第283話 聖剣・桜妃
クロトは消滅した。
古城前の広場に響き渡る英雄・冬華の悲痛の叫び。
地面に額を押しつけ、拳を握り締め冬華は、号泣していた。
その声は広場で戦う者達にも聞こえていた。
断絶のギーガと剣を交えるレッドは、響き渡る冬華の声に険しい表情を浮かべる。
何が起こったのか、何があったのかは分からない。
ただ、その泣き声は聞いていて心が痛くなった。
白刃の刀身の細い二本の剣の柄を握り締めたレッドは、ゆっくりと足を引き、下唇を噛み締める。
今すぐ冬華の下へと駆けつけたいが、それを目の前にいる男が許さない。
隙のない堂々とした姿勢で大剣を構え、鋭い眼差しを向けるギーガは、低い声で告げる。
「人の心配をしている場合なのか?」
ギーガの言葉にレッドは不快そうに眉間にシワを寄せた。
ギーガの言う通りだ。今は人の心配をしている場合ではない。
この男は、他人を気にして戦える程余裕はなかった。
額から汗を流すレッドは、小さく息を吐き、すり足で右足を出した。力勝負ではギーガに分があるのは分かっている。
もちろん、負けるつもりは毛頭ない。故にレッドは二本の剣をゆっくりと腰の位置に構え、重心を低くする。脹脛に力を込め、足のつま先へと体重を乗せた。
いつでもスタートは切れる状態でギーガを見据えるレッドは、呼吸を整える。
タイミングを計り、薄く開いた唇から一定のリズムで息を吐き、鼻から息を吸う。
(周りなど気にするな。コイツにだけ集中しろ)
レッドは視野を狭める。周りはいらない。ギーガの姿を、ギーガの動きだけを、その視界に捉えろ。そう自らに言い聞かせて。
いらないものを削ぎ落とし、自分の意識を研ぎ澄ます。
(見逃すな。こいつの動きを――。呼吸を――)
ギーガの呼吸するタイミング。肩の動くリズム。全てを見逃さぬように意識を集中するレッドは、スッと息を吸うと、呼吸を止めた。
精神力が全身へと広がり、レッドはつま先へと力を蓄える。と、同時にその手に持つ二本の剣へと聖力を注ぎこんだ。
白刃は輝きを放ち、レッドの足元には土埃が舞う。
唇が開かれ、ゆっくりと息が吐き出される。と、同時にレッドは地を蹴った。
軽快な足音が響き、後塵が舞う。そんなレッドを迎え撃つようにギーガは正面に構える。
地を駆けるレッドが先にギーガの間合いへ入った。リーチでは大剣であるギーガに分がある。だが、その重量ゆえに、小回りが利かない。それをレッドは知っているからこそ、更にギーガの間合いへと足を踏み込む。
一方、ギーガもその欠点を分かっているからこそ、レッドが間合いに入るその一歩前で動き出していた。大剣をしなやかに、自然と振り被り、滑らせるように右から左へと一気に振り抜いた。
横目でその刃を確認したレッドは左手に持った剣を払うように振った。
鈍い金属音が響き、レッドの上半身が僅かに右へと押される。それでも、何とかギーガの大剣は受け止めた。
刃を交えたままレッドは駆ける。刃が擦れ合い火花が散る。そして、ギーガの大剣の鍔と、レッドの持つ白刃の剣の鍔がぶつかり、キンッと澄んだ金属音が僅かに鳴った。
それと同時に、レッドはその剣を引き、右足を踏み込み体を横にする。正面には勢いの弱まったギーガの大剣。
それに対し、レッドは右手に持った剣を力強く振り抜いた。勢いさえ殺してしまえば、それを弾き返すのは簡単な事で、レッドの振り抜いた白刃の剣は、軽々とギーガの大剣を押し退けた。
「ッ!」
小さな舌打ちをするギーガだが、弾かれた反動を活かし、左足を踏み込み更に下半身に力を込める。
瞬時にレッドは大剣が戻ってくると判断し、振り抜いた右腕を引き、その勢いをそのままに左手の剣をギーガの腹部に目掛け突き出した。
その時だった。レッドは左頬に激痛を伴い、その顔が右へと弾かれた。
意識を断つような重い一撃に、瞳が揺らぐ。その視界の中に僅かに見えたのは、強靭なギーガの左腕。
大剣を振り抜くよりも先にレッドの剣が届く事は分かりきっていた。故にギーガは大剣の柄から左手を離し、その甲でレッドの左頬を殴ったのだ。
打撃による衝撃で、レッドの体が右へと傾き、膝が沈む。予期せぬ一撃だった。ちゃんとギーガの動きに集中していたはずだった。
だが、何処かで油断した。いや、油断ではない。勝てると思い、気が緩んだ。
口から血が飛び散り、レッドの上半身が前のめりになった。
「残念だったな。リベンジは失敗だ」
レッドの耳にギーガのそんな声が届いた。
“また、負けるのか?”
