第280話 vs白銀の騎士団
状況は最悪だった。
ケルベロス一人に対し、相手は白銀の騎士団五人。
とてもじゃないが、一人でどうこう出来る状況ではなかった。
奥歯を噛むケルベロスは、拳を握り後ろを見た。
横たわるクロト。その傍には英雄・冬華が不安げに寄り添っていた。
地面に広がる血で、衣服が汚れる事など気にせずに。
(英雄は戦える状態じゃないか……他の二人も交戦中……。クロトに至っては死の淵を彷徨っている……)
ケルベロスはゆっくりと視線を五人へと戻す。
だが、そこで二人の姿がない事に気付いた。
(二人消えた! 何処に――)
ケルベロスは周囲を警戒し、辺りを見回す。
直後――
「探し物はなんですかぁ?」
白銀の騎士団紅一点リリィの声が、間近で耳に届く。
瞬時にそれが死角から聞こえた声だと判断し、自らの死角である背後へと振り返る。
だが、そこにリリィの姿は無く、
「残念外れだ!」
と、雄々しい声が響き、ケルベロスの体を後ろから地面へと叩きつけた。
「うぐっ!」
胸を地面へ打ち付け、背中には重圧を感じる。
ケルベロスの背にはゴートが胡座を掻いていた。右手で白髪混じりの黒髪を触り、左手ではケルベロスの頭を地面へと押し付ける。
体に圧し掛かる圧迫感に、奥歯を噛むケルベロスは、両手を地に着き、腕に力を込めた。だが、体は持ち上がらない。
ゴートの見た目は筋肉質で、確かに重量はありそうだった。それでも、ケルベロスの腕力で持ち上がらない程、重量があるとは思えなかった。
「ぐぐっ……」
腕に血管を浮き上がらせ、肩を震わせるケルベロスに、ゴートは大らかに笑う。
「おうおう。頑張れ若者!」
「ムーリムリ。どんなに頑張っちゃっても、キミの力じゃ持ち上がらないって」
リリィは腰を下ろし膝を抱え、ケルベロスを見据える。
冷めたその眼差しにケルベロスは奥歯を噛むと、両腕に魔力を込めた。
その瞬間、ローブをまとう老人、ラズがピクリと右の白い眉を動かすと、杖の先で地面を叩き、
「――封殺の楔」
老人の静かな声が響き、地面に魔力が広がる。
そして、鎖が地中より飛び出し、ケルベロスの体を拘束した。
「ぐっ!」
両腕、両足、腰、首に巻きつく鎖が、更にケルベロスを地面へと強く押さえつけた。
(な、なんだ……魔力が……)
鎖が体に巻きついた瞬間に、ケルベロスの両腕に集めた魔力が、唐突に消えた。
何が起こったのかケルベロスには理解出来ない。いや、考える余裕がなく、体を襲う圧迫感が急激に強くなった。
「うぐぅぅっ……」
苦悶の表情を浮かべるケルベロスに、その背に乗るゴートが鼻から息を吐いた。
「おいおい。コレは流石に大人げないんじゃないか?」
腕を組むゴートが、呆れた様にラズへと目を向ける。
すると、ラズは「ほっほっほっ」と笑い、白いヒゲを右手で撫でた。
そんなラズにリリィは呆れた様に息を吐くと、ゆっくりと立ち上がり、膝を二度叩いた。
「全くさぁ。たかが魔族一人にさぁ、ウチら五人がかりってどうなのよ?」
「それだけ、危険人物だと言う事だ」
今まで黙っていたギーガがそう告げ、大剣を肩へと担いだ。
圧倒的な貫禄を見せるギーガに、リリィは不満そうな表情を浮かべる。
言いたい事は分かるが、仮にも最強と謳われる白銀の騎士団ともあろう者が、五人がかりでただ一人の魔族を押さえつけるなんてプライドが許せなかった。
不満そうなリリィだが、この中で一番の古株のギーガに文句は言わない。
ゆっくりと足を進めるギーガは、ケルベロスの前で足を止める。
「番犬もこの程度か……まぁ、楽に死ね」
ギーガは大剣を振り上げる。その視線が見据えるのはケルベロスの首。一撃で楽にしてやろうと、ギーガは大剣を振り下ろした。
その時だった。眩い光が唐突に視界を遮り、金属音が響く。と、同時に、「うぐっ!」とゴートの呻き声が聞こえた。
「ッ!」
すぐさま、距離を取るリリィは両手を腰の二本の剣へと伸ばした。
「くっ! 何だ!」
地面を横転するゴートはすぐさま体勢を整え、振り返る。
ケルベロスではない何者かに背中を蹴られた。一体、それが誰なのかを確認しようと目を凝らす。
腕を組むグラスも、杖を携えるラズも、眩い光の無効へと目を向ける。
光がゆっくりと収縮していき、視界が開ける。鎖により地面に拘束されるケルベロス。その傍には赤紫の髪を揺らす一人の青年がいた。
右手に持った刀身の細い真っ白な刃の剣で、ギーガの重量のある大剣を防いでいた。対照的な二つの刃がガチガチと震える。
腕力には自信のあるギーガだったが、それ以上剣を押す事は出来なかった。
穏やかな落ち着いた面持ちの青年は、鋭い眼差しでギーガを睨むと左手を左斜め下へと伸ばす。すると、その手の平に薄らとした光が漏れ、もう一本真っ白な刃の剣が姿を見せる。
「ッ!」
流石にコレはマズイと思ったのか、ギーガはすぐさまその場を飛び退いた。
飛び退いたギーガは大剣を地面に突き立て勢いを殺し、リリィの横へと並んだ。僅かに足元に土埃が巻き上がっていた。
