第270話 演説
睨み合うクロトと漆黒のローブをまとう男。
二人の赤い瞳が交錯し、数秒の時が流れる。左腕を未だ鎖で壁に繋がれるクロトは、深く息を吐いた。と、同時に左手に力を込め、鎖を引きちぎった。
脆くなっていたのだろう。壁はその力に耐え切れず、金具ごと崩れ落ちた。
血溜まりの上へと着地すると、足に血が跳ね、付着する。だが、クロトは気にした様子はなく、掴んだ男の腕を引きその顔を睨んだ。
「一体、我に何の用だ」
クロトとは違う低く威圧的な声。鋭い眼光もその身にまとう殺気も、全てがクロトとは別のモノだった。
フードを深々と被る男は、一端瞼を閉じると、静かに深呼吸を一つする。そして、再び瞼を開くと真っ直ぐにクロトの目を見据え答えた。
「私は、あなたの復活を待ち望んでいた。ずっと……この時を!」
「我の復活?」
不快そうにクロトが眉を顰めると、フードを被った男は肩を揺らす。
笑っていた。その口元に不敵な笑みを浮かべて。
「えぇ……長かった。あなたが、闇へと葬られてから……長い年月が……」
「…………」
男の言葉に、無言で耳を傾けるクロトは、手首を回し周囲を見回す。
聞いているのか、聞いていないのか分からぬ態度にフードを被った男は僅かに表情を引きつらせる。
「私の話を聞いていますか?」
「ああ……。ご苦労な事だな。しかし、何故、今更、我を復活させる? 我の肉体は焼かれ、以前の力は封じられた。我の意識はこの者の中だ。肉体も無い我を復活させる理由などないだろ」
どうにも否定的なクロト――いや、クロトの肉体を借りるもう一つの人格。
そんな彼に、フードを被った男は小さく首を振る。
「肉体は無くとも、あなたの力は健在です。それに、復讐したいと思いませんか? あなたをこんな風にした、この世界の者達へ」
大手を広げ、そう宣言するフードを被った男に、クロトの肉体を借りるもう一つの人格は、深く息を吐く。
呆れた様子だったが、すぐに口元に笑みを浮かべたクロトは、肩の力を抜いた。
鋭い眼差しをフードの男へと向ける。
「この世界の者達? それは、お前も当てはまるがいいのか?」
「ふふっ……私の命でいいのなら、差し上げますが」
右手を胸へとあて、そう告げるフードの男に、クロトは小さく首を振った。
「よい。お前の命なのいらぬ。まぁ……いいだろう」
「ならば、早速演説の準備を」
深く頭を下げたフードの男はそう言い、歩き出す。
その男の後にクロトは続く。いつの間にか傷ついた肉体は再生し、衣服も元に戻っていた。
「久方振りの肉体か……まだ、馴染まぬな……」
右手を握ったり開いたりするクロトは、その手を真っ直ぐに見据えていた。
古城の広場には、多くの人が集まっていた。
人間から魔族まで、多くの人が。
皆、完全武装し、隊列を組んでいた。右翼には、龍魔族。左翼には獣魔族。中央には人間。その後方には魔人族。
総勢、数十万の人が集まっていた。
その光景を古城の窓から見据えるのは、真紅のローブをまとう魔術師と、ひび割れた漆黒の鎧をまとう男の二人。
魔術師の方は不快そうに眉間にシワを寄せ、袖口から覗く義手の右手で頭を抱えた。
「どう言う事だ? こいつはいったい……」
群青の髪をフードから揺らす魔術師は、幼さの残る顔で隊列を組む兵を見据える。こんなにも不快な事はない。そう言いたげな冷めた目を向けていた。
一方、ひび割れた漆黒の鎧を着た男は、黒髪を揺らすと腰に手を当てる。
「いよいよ。黒き破壊者の復活。盛大に祝うべきだろ」
重々しい鉄のぶつかり合う音を響かせる鎧の男に、魔術師は相変わらず不快そうに眉を顰める。
「お前はバカなのか? この状況だ。見てみろ。獣王の息子に、番犬、仕舞いにゃ竜王の第二王子。いつから、ウチはこんな大所帯になったんだ?」
両手の平を上へと向け、魔術師は肩を竦めた。そもそも、この城にはごく少数のメンバーしか居なかったはずなのだが、ここ一週間でこの大所帯になっていた。
