第267話 次なる目的地
一夜が明けた。
やはり、グランダース王国王都は静まり返っていた。
何の気配も感じない。
何の音も聞こえない。
高層建物の一室で一夜を明かしたパルとルーイットは、朝日が昇ると同時に動き出す。
ティオの傷の具合がよくない為、手当てをする為にも薬が必要だった。
あと、何か食べるものと飲み水、体を暖めるものも必要不可欠だった。
それに、二人は確認する事もあった。
この王都で何が起こったのかと言う事と、クロトとセラの事。
正直、まだ状況を理解していなかった。
ティオがいつ目を覚ますか分からない為、一人は残った方がいいのだが、今は人手が惜しい。
ゆえに、二人で別行動をとっていた。
パルは西側へと向かい、ルーイットは東側へと向かう。
西に向かったパルは怪訝そうに眉を顰める。
どれだけ歩いても人の気配はしない。
それだけじゃない。
積もった雪には人の足跡など全くなかった。
白い息を吐くパルは、足を止めると両手を膝へと着いた。
「はぁ……はぁ……。くっ! ダメだ。全く人の気配が無い。一体、何だって言うんだ!」
焦りから、思わずそう声を荒げるパルは拳を壁へと叩きつけた。
拳に痛みが走り、血が滲む。
こぼれた血は雪原を僅かに赤く染めた。
焦っては行けないと分かっている。
冷静にならなければ行けないと、パルは自分に言い聞かせる。
瞼を閉じ、深呼吸を三回繰り返す。
鼓動は大分落ち着き、脈拍も安定する。
思考を働かせるパルはとりあえず、薬や包帯を探す事を優先し、近くの民家のドアをノックした。
だが、返答は無い。分かっていた事だが、一応ノックしたと言う事実を作り、ゆっくりとドアノブを握った。
一呼吸空け、パルはドアノブを回す。
ドアは僅かに留め金を軋ませ、開かれる。
室内は、異様に冷え込んでいた。
完全に暖をとっていた様子は無く、外と殆ど温度差はなかった。
やはり、人がいる気配はない。
「邪魔するぞ」
一応、そう言いパルは家の中へと入った。
その頃、ルーイットは、進路を城へと向けていた。
暫く走った後に、やはりクロトとセラの事が気になったのだ。
開かれた口から白い吐息を漏らしながら、ルーイットは走る。
元々、足が速いわけではない。
運動神経がいいわけでもない。
その為、多少時間は掛かり、城へと辿り着いた。
肩で息をするルーイットは、城を見上げる。
「この屋上にクロトとセラがいる……のかな?」
不安になるルーイットは胸の前で手を組んだ。
紺色の髪が冷たい風に吹かれ、頭の上の獣耳はピクッと動く。
微かにだが、城内から足音が聞こえた。
それが、誰のものかは分からないが、もしかするとクロトかもしれない。
そう思ったルーイットの足は自然と城内へと進んでいた。
脈拍が速まり、息遣いは荒々しくなる。
肺が痛い。
足が重い。
呼吸が苦しい。
それでも、ルーイットは足を止める事無く、音の方へと足を進める。
音を聞き逃さないようにその音に意識を集中する。
そして――
「クロト!」
階段を上り終えたルーイットが角を曲がり、そう声を上げる。
間違いなく、そこに足音の主がいる。その確信があったからだ。
ルーイットの確信通り、そこには足音の主が佇んでいた。
だが、それは、クロトではなく、一人の女性だった。
真っ白な長い髪を揺らし、薄汚れた衣服を着た。
彼女は、ルーイットの声に気付き振り返る。
落ち着きのある目鼻立ちの整った美しい顔の女性だった。
淡い蒼い瞳がルーイットを真っ直ぐに見据える。
二人の視線が交錯し、数秒の沈黙。
その後、女性は首を傾げる。
「どちら様?」
静かな声で女性がそう言うと、ルーイットは我に返り慌てて頭を下げる。
「す、すみません! 人違いでした!」
「人……違い? 誰か探しているの?」
ルーイットの言葉に、女性は静かにそう尋ねると、眉間にシワを寄せ辺りを見回した。
とてもじゃないが、誰かがいると言う感じではない。
不思議な空気を漂わせる女性は、目を細める。
「誰かがいるような気配はないけど?」
「えっ? あっ……はい……」
パタンと耳を折るルーイットは、肩を落とす。
落ち込んでいる様子のルーイットに、女性は小さく息を吐き、
「ごめんなさい。何か落ち込ませる事を言ったかしら?」
と、軽く頭を下げた。
顔を上げたルーイットは小さく頭を振る。
「ううん。足音が聞こえたから……私の知り合いがいるんだと思って……」
「足音が……あーあ。あなた、獣魔族なのね」
女性は、淡い蒼の瞳をルーイットの頭へと向け、そう呟いた。
「耳がいいのね」
「えへへ……コレだけが自慢です」
恥ずかしそうにルーイットは頭を掻いた。
そんなルーイットに、女性は渋い表情を浮かべる。
「あなたの知り合い……クロト、と言ったかしら? どうかしたの?」
静かな女性の問いかけに、ルーイットはうな垂れる。
そして、女性へとここで起こった事を話した。
詳細までは分からない為、大まかにだったが、女性は小さく頷き白髪を揺らすと険しい表情でルーイットを見据える。
「そう……。だとすると、彼らは連れて行かれたと考える方がいいわね」
「連れて……そうですか……」
更に落ち込むルーイットに、女性は腕を組む。
少々ふくらみのある胸を持ち上げる様に腕を組んだ女性は、瞼を閉じると深く息を吐く。
「とりあえず……すぐに殺されると言う事は無いと思うわ」
「ほ、本当に!」
女性の言葉に、顔を挙げ獣耳をピンと立てたルーイットが、目を輝かせる。
あまりのルーイットの期待に満ち溢れた眼差しに、女性は小さく頷くと鼻から息を吐いた。
「えぇ。あなたの話を聞く限りは、ね。ただ、それも時間の問題だと思うけど……」
「えっ! じゃあ……」
「急いだ方がいいと思うわ。何か目的かは、分からないけど……。急ぐに越した事はないと思う」
白髪を揺らす女性は、そう言い強い眼差しを向ける。
その眼差しを真っ直ぐに見据えるルーイットは、困ったように眉を曲げた。
すると、女性は右手でルーイットの肩を叩き、
「とりあえず、移動手段があるなら、ルーガスへと向かった方がいいと思う」
「えっ? ルーガスに?」
「えぇ。この現象と、あなたの知り合いの事を考えると、恐らく、連れて行かれたのはルーガスよ」
何を根拠に女性が断言するのかは分からない。
だが、ルーイットはその言葉を信じた。
いや、信じたというよりも、ルーイットもそんな気がしたのだ。
何故かは分からないが、ルーガスにクロトは居る気がした。
「ありがとう。うん。行ってみる!」
胸の横で両手を握り締め、力強くルーイットが答える。
「そう……気をつけて」
女性はそう言い、微笑した。
優しく温かみのある笑みに、ルーイットは深々と頭を下げ走り出した。
去っていくルーイットの背を見据え、女性は呟く。
「私も……急がないと……」
女性は背に美しい純白の翼を生やすと、そのまま空へと羽ばたいていった。