第275話 俺ではお前に勝てない
長い黒髪を揺らし向かい来るライオネットから逃げるように、クマはバックステップで下がる。
クマのその行動にライオネットは不快そうに表情をしかめた。
その刹那、ライオネットの動きを制止するように、横からクリスが剣を出した。
美しく煌く赤い刃に、ライオネットは動きを止める。そして、鋭い眼差しでクリスを睨んだ。
「邪魔をするな!」
ライオネットがそう怒鳴る。
だが、クリスは退く事なく、ライオネットを真っ直ぐに見据えた。
美しい銀髪を風に揺らすクリスは、ふっと息を吐くと両手で柄を握り締める。赤い瞳と黒い瞳でライオネットを真っ直ぐに見据えるクリスは、ジリッと右足を動かす。
「お前の相手は私だ。黙って掛かって来い」
強気にそう言い放ったクリスに、ライオネットは額に青筋を浮かべる。
明らかに怒りは頂点に達していたライオネットは、表情を引きつらせた。
「テメェ……舐めんじゃねぇぞ!」
ライオネットは大剣を振り上げる。女に負けるわけがないと言う自負があった。だからこそ、目の前に立ちはだかるクリスに、ライオネットのプライドが傷ついたのだ。
今にもはちきれそうな程、額には青筋が浮かんでいた。
一方、後退したクマ。その喉元に、三日月形の刃がスッと入り込んだ。
「クマ?」
クマが驚いたようにそう声を発し、視線を落とす。
そんなクマの耳に右斜め後ろから静かな声が響く。
「首は貰いましたよ」
今まで気配を消していたウェンリルは左足を踏み込むと、手に持った大鎌の長い柄を振り抜いた。
三日月形の刃が空を切る。
クマは地面スレスレまで背中を落とし、刃をかわしたのだ。強靭な背筋と脚力でその体勢を維持したクマは、刃が鼻先を通過すると一気に体を起こした。
あの状況から、かわされると思っていなかったのだろう。ウェンリルは眉間にシワを寄せ、「チッ」と大きな舌打ちをした。
円を描く様に足を動かし、クマと間合いを取る。ウェンリルもこのふざけたクマのぬいぐるみが、危険な人物なのだと悟ったのだ。
そんな警戒心を強めるウェンリルの横を、蒼い炎を両手にまとったケルベロスが黒髪を揺らし駆け抜ける。
反転したクマは、瞬時にその視線をケルベロスへと向け、左拳に赤黒い炎をまとう。
その後方では金属音が何度も響いていた。
「蒼炎拳!」
ケルベロスが右足を踏み込み、右拳を一気に振り抜く。
それに合わせる様にクマは左足へと体重を乗せると、左拳を振り抜いた。
互いの拳が衝突し蒼い火の粉と赤黒い火の粉が舞い散る。
奥歯を噛み締めるケルベロスの表情は歪む。
「くっ!」
「援護しますよ!」
後方へと飛び退いたケルベロスと入れ違いに、ウェンリルがクマへと突っ込む。
三日月形の刃の切っ先で、地面を抉り駆けるウェンリルは、大鎌へと精神力を纏わせる。
「魔人狩り!」
左足を踏み込むと、ウェンリルは斜め下から一気に大鎌を振り抜く。土煙を舞い上げる三日月型の刃は狙いすましたように、クマの右足を狩りに来る。
もちろん、クマもそれを察知したが、あえてその場を動かず魔力を全身へと広げた。
「肉を切らせて骨を切るクマ! 肉なんか切らせないけど……クマ。属性硬化!」
クマが叫び、全身を土属性で硬化する。瞬時にウェンリルは悟った。
このまま行けば、刃を受け止められ、カウンターを喰らうと。
だが、もう止まらない。振り抜いた大鎌の刃は硬化したクマの右足の付け根に入った。もちろん、硬化したクマの足を切るだけの威力はなく、金属音と火花を散らす。
そして、ウェンリルの顔面に向け、クマの振り被った右拳が振り抜かれる。