しかし、不満そうな魔術師に対し、鎧の男はジト目を向ける。
「お前……自分が作った薬品の影響だろ」
「ああ? 薬品? あぁ……アレか。まぁ、作った俺が言うのもなんだが……ここまでになるとは思ってなかったな」
呆れた様な眼差しで、魔術師は窓の外を眺めた。
そこに、ゲタを鳴らす音が響き、和服に長い黒髪を結った男がやってきた。
腰にぶら下げた刀に左肘を乗せる和服の男は、不機嫌そうに眉間にシワを寄せる。
「なんだ? やけに不機嫌そうだな」
姿を見せた和服の男に対し、魔術師が軽い口調でそう告げた。その瞬間に、和服の男は鋭い眼差しを魔術師へと向け、腰にぶら下げた刀の柄を握った。
「おい! ここでの戦闘はご法度だぞ」
和服の男の突然の行動に、鎧の男がそう告げ、右手で指差す。
眉間にシワを寄せる和服の男は、奥歯を噛むと柄から手を離し、深く息を吐き出し告げる。
「黒き破壊者が目覚めたそうだ。奴の演説が始まる。全員、屋上に来いとの事だ」
「おうおう。黒き破壊者が……いよいよか」
嬉しそうに微笑する魔術師は、胸の前で右手を左袖に左手を右袖に突っ込み肩を揺らす。
「早速、向かうとするか……」
重々しい鉄のぶつかり合う音を響かせ、鎧の男は歩き出す。そのうるさい足音に、魔術師は目を細め、和服の男は不快そうに瞼を閉じた。
数十分後。
古城の屋上に、鎧の男、魔術師、和服の男の三人と、漆黒のローブをまとう男に、黒き破壊者――クロトの五人が集まっていた。
右から、和服の男、魔術師、クロト、漆黒のローブの男、鎧の男の順に壇上に佇み、広場に集まった兵団を見下ろす。
広場に集まった種族の異なる兵士達も、皆壇上にいる五人を見据える。
静寂が周囲を包む。重々しい空気が場を支配していた。
緊張感が高まる中で、クロトがゆっくりと前へ出ると、首の骨を鳴らした。
「我は、かつて最悪の魔王と呼ばれた者。汝らは何だ? 何の為にここにいる?」
クロトの問いかけに、広場に集まった兵士達がざわめく。
一方、クロトの背後に佇む四人も訝しげな表情を浮かべる。
「我は、かつて、この世界を滅ぼそうとした。だが、結果は、三大魔王と人間たちの手により、封じられた」
静かにそう告げたクロトは、小さく息を吐き出すと集まった兵を見渡す。
「我は間違った事をしたとは思っていない。あの時、我の行動は真っ当だった。腐りきったこの世界を正すには、それが正しいと思っていた」
クロトの発言に、魔術師は眉を顰める。
「一体、何の話だ?」
「さぁな」
隣に並ぶ和服の男は、興味がないと腕を組み空を見上げていた。
そんな折、漆黒のローブをまとう男は深く息を吐いた。
「やはり…………か」
そう呟き、俯いた。
そして――
「我は、この者の目を通し、世界を見た。さまざまな光景を。人間も魔族も、同じように過ちを犯し、同じように傷ついていると知った。今はもう、あの時とは違う。人間と魔族が――ぐふっ!」
クロトは、吐血する。
腹部から漆黒の刃を突き出して。背後から突き刺された。魔剣・魔桜で。
魔力が奪われ、クロトの膝が落ちる。
「やはり、感情は不要だな。まさか、貴様が、ここまで腑抜けになっているとはな。残念だ」
フードを被った男がそう呟くと、魔剣・魔桜から禍々しい魔力がクロトの中へと流れ込む。
「ぐっ……きさ……ま……」
「私が欲しいのは、お前の力だ。これは、解放したテメェの魔力と、フィンクで集めた魔力だ。テメェの自我を奪うには十分過ぎる魔力だろ? 肉体の再生が終わるまでは、ソイツの肉体で暴れまわってくれ」
フードを被った男はそう言い、不敵に笑みを浮かべると、
“黒き破壊者よ”
と、クロトの耳元で囁いた。
直後、クロトの意識は完全に消え、恐ろしい程の膨大な魔力が周囲一帯へと広がった。
それにより、この大陸を覆い隠していた雲が一瞬にして消滅した。