「全く……あなたと言う人は……無茶をする」
呆れた様にそう口にしたのは、真っ白な二本の剣を持つ青年の後ろに佇む和服姿のふけ顔の青年だった。
肩口まで伸ばした黒髪を結い、落ち着いた穏やかな面持ちで周囲を見回す。細長い糸目で、状況を確認する和服の青年は、腰に差した二本の刀に手を伸ばした。
「僕もまさか、こんな所に出るとは思わなかった。けど、出る所とタイミングはバッチリみたいだ」
真っ白な二本の剣を持つ青年は、キッとギーガを睨み、重心を落とした。
「ほっほっほっ。血気盛んな若者じゃな」
大らかに笑うラズは、杖を持ち上げ、魔力を込めた。
地面に拘束されるケルベロスは瞬時にラズの行動の真意を悟り、両手を地に着いた。
「――水牢」
ラズは静かにそう告げ、持っていた杖で地面を叩く。波紋のように魔力は広がる。その刹那、ケルベロスは両腕へと力を込め、自らの体を拘束する鎖を引き千切った。
土が鎖と共に空へと舞い、二本の白い剣を持つ青年と、和服姿の青年は表情をしかめる。
そして、ラズも、不快そうな表情を浮かべた。
地面が崩れた事により、ラズが放った魔力の波動が二人の下まで辿り着かず、二人よりも随分と手前で水が噴出していた。
腕を組むグラスは、ラズを横目で見据える。
「油断したな」
「うるさいのぅ。まぁ、仕方あるまい。相手は番犬じゃ。飼い犬とは言え、獣は獣じゃわい」
不満げにそう述べるラズに、グラスは「そうだな」と呟き、組んでいた腕を解いた。
鋼鉄の手甲を纏ったその拳を胸の前でガンガンとぶつけ、火花を上げた後、グラスは腰をゆっくりと落とす。
「なら、我が直々に相手をしてやろう!」
グラスが重低音な足音を響かせ、ケルベロスへと突進する。
後塵を激しくまわせるグラスへと、まとわりつく鎖を払いながら体を向けたケルベロスは拳を構えた。
そして、二人の青年も身構える。
刹那だった。
「止まれ! グラス!」
ギーガの怒声が響き、グラスは動きを止める。重低音な足音が止まり、グラスの足元には土煙が激しく舞う。
ギーガの声に訝しげな表情を浮かべるケルベロスと二人の青年は、その視線をギーガへと向けた。
皆の視線が集まる中、ギーガは地面に突き立てた大剣を抜き、頭を左へと傾け笑う。
「まさか、この様な所で会うとは思わなかったな。勇者レッド」
顔見知りの様なギーガの発言に対し、“勇者”レッドは苦笑し瞼を一端閉じ、
「そうですね。僕も、まさか、ここに転送されるとは思いませんでしたよ」
と、再び瞼を開き、ギーガを睨んだ。
二人の間に流れる静かな風が、土埃を巻き上げ、数秒の間が空いた。
妙な空気の流れに、ギーガの横で二本の剣を構えるリリィが不満そうに口を開く。
「なに? 知り合いなの?」
「ああ。以前に俺が捕らえた。連盟の猿だ」
ギーガはそう言い、白銀のコートの裾を揺らした。得意げなギーガに、レッドはジト目を向ける。
一方、和服の青年は、やや驚いた様子で呟く。
「連盟の猿と言えば、潜入のプロ。そのあなたが捕まるなんて」
「連盟に裏切り者がいたようで、情報が筒抜けだったんですよ。それより、天童さん。色々と尾びれをつけるのはやめてください」
照れ臭そうにそう言うレッドは右手で頭を掻いた。
天童と呼ばれた和服姿の青年は、「またまたご謙遜を」と冗談っぽく口にした。
和む二人に対し、真剣な表情のケルベロスは、押し殺した声で告げる。
「おい。和むのは勝手だが、もう少し緊張感を持て。相手は五人いるんだ」
「そうだな」
「御意」
申し訳なさそうにレッドと天童はそう口にした。そして、三人は背を合わせる。
「とりあえず、ギーガは僕に任せてくれませんか」
「ふっ……一人でいいのか? どうせなら、三人がかりでもいいんだぞ」
大手を広げ挑発する“断絶”のギーガを、レッドは睨んだ。前回のリベンジと言うわけではないが、因縁に蹴りをつけたい、そう思っていた。
「だとしたら、あの肉弾戦車と爆拳は俺が引き受ける。野郎にはさっきの借りがあるからな」
胸の前で拳を鳴らすケルベロスは、地面に胡座を掻く“肉弾戦車”のゴートを睨んだ。
全く持って興味のなさそうな中年男であるゴートは欠伸を一つし、ゆっくりと腰を上げる。
「いいだろう。相手をしてやるぞ。番犬」
「我をついで呼ばわりとは……後悔させてやるぞ!」
頭を掻くゴートに対し、グラスはついで呼ばわりされた事に怒りを滲ませていた。
そして、天童は困ったように眉を曲げ、
「は、はは……では、私が、彼女とご老体のお二人を相手にすると……気は進みませんが……」
と、右手で腰にぶら下げた二本の刀の内、一本を抜いた。
非常に気は進まない。女性と老人には優しくすると言うのが、天童のポリシーだった。
しかし、そんな天童の発言に、リリィは不満そうに眉間にシワを寄せる。
「アイツ……殺す。完璧殺す!」
「ホッホッホッ。若い若い」
と、老人は肩を揺らし笑った。




