第274話 ギルドマスター
上空から巨大な土の塊、所謂一つの大きな島が迫り来る中、地面スレスレを滑空するのは黒き翼竜。
大きく広げた翼は淀んだ空気を裂く。
背にはルーイット、パル、ティオ、ライの四人を乗せ、両腕には白き翼竜を抱えていた。
幾ら、子供で黒き翼竜よりも一回り小さいと言っても、その重量は相当なもので、スピードは格段に落ちていた。
疲れもあるのだろう。僅かによろめき、時折足の爪を地面に引き摺っていた。
「もう少しだ。頑張れ」
黒き翼竜に、ライは囁く。
大きく口を開け、頭をコクリコクリと上下に揺さぶった黒き翼竜は、広げた両翼を力強く羽ばたかせた。
地面スレスレだった体がその一掻きで浮き上がり、僅かながらのスピードアップ。
しかし、それでも、島が落下する前にこの場所から抜け出せるのかは、ギリギリだった。
すでに地面は陰り、完全に暗くなっていた。
そんな中だった。後方から凄まじい爆音が轟き、衝撃が土煙と共に淀んだ空気を呑み込み、外へと広がる。
その衝撃は、黒き翼竜も呑み込む。
大きく翼を広げた事により、その衝撃に乗った黒き翼竜の体は、更に加速し一気に大きく抉れた地面の外へと抜けた。
空高く弾き出された形の黒き翼竜。バランスを保つが、すでに黒き翼竜は空を舞うだけの力は無く、よろよろと地上へと落ちた。
と、同時に島も完全に抉れた大陸へと合わさった。
轟々しい音が周囲に広がり、土煙が上空へと円を描く様に噴き上がった。
島が地上に落ちた。
その衝撃は凄まじく、島は大きく揺れる。
激しい揺れに島にいた者達は、バランスを崩す。二人を除いて。
その二人とは――。
「はぁ……はぁ……」
両腕に蒼い炎をまとい、呼吸を乱す番犬ケルベロスと、
「クマママ! 危ないクマ」
と、両手に赤黒い炎をまとい、バランスを取るクマの二人だけ。
広場に集まっていた兵の半分以上が、意識を失い横たわり、半分は激しい揺れに膝を落としていた。
その中に、英雄・白雪冬華――以前、クロトが身を挺し元の世界へと帰した少女の姿があった。
彼女は手に持った透き通る蒼い刃の槍を地面に突き立て、何とか堪えていた。
「な、何……」
驚き周囲を見回す冬華に、地面に片膝を着く紅蓮の剣クリスが、
「どうやら、地上に落ちたようです!」
と、白銀の髪を揺らし答えた。
揺れが治まると、ツギハギだらけのクマと、番犬ケルベロスは同時に地を蹴る。
蒼い炎を揺らめかせるケルベロスは、左足を踏み込むと振り被った右拳を振り抜いた。蒼い火の粉を舞わせ、放たれたケルベロスの拳は衝撃を生んだ。
クマのぬいぐるみが振り抜いた右拳と衝突したのだ。
衝撃によって生まれた突風が、ケルベロスの黒髪を激しく揺らし、蒼い火の粉と赤黒い火の粉が弾けた。
「くっ!」
奥歯を噛んだケルベロスは眉間にシワを寄せる。だが、クマは変わらぬ愛くるしい顔でケルベロスを見据えていた。
「どうしたクマ? この程度クマ?」
まるで、力を確認しているようなクマの様子に、ケルベロスは不快そうに表情を歪めた。
愛くるしいその姿形と違い、とても威圧的だった。故に、ケルベロスは瞬時にその場から離れ、体勢を整える。
二人の攻防はこれの繰り返しだった。互いに一撃一撃をぶつけ合い、ケルベロスが間合いを嫌い下がる。そして、その間にクマは次々とその場に集まっていた兵を一撃で伸していた。
これでも、ケルベロスは名の知れた実力者だ。そんなケルベロスを相手にしながらも周囲の兵を軽々と倒していくこのふざけたぬいぐるみに、警戒心を強める。
「何者だ……」
「クマはクマクマ。他の何でもないクマ」
そう答えながら、クマは跳躍し地面に倒れる兵士へととび蹴りを見舞った。
