒れた男の顔を覆う蒼い炎は、やがて体を覆い尽くし、最後には灰だけを残し消滅した。