第284話 父との決別
空間の裂け目へと吸い込まれたレッドは、一瞬にして別の場所へと投げ出される。
「うぐっ! がっ!」
激しく地面を横転し、土煙を巻き上げる。
額を地面に転がる石で切り、流血。傷は浅いものの、血は地面へと派手に散った。
瞬時に転げる体を立て直すレッドは、右膝を立て、左膝を地面に落とす。更に前のめりに上体を倒し、左手を地面に着いた。
激しく土煙を巻き上げ、勢いを殺すレッドは、すぐさま上体を起こし顔を上げた。
赤紫の髪から汗が飛び散り、頬を伝った血と混ざった汗がポトリと地面に落ちる。
レッドの黒い瞳が見据えるのは、今しがた自分をこの場所へと飛ばした空間の裂け目。あれに飛び込めば、元の場所に戻れる。そう思い、レッドはそのままの姿勢で地を蹴り、駆けた。
だが、レッドがそこに辿り着く前に、空間の裂け目は閉じ、レッドは静かに足を止める。
奥歯を噛み、俯くレッドは、瞼を閉じると、
「くそっ!」
と、声を荒げた。
まさか、こんな形で決着が着くとは思っていなかった。悔しげに唇を噛むレッドは、手にした聖剣・桜妃を下ろし、両肩を揺らす。
乱れた呼吸を整えつつ、レッドは状況を確認する為に辺りを見回した。
(ここは……)
目を凝らすレッドは、ここが戦場だと言う事を瞬時に理解した。
先程まで空間の裂け目に集中していて気付かなかったが、怒号のように声が飛び交い、戦闘を繰り広げる音がそこら中で響き渡っていた。
激しく舞う土煙に、爆発、衝撃音。軍と軍との戦うその真ん中にレッドは投げ出されたようだった。
訝しげな表情を浮かべるレッドは、ゆっくりと振り返り、視線を止めた。
そこには見知った男の姿があった。褐色の肌に逆立てた紺色の短髪。そして、その身には和服をまとい、手に握るのは――名刀・桜一刀。
「ご、剛鎧?」
驚き目を丸くし、レッドが声を上げる。
一方で、剛鎧も驚いた様子であんぐりと口を開けていた。だが、すぐに状況を思い出し、剛鎧は眉間にシワを寄せ、額から流れた血を左手で拭い声を上げる。
「助っ人に来たってわけじゃなさそうだな。どう言う状態だ? 兄貴はどうした?」
冷静にそう問い掛ける剛鎧に、レッドも瞬時に状況を理解し、真剣な表情で答える。
「ああ。僕と天童さんは残念ながら、別の場所に転送されてね。天童さんはそこにいた白銀の騎士団の幹部と戦闘中だ」
「そうか……。じゃあ、兄貴は別の所で戦っているって事か……」
「ああ。そう言う事になるね」
レッドの答えに、剛鎧は眉を顰め、首を傾げる。
「なら、どうして、お前はここにいるんだ? あの空間の裂け目はワープクリスタルの転移の仕方とは違ったようだが?」
「……ッ! すまない。そこで、僕は断絶のギーガと戦ってたんだけど……。油断した。まさか、断絶で空間を裂いて、飛ばされるとは……」
悔しげにそう言うレッドは、唇を噛み目を伏せた。
そんなレッドの後姿に、漆黒の鎧に身をまとう男が手に持った真っ白な剣を肩に担ぎ、静かな声を発する。
「……レッド? お前、まさか、あのレッドなのか?」
静かで穏やかな声。その声にレッドは目を見開く。
レッドはその声に聞き覚えがあった。もう二度と聞く事がないと思っていた声を聞き、ふと思い出す。以前、クレリンスでクリスに言われた言葉を――。
“聖剣を持った者にあった”
“その所有者は……お前の親父アルベルトだ”
まさか、本当に生きているとは思わなかった。そして、こんな所で対峙する事になるとは想像もしていなかった。
「……父さん」
振り返ったレッドがそう呟くと、