直撃する。そうウェンリルが目を見開くが、刹那、青白い光が視界の端を通過し、クマの顔面に蒼い炎をまとったケルベロスの左足が直撃した。
衝撃でクマの上半身が後方へと弾かれ、振り抜いた右拳の軌道は逸れウェンリルの顔の前を通過する。
当然だが、硬化した状態のクマに、ケルベロスの蹴りではダメージは与えられない。
それを知ってか、ケルベロスは「くっ」と声を漏らすと表情を歪める。と、同時にすぐさま距離を取った。
間合いを取るケルベロスとウェンリルに、背を仰け反らせるクマは硬化を解き、右手で額を擦る。
「今のは驚いたクマー」
そうは言うモノの、クマに驚いた様子はない。
慢心も油断もない。ただ、クマには自信があるように見えた。誰が相手でも負けないと言う自信が。
故に、ケルベロスとウェンリルの二人は、非常に苦しげな表情を浮かべていた。
実力者であるからこそ分かる力の差。こんなふざけた格好だからこそ、その強さに苛立ちを感じる。
深く息を吐くクマは肩の力を抜き、脱力すると準備運動をするように両肩を軽く回す。
「クマクマ。大分、感覚がつかめて来た気がするクマ」
「くっ! まるで、まだ本調子じゃないって口振りですね!」
クマの発言に、ウェンリルがそう声を荒げると、隣に佇むケルベロスは目を細める。
「本調子どころか、技すら使っていない」
「なっ! そんなバカな事が……」
驚くウェンリル。すでに二人は全力で、魔力も精神力も幾分か消費していた。
一方、クマの方は属性硬化や赤黒い炎は使っているものの大きく魔力を消費する技は使用していない。故に、まだまだ魔力の底は見えていなかった。
額から一筋の汗を流すケルベロスは、不意に空を見た。後に、ゆっくりと息を吐き、魔力を更に両拳へと込めた。
ケルベロスの行動にウェンリルは訝しげな表情を浮かべる。この実力差を目の当たりにしてもまだ戦う気なのか、そう考えていた。
そんなウェンリルの不安を他所に、ケルベロスは走り出す。
ケルベロスの動き出しに、クマは鼻から息を吐くと気合を入れるように丸っこい手を腰の位置に構え魔力を注ぐ。ケルベロスを迎い撃つ為に両拳へと赤黒い炎をまとった。
迫り来るケルベロスは、低い姿勢を維持し、両拳の炎の火力を高める。
「火力を高めたからと言って、威力が上がったりはしないクマよ?」
クマは不思議そうに首を傾げる。
親切心から出た言葉だった。
だが、ケルベロスは真剣な表情でクマを睨み、
「蒼炎拳!」
と、右拳を振り抜いた。
蒼い炎がクマを呑み込む様に大きく爆発する。だが、クマは落ち着いた面持ちで右拳を振り抜いた。
二人の拳は三度衝突する。凄まじい衝撃が辺りへと広がり、火の粉が散った。
奥歯を噛むケルベロスだが、その瞬間口元に不敵な笑みを浮かべる。
刹那だった。上空より飛来する。雷鳴の如く轟々しい音を轟かせ、地面を砕く閃光。
綿が飛び散り、僅かに赤黒い炎をまとった丸っこい腕が宙へと舞った。
クマの右足の横には漆黒の刃幅の広い刃が地面に減り込んでいた。禍々しい魔力を揺らめかせ、地面には複数の亀裂が走っていた。
何故、ココに、どうして今まで気付かなかった。そう考えるクマは右の肩口から綿を溢れさせながら、その場を離れる。
「クマ!」
冬華が聞こえた。
だが、それに答えるだけの余裕はクマにはない。
「俺ではお前に勝てないだろう。だが、注意を惹く事は出来る」
ケルベロスはそう言い、ゆっくりとクマの方へ体を向ける。そんなケルベロスの向こうに、片膝を着くのは――
「ウゥゥゥゥッ!」
と、唸り声を上げるクロトだった。