第279話 失望
空へと飛んだ一本の魔剣は、五本の剣となり散った。
それを、深くフードを被ったクロウはただ眺めていた。
血を流し、地面に平伏すクロトに出来る唯一の足掻き。そして、クロトの意識は闇へと沈んでいった。
深く深く、何処までも続く、闇の中へと。
刹那に響く。
「クロオオオオオオッ!」
猛々しい声。
駆け抜けるのは一つの足音。
その手には強く煌く蒼い炎。
風を受け、黒髪を後ろへと流すケルベロスは、その鼻筋にシワを寄せ、歯を食いしばる。
怒りを――、憎しみを――自らの内へと押さえ込む様に。
その全てを自らの拳に乗せる様に。
ケルベロスは、ただ無心でクロウへとその拳を振り抜いた。
鈍い打撃音が響き、クロウの体が吹き飛ぶ。その顔を蒼い炎が包み、やがてローブを焼き払う。
二度、三度とクロウは地面を横転し、土煙を舞い上げた。
呼吸を乱すケルベロスは、振り抜いた拳を下ろし、肩を激しく上下に揺らす。赤い瞳は、横たわるクロウへと向けられ、噛み締めた歯の合間から熱気の篭った吐息を漏らした。
「んんっ……くっ……」
何事なかったかのように、平然とクロウは体を起こした。漆黒のローブが焼かれ、彼の貴族風の漆黒の衣服が露となった。魔王デュバルより与えられた、高位なる騎士の証となる衣装だった。
深紅のマントを揺らし、少々長く伸ばした黒髪を左手で掻き揚げたクロウは、冷めた目ででケルベロスを見据える。
「どうやら……洗脳が解けたか……。しかし、お前を私の右腕にする為にここまで育ててやったと言うのに……。こうも簡単に懐柔されるとは思わなかったな」
プッと口から血を吐いたクロウは、左手の甲で口元の血を拭った。
そんな時だ。唐突に英雄・冬華が叫ぶ。
「お願い! セルフィーユ! 黒兎を――裕也を助けて!」
ミゾオチを抑えながら、苦しそうに声を張る。
咳き込み、何度も動きを止めながらも、冬華はゆっくりと横たわるクロトの下へと這って近付く。
無様な英雄の姿に、クロウは首を振った。
「哀れだな。地を這う英雄とは……。無様すぎて見ていられん」
「だったら、目を閉じていろ!」
ケルベロスはそう声をあげ、地を蹴る。
その拳に蒼い炎をまとって。
だが、クロウはその腰から銃を抜くと、銃口をケルベロスの額へと向け、引き金を引いた。
一発の銃声が轟き、ケルベロスの体は弾かれる。正確にはケルベロスがその場を飛び退いただけ。その過程で弾丸が左の頬を掠め、ケルベロスは体勢を崩し、地面を転げた。
銃を右手に握るクロウは、地に膝を着くケルベロスを見据える。
「さっきも言っただろ。お前を育てたのは私だ。戦い方は熟知している。それに、近距離の肉弾戦しか出来ないお前では、どう足掻いても私には勝てない」
クロウの言葉にケルベロスは息を呑む。
彼の言うとおり、ケルベロスに勝ち目はほぼない。戦い方も、魔力の使い方も、全てクロウに教わった。その過程で、ケルベロスは何度も彼と手合わせをしてきているが、一度も勝てた例がない。しかも、体術での戦いでだ。
肉弾戦でも勝てた例がない相手に、武器を持たれている以上、勝てる可能性はゼロだ。それでも、ケルベロスは、歯を食いしばり立ち上がり、頬から流れる血を拭った。
「それでも、立ち向かってくると言うのかい?」
呆れた様子のクロウへと、強い眼を向けるケルベロスは、拳へと蒼い炎を灯した。
「テメェは、デュバル様を裏切った。その報いを受けてもらう!」
「ふっ……ふふふっ。面白い事を言うね。キミは。でもね……私はキミの相手をしている程暇じゃないんだよ」
クロウはそう言うと、親指と中指を擦り合わせパチンと音を響かせた。