「やはり、あのレッドか……。大きくなったもんだな」
と、シミジミとそう呟き、レッドの父・アルベルトは大らかに笑う。
父のその姿に、険しい表情を浮かべるレッドは、奥歯を噛む。聞きたい事は色々ある。
だが、レッドの口から出たのは――
「何故、あなたがこんな事をしているのですか!」
と、言う厳しい言葉だった。
レッドの言葉に、アルベルトは鼻から息を吐き、剛鎧は意外そうな表情を浮かべる。
レッドがココまで感情を露にするとは、思わなかったのだ。
「しかし……あのお前がここまで立派に育つとはな。驚いたよ」
レッドの怒声など何処吹く風。全く気にした様子はなく、アルベルトは大手を広げそう投げ掛けた。
ピクリと右の眉を動かすレッドは、額に青筋を浮かべ握った聖剣・桜妃をゆっくりと構える。静かなレッドの構えに、アルベルトは目を細めた。
「ふっ……なんだ? 久しぶりの再会だと言うのに……」
「黙れ! あなたはもう死んだ! 死人が生き返る事などありえない!」
レッドはそう怒鳴り、左腕を外へと払う様に振り抜いた。
だが、アルベルトはそのレッドの言葉に、訝しげに首を傾げる。
「死人? 何を言っている。俺は、お前の目の前で生きている。自分の目を疑うのか?」
アルベルトの言葉に、レッドは「くっ」と言葉を呑む。そんなレッドに代わり、剛鎧が静かに問う。
「なら、何故、お前はこの十五年、姿を消していた? 英雄戦争の後、なぜ、行方を眩ませた? 生きていたなら、何故、帰るべき所に帰らなかった?」
強い眼で真っ直ぐにアルベルトを見据える剛鎧の言葉は、レッドが最も聞きたかった事。そして、聞くのが怖かった事でもあった。
そんな剛鎧の言葉に、アルベルトは静かに笑う。
「何故? それは、俺達が罪を犯したからだ。世の中には触れてはいけない箱がある。かつての英雄は、その箱を開いた。そして、俺達は、囚われた」
アルベルトは俯き、瞼を閉じた。
ゆっくりとした時が流れ、やがて、ゆっくりとアルベルトは瞼を開き、その目で真っ直ぐに剛鎧とレッドを見据える。
「この世界は、お前達が思うほど、単純じゃない。だからこそ、俺達は従う事にしたのさ。あの男に」
「ふざけるな! だから、人を殺すのか! だから、世界を破壊するのか! あんたのしようとしている事は、かつて、あんたが止めようとした事なんじゃないのか!」
剛鎧が感情的にそう怒鳴ると、アルベルトは冷めた眼差しを向ける。
「言っただろ。世界を知ったのさ。この世界の事を。お前達の知らない。この世界の真実をな」
アルベルトのその言葉に、レッドは何を言っても無駄だと理解し、覚悟を決める。ここで、父であるアルベルトと決別し、自分の手でこの男に引導を渡さなければならないと。
故に、レッドは俯くと剛鎧へと告げる。
「すまない……剛鎧。ここは、僕一人に任せてもらえないか?」
レッドの申し出に、一瞬剛鎧は不安そうな表情を浮かべる。だが、剛鎧もレッドの気持ちは痛い程分かる。そして、アルベルトを止めるのは、間違いなく息子であるレッドの仕事だろうと理解し、
「分かった」
と、了承する。
「ありがとう」
「いや……いいさ。この方が効率が良い。それより、大丈夫なんだろうな」
確認するように真っ直ぐにレッドを見据える剛鎧は、静かに名刀・桜一刀を鞘へと納めた。
そんな剛鎧に、レッドは小さく頷き、
「分かってる。必ず、何とかする」
と、静かに答えると、ゆっくりと右足を前へと出した。
覚悟を決めたレッドの姿に、剛鎧は小さく頷き、後方を見据える。