一般兵では全く持って相手にならない程、クマのぬいぐるみは強い。故に、ケルベロスは険しい表情を浮かべる。
そんな折だった。
「おいおいおい。番犬が、こんなぬいぐるみ程度に苦戦しているのか?」
ふてぶてしい男の声が響く。
姿を見せたのは、ギルド・ホワイトスネークのギルドマスター・ライオネット。長い黒髪を揺らし、肩に大剣を担ぎ、不敵な笑みを浮かべる。
鋭い眼差しはふてぶてしく熊のぬいぐるみを見据える。
「全くですね。こんなふざけた奴に苦戦するなんて……番犬の名が廃るんじゃないですか?」
口元に薄らと笑みを浮かべる爽やかな顔立ちの男。彼は、ギルド・新緑の芽吹きのマスター、ウェンリル。
片手に持った大鎌を構え、穏やかな眼差しを向けるウェンリルは、エメラルド色の短髪を揺らした。
「この状況で……」
ギルドマスター二人の登場に、クリスは険しい表情を浮かべた。ライオネットもウェンリルも名の知れたギルドマスターだ。
故にクリスも知っている。彼らの事を。特にホワイトスネークのライオネットは、現在最も巨大なギルドのマスターだった。
ゆっくりと槍を地面から抜いた冬華は、そんな二人の方へ体を向ける。冬華もホワイトスネークのライオネットの事は知っていた。
以前、ルーガスに行った際に、指揮を取っていたのが、あのライオネットと言う男だった。
「な、何で! あなたが、ここに!」
冬華は怒鳴る。
何故、彼がここにいるのか、こんな所で何をしているのか、分からなくて。
そんな冬華の声に対し、ライオネットは肩を竦める。
「おやおや。これは、英雄殿。あなたは、確か、帰られたはずでは?」
ライオネットにそう言われ、冬華は息を呑む。反論はない。逃げた事は確かだ。
唇を噛み、言葉を噤む冬華へと、続いてウェンリルが答える。
「この男が何を考えているのかは分かりませんが、俺の目的は一つ。世界への粛清。この世界は変わらなければならない」
ウェンリルの答えに、冬華は眉間にシワを寄せる。
「ふざけないで! 変わらなきゃ行けないのは世界じゃない。あなた達みたいな危険な思想を持つ人たちでしょ!」
冬華が怒りの声を上げる。
だが、ライオネットはそれを鼻で笑う。
「ふっ……危険な思想ねぇー。それは、あんただって一緒だろ? 力でねじ伏せようって言うんだからよ」
槍を握る冬華に対し、ライオネットはそう言い、ふてぶてしい眼差しを向ける。
二人の視線が交錯する中、クリスは力強く言いはなった。
「貴様らと一緒にするな! そもそも、すでに話し合う余地もないこの状況で、ねじ伏せるも何もあったものか!」
「まぁ、そうだな。じゃあ、とりあえず、始めるか? 殺し合いをよぉ!」
ライオネットはそう叫び、冬華へと向かって走り出す。瞬時に反応を示すクリスは、右手に魔力を込めた。
冬華の前へと割って入ったクリスは、右手を握る。
「素手で私の相手が務まるのか!」
ライオネットが大剣を振り上げる。だが、その直後、横からクマの足がライオネットの横っ面を蹴り飛ばした。
「うぐっ!」
蹴り飛ばされたライオネットは激しく地面を横転する。
一方、綺麗に着地まで決めたクマは、静かに息を吐くと、その手を胸の前でパンと叩いた。
すると、次の瞬間、クマの手の中に一本の剣が姿を現した。
「クリスはコレを使うクマ。慣れない肉弾戦なんてダメクマ」
クマはそう言い、クリスへとその手に持った剣を渡した。
「あ、ああ……すまない」
クリスは戸惑いながらもその剣を受け取る。
真っ黒な鞘に納まったとても美しい剣。片手で持っても全く重量を感じぬ程、軽量化された片手剣だった。
「クッソが! 舐めんじゃねぇぞ! ぬいぐるみ!」
そう叫び、立ち上がったライオネットは、クマへと向かって一直線に走り出した。