すると、ケルベロスとクロウの間の空間が裂け、大剣を片手に携える一人の男が姿を見せる。
逆立てた赤い髪に白銀の胸当て、その身には足元まで届く純白のコートを纏っていた。その男の姿にケルベロスは表情を険しくする。
「白銀の騎士団……。まさか、こんな連中まで手駒に納めていたのか……」
ケルベロスの発言に、その男は穏やかな表情を浮かべ、大剣を振り上げる。
「断絶!」
「ッ!」
ケルベロスは瞬時にこの男の名を思い出す。
“断絶”のギーガ。空間をも裂く断絶を扱う男だ。
ギーガの大剣が空間を裂いた。大きく開かれた空間の裂け目、そこにクロウは身を落とす。
「ふふっ……それじゃあな。ケルベロス。お前には失望したよ」
「くっ! 待て! クロウ!」
ケルベロスは走り出す。だが、その前に立ちはだかるギーガは、大剣を右から左へと振り抜いた。
「くっ! 邪魔をするな!」
足を止め、大剣をかわしたケルベロスはそう怒鳴り、ギーガへと右拳をフック気味に放つ。
鈍い音が僅かに響き、鮮血が舞う。
「うぐっ」
と、声を漏らすケルベロスは、表情を歪め、後ろへと飛び退いた。
突然、ケルベロスは肩に剣を突き立てたのだ。
右肩に血を滲ませるケルベロスは、奥歯を噛み、腰の位置に右拳を握る。
「そうそう。キミの相手は、彼だけじゃなくて――彼らだよ」
閉じ行く空間の裂け目からクロウの言葉が聞こえ、ケルベロスは唇を噛む。
目の前にいるのは、“断絶”のギーガを含め、五名。
ギーガの右隣に佇むのは白銀の騎士団“爆拳”のグラス。二メートルはあるであろう大柄で、右目には眼帯をした黒髪短髪の男だ。両腕には銀色の手甲を装着し、腕を組んでいた。
その更に右隣には白銀の騎士団新メンバーにして紅一点“嵐の舞”リリィ。オレンジのショートボブに純白のコートを羽織り、軽装にヘソ出し。切れ長な眼でケルベロスを睨み、手に持った二本の剣をまわす。その一本にはケルベロスの血が付着していた。
ギーガの左隣には白銀の騎士団新メンバー、“肉弾戦車”ゴート。中年とは思えぬ程の筋肉質な肉体に、白髪混じりの黒髪。足元まで覆う純白のコートは袖が肩口から破りとられ、筋骨隆々な腕が露と鳴っていた。
更にその左隣には白銀の騎士団新メンバー、“魔導の英知”のラズ。緑のローブに身を包んだ老人で、右手には木の杖を持っていた。長い白髪に、妙に威圧感のある眼をケルベロスへと向ける。
白銀の騎士団の五人の異名持ち。圧倒的に現状不利な状況へと追いやられていた。
「くっ……」
奥歯を噛むケルベロスは五人を見据え、拳を握りなおす。
「全く……我らが出向く必要があったのか?」
グラスが野太い声でそう尋ねる。
「仕方あるまい。団長の命令だ」
腕を組む中年男ゴートがそう言い、目を細める。
「団長命令だけどさぁ、ウチ一人で十分だったんじゃない?」
リリィはそう言い、左手でオレンジの髪を掻き揚げ、冷めた目でケルベロスを見据える。
「まぁまぁ、そう言いなさんな。団長殿は、どんな相手にも全力で当たれ、そう言いたいんじゃよ」
緑のローブに身をまとうラズはそう言うとほっほっほっと笑った。
「相手は番犬ケルベロスだ。油断などするな」
断絶のギーガはそう言い、大剣を構える。
ギーガの行動に、グラスは胸の前で銀の手甲を二度ぶつけ、リリィは二本の剣を構えた。そして、ゴートは全身に精神力を纏い、ラズは杖へと魔力を込める。
臨戦態勢へと入る五人に、ケルベロスも身構えた。
戦力差は目に見えている。ケルベロス一人で、五人もの異名持ちを相手にするなど、不可能だ。
それでも、ケルベロスは彼らを睨み、握った拳へと蒼い炎をまとわせた。