“また、こんな所で――”
意識が揺らぐ中で自問するレッドはそこで踏み止まる。右足に力を込め、崩れる上半身を止めた。
血に染まった歯を食い縛り、レッドはその顔を上げる。大剣を振り上げるギーガの姿。それを見上げる形になったレッドは、歯を食い縛ったまま息を吐き、両手に持った剣を合わせた。
二つの剣が重なり、カチッと機械的な音が響き、二本の剣は一本の剣へと変化した。白刃は薄紅色に染まり、桜の花びらが平には浮かび上がる。
「聖剣――桜妃!」
レッドはそう叫び、聖剣・桜妃に聖力を注ぐ。それにより、薄紅色の刃は金色に輝き、平に浮かび上がる桜の花びらは赤く輝く。
「ッ!」
眉間にシワを寄せたギーガは、奥歯を噛む。瞬間に理解する。コレは危険だと。
そして、判断する。
「断絶!」
「極聖斬!」
レッドが聖剣・桜妃を振り抜くよりも速く、ギーガの大剣が空間を裂いた。
それにより、空間に裂け目が開き、レッドの放った光り輝く一太刀は、ギーガに届く事なく、空間の裂け目の中へと消えた。
「ッ!」
小さく舌打ちをするレッドは、すぐにその場を飛び退き、足元に土煙を巻き上げる。
一方、ギーガもレッドから距離を取る様に後ろに下がった。空間の裂け目はゆっくりと閉じられ、二人の間には生暖かな風だけが吹き抜けた。
「やはり……お前は危険だな」
ギーガがそう呟いた。その言葉に訝しげな目を向けるレッドは、聖剣・桜妃を構えすり足で右足を踏み出す。
すると、ギーガは大剣を振り上げ、静かな面持ちでレッドを見据え、
「悪いが、これ以上、お前と戦う理由はなくなった。消えろ」
と、告げ、大剣に精神力を注ぐ。
ギーガが何をする気なのか分からないが、それをさせてはいけないと、レッドは地を蹴った。
しかし、それよりも早く、ギーガが動く。
「断絶!」
刃が空間を裂く。
そして、空間の裂け目がレッドの目の前へと出現する。
だが、それは先程の空間の裂け目とは違い、大きく裂け目を広げると、勢いよく空気を吸う。
凄まじい吸引力により、駆けていたレッドの体もその空間の裂け目へと吸い寄せられる。
「くっ! な、何だ……」
すぐに足を止め、地に踏ん張るレッドは、表情を歪めた。一体、何をするつもりなのか、そう疑念を抱くレッドに対し、ギーガは静かに笑い、
「じゃあな。勇者よ。もう会う事は無いだろう」
と、静かに告げた。
「ふざけるな! ギーガ!」
レッドは叫ぶ。だが、地面に踏ん張る足は引き剥がされ、レッドの体は空間の裂け目の中へと吸い込まれていった。
空間の裂け目はレッドを吸い込むと、そのまま口を閉じた。何事もなかったかのように、その場には静寂が漂い、ギーガの姿だけが残